サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
ひんやりとした空気が肌を撫でる。祐真はゆっくりと目を開けた。
周囲は薄暗く、何も見えなかった。かすかにオイルのような臭いが鼻をついた。
だが、肌で感じる空気で、ここが屋内だということがわかった。なぜか自分は夜に、知らない室内で寝転んでいるらしい。
しかし、どうしてそのような状況下に自身が置かれているのか理解できなかった。なぜだろう。何かあったっけ? 下校途中だったような気が……。
祐真は記憶を手繰り寄せた。霧のようにおぼろげだった思考が、徐々に晴れていく。自身がアスファルトへ倒れ込んだ光景が、脳裏へと蘇った。
祐真は慌てて、体を起こそうとした。だが、上手くいかなかった。手足が上手く動かせないのだ。自由が利かず、両方の手足が、固まったようになっている。
麻痺をしているのではなかった。手錠のようなもので拘束されているのだ。
力を込めて破壊しようとするが、全く歯が立たなかった。こちらにはまだ、肉体強化の魔術がかかっていたはずだが……。手錠が頑丈ではなく、どうやら花蓮の手により解除されてしまったらしい。
祐真は花蓮の姿を探した。だが、近くに人の気配はない。薄暗い空間が広がっているのみだ。
視界が正常に戻るにつれ、少しだけ、辺りの風景が見えるようになってきた。工作機械のような物体や、タンクのような物の輪郭が確認できる。どうやら自分は町工場のような場所にいるらしい。オイルのような臭いの正体は、ここが工場のせいなのだろう。
しばらくの間、身動きが取れない状態で、祐真は途方に暮れた。肝心の花蓮はおらず、不安のみが募っていく。孤島に一人取り残された気分だ。
十分程ほど経った頃か。足音が聞こえてきた。
「起きたみたいね」
花蓮だ。彼女がようやく姿を現した。ゆっくりと、こちらに近づいてくる足音が工場内に響く。
祐真は目を凝らし、花蓮の姿を確かめた。
花蓮は制服姿ではなかった。フード付きのローブのようなものを着用している。まるで、ファンタジー映画に出てくる魔導師のようだ。
祐真が凝視していることに気づいた花蓮は、ローブの裾をつまみ、軽く持ち上げた。
「どう? 似合ってる?」
花蓮は首を傾げ、からかうように訊く。
祐真は何も答えず、花蓮のローブを見つめた。何だか、嫌な雰囲気を感じる。重火器を前にした時のような、凶暴な力が放たれている気がした。
「その格好はなに?」
祐真がかすれた声で質問する。花蓮はあっさりと返答した。
「勝負服」
「勝負服?」
花蓮は後頭部のほうに垂れているフードを掴み、被った。顔がすっぽりと覆われ、顔が見えなくなる。
フードの中から、花蓮の声がした。
「そう。勝負服。あなたと同居しているインキュバスがこれからここにやってくるから、彼を駆除するために用意した装備よ」
祐真ははっとした。リコがここにやってくる? どうなっているのだろう。それに、そもそもなぜ、花蓮はリコのことを知っているのか。
祐真の表情から、花蓮は心情を察したらしい。答えてくれる。
それは、とても単純なものだった。
「あなたのスマートフォンを調べて、彼と連絡を取ったの」
なるほど。それなら確かに、簡単にリコの素性を知ることができるだろう。リコとはスマートフォンで、連絡を取り合っているからだ。
「あなたを捕らえたことをインキュバスに伝えたら、彼、とても動揺していたわ。電話越しでもわかるくらいに。邪悪で淫らな化け物のくせに、一人前に召喚主を心配しているのね」
花蓮はおかしそうに、くつくつと笑った。邪な笑い声。花蓮のほうが禍々しい生き物のように思えた。
「リコは強いぞ。きっとお前は負ける」
リコの強さは目の前で確認済みだ。まさか、花蓮がそれ以上の実力を持つとは思えないが……。
祐真の警告に、花蓮は噴出した。眉を八の字に歪め、馬鹿にした口調で言う。
「私がインキュバスごときに負けるわけないじゃないの。あなたの大切な淫魔が殺される様を黙って見ていなさい」
花蓮は本気で、リコを殺せる確信を得ているようだ。それほど自分の腕に覚えがあるのだろう。
祐真の心情に、不安の影が差す。リコは勝てるのか。そして、自分はどうなるのだろう。
「きたみたいね」
花蓮は祐真のそばから立ち上がった。工場の入り口のほうを見る。
祐真も顔をそちらに向けた。工場の開け放たれた扉の前に、リコがいた。
「祐真!」
リコの悲痛な声が、工場内に響く。入り口から差し込む月明かりのお陰で、リコが血相を変えていることがわかった。
「リコ!」
祐真は叫んだ。リコは祐真の姿を確認し、顔色を変えた。
リコは静かにこちらへ近づいてくる。燃え上がる直前の炎のように、怒りを孕んでいる様が見て取れた。本当に祐真の身を案じているらしい。
祐真はそこで、花蓮がノーリアクションであることに気がつく。先ほどから無言なのだ。己の勝利を信じて、意気軒昂としていたのに。
祐真は、花蓮の様子を伺った。
花蓮はフードを被った顔で、ただじっと、リコのほうを微動だにせずに向けていた。
まるで蛇に睨まれたカエルのような……。