サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
翌日のことである。登校を終えた祐真は、教室にて、驚くべき光景を目の当たりにした。
「よ、横井さんどうしたの?」
祐真は目を丸くする。彩香の隣には彼女の友人である楓が立っており、二人は恋人同士のように手を繋いでいたのだ。
「なんかさ、私たち付き合うことになっちゃって」
彩香は気恥ずかしそうに、ショートカットの髪を搔き上げた。隣の楓も、普段の凛とした雰囲気とは少し違い、初々しい乙女のように、照れたように赤くなっている。
「横井さん、もしかして……」
そこまで言い、祐真は口をつぐんだ。皆まで言わなくてもわかる。明白なのだ。彩香も『やられて』しまったらしい。
しかし、なぜ、と思う。彩香にはユーリーが付いている。淫魔術に感染した場合、除去してくれるはずなのだ。なのに、どうして、彩香は淫魔術を発症させてしまったのか。
「横井さん、ちょっといい? 向こうで話をしよう」
事情を訊くために、祐真は彩香の肩を掴もうとした。そこで、楓が立ち塞がる。
「私の彩香に気安く触らないで」
楓の目は、吊り上がっていた。彼女はクールな面立ちなのだが、今は般若の形相だ。
楓は祐真の手を、バレーのスパイクを打ち込むように、叩き落とす。
「ご、ごめん」
祐真は手を擦りながら、頭を下げた。普段女子とほとんど接しない祐真にとって、女子から向けられる敵意は、精神へとクリティカルヒットするのだ。ここは引くしかないだろう。
「そういうことだから、ごめんね」
彩香は舌をペロリと出すと、楓と腕を組んでこの場を離れていった。祐真は二人の後姿を見送りながら、唖然と立ちつくす。
しばらくして、はっと我に返った。祐真は、ゆっくりと足を踏み出す。そのまま戸口へ向かい、教室を後にした。
女子生徒のカップルで溢れる廊下を、夢遊病者のようにふらつきながら歩く。さぞかし今の自分の顔色は、死人同然に青ざめていることだろう。
悪夢再来、といったところか。いや、下手をすると、以前よりも状況は悪いかもしれない。なにせ、インキュバスが付いているはずの召喚主すら、蜘蛛の糸にとらわれてしまったのだから。
祐真の頭に、先ほどの彩香と楓のツーショット姿が蘇る。
二人共、祐真が舌を巻くほどの熱々ムードのカップルだった。他者が分け入る隙間すらないほどに。
確か彩香だけではなく、楓もBL愛好家だった気がする。それなのに、自身が百合に染まるとは、淫魔術の恐ろしさを再認識させられた。
それに、と思う。ユーリーは一体、どうしたのだろう。少し前までは、ユーリーは療養のために離れていたのだが、現在は彩香の元へ戻っている。よって、昨日は共に自宅の部屋で過ごしたはずだ。
なのに、どうして今朝、彩香は淫魔術の毒牙にかかっているのか。なぜ、ユーリーは、彩香を守らなかったのだろうか。
リコに報告したほうがいいかもしれない。祐真はそう思い始めた。事態は深刻の様相を呈している。このままでは、取り返しの付かないところまで進行してしまいそうだった。
気がつくと、祐真は屋上へとやってきていた。鉄製の無機質な扉の前に、ぼうっと突っ立っている。
祐真は無意識に、扉の取っ手に手をかけた。それから、静かに開ける。
朝の日差しが目に飛び込んできて、祐真は目を細めた。雲の中に飛び込んだ気分だ。
やがて目が慣れ、祐真は屋上に足を踏み入れる。当然、今の時間は誰もいなかった。
フェンスのところまでいき、下方を見下ろす。ここからは、登校中の生徒たちが一望できた。生徒たちの中に、手を繋いだり、腕を組んで歩く女子生徒のカップルが相当数いることが見て取れた。
祐真は不安に包まれる。墨汁を水に垂らした時のように、徐々に黒い気持ちが胸中へ広がっていく。
これから先、俺は一体どうなるのだろう。対象が女子だけとはいえ、自分の身が安全だとは限らない。そもそも、誰がなぜ、このような真似をしているのか。
心の中の疑問は、祝福のように照らす朝日の中へ、無残にも吸い込まれて消えていった。
祐真が溜め息をついた時。背後で、扉が開かれる音がした。
とっさに振り向いた祐真は、はっとする。屋上へ入ってくる人の姿があった。しかも、見覚えがある。
古里だ。久しぶりに見たが、相変わらず小便のような下品な髪色をしており、肩を怒らせながら、こちらへ近づいてきている。
顔は不敵な笑みが貼り付いていた。どうやら、屋上に祐真がいるとわかった上で、やってきたらしい。
つまり、目当ては自分だ。古里はわざわざ早朝に、祐真目当てで屋上を訪れたということである。
祐真は古里のほうへ体を向けた。少しだけ緊張が走っているが、恐怖は微塵もなかった。何度も撃退した相手だし、幸い、今日はリコが魔術を施してくれている。おそるるに足らずの相手であった。
古里は、一定距離まで近づくと、立ち止まった。それから、顎を突き出すような仕草を取り、口火を切る。
「よお。クソオタク。こんな所でなにしてんだ? 盗撮か?」
こいつはわざわざ悪態をつくために、ここまでやってきたのだろうか。
あまり付き合いたくはないが、とりあえず、反応してみる。
「お前に言う必要はないだろ。何の用だ?」
祐真の生意気な物言いに、古里はカチンときたらしく、細い目を野獣のように歪め、睨みつけてきた。
「口の利き方がなってないオタクだな。テメー。いい加減にしろや」
「知らねーよ。だから何の用だ?」
やや強気で応じる。高校で有名なヤンキー相手に、恐怖やためらいはなかった。少し前までは、考えられなかった心境だ。
これも、リコのお陰か。力を借りてはいるが、自信が付いてきた証拠なのかもしれない。当然だが、古里には、祐真の強さのカラクリなど微塵も見当ついていないだろう。
しかし、こいつは本当に罵倒するためにわざわざ屋上までやってきたのだろうか。あるいは、散々してやられた過去が気に食わなく、リベンジでもしようという腹なのかもしれない。
そこで祐真は、あることに気がついた。そういえば、いつも一緒にいる鴨志田の姿が見えなかった。抱き合わせのようにセットが当然の相手だろうに、どこにいるのか。
全世界BL化計画時、こいつと鴨志田は熱々のカップルとなった仲だ。古里はそれほどの相棒を差し置いて、一人でここにやってきたことになる。
古里が鴨志田と手を繋いでいた光景を思い出しながら、祐真は足を踏み出す。屋上を出ようと思った。こいつと関わる価値はない。
「用がないならもう行くよ」
現在、学校を取り巻く異常事態で精神が疲弊している上、下らないヤンキー相手に労力を割くなど正気の沙汰ではなかった。
「待てよ」
古里が立ち塞がる。よほど祐真と絡みたいらしい。そんなに暇なのか。
祐真は古里を無視し、さらに進もうとした。
そこで、古里は唐突に恐るべき言葉を口に出す。
「お前がそんなに余裕なのも『魔術』のお陰か?」
古里が発した『魔術』という単語に、祐真の心臓が跳ね上がる。立ち止まり、古里を凝視した。
聞き間違いじゃないかと思った。どうして、こいつが魔術のことを知っている? 口からでまかせにしては、的を射すぎていた。
動揺した祐真が、何も言えず喘いでいると、古里は手を叩いて猿のように笑った。
「ビンゴ! やっぱお前、淫魔を召喚してたんだな」
さらなる衝撃が祐真を襲う。クリティカルな発言である。この男は、なぜか淫魔のことを知っていた。
どうしてこの知識皆無のはずのヤンキーが、淫魔の情報を把握しているのか。どこから漏れたのだろう。
ぐるぐると疑問が頭の中に渦巻き、やがてペナルティに関する恐怖が占領し始めた。一般人に淫魔の存在を知られたら、淫魔世界の捕縛部隊により、連行され、陵辱の限りを尽くされる――。
このままではまずいと思った。古里そのものの脅威ではなく、ペナルティの恐ろしさが先行した。どうしよう。どうやって対処すればいい。
しかし、ここで古里がとあるアクションを取った。それは、祐真が予測すべき『答え』の一つだった。
淫魔の情報が漏れたわけでも、古里が探り当てたわけでもない。単純な理由。ペナルティの懸念はなくなるが、さらに厄介な事象に見舞われる展開。
すなわちそれは――。
「もういいぞ。入ってこい!」
古里は屋上の出入り口に向かって、そう叫んだ。直後扉が開かれ、人影が現れる。
祐真は目を見開いた。屋上に入ってきた人物は、およそ、高校には似つかわしくない格好をしていたからだ。
その人物を一目見て、祐真はすぐに悟る。一つの可能性。限りなくゼロに近いが、あり得る話。そして、現在この高校で起きている現象と目の前の人物が、一本の線で繋がった。
屋上に入ってきた人物は女性だった。ハリウッド女優のように魅惑的な体型を持ち、背中まで伸びたブロンドの髪が、朝日を受け、黄金のように美しく輝いている。
肌は健康的に焼けており、気が強そうな大きな目と、小悪魔的な容貌で、男なら誰だろうと見惚れてしまうほどの端整な顔だった。
そして、特徴的なのは、マイクロビキニとボンテージを合わせたような露出の多い服を着ていることだ。これはかつて、あの赤い本のイラストで目にしたことがある服装である。
目の前の女性は、間違いなくサキュバスだ。身体中から、フェロモンを放出してるかのように、息を飲むほど蠱惑的な魅力がある。
祐真は彼女から目を離せないでいた。
「悟ったみたいだな。こいつの正体を」
勝ち誇ったのように宣言する古里の隣に、サキュバスは近づいた。そして、水商売の女のように、媚びる仕草で古里の肩へ手を回す。
二人は、祐真の目の前で口づけを行った。濃厚な口づけだ。ディープキスというやつか。祐真の目も憚らず、二人は熱くお互いの唇を貪り続けた。
祐真はそれを唖然と見つめる。人がキスする光景をこんな間近で拝むのは初めてだ。それに、相手が古里とは言え、このサキュバスのキスシーンは、非常に魅力的であった。
やがてキスを終えた二人は、こちらに向き直る。サキュバスのほうは憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしているが、古里のほうはどこか疲労が募った顔だ。
淫魔はキスや性交によって、人間から精を吸う存在であることを思い出す。リコと一緒にいると忘れがちになるが、こいつらは人間を糧に生きる魔の者なのだ。
おそらくだが、雰囲気から察するに――むしろ淫魔であることを考えれば当然ではあるが――この二人は性交の経験もあるようだ。
「お前、俺たちを見て興奮してんのか? お前も淫魔と毎日やってんだろ」
よほど祐真が呆気に取られた顔をしていたのだろう。古里は不思議そうに訊いてくる。精を吸われた反動か、気だるそうだ。
手はサキュバスの腰にしっかりと回していた。ここがデートスポットでもあるかのような風情だ。
祐真は目の前で展開される怒涛のような光景に動揺し、古里の質問に答えられないでいた。
次に、サキュバスが、古里の手から離れ、こちらに近づくと、顔をのぞき込んでくる。
「はじめまして。私の名前はシシー・デバテーデレン・マッキンタイア。わかっていると思うけど、サキュバスよ。あなたのことは清春から聞いてるわ。随分とオイタな坊やらしいじゃない?」
シシーは、歌姫のような美声でそう言い、嘗め回すようにしてこちらを見てくる。
すると、シシーは綺麗な眉を寄せ、怪訝な表情になった。
「なんだか妙ね。あなたからは淫魔の気配が感じられないわ」
シシーは疑問を呈する。これに古里が反応した。
「はあ? どういうことだ? こいつも召喚主なんだろ?」
「あなたの話を訊く限り、間違いなくそうだけれど、この子には淫魔から精を吸われた形跡がないわ」
「どういうこった? 勘違いか?」
古里は、恨みがこもった視線をこちらに向けてくる。
「いいえ。巧妙に隠してはいるけど、今、この子に魔術がかかっているわ。でも魔術士とか退魔士でもないことも確か。あなたの話を踏まえると、淫魔の召喚主なのは断言できるのよ」
「一体、なんなんだ? こいつ」
古里は、汚い物を見るような目で、祐真を見てきた。
祐真は唾を飲み込んだ。脳の処理が追い付かず、絶句する以外アクションが取れなかった。とりあえず、リコの正体はばれていないことは確かのようだ。
祐真は目の前の二人を見据えた。やはりこの女はサキュバスだった。召喚したのは信じられないことに古里。
どうしてこのヤンキーが、あの赤い本を手に入れたのかの疑問は尽きないが、今は直近に危機を脱するのが先決だろう。
祐真はかろうじて言葉を発した。
「この学校で起きている現象、お前たちが仕組んだのか?」
かすれた声でそう訊く。喉が渇いていることを自覚した。
祐真の質問に、二人は同時に顔を見合わせた。そして、まるで安っぽいジョークでも聞いたかのように、互いに笑い合う。下品な嘲笑。
「今さらかよ。もっと早く訊けや」
古里は鼻を鳴らし、小馬鹿にしてくる。シシーも古里の肩に身体を寄せ、微笑んだ。
「そうよ。私が感染型の淫魔術を流して、女子生徒たちを同性愛者にしたの。今風に言うとGLね」
すでに予想したように、シシーが首謀者らしい。祐真は質問を重ねる。
「どうしてこんな真似を?」
いくつか疑問があった。この女子生徒GL化とも言うべき現象は、彩香とユーリーが目論んだ全世界BL化計画を再現したもので間違いがない。
しかし、なぜ、それを知っているのか。全世界BL化計画は、喜屋高校において、祐真と彩香以外は記憶から失われているはずだ。
シシーが答えを発する。
「簡単な話よ。清春に頼まれたの」
「頼まれた?」
祐真は古里を見る。古里は、腕を組み、不機嫌そうに顔を歪めた。
「知ったからな。オメーのクラスの横井彩香とかいう女と、召喚された淫魔が起こした『全世界BL化計画』のこと」
古里は、粗雑な口調で経緯を話し始めた。