サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
十数分後。姿を現したアネスに、祐真は驚いた。同時に、リコを召喚した晩の記憶と、恐怖心も蘇る。
「お久しぶりですね。羽月祐真君」
アネスはハスキーボイスで挨拶を行い、頭を下げた。肩までかかった艶のある髪が、絹のように揺らぐ。
顔を上げたアネスは、こちらの体を舐め回すように見た。とても熱い視線だ。
「しかし、相変わらず素敵な方ですね。どうしてもあなたを欲しくなってしまう」
アネスは吐息を漏らしながらそう言うと、こちらへ一歩足を踏み出した。恐怖を覚え、祐真は後ろへ後ずさる。
リコが、二人の間に立ち塞がった。
「捕縛部隊さん。今日のあなたの標的は祐真ではないでしょ」
リコは、怒りをあらわにしていた。背中越しにでもはっきりとわかる。湯気でも出さんばかりに、アネスに敵意を向けていた。
アネスは一瞬だけ動きを止め、苦笑する。
「冗談ですよ。あなたの召喚主には手を出しません。今はまだ」
それからアネスは、床に倒れている花蓮に顔を向ける。
「この女が報告のあった発覚因子の対象者ですか。なんでも退魔士だとか」
「ああ。そうだよ。連絡した時に伝えたように、当該事項十七条に接触するはずだ」
リコの言葉に、アネスは頷いた。
「一旦この者を持ち帰って、審議しましょう。該当するようなら、それなりの罰則を与えます」
淫魔の世界に連れて行かれ、有罪判決が下された場合、至る道は一つ。
淫魔たちによる陵辱の日々だ。性の玩具となり、穴という穴を犯される――。花蓮のように、性に対して極めて拒否感がある者にとっては、この上もない地獄だろう。
花蓮のそばで佇んでいたユーリーが、言葉を添える。
「僕も証言者になれる。必要があったら言ってくれ」
アネスはユーリーと向き合った。
「まさかあなたも絡んでいるとは。ユーリー」
ユーリーは肩をすくめた。どうやら、二人は既知の仲らしい。
「祐真君に頼まれたからね。これほど素敵な人からのお願いを断るなんて、淫魔にはできっこないでしょ」
ユーリーは、発情した猫のような目でこちらを見てくる。
「ええ。わかります。本当に美味しそうな人だ」
アネスも、リコから警告を受けたばかりなのにも関わらず、ご馳走を前にした飢えた人間のごとく、蕩けそうな瞳になる。
二人の淫魔の熱がこもった眼差しを受け、祐真は以前、アネスや古里に襲われた光景を思い出す。背筋が冷たくなった。
リコが、小さく息を吐く。空気が一瞬、震えたような気がした。
二人は気圧されたように祐真から目を逸らすと、気まずそうな様子をみせた。
「と、とにかくこの退魔士は私が回収致しますので」
アネスは、床で伸びている花蓮を担ぎ上げた。花蓮はまだ当分起きる気配はなさそうだ。
立ち去り際、アネスはリコとユーリーに対して忠告を飛ばした。
「今回はあなた方の味方になりましたが、次はわかりませんよ。依然、あなた方と召喚主の方たちには、『ペナルティ』が存続していることをお忘れなきよう」
アネスはそう言うと、背を向け、町工場の出口へと歩いて行った。
アネスがこの場を立ち去ったあと、祐真はユーリーに対し、再度礼の言葉を述べた。
「ユーリー、ありがとう。横井さんにもよろしく言っておいて」
彩香の協力あっての結果だ。感謝の意を伝えるのは当然だし、あとで埋め合わせの必要もあるだろう。もっとも、リコ同様、彩香に関しても、こちらに対する要求が少し怖くもあるが……。
「わかりました。伝えておきます」
ユーリーは、天使のような笑顔で答えた。そして、婀娜っぽい流し目をこちらに送ってくる。
祐真は目を逸らした。全身が、むず痒い。同性愛の淫魔のしつこさは、やはり相当なものだ。
やがて、ユーリーもこの場を立ち去った。
祐真はリコと二人っきりになる。少しだけ、気まずい雰囲気がそよ風のように流れた。
祐真が口火を切る。
「リコごめん。リコの忠告を無視して、花蓮にアプローチを仕掛けてしまって……。その結果がこの体たらく。リコを危険に晒してしまった」
祐真は頭を下げる。素直な気持ちを吐露したつもりだ。本当に悪いと思っている。あまりにも軽率な行動だった。
祐真の態度に、リコは慌てふためいた。ひらひらと手の平を振る。
「き、君は悪くないよ。祐真。花蓮から呼び出しを受けた時、彼女から話を聞いたけど、仕方なかったと思う。僕ももっと丁寧に説明すればよかったし……。それに、自分の策略で窮地を脱したじゃないか。だから謝らないで」
祐真が悪いにも関わらず、リコは泣きそうになっていた。日本人とは別種の鼻筋の通った顔が、悲痛に歪んでいる。
祐真の身を案じていたことと、祐真から数少ない素直な謝罪を受けたことによる、感情の奔流が湧き起こったためだろう。祐真のことになると、リコは平常心を失うのだ。
おもむろに、リコはこちらを抱き締めてくる。熱い抱擁。祐真は抵抗せず、身を任せた。
リコは抱きついたまま、顔を付ける。リコは震えていた。どうやら泣いているようだ。
祐真は抱き返した。
「本当に、本当に無事でよかった。僕、祐真が連れ去られたと聞いて、不安で不安で」
顔を埋めたままそう呟くリコの声は、くぐもっていた。
祐真は頷く。
「本当にごめん」
祐真もリコの肩に顔を埋めた。薔薇のような良い香りがする。とても優しく、懐かしい匂い。
祐真はそこでふと、あることに気がついた。リコがこちらを抱き締める力が、どこか弱いことに。
気のせいかもしれない。だけど、なんとなく、リコが疲弊しているような、そんな印象を受けた。
そのあと、戦場となった町工場をリコが魔術を用い、『証拠隠滅』を行う。破壊された床や壁が元通りになり、散らかった部分も綺麗になる。このような事後工作も『ペナルティ』を受けないための必要な措置だ。
『証拠隠滅』が完了し、二人は町工場を出ることにした。離れたところに、花蓮に洗脳された男たちが倒れているが、リコ曰く、放置していても問題ないとのことだ。命に別状はなく、記憶も失われているため、いずれ起きて勝手に帰るという。
懸念がなくなった祐真は、リコと共に、町工場を後にした。それから、星空の下、アパートへと向かう。
出てから気づいたが、町工場は、街外れの一角にある静かな立地の場所にあった。喜屋高校とも住宅街とも随分と離れた位置にある。
『認識阻害』の魔術があるのに、わざわざ花蓮がこの人里離れた場所を選んだのには、おそらく、時間稼ぎの目的があったからに違いない。リコの居場所がわからない以上、可能な限り、人の居住地エリアから離れる必要があるのだ。
逆にそれが仇となってしまったが。
アパートへと帰還した祐真は、すぐにシャワーを浴びた。全身、ドロドロだった。
シャワーから出ると祐真は、即座に床へと着く。夜も遅く、死ぬほど疲れていたため、たちまち祐真は泥のように眠りについた。