サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
ユーリーは、はっと目を見開く。秋口の済んだ空が、視界一杯に広がっていた。
ユーリーは、自身が運動場に仰向けになって倒れていることに気がついた。そして、何が起こったのかも。
おそらく、自分はリコに殴り飛ばされたのだ。そして、運動場の半分ほどまで吹き飛び、一瞬だけ気を失っていたらしい。
ユーリーは体を動かそうとする。だが、上手く動かせない。それでも無理に体を動かそうとした時、それが起きた。突如、腹部から、内臓を抉るような強い鈍痛が発生したのだ。
ユーリーは悶えた。リコから殴られた部位だ。どうやら時間差で痛みが襲い掛かってきたらしい。見事ボディに決まっており、内蔵まで大きなダメージが及んでいた。予め、全身に防御の魔術を施していたにも関わらず。
ユーリーは膝を付き、うな垂れながら何度か嘔吐した。吐瀉物には、真っ赤な血も混じっている。なんて化け物だ。こちらの攻撃は効かず、殴打だけで防御魔術すらあっさり打ち破るなんて。
一通り吐いたあと、ユーリーはふらつきながら立ち上がった。リコのほうを確認すると、リコは当初の位置からほとんど移動していなかった。
祐真も離れた場所で佇んでいる。
こちらに駆け寄ってくる彩香の姿が見えた。
「ユーリー大丈夫!?」
彩香は血相を変えていた。目の奥に、恐怖の色がある。先ほどのリコとユーリーの戦闘、そして、ユーリが為す術もなく吹き飛ばされた様を見て、自分たちが大きく不利であると認識したようだ。
「大丈夫さ。彩香。勝てるよ」
そうは言ったものの、手も足も出ないのが現状である。おまけに、体にはダメージが蓄積し、魔力も随分と消費してしまっている。勝つ見込みは限りなくゼロに近いだろう。
「安心させるために強がっているだけでしょ? ユーリー。無理をしないで」
彩香は、ユーリーの嘘を見抜いていた。短期間とはいえ、やはりずっと一緒に暮らした召喚主なだけはある。全てお見通しだった。
ユーリーは薄く笑う。
「……強いよリコは。とてつもなく。もはや打つ手なし、といったところかな」
残る唯一の戦法を除けば、だが。しかし、それを取るにしても、すでに魔力が足りなかった。万事休すか。
ユーリーは、遠くにいるリコを見る。リコは、腰に手を当て、余裕な様子でこちらを眺めていた。いつでも迎え撃つ、というスタンスなのだろう。憎たらしい奴め。
重い身体を引きずり、ユーリーは足を踏み出した。例え、勝算がなくても戦わなくてはならない。約束したからだ。それに、どうしても祐真を手に入れたかった。
歩み始めたユーリーの前に、彩香が立ち塞がった。怪訝に思って彩香の顔をうかがうと、彼女は神妙な表情を浮かべていた。
どうしたの、と訊く前に、彩香は予想もしない行動を取った。
彩香はこちらに抱き付き、そっと口づけを行ったのだ。あまりの唐突な出来事に、ユーリーは反応することもできなかった。
彩香のキスは、自然で優しく、思いやりがあった。恋人というよりかは、母と子の愛情あるキスのようだった。
体の底から、力が湧き上がってくるのを実感した。油田を掘り当てたかのごとく、魔力が噴き上がってくる。例え、同性愛のインキュバスでも、相手が人間である以上、精は吸収できるのだ。
ユーリーは彩香から、唇を離した。
「彩香」
満ち満ちる力を携え、リコは彩香に言う。
「ありがとう。これで勝てるよ」
彩香は、ふらつきながら、優しげに微笑んだ。
「私のファーストキス。あげちゃったからには、必ず勝ってね。私たちの夢のために」
彩香はそこまで言うと、その場に崩れ落ちた。ユーリーは、とっさに抱き止める。
彩香は、熱にうなされている時のように、苦しそうに喘いでいた。疲労困憊しているのだ。魔力が尽きかけている淫魔と口づけを交わした以上、当然の結果であった。
ユーリーは、彩香を運動場の砂の上に寝かせた。その時はすでに、彩香は眠りについていた。
ユーリーは立ち上がる。遠くにいるリコと、祐真を交互に見比べた。この時にはもう『決意』を固めていた。
ユーリーは右手を前に突き出し、魔術を放つ。一瞬で、巨大な竜巻が発生した。彩香のお陰で補充できた魔力だ。ふんだんに使わせてもらおう。
運動場の砂を巻き上げながら、巨大竜巻はさらに大きくなっていく。やがては運動場の半分を飲み込んだ。
運動場全てが、砂漠の砂嵐のように茶色に染まり、リコと祐真の姿も見えなくなる。
これが狙いだった。
ユーリーは風の魔術を使い、その場を移動した。二人の元へ瞬時に近づく。再び背後を取るためだ。
しかし、今度の標的はリコではなかった。本命は――。
ユーリーは、祐真の背後に回り込んだ。直近まで迫ると、砂嵐の中でも相手の姿はくっきりと視認できる。
祐真は無防備同然だった。相手が自分を狙ってくるなど微塵も予想していないらしく、棒立ちである。リコの姿は砂嵐の中、確認できない。
肉薄したユーリーは、祐真の背中に腕を伸ばした。ありったけの魔力を使い、淫魔術を彼に流し込むため。
これが、ユーリーに残された最後の策だった。リコに敵わないのなら、祐真を狙うしかない。淫魔術を用い、祐真を篭絡し、人質とする。
さすがのリコも、己の召喚主が人質に取られれば、言いなりになる他ないだろう。あとは煮るなり焼くなり思いのまま。
最低でも、祐真を連れて、ここから立ち去るくらいはできはずだ。いずれにしろ、祐真を手中に収めることさえできれば、こちらの勝ちは揺るぎない。
卑劣な手口であることには、変わりはないが。
ユーリーの手が、祐真の背中に触れた。そして、大量に淫魔術を流し込む。
ユーリーはほくそ笑んだ。これで僕の勝ちだ。彩香の願いと、魅惑的な少年。それらが、一度に手に入るのだ。
だがしかし、ユーリーは、眉間に皺を寄せてしまう。妙だった。流し込んだはずの淫魔術の効果が発揮されないのだ。直接人間に触れ、大量の淫魔術を流し込んだ場合、瞬時に効果は現れるはず。それが発生しないのだ。
明らかにおかしい。そう思った瞬間、驚くべき現象が起きる。目の前の祐真の姿が蜃気楼のように揺らぎ、別の姿に変化したのだ。
祐真だった人物は、長身のインキュバスの姿へと様変わりしていた。ユーリーはすぐに悟る。自分のほうこそが、罠にはまったのだと。
『モーフィング』。自身の姿を変化させる魔術。用途は多岐に渡り、髪の色や形を変化させることから、全身を別の人物の姿にそっくりそのまま映したりもできる。
リコは、ユーリーが砂嵐を発生させた時点で、策を見抜いていたのだろう。モーフィングを使い、祐真の姿に化け、こちらを待ち構えていた。それに気づかず、ユーリーはまんまと接近した。
まさに飛んで火に入る夏の虫。
ユーリーは、とっさに距離を取ろうとする。だが、遅かった。それすらもリコは読んでいた。
リコが、大きく拳を振りかぶった姿が目に映る。ユーリーが視認できたのはそこまで。あとは、頭部に大きな衝撃が走り、やがてユーリーの意識は深い奈落の底にまで落ちていった。