サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
それからの展開は、驚くほどのスピードで進んだ。
まず、全校生徒と教師にかかっていた淫魔術は解除された。これはすでにリコが教えてくれた通りである。しかし、信じられないことに、淫魔術にかかった全員が全員、その時の記憶を消失しているのだ。
どうやらユーリーは、淫魔術に『ある仕掛け』を施していたらしい。淫魔術が解除された場合、感染者は全員、自分たちが淫魔術の影響で行っていた行為や、それに纏わる記憶が綺麗さっぱり消滅するようだ。
おそらく、混乱を抑制するために設けた機能ではないかとリコは推察していた。
そのお陰で、体育館で集団催眠から目覚めた全校生徒や、教師たちはすでに以前と同じ状態に戻っており、男子生徒たちには同性愛の気配など微塵もなかった。
ただ、集団催眠の影響は出ており、教師や生徒のほとんどが倒れていたということで、救急車が出動された。大勢の生徒や教師が救急隊員の手で診られたが、全員に異常はなく、病院に搬送された者もいなかった。
最終的には体育館を締め切っていた影響で、酸欠が発生したせいだと結論が出された(このことは、地元のニュースや新聞で小さく報じられた)。
混乱こそは少しはあったものの、結局のところ、翌日には淫魔術に汚染される以前の日常の世界が戻っていた。
現時点で、喜屋高校において『全世界BL計画』が推し進められたことを知っているのは、祐真と彩香のみ。彩香はもうユーリーを使って悪さをするつもりはないようだし、すでに何事もなかったかのように日々が進行していたため、祐真の記憶からすぐにそのふざけた名称は薄れてしまっていた(本人が言及したように、彩香は自身の漫画を使ってBL化計画を邁進させているようだが)。
ほとんどが万事解決し、祐真は一安心していた。あとはリコを『向こうの世界』へ送り返せば、すぐに前の日常を取り戻せるはず。
そして、その時がくるまでには、今回のような異常な事態がそう何度も起きないだろうと、祐真は楽観視していた。安心して魔道書の捜索ができると。
だが、イレギュラーというものは重なるものだ。因果は複雑に絡み合っているが、遠くまで伸びる。まるで運命のように。
祐真は、直近の出来事からそれを学ぶべきであったのだ。
祐真は己の甘さを嘆くこととなった。
夜もふけ、満月が見下ろす中、
子犬のようにくんくんと鼻を鳴らし、ゆっくりと運動場を歩き回る。己の小さな鼻に、様々な情報が『匂い』として流れ込んでくるのが実感できる。
花蓮は確信した。間違いない。これは魔術の香りだ。それに、薄汚い淫魔術の臭気も入り混じっている。
この学校に淫魔がいた証だ。
花蓮は運動場を通過し、校舎に近づく。そして、月明かりの中、手元に持っていた千葉の地方新聞誌に目を落とした。
新聞の片隅に、喜屋高校で発生した集団酸素欠乏症の事故記事が記載されてある。教師を含め、大勢の生徒が倒れたらしいのだが、死者も重症者もいないため、扱いは小さく、通常なら記憶に残らない類の記事であった。
だが、この記事を見た瞬間、花蓮の直感が告げた。何か特別な『存在』が関与しているのではないかと。
その直感はビンゴだった。仕事の依頼が堆積している中、わざわざ出向いた甲斐があった。
花蓮は、運動場から校舎が建っている区画へと入る。巨人のようにそびえ立つ校舎の合間を縫いながら、教室棟を目指した。
教室棟へとたどり着いた花蓮は、一番手短にある教室へと近づいた。当然だが、明かりは点いておらず。外から中の様子をうかがい知ることはできない。鍵もかかっていることだろう。
しかし、そんなことは関係ない。闇に染まった窓ガラスを眼前に、花蓮は指揮者のように指を振った。
その直後、ガラスの内側にあるクレセント錠が、まるで透明人間が動かしているかのように、独りでに回った。
解錠された窓ガラスを開け、花蓮は校舎の中に足を踏み入れる。本来なら、セキュリティシステムが起動し、警報が鳴り響くと同時に、警備会社に通報がいくはずなのだが、花蓮は前もって、セキュリティシステムを無効化していた。
花蓮は、再び匂いを嗅ぎながら、校舎内を進む。かすかに漂う淫魔術と、そして淫魔の臭気を辿りながら。より色濃いほうへ。
やがて花蓮がたどり着いたのは、中校舎の二階にある教室だった。表札を確認すると、二年一組と記されてある。
花蓮は扉を開け、教室内へと入った。なおも匂いを辿る。そして、一つの席へと到達した。
この席で間違いないだろう。特に色濃く淫魔の臭いがする。
しかし、不思議に淫魔術の臭いは感じられなかった。校舎や運動場には火事のあとの焦げ臭さのように、残り香が漂っていたにも関わらず、この席はむしろ薄かった。
少なくとも、淫魔術の出所はここではないということか。ただし、今度は『魔術』の香りを強く感じた。
花蓮は、髪をかき上げ、机の中に手を伸ばす。この机の生徒は置き勉をしているらしく、教科書やノートが残されていた。
ノートに記された名前は『羽月祐真』。
花蓮はほくそ笑んだ。名前と『匂い』さえ掴めれば、この生徒の元までたどり着くことは容易だろう。よほど、高等な魔術を使って隠蔽でもしていない限りは。
断言できる。確実に『羽月祐真』のそばに淫魔がいるはずだ。生徒の名前からして、男子だろうから、おそらくサキュバスが召喚されたと推察できる。
花蓮の脳裏に、極めて汚らわしい想像が展開された。
思春期の男子高校生と、情欲の権化であるサキュバス。この上もないくらい相性がよい組み合わせだろう。
サキュバスは、毎夜扇情的な服を着て、豊満な胸を揺らしながら男子生徒を誘惑するのだ。サキュバスの誘惑に抗える男は存在しない。誘惑に応じた男子生徒とサキュバスは、ベッドへ入り、性欲の赴くまま淫らな時間を過ごすのである。
思わず吐き気が込み上げてきて、花蓮は、口元に手を当てた。腹の奥底で、嫌悪感が大海の渦のように回っている。
深呼吸を行い、気持ちを落ち着かせたあと、花蓮は『羽月祐真』の席から離れた。
教室を出て、真っ暗な廊下を歩く。窓から差し込む満月と静謐な雰囲気に包まれながら、花蓮は心に誓う。
決して認めない。性欲の象徴のような存在である淫魔など。必ず打ち滅ぼしてやる。いくら尋常ならざる力を持った相手だろうと関係ない。
これは駆除だ。