サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
花蓮の提案に、祐真は面食らう。
「そっちに付くって、具体的には何をすればいいの?」
「あなたが持っている情報を全て渡せばいいわ。あとは、必要な時に動いてもらう」
「……」
祐真は答えに窮した。
花蓮は諭すように説明を行う。
「さっきも言ったけど、あなたが『ペナルティ』を危惧している事実はわかっている。そして、それは淫魔が存在する以上、決して逃れられないわ。『召喚還し』するか召喚主、もしくは淫魔が死なない限りね。でも『召喚還し』はとても難しい方法。だって、極希少な魔道書を手に入れないといけないから」
祐真は、無言で花蓮を見つめ返した。今のところ、彼女が言っていることは事実であった。
花蓮は話を続ける。
「祐真君から精を吸われている臭いがしないことの理由はわからないわ。けれど、それを含めてあなたの反応を見ると、召喚した淫魔に対して特別に感情を抱いているとは感じないのよ」
花蓮は祐真から離れ、腰の後ろで手を組んだ。
「だから、さっきの提案に戻るわけ。祐真君が召喚した淫魔を私が殺してあげるわ。あなたの協力があれば、それは容易い。結果、あなたが『ペナルティ』の被害を被る心配もなくなるし、平穏無事な人生が戻ってくる。これは祐真君にとっても有益な提案じゃない?」
花蓮は天真爛漫な笑顔を向けた。
祐真は俯いて、しばし黙考する。
確かに、彼女の提案は祐真にとって、渡りに船だろう。もしも、リコが死んだ場合、『ペナルティ』に纏わるリスクは消滅する。それに、毎日のように行われるリコからのセクハラに対し、辟易しなくて済むのだ。
まさに本望である。ここ数ヶ月、祐真を悩まし続けた憂患が一気に解消されるのだ。本来なら一も二もなく、賛同するべき事柄であろう。
リコは強い。ユーリーとの戦いで判明した事実だ。殺すなら軍隊くらいは動員しなければならないかもしれない。花蓮も魔術が使え、強いかもしれないが、どれほど対抗できるかは不安が残る。
しかし、彼女が述べたとおり、祐真が協力すれば、リコを刺すのは容易だろう。つまり、今こそが、花蓮にとっても、祐真にとっても淫魔の首を取れる千載一遇のチャンスであるということだ。
そして、彼女がこういった『取引』を持ち掛ける理由の背景には、リコの情報を一切得られていない証でもあった。花蓮がいまだに祐真が召喚した相手を『淫魔』と呼称している以上、召喚対象がインキュバスかサキュバスかの区別すら付いていないのだ。おそらく、焦りもあると思われた。
だが、祐真は彼女の提案を受け入れる気が起きなかった。なぜだろう。望む世界が訪れるチャンスが目の前に到来したはずなのに。
腰が引けている祐真の様子を見て、花蓮は首を捻った。
「どうしたの? 悩むほどのことじゃないと思うけど。相手は邪な欲望を抱く魔のモノなんだよ。絶対に駆除しなきゃ」
祐真の脳裏に、リコの姿が思い起こされる。
毎日、祐真の食事を作るために台所に立つ後ろ姿。古里たちから恐喝を受けた際、本気で心配をしてくれた目。ユーリー、彩香ペアが仕組んだ『全世界BL化計画』の時の彼のナイトのような勇姿。
祐真にとっては不本意とはいえ、リコは常に自分を助けてくれていた。リコが祐真へと向ける感情は、紛れもなく本物であろう。
その時、授業の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。とても長い休み時間に感じた。
祐真は花蓮に言う。
「少しだけ考えさせてくれ」
花蓮は不敵な笑みを浮かべて頷く。
「わかったわ。来週まで待ってあげる。ただし、これだけは覚えておいて。あなたが淫魔側に付くのなら、私を敵に回すということを」
花蓮は脅すように、宣言した。
そのあと、二人は教室へと戻った。幸い、まだ教師はきていなかったが、クラスメイトたちは皆、席に着いていた。
そのため、扉を開けるなり全員の視線を浴びる結果となった。
何の接点もなさそうな美少女転校生と、オタクの男子。二人は突如教室から出ていき、チャイムが鳴ってから戻ってきた。何をしていたのだろう。二人に向けられる視線には、強い好奇と羨望の感情が込められている。
授業が始まってからも、周囲の視線を強く感じた。まるで悪いことでもやったみたいだ。
だが、祐真はさほど気にならなかった。花蓮の提案について、頭が一杯だったからだ。お陰で授業も上の空である。
そのような状態のまま、六時限目が終わりを迎え、今日全ての授業が終了した。
SHRまでの短い休み時間が訪れる。
その隙を狙って、星斗や直也が花蓮との関係性について訊きにきた。二人だけではない。普段は祐真に興味すら示さない男子も、事情が知りたいらしく、席までやってくる。
「なんであんな可愛い子がお前に話しかけたんだよ」
「風川さんとどんな関係?」
「さっきどこに行ってたの?」
驟雨のごとく浴びせられる質問に、祐真は一切答えなかった。やはり説明なんてできないし、花蓮の提案の件でそれどころじゃなかった。
クラスメイトたちはしばらく問いかけていたが、祐真が無反応を貫くと、やがて悪態をつきながら三々五々、席を離れていった。
そして、SHRも終わり、放課後になる。なおも事情を聞きたそうにしている星斗たちを放っておいて、祐真は即座に教室を出た。
足早に学校をあとにする。だが、すぐに帰路に着く気分にはなれなかった。胸の中にわだかまりがあった。これを解消しない限りは、部屋へは戻れない。おそらく、リコはすぐに察するはずだ。
祐真はアパートがある方面へは向かわず、大貫地区にある公園へと立ち寄った。
祐真はあてもなく、公園内をぶらつく。園内は結構広く、ブランコなどの遊具や、健康器具などが複数設置されてあった。それらを、小学生や老人たちなどが利用している。
祐真はできる限り、人がいない場所を探し、一つのベンチに座った。そして、スマートフォンを取り出し、チェックする。
星斗からラインが届いていたが、祐真は無視をした。おそらく、花蓮に関する質問だろう。答える義務はない。
祐真はスマートフォンをポケットに戻し、足を組んで思案にふける。
目の前を、花蓮が発した言葉が文字となって、幻想のように渦巻いていた。
『あなたが召喚した淫魔を私が殺してあげる。だからこちら側に付きなさい』
彼女は、確かにそう言った。そして、その提案に自分は即答することができなかった。結果的に自分が望む環境が戻るというのに。
その根源が、自分にもわからなかった。なぜ、自分は迷ったのか。
祐真は、ぼんやりと公園内の光景を眺めた。小学生たちがはしゃいで騒ぐ声が、ここまで聞こえてくる。
何の変哲もない、日常の風景。自分が直面している非現実的な悩みと、ひどく乖離している気がした。
祐真は顎に手を当て、俯く。もしも、リコが死ねば、そのさながら漫画やアニメの世界のような、おとぎ話の出来事とは無縁となるのだ。
しかし、その世界を想像してみても、心が躍ることはなかった。なぜだろう。俺はリコが邪魔者だと思っているのに……。
そこで、祐真はふと目の前に誰かが立っていることに気がついた。思考に集中していたせいだろう、全く察知できなかった。
顔を上げて、人物を確かめてみる。祐真はあっと声を上げそうになった。
目の前に立っていたのは、彩香だった。
彩香は、腰に手を当て、膨れっ面をしていた。
「もう、すぐに教室を出て行くんだから、探すのに苦労したよ」
彩香は咎める声を出す。
「何の用?」
祐真は彩香を見上げながら訊く。『全世界BL化計画』を阻止して以降、彩香と話をするのははじめてであった。
「風川さんについて。あの人と何かあったでしょ? もしかして、彼女、魔術関係者?」
「……」
祐真は口をつぐむ。彩香の質問は的を射ていた。やはり勘が鋭いと思う。とはいえ、彩香は祐真の背後関係をほとんど知っているため、帰結としては推察し得るものではあるが。
「座っていい?」
彩香は祐真の隣の空間を指差した。祐真は逡巡する。今は誰とも話したい気分ではなかった。しかし、このまま一人で抱え込んでいても、解決しないことは明白だ。
祐真は不承不承、頷く。彩香はスカートを整えると、祐真の隣に腰掛けた。
すぐに彩香は核心に触れる。
「風川さん、祐真君になんて言ったの?」
ショートカットの下にある彩香の清楚な顔が、心配そうに形作られている。元々、彩香は保母さんのような面倒見の良い女の子なのだ。本気でこちらのことを案じているのだろう。BLのことさえ抜きにすれば、善人の部類である。
祐真は、本当のことを伝えるかどうか一瞬迷ったが、結局、彩香が唯一無二の相談相手なのだと思い、話すことにした。
経緯を聞いた彩香は、眉根を寄せた。
「やっかいな相手が現れたものね」
ついこの間まで、自分がその対象であったことなど忘れたかのように、彩香は呟いた。
彩香にとって『全世界BL化計画』は、元々悪行だとは認識していない証左でもあった。
祐真はふと疑問に思う。
「そういえば、ユーリーはどうしているの?」
彩香は、以前、ユーリーとアパートで同居していると語っていた。自分を狙っていたインキュバスのことなど思い出したくもないが、所在は把握しておいたほうがいいだろう。
「ユーリーは今はいないよ。ちょっと前から遠征」
「遠征?」
彩香は頷く。黒いショートカットの髪が若草のように揺れた。
「そう遠征。リコさんから受けた傷を癒すために、男の人を漁りに遠くに行っているよ」
「……」
ユーリーは、リコと違って人間から精を吸わなければならない。そうしないと、栄養を得られないし、魔力も尽きてしまうのだ。そして、ユーリーはゲイのインキュバス。精を吸う対象は男に限られる。
リコから受けた傷を癒す目的での遠征ならば、転地療養といったところか。
それから、祐真は彩香の話を聞き、一つだけ納得するものがあった。
花蓮の件についてだ。彼女は、祐真が淫魔との接点があることを即座に見抜いてきた。にも関わらず、似たような環境にいるはずの彩香については、何も察せられなかった。
それは、現在、彩香の身近に淫魔や魔術の類が存在していないからなのだ。
「それで、羽月君はどうしたいの?」
彩香は話を戻す。考え込んでいた祐真は、はっと我に返った。
「自分でもわからないんだ。確かに、リコを『召喚還し』して元の日常の戻ることが、俺の目的なんだけど……」
それは、リコが死んでも叶えられる。祐真が協力すれば、花蓮が手を下してくれるのだ。
だが、二の足を踏んでしまう自分がいた。
「なんで応じなかったのか、自分でもよくわからないんだ。『ペナルティ』の危険も理解しているのに」
話を聞いていた彩香は、腕を組んだ。ブレザー越しに、胸が強調される。
「祐真君がペナルティを危惧する気持ちはすっごいよくわかるよ、私だって、嫌だもん。淫魔相手の性欲処理人形になるんだよ。地獄そのものだよね」
彩香は寒さに凍えるように、腕を擦った。そして、なぜか、神妙な表情になる。
「でも、祐真君のパターンみたいに、男の人がインキュバスたちに捕まって、性の玩具にされるのは、ものすごくいいシーンかも。結局、全てを諦めて、何もかも受け入れる展開は、BLとしてはありがちだけど、相手の人数がとても多いなら……」
彩香は、受験勉強の問題に頭を悩ませるかのごとく、真剣に独り言を呟いていた。祐真は、呆れ返る。また性懲りもなく、この女子は……。
祐真の怪訝な顔が目に入ったのだろう、彩香は我に返ったように咳払いを一つすると、人差し指を立てた。
「とにかく、祐真君にとって、一番良い道を選ぶべきだと思うんだ」
「ということは、リコの情報を全て渡して殺してもらうのがベストってこと?」
彩香は首を振る。
「祐真君の環境ではなくて、祐真君の気持ちにとって、一番良い道だよ」
「それがわからないから、相談してるんだよ」
彩香は悩ましげに首をかしげた。
「祐真君は、リコさんと一緒に暮らしていて、楽しくないの?」
彩香の質問に、祐真は一瞬、言葉に詰まるが、すぐに返答を行う。
「楽しくなんかないよ。いつも貞操を狙ってくるし、ストレスばっかり」
「そうなの? 私の目から見る限り、二人は仲良さそうだったけど」
「そんなことないだろ。誰があんな奴と……」
祐真はついむきになって反論する。ゲイのインキュバスと仲睦まじげなんて思われたくなかった。俺は、あいつと違って、同性愛者ではないんだぞ。
彩香は祐真の反応に訝しげな表情をするが、やがて、何かを悟ったかのように、微笑んだ。
「祐真君、自分の気持ちを素直に信じていないんだね」
「どういうことだ?」
彩香は、何も答えず、黙って公園内に目を向けた。祐真も、そちらを眺める。
相変わらず、小学生が遊具で遊ぶ光景や、老人が歩く姿が目に映る。中学生や、高校生などの学生服姿の人間も、ちらほら増えてきていた。
祐真はふと思う。今、こうして彩香と二人で話をしている姿は、他の人間からどう見られているのだろうか。
やがて彩香は答える。
「風川さんから、返事の時間を貰ったんでしょ? だったら、リコさんとの関係を今一度見つめ直してもいいと思うよ」
「見つめ直すもなにも、はじめから俺はあいつのことなんか……」
彩香は遮るようにして言う。
「あんなことにはなったけど、私はユーリーと暮らしていて幸せだよ。……ねえ、知ってる? ユーリーから聞いたんだけど、召喚って、自分にとって運命の相手が現れるらしいよ。だから、必ず相性が良いんだって」
近い話をリコから聞いたような気がする。だが、認めたくはなかった。あんなインキュバスが、自分の運命の相手だなんて。
そもそも、リコを召喚するはめになったのは、祐真が召喚方法を間違えてしまったためだ。本来なら、絶世の美女で、なおかつグラマラス、男の誰もが陶酔するほどの魅力あるサキュバスが召喚され、新婚夫婦のように、情熱的な日々を過ごしていたはずだ。
彩香が口にした『運命の人』についての駄弁を、祐真は認めるつもりはない。しかし、彼女の提案については、一考する価値があると思った。まがりなりにも、祐真とリコは、召喚主と召喚された淫魔の関係なのだ。多少なりとも縁がある証であろう。
それに、これまで何度も助けてもらった経験もある。『ペナルティ』のリスクもあるが、リコのお陰で危機を脱した事実は否定できないのだ。
彩香が言うように、リコとの関係を見つめ直してもいいかもしれない。
「わかった。ちょっと考えてみるよ」
祐真は、彩香にそう答えた。