サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
クラス中に蔓延した祐真に対する『強者』という『誤解』は、しばらくの間続いた。
最終的には、ボクシング部だけではなく、空手部や柔道部の生徒からも勧誘を受ける始末だった。
だが、祐真はひたすら「勘違い」や「気のせい」だと言い張り、相手にしなかった。
その甲斐あってか、一週間もすれば、流行が過ぎるように、誰も祐真の強さについて触れなくなっていた。星斗や直也も、以前のように接してくれるようになった。
ようやく安心できる日常が訪れたのだと、祐真はほっとしていた。
それからさらに数日が経過し、期末テストも終わりを迎えた頃(散々な結果に終わったが)。祐真は『図書館巡り』を再会した。目的はもちろん、例の赤い本を手に入れるためだ。
だが、やはり成果は芳しくなかった。一切合切、各図書館には非日常が入り込んでいる余地がなさそうだった。
気落ちしたものの、以前のようなショックは受けなかった。なぜなら、今現在は平穏が訪れているからだ。学校全体が同性愛者に変貌するような妙な現象が起きたり、退魔士を名乗る不審人物が現れたり――そういった、非現実めいた出来事が起きていないのだ。
もしもこのまま安寧とした日常が続けば、無理に本を見つけリコを『召喚還し』する必要もなくなるのではないか。そんな想いにとらわれるほど、祐真の気分は落ち着いていた。
しかし、ここで鉄則が働く。高名の木登りという諺が示すように、安心した時こそが一番危険なのだ。
気づかないところで、すでにその予兆は病巣のように広がっていた。
休み明けの月曜日。余暇を過ごした反動で、気だるいまま祐真は朝起きて登校した。
明るく照らす朝日の中、通学路を通り、喜屋高校の校門を通過する。そして、そのまま玄関へ向かった。
大勢の生徒も同じように、周囲を歩いている。いつもの朝の光景。穏やかで、平和な日常。
祐真はゆっくりと息を吸った。肺一杯に、穏やかな空気が流れ込んでくる。草原の空気を吸ったかのように、新鮮な気分に覆われた。とても気持ちがよく、空でも飛べそうな気さえしてくる。このまま、安らかな日々が続きそうな予感があった。
祐真が息を吐いた時だった。祐真は一瞬呼吸を止めた。気になるものが目に飛び込んできたためだ。
それは、眼前を歩く女子生徒二人についてだ。二人の女子高生は、手を繋いで歩いていた。まるで恋人のように。
祐真は目を擦り、再度、確かめる。やはり、その女子生徒たちは手を繋いでいた。
男とは違い、仲の良い女子は時折手を繋ぐこともあるらしい、ということは、いくら女と縁遠い祐真でも知っていた。そういう光景を見たこともある。
だが、この二人は仲が良い友達だとか、親友同士だとかではなく、尋常ならざる雰囲気を纏っていた。まさに熱々のカップルのように、いちゃいちゃと乳繰り合いながら、手を繋ぎ歩いているのだ。
祐真は周囲を見回した。他の生徒の目には、どのように映っているのだろう。注目しているに違いない。
そう思った祐真は、目を疑った。どうして今まで気がつかなかったのだろうか。登校している女子生徒たちのうち、何組もが、手を繋いで歩いているのだ。その全てが目の前の女子生徒たちのように、中睦まじげにいちゃついている。
「これは……」
祐真は思わず、声をあげた。脳裏にかつての苦慮した光景が蘇る。
全世界BL化計画――。クラスメイトである横井彩香と、その彩香が召喚したインキュバスによって引き起こされた喜屋高校全てを巻き込んだ事件。
祐真とリコの尽力により、大事になる前に解決したものの、いまだその出来事が、祐真の記憶に古傷のごとくこびりついている。もっとも、淫魔術の副作用により、当事者(この場合、祐真と彩香、そして二人のインキュバス)以外の全ての人間は、記憶が完全に抹消されており、事件の内容を覚えている者はこの高校では皆無である。
今、目の前で広がっている光景は、その全世界BL化計画の先触れと全く同じだった。ある日、突然、スイッチが入ったように同性愛者が増え始める。それまでは一切、そういった兆候がなかったにも関わらず。
祐真は唇を噛み締め、周囲で手を繋いで歩く女子生徒たちから目を逸らした。暗澹たる気持ちが去来している。
やがて祐真は玄関へ辿り着き、下駄箱で靴を履き替えた。それから教室を目指す。
校舎内にも、ちらほら女子生徒同士のカップルが見受けられた。そうではない生徒たちは、皆奇異の目を向けている。
まさにあの時と同様だ。もしも今の現象の根源が、全世界BL化計画と同じだとしたら、これからさらに女子生徒同士のカップルが増えることになるだろう。
祐真は彼女たちを尻目に、廊下を急ぐ。とにかく、教室に行き、彩香に話を訊こう。目下、この現象の原因は彼女しか該当しない。彼女には『前科』があるからだ。
二年一組の教室へ入り、素早く室内を確認する。すでに彩香は登校しており、自分の席で楓ら数名の友人たちと会話をしていた。どうやら、突然増えた同性愛者について触れているようだ。
祐真は鞄を自席に置き、彩香の元へ向かう。
「横井さん、ちょっといいかな」
祐真は彩香に声をかけた。彩香は一瞬だけ、バツの悪そうな顔になる。まさかと思う。まさか本当に、彩香の仕業なのか。
彩香は友人たちに何事か告げ、こちらに歩み寄ってくる。
「いいよ。今、学校で蔓延している百合のことでしょ?」
「百合?」
「うん。女の子同士の恋愛のこと」
そう言えば、ネットか何かで聞いたことがある。女子の同性愛のことを百合というらしい。
しかし、この尋常じゃない状況で、随分と軽く受け止めているなと祐真は思う。やはり彩香の仕組んだ現象か。
「とりあえず、教室を出よう」
祐真は教室の戸口を顎でしゃくり、先に立って歩き出した。背後から彩香が着いてくる気配がする。
教室を出る時、登校してきた直也と鉢合わせした。祐真は手を振り、後でという意思を示す。直也は、祐真が彩香を連れて歩いている姿が不思議らしく、ぽかんとした顔をみせていた。
祐真は彩香と共に、教室を出ると、階段へ向かう。途中、やはり、何組かの女子生徒のカップルとすれ違った。
彼女たちは皆、何かに取り憑かれたかのように、惚けた表情でパートナーと熱情の瞬間を過ごしている。全世界BL化計画の時の状況と酷似していた。
祐真は屋上に続く階段を登り、踊り場で立ち止まる。わざわざ屋上に行かなくても、ここで充分だ。周りには誰もいない。
祐真は、静かに彩香のほうへ振り返った。
「横井さん。もしかして、あなたの仕業?」
祐真の主語を省いた質問に、彩香は即座に首を横に振る。
「違うよ! 私じゃない。私も驚いているんだ」
どうやら祐真の疑惑は予測済みだったようで、否定が早い。さきほど声をかけた際のバツの悪そうな顔は、この質問を覚悟したためだろう。
そして、実際のところ、どうなのか。彩香が最右翼なのは、依然同じだ。
「でも、他に疑わしい人はいないぞ。横井さんには前科があるし……」
なおも自身を疑う祐真の声に、彩香は慌てて手の平をひらひらさせた。
「祐真君が私を疑う気持ちはわかるわ。確かに、今、学校に広がる現象は全世BL化計画と状況は似ている。けれど、考えてみて」
そう言い、彩香は人差し指を立てる。真剣な顔付きだ。
「私が好きなのはBL。ボーイズラブ。対して、今学校で流行っているのはGL。ガールズラブなの」
「はあ」
「私はGLには興味はないわ。あくまでも私は、男の子同士の恋愛にしか興味がないの。男の子と男の子の恋愛以外の恋慕なんて、虫唾が走るわ。だからこそ、世界中の男の人を同性愛に染めようとさせたのよ。そんな私が今のこの状況を作ったと思う?」
彩香の説明は、身の潔白を証明するというよりかは、自身の信条をアピールするためのまさに『演説』だった。
祐真は腕を組んだ。祐真からしてみれば、BLだろうとGLだろうと違いはなさそうな気がするのだが、彩香にとっては雲泥の差らしい。
あくまでも彩香の主張に過ぎず、彼女の無実を証明するものではない。しかし、鬼気迫る演説に嘘は欠片もなさそうだった。
「……けれどそうなら、一体誰の仕業なんだ?」
祐真は困り果てて訊く。犯人が彩香じゃなければ、皆目見当も付かない。こんな異常な現象を引き起こすのは。
それとも、祐真の勘違いで、正味の話、誰も関与しておらず、ただの自然の現象なのかもしれない……は、状況として考えられないだろう。
彩香は綺麗に整えられた眉を、かすかに寄せた。
「少なくとも、淫魔が関わっていることは確かなんだけど……」
彩香の目から見ても、それは自明の理らしい。やはり、現在喜屋高校で発生している現象は、淫魔、ひいては淫魔術が関与しなければ起こりえないものだ。
しかし、そうなると、犯人が彩香ではない以上、三人目の『召喚主』が、この高校に存在することになる。
しかも、そいつは直近で例の『赤い本』を手に入れ、召喚主になったはずだ。もしも、以前から淫魔の召喚主であるならば、全世界BL化計画時、リコの手によって発覚しているはずだからだ。
祐真が方々を尽くして探している『赤い本』を直近で入手するなど、一体この召喚主はどのような方法を取ったのだろうか。
「……リコさんには伝えたの?」
「いや、まだだ」
学校の現象に気がついたのは今朝の登校時、つまり、ついさっきなのだ。まだリコには報せていない。
「私はユーリーに相談したんだけど……」
「なんて言ってた?」
「様子見だって」
今のところ、それしか手段はないだろう。下手に動いて召喚主ないしは、淫魔に目を付けられたら、厄介なことになる。
リコに相談しても、同じ答えが返ってくるに違いない。
「ユーリーの言う通り、とりあえず今は静観するしかないね」
祐真の言葉に、彩香は不安そう頷いた。眉宇に陰りがある。
思えば、全世界BL化計画時と違って、今回は女子が対象なのだ。彩香もその範疇である。自分の身に事が及ばないか心配なのだろう。女子生徒のカップリングを『百合』などと呼称していたが、さほど余裕があるわけではないらしい。
もっとも、彩香の場合は因果応報とも言える展開かもしれないが……。
「なにかあったらたまた話し合おう」
祐真はそう言って、会話を切り上げた。