サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
リコと出会ったのは、ちょうど一ヶ月ほど前の時だ。夏休みが終わり、暑さが少しずつ和らいできた頃。
祐真は、学校終わりに、勉強で必要な資料を探すため、地元にある図書館へと赴いていた。最初は学校の図書室で探したが、借り出し済みだったので、ここまで足を運んだのだ。
古い図書館だった。建物自体も大きく、蔵書量も相当ある。大抵の書物は見付かりそうだと思った。ましてや求めているのは、高校二年の演習問題である。すぐに済ませられるはずだった。
祐真は、閑散とした図書館で、目的のものを探す。時刻は夕方に差しかかっていた。他にも自分のような学校帰りの学生がいると思っていたが、驚くほど人は少なかった。
照明も古いせいか薄暗く、ホラー映画の洋館にでも入ったかのような、不気味な雰囲気が漂っていた。
目当ての数学の演習問題集は、すぐに見付かった。参考書関連の棚に収納されており、最近誰も引き出した形跡はない。
祐真は、その問題集を取り、手に持った。カウンターに行こうと足を動かした時だ。妙なものが祐真の目に止まった。
背表紙が赤く装丁された、ハードカバーほどの本。それが、参考書関連の棚に一冊だけ不自然に収納されていた。ジャンル的に似つかわしくなく、変に浮いて見えた。
目を近付けてみる。背表紙に金箔でタイトルが書かれてあった。
『サキュバスを召喚する方法』
図書館の職員が、児童書かホラー小説を間違えてここに入れ込んだのだろうか。祐真はそう思った。
そのまま無視しようとしたが、なぜかそれはできなかった。どうにも気になる。祐真は、その本を引き出した。
本は全体が赤い皮で覆われ、金色の文字が印字されてある。遠目ではただのハードカバーのように見えたが、こうして手に取って見ると、アンティークものの高い書物のように思えた。
中を開く。最初のページに、マイクロビキニのような露出の高い服を着た、十代後半ほどの美少女の絵が描かれていた。美少女にはヤギのような角と、蝙蝠のような羽が生えている。きわどい部分は上手く隠されてはいるものの、ほとんど全裸であり、扇情的だ。現代の萌え絵に近い。
さらにページをめくってみる。この本の解説があり、全て日本語で書かれてあった。翻訳したような不自然さがないのは、これが日本で製作されたからなのか。
さらにざっとページを捲っていく。途中、召喚の方法だろうか、挿絵での解説が描かれたページがあった。
そして、中央付近のページに、妙な文言が一文書かれてることを発見する。非常に目立たず、見逃すところだった。
『注意事項。召喚した対象の存在を秘匿すること。破れば罰がある』
召喚の際のルールか何かを説明した文章らしかった。なぜこんな目立たない箇所に書かれてあるかわからないが、意味も理解できないので、祐真は気にせず読み進める。
そして、ある程度目を通し、概ね内容を掴むことができた。
タイトル通り、これはサキュバスという悪魔を召喚するための指南書のようだ。名称等にも触れられており、正しくは魔道書と呼ぶらしい。『ソロモンの鍵』や『グラン・グリモワール』といった魔道書が有名で、悪魔や霊を召喚したり、呪いをかけたり等が主な使われ方のようだ。
祐真もゲームやアニメで何度か耳にしたことがあるので、何となくどういったものかは想像がつく。
そしてそれは、サキュバスという存在も同様だった。
サキュバスといえば、いわゆる淫魔である。夜中に、寝ている男性を襲い、性を吸う女性の悪魔だ。しかもそれはそれは、大変な美女らしい。
つまりサキュバスに狙われると、絶世の美女が、毎夜自身の貞操を奪いにくるという夢のような状況に陥ってしまうのだ。男なら誰だって、一度は想像したことがあるシチュエーションだろう。
祐真は、最初のページに描かれていた高露出の美少女の絵を思い出し、生唾を飲み込んだ。
あれがサキュバスを表した絵であることは、間違いがない。つまり、
祐真はそこまで考え、首を振った。
何を本気にしているんだ俺は。馬鹿馬鹿しい。
そもそも、サキュバスなんてもの、この世には存在しない。聞いた話では、男の夢精を無理矢理に理由付けした架空の悪魔らしいのだ。発祥は中世のヨーロッパで、その時代は禁欲主義であるため、射精一つで厳罰ものだという狂った風潮があった。その歪みが生み出した妄想だ。
つまり、この本は丸っきりフィクションである。当然だ。真実であるかどうかの考察にすら値しない。コックリさんの呼び出し方を記した、小学生向けのホラー漫画を本気にするようなものだ。ある程度の年齢に達すれば、そのような心霊や悪魔など実在しないというのは自ずとわかる。この世界は、現実を処理するのに精一杯で、非科学的な存在が付け入る余裕などないのだ。
祐真は、演習問題集だけを手に持ち、赤い本を元に戻そうとした。だが、不思議なことが起こる。
気がつくと、演習問題集と共に、赤い本を小脇に抱え、カウンターへと向かっていたのだ。何かに操られているかのように、足が勝手に動いていた。
二冊の本をカウンターに置き、それを受け取った図書館の職員が、貸し出しの処理を行う。
問題なく本は借りることができ、祐真は家路へと着いた。
こうして、祐真は、サキュバス召喚の本を入手したのだった。
サキュバスを実際に召喚しようとしたのは、それから三日ほど経った日の夜のことだ。
その頃には、サキュバスのことで頭が一杯だった。架空の存在だと自覚しているにも関わらず、なぜか目の前に現れるのを期待している自分がいる。不思議だった。
それに、調べた限り、あまりコストも手間も掛からないようだったので、試しにやってみてもデメリットはなさそうだと思った。話のタネにはなるかもしれない。
そして、もしも、万一召喚できたら、それから先、自分は薔薇色の人生を謳歌できるだろう。高校二年生の持て余している性欲を、存分に満たしてくれる存在が現れるのだ。まさに夢のような話だ。股間が空っぽになるまで、絞ってくれるはず。
祐真は、いまだ現れていないサキュバスのことを頭に想像する度に、思わずにやけていた。
祐真は、サキュバスの召喚に必要な物を揃えた。それらは、簡単に集めることができるものだったので、半日もかからなかった。
揃えた物は、一メートル四方の黒い布と供物となる生き物の肉(これはスーパーで売っている鶏肉で代用した)、主だと認識させるのに必要な召喚主の体の一部、そして暗闇とロウソク。
召喚方法も単純で、黒い布に五芒星を描き、その中央にこの赤い本、手前左右に鶏肉と召喚主の体の一部(髪の毛でもいいらしいので、髪の毛を切って用意した)を紙に包んで置き、あとは魔法陣のそれぞれの頂点に、五本のロウソクを立てれば準備完了だ。
最後に部屋を暗くし、呪文を一説唱えれば、サキュバスを召喚できるという。
召喚に成功すると、五芒星に置いた肉や体の一部、そして本が消失するらしい。つまり捧げられたということだ。
祐真は準備を終え、部屋の照明を消した。闇が部屋を侵食する。時刻は深夜十二時。当然外はすでに日は落ち、差し込む光などない。このアパートは、閑静な住宅街に建っているため、物音も聞こえてこなかった。
祐真は、五芒星を見下ろす。儀式の小道具類は、闇とその中で霊魂のように光る燭火に照らされ、不気味さを醸し出していた。本当に召喚が成功しそうな雰囲気さえある。
祐真は目を閉じ、予め頭の中に刻み付けておいた本の中の一説を思い出す。これは召喚に必要な呪文だ。短く、簡単に暗記できた。
祐真は深呼吸を一つすると、その呪文を口に出した。
「アルス・マグナ」
再び静寂が訪れる。物音一つしない。
祐真は少し待ち、そして目を瞑ったまま思う。
駄目か。やはりこれは作り話だったようだ。
がっかりしながら目を開けた。先程より、ロウソクの炎が明るく見える。
その炎がさらに明るく光る。あれ? と祐真が怪訝に思った時だった。祐真の目がはっと見開かれた。
ロウソクが燃焼剤を投入したように、激しく燃え出したのだ。火は通常の倍以上の高さまで伸びている。
祐真は恐怖した。だがそれは心霊現象や儀式の影響によるものだとは考えず、純粋に火災へと繋がることを危惧した恐怖だった。
祐真は炎を消そうと、慌ててロウソクに飛びついた。だが、遅かった。炎は、黒い布に燃え移り、五芒星を描いた線の上をなぞるようにして燃え広がっていく。そして、置いてあった鶏肉や、祐真の髪の毛を包んでいた紙、赤い本をまとめて飲み込んで、燃え上がった。
キャンプファイヤーのように、炎が部屋の中を煌々と照らし始めた。
祐真は後方に後ずさりし、愕然とする。
とんでもないことになった。これは紛れもない火事だ。早く消防車を呼ばないと。
祐真の手が、ポケット内のスマートフォンへと伸びる。
その瞬間、不可思議な現象が起こった。
業火のように燃え上がっていた炎は突如として消失し、大量の煙が発生した。それは鎮火の際の煙ではない。ドライアイスのように、ひんやりとした真っ白な煙だった。どこか清浄ささえ感じさせる。臭いも焦げ臭くなく、薔薇を思わせる甘い香りが鼻腔をついた。
唖然としたままその光景を祐真は見つめた。体は硬直し、身じろぎができない。
何が起きている? 火はどうなった?
白い煙の中に人影が見えた。やがて、煙は晴れ、人影が鮮明になっていく。
祐真の目が点になった。この時の自分の顔を客観的に見れば、おそらく『ひょっとこ』のような情けない表情をしていたのだろうと思う。
それほど衝撃的な光景が、眼前に生まれ出ていたのだ。
煙の中から現れたのは、裸の人間だった。だが、希望していたサキュバスではなかった。男なのだ。そこにいたのは。
銀色の髪に、神話の世界から抜け出てきたような美しく端整な顔。体格は長身でスリムだ。中性的な雰囲気を纏ってはいるものの、れっきとした男だということは一目で確信が持てた。なぜなら、股間から一物が生えていたからだ。
その男は、こちらを見るなり、裸のまま抱きついてきた。
「ひい」
祐真は思わず情けない悲鳴を上げてしまう。唐突に訪れた怒涛のような展開に、思考が追いつかない。
祐真の混乱をよそに、裸の男は抱きついたまま、感極まった声でこう言った。
「ようやく会えた。もう離さないよ」
祐真は男の言葉の意味が理解できず、ただただ、茫然自失の状態で立ち尽くしていた。
これがリコとの出会いだった。