サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
休日の土曜の朝。祐真はJRを使い、隣の市にある君津駅へと降り立っていた。
今日の遠征は、彩香から教えられた図書館を訪ねるためのものだ。上手くいけば、魔道書を入手できる可能性がある。
今日は休日であるため、本来、昼まで寝ている祐真だったが、朝、頑張って早起きをした。リコは目を丸くし、しかも出掛ける準備を始めたので、行き先を知りたがった。祐真は適当に誤魔化し(リコも彩香の話を聞いているので、ある程度察しているかもしれないが)朝食もそこそこに、部屋をあとにしたのだ。
君津駅の南口から外へ出た祐真は、市役所方面に向かって歩き出す。君津中央図書館は、駅から十分ほどの目と鼻の先の場所にある。
祐真は魔道書が図書館に存在していることを期待しながら、道を進む。休日にも関わらず、人通りと車は少なかった。
途中にあるショッピングモールを通り過ぎ、やがて祐真は、図書館へと到着した。
図書館の中も、どこか閑散としていた。この図書館は、県内でも蔵書量も広さも随一らしいのだが、なぜか利用者は少なかった。何か理由でもあるのか、普段からこうなのかはわからない。だが、祐真としては好都合なので、気にしないことにする。
祐真は魔道書の探索に着手した。端末機で検索してもヒットはしないだろうから、しらみつぶしに探すしかない。特徴的な外観の書物なので、目には付きやすいはずだ。だが、この蔵書量を考えると、今からでも眩暈がする。
祐真は近くの本棚から捜索を開始した。
結論を言うと、魔道書の捜索は全くの無駄骨に終わった。昼過ぎまでかかってほとんどの本棚を調べたのだが、それらしき本は発見できなかった。
祐真はがっくりと肩を落とし、図書館を出る。
駅へと戻る最中、途中にあるショッピングモールへと祐真は寄った。遅くなった昼食をとるためだ。
モール内にあるファストフード店にて、祐真はハンバーガーセットを頼む。二人用の席に腰掛け、気落ちした気分のまま、安っぽいパンと薄いパテを口に運んだ。
結局、魔道書は発見できず、情報すら入手できなかった。彩香はあの図書館で魔道書を見つけたと言っていたが、今日訪れた限りでは、ただの図書館と変わらなかった。本当にあそこにあったのだろうか。
もっとも、祐真が手にした魔道書も、再度同じ図書館を訪れた際には、影すら存在しなかった。今回の状況と類似している。
元来、魔道書とはそのようなシロモノなのかもしれない。以前も散々、躍起になって探しても発見できなかったのだ。祐真や彩香が魔道書と邂逅できたのは、極めて稀な事象であるかもしれなかった。
これで振り出しに戻ったわけだ。依然、手掛かりはなく、『召喚還し』のチャンスは遠のくばかり。なおも淫魔であるリコはこの世界に存在していて、『ペナルティ』の危険は付いて回っている。
祐真はため息をつき、ハンバーガーの最後の一切れを口に放り込んだ。そして、フライドポテトに手を伸ばす。
ふと、そういえば、こうしてファストフードを食べるのは久しぶりだなと思った。ここ最近は、全てリコが食事を作っていたため、外食自体頻度が減っているのだ。
ハンバーガーセットとはまるで違う、バランスの取れたリコの手料理。味も悪くはなかった。学校の弁当も含めて、彼は無償で(むしろ手出しして)毎日律儀に食事を作ってくれている。
食事だけではない。家事全般、彼は喜びながらやっているのだ。祐真にとって、それは非常にありがたい行為であるが……。
祐真がそこまで考えた時だ。突然、正面の椅子に誰かが座った。許可も取らず、勝手にだ。驚いた祐真は、はっとして、相手に目を向けた。
そこで、自身の胸の鼓動が少しだけ高鳴ったことを自覚する。
目の前の席に座った人物は、一人の少女だった。高校生くらいだろうか。小柄で、髪はミディアムヘア。小動物のような小さな顔と、パッチリとした目は、どこかのアイドルのような可憐さがあった。
とても可愛い女の子だ。どうしてこの席に座ったのだろうか。席を間違えたのか。少し嬉しいトラブルである。
祐真はドギマギしながら声をかけた。
「あの、どうしたの。ここは俺の席だけど……」
少女は答えない。二重の目が、こちらを直視している。
祐真は、気後れしながら、少女の姿を改めて観察した。一見すると、可愛い普通の女の子だ。カットソーにショートパンツという服装も、特別変わったものではない。
ただ、癖なのかわからないが、スンスンと匂いを嗅ぐような仕草を取っていることが、妙といえば妙だったが。
目の前の女の子は、ハンバーガーショップにも関わらず、手にはトレイも何も持っていなかった。そして、獲物を狙うような視線。
祐真はふと悟る。これは、席を間違えたというよりは、もしかして……。
少女は沈黙を破り、やおら口を開く。
「あなた羽月祐真君?」
鈴の音のような綺麗な声が耳を撫でる。どうやら、祐真のことを知っていて絡んできたらしい。
「そうだけど、君は誰?」
こんな可愛い子のことは知らなかった。どこかで会っていれば、必ず記憶に残るはずなのだが……。嫌な予感がする。
祐真のその予感は的中した。
少女は答える。
「私の名前は風川花蓮。
『退魔士』という単語に、祐真はすぐにピンとはこなかった。しかし、最近、耳にした記憶が蘇り、理解の兆しが訪れる。それに従い、祐真の心臓が早鐘のように鼓動を打ち始めた。
やがて少女は、決定的な言葉を口にする。
「ねえ祐真君。あなたの近くに淫魔がいるでしょ?」
祐真は息を飲んだ。まずいと直感する。この人物は、魔術関係者だ。
脳裏に『ペナルティ』の文字がチラついた。なぜ、花蓮と名乗る自称退魔士は、こちらが淫魔を召喚したことを知っているのか。
急速に緊張が高まってくるのを感じた。さっさとここを離れないと。
「安心して。君をどうこうしたいわけじゃないから。私はただ……」
花蓮の話を最後まで聞くことなく、祐真はフライドポテトを残したまま、トレイを持って立ち上がった。
即座に席を離れる。この少女と関わっていては駄目だ。
「ちょっと待ってよ!」
花蓮の声が響き渡る。周囲の客が何事かと、こちらに注目するが、祐真は気にせず出口へと向かった。
出口付近にある回収カウンターでトレイを片付けると、祐真は店舗を出る。背後から花蓮が追ってきていることが気配でわかった。
「待って。祐真君」
花蓮の声を無視し、ショッピングモール内の廊下を足早に歩く。すれ違う人間たちが、まるで恋人の痴話喧嘩でも見るような目で、視線を向けてくる。
祐真は通行人の反応を無視し、歩き続けた。やがて、ショッピングモールを出た祐真は、歩道へと足を踏み入れ、駅を目指して進んだ。
そこで祐真は突然、何かに躓いて、転んでしまう。とっさに手を付き、顔面を強打することは避けたものの、恥ずかしい失態だ。
こんな時に限って、一体、何に躓いたのだろうか。木の根のような感覚だったが。
祐真は、膝を付いたままの状態で足元を確認する。だが、躓きの原因になった物体は見当たらなかった。平坦な石畳が存在するばかりだ。めくれているとか、そういう箇所もない。
不思議に思っていると、頭上から言葉が降りかかった。
「だから待てって言ったでしょ」
花蓮は腰に手を当て、膨れっ面をした。
祐真は理解する。おそらく、転倒したのは、花蓮の仕業だ。詳細はわからないが、魔術の類を使ったのだろう。
祐真は膝を払いながら、立ち上がった。眼前に花蓮を捉え、逡巡する。どうやら逃げるのも難しいらしい。
しかし、コンタクトは取りたくなかった。相手は、淫魔の情報を知っている魔術関係者だ。こっちは常に『ペナルティ』の危険が付いて回っている一般人。決して関わってはいけない相手である。
「観念しなさい。羽月祐真。あなたが淫魔と繋がりがあることは掴んでいるんだから。だけど、今日あなたと会って、色々とおかしな点があることも気づいたの。それを知りたいのよ」
花蓮はそう訴える。
こうして名前まで知られている以上、色々とこちらの情報を把握していると考えていいかもしれない。下手をすると、住居まで知られている恐れもあった。
祐真は花蓮の顔を見る。花蓮は微笑を浮かべた。ジュニアアイドルがテレビ画面で見せるような、少女的なチャーミングさがあった。
「ねえ、私と今からお話しようよ」
まるで逆ナンでもしているかのように、花蓮は誘ってくる。祐真はたじろいだ。接した限りでは、危害を加える人間には見えないが、『ペナルティ』の存在がある。誘いに乗ったら終わりだろう。かといって、逃げるのも難しい。
祐真が尻込みしていると、花蓮は諭すような口調になった。
「なにか勘違いしているみたいだけど、私は……」
花蓮がそこまで言った時だ。誰かが声をかけてきた。
「ねえ、さっきから君たちトラブってるみたいだけど、大丈夫?」
声をかけてきたのは、二人の男だった。大学生くらいか。一人はパーカー姿で、もう一人はジャケットを羽織っていた。二人共髪を明るく染め、ガタイもよかった。全身の雰囲気から、少し柄が悪い印象を受ける。
「困っているなら助けようか?」
パーカーの男が、肩を揺らしながら訊く。目線は花蓮に向けられていた。爬虫類のような、粘り気のある目。欲望が混在していることが透けて見えた。
おそらく、この二人の狙いは花蓮だろう。高校生ほどのカップルの痴話喧嘩かトラブルを目撃し、女のほうの容姿が端麗なため、あわよくば男のほうを追い払い、女を物にできないか――。そのような考えを持っているようだ。なにせ、祐真のほうはオタク同然の外見をした弱そうなガキである。
しかし、肝心の花蓮は、男たちが存在しないかのように振舞った。
「向こうで話をしようか。祐真君」
花蓮が祐真の手を取り、歩き出そうとする。そこでパーカーの男が、花蓮の腕を掴んだ。
「無視するなよ。助けてやるって言ってんだ。失礼だろ」
男に腕を掴まれた花蓮は、顔色を変えた。男はそれに気づかず、言葉を続ける。
「そんな男放っておいてさ。奢るからカラオケ行こうよ。君の友達も呼んんでいいからさ」
パーカーの男は慣れ慣れしく、花蓮の肩に手を回した。ジャケットの男は、ニヤニヤとした笑みをこちらに向けている。花蓮が抵抗しないため、自分たちを受け入れたと思い込んでいるようだ。
花蓮は祐真から手を離すと、男たちに向き直った。それから、白い歯をのぞかせて、ゆっくりと微笑む。
「あなたたちには罰が必要みたいね。こんな薄汚い『臭い』を振り撒いているんだから」
花蓮は、よくわからないことを口走る。男たちも理解できないらしく、呆気に取られた表情になった。
そこで、異変が起きた。男たちの足元から、突如、黒い物体が立ち上った。まるで黒い蛇のような生き物。いや、生き物なのかすら不明だ。全部で八匹はいるだろうか。
祐真はすぐに悟った。これは魔術によるものだ。花蓮は白昼堂々、街中の路上で、魔術を行使するつもりらしい。
花蓮は指を鳴らした。
軽快な音と同時に、黒い蛇は、男たちの足元に飛びついた。そして、瞬く間に全身に巻き付いていく。その様は、獲物を絞め殺す大蛇そのもの。とても禍々しかった。
男二人は、同時に悲鳴を上げる。祐真は茫然と成り行きを眺めていたが、すぐに我に返り、周囲に目を配った。こんな場所で、常軌を逸した光景が展開されれば、大騒ぎになってしまう。動画でも撮影されようものなら、すぐさまアウトだ。
そこで、祐真は目を疑った。人通りが少ない場所とはいえ、昼間の休日である。そこそこの通行人が、路上を歩いていた。
だが、その誰もがこちらに注目していなかった。まるで見えていないかのように、日常の風景が広がるばかり。非日常のこちら側とは、陰と陽のように、くっきりと境界線ができているようだった。
これも魔術の力だろう。リコが以前、運動場で施した時と同様、認知をさせないような『何か』が発揮されているようだ。依然、メカニズムや方法などは不明だが。
黒い蛇はやがて、男たちを丸呑みにし始めた。悲鳴が絶叫に変わる。
祐真が見ることができたのは、そこまでだった。気がつくと、祐真は脱兎のごとく駆け出していた。恐ろしさのあまりに。
花蓮は追ってはこなかった。祐真は殺人鬼から逃げているかのように、息を切りながら走り続けた。
君津駅に到着した頃には、すでに走ることができなくなっていた。日頃の運動不足が祟ったせいなのか、息も上がっていた。
周囲の人間が、徒競走後のように汗だくになっている祐真を訝しげな顔で見てくる。どうやら認識をされなくなる効果は切れているらしい。逆にこれはこれで恥ずかしい。
祐真は汗を拭い、足早に駅構内へと入った。できるだけ迅速に、この場所を離れたほうがいいだろう。
ちょうどやってきた列車に乗り込むと、祐真は君津駅をあとにした。