サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
「シシー・デバテーデレン・マッキンタイア?」
リコは、大鍋に炒めたジャガイモや人参を投入しながらそう繰り返した。キッチンの天板に乗っている材料を見る限り、今日はビーフシチューらしい。
学校が終わるなり、祐真はいち早くアパートへ帰宅した。それから開口一番、リコへ一連の流れを報告したのだ。
「ああ。よりによって古里が淫魔を召喚してたんだよ」
リコは料理の手を止めず、話を聞いていた。続いては牛肉とたまねぎが投入される。ゆっくりとかき混ぜられると、キッチン中にビーフシチューのまろやかな香りが漂い始めた。
「あいつは召喚したサキュバスを使って、俺たちを殺すらしい。それだけじゃなく、横井さんやユーリーまで狙ってるんだよ」
リコはかき混ぜる手を止め、ガスコンロの火を弱めた。それから、こちらに体を向ける。
「ユーリーはどうしてるの? 彩香がそんな状態なんだろ?」
祐真は昼休み、自身が取った行動を思い起こした。
「それが……、連絡つかないんだ」
「連絡が?」
リコは彫刻のような端正な顔に、複雑な表情を浮かべた。
「うん。スマホで電話を掛けたんだけど、一切繋がらない。もしかして、何かあったのかも。ユーリーが無事なら、横井さんが淫魔術にかかるはずがないんだし」
リコはエプロンを外しながら、質問を行う。
「彩香はなんて言ってる?」
「横井さんには何も訊いてないよ。だって、クラスメイトの女子とめちゃくちゃラブラブだったから、分け入り辛くて」
淫魔術の効果のせいで、今や彩香はGLの局地と言うレベルにまで達していた。人目も憚らず、楓と乳繰り合っているのだ。
「そうか。なかなかに厄介な展開になってきたね」
リコは飄々とした口調で言う。
「なに余裕ぶってんだよ。サキュバスが敵として現れたんだぞ。古里も敵意剥き出しだ」
祐真は憤慨した。
「わかっているさ。ちゃんと深刻に受け止めてるよ。まさかサキュバスが出てくるとは思ってなかったし」
リコは宥めるように手を振る。
リコはどこか、新手であるサキュバスや古里の存在よりも、サキュバスが現れたことそのものに危惧を覚えている節があった。
相手が誰だろうと、敵が現れることを危険視しているのだろうか。
いずれにしろ、十全な対処をしなければならない状況だ。
祐真は質問する。
「これから俺はどんな行動を取ればいい?」
古里から直接宣戦布告されたのだ。今までどおり、様子見のままでは諸々手遅れになるだろう。
リコはガスコンロの火を完全に止めると、腕を組んだ。
「とりあえず、防御魔術は施したままだとして……」
リコは細い顎に手を当て、思案する仕草を取る。
「そのサキュバス――シシーだっけ――を排除しないとね」
排除とは、穏やかではない単語が飛び出した。
「殺すのか?」
「ああ。それしか方法はなさそうだ」
現状を考えると、もっとも手っ取り早い手法であるため、仕方ないかもしれない。だが、少し残忍であるような気もする。
「ユーリーの時は殺さなかったじゃないか」
リコは、わかってないなと言わんばかりに、首を振った。
「相手はサキュバス。祐真まで誘惑される恐れがあるからね。早めに消えてもらわないと」
リコの本心を知り、祐真はげんなりとする。さすがの自分でも、敵だと知っている相手に誘惑されるヘマはしないだろう。
そう思った直後、映像が差し込まれるかのごとく、祐真の脳裏にシシーの姿が思い起こされた。
アフロディーテを思わせる抜群のプロポーション。小動物のように大きくて、蟲惑的な目。全身から放たれる性欲の権化のようなオーラ。
祐真はふと気つく。いつの間にか、シシーが目の前に現れていた。彼女は、ボンテージ風の衣装に見え隠れする自身の巨乳をゆっくりと撫で、こちらへ誘うようなまなざしを向けてくる。
祐真は唾を飲み込み、シシーに近づく。シシーの褐色の肌がくっきりと見え始めると同時に、祐真の鼓動が著しく早くなった。
シシーは胸元をはだけさせ、ビキニのように面積の狭いパンツをゆっくりと下げる。見てはいけないと思いつつも、自然と祐真は目を奪われた。祐真は、シシーの体に手を伸ばした。
はっと我に返る。リコが肩に手を置いていた。信じられないことに、リコとの会話の最中、トリップしていたようだ。
いや、トリップというよりかは幻覚、妄想の類か。あまりにもリアルで、生々しかった。
今もまだ心臓の鼓動が早鐘のように鳴っている。
「祐真。大丈夫?」
リコが肩から手を離しながら、気を使うように訊いてくる。
祐真は目を瞬かせ、小さく頷いた。寝起き直後の気分だ。
「祐真。僕の言ったとおりだ。やはりサキュバスの魅了の影響を受けているね」
「魅了……?」
祐真はぼんやりと尋ねる。
「うん。魔術とも違う、淫魔なら当たり前に備わっている力だ。僕と一緒だからわかり辛いけど、インキュバスもサキュバスも、存在そのものが人間を魅了するからね」
祐真は屋上で、シシーと初めて出会った光景を思い出す。
直接目にした時も、発情した雄犬のようにそそられたが、脳裏に思い起こすだけでも心を奪われてしまっている。もしも今、実際に本人が目の前にいたら、祐真は我慢できずに飛び掛っていることだろう。
初めて実感する。淫魔の恐ろしさ。退魔士である花蓮が淫魔を異常に敵視していたが、少しだけ気持ちが理解できた気がした。
「やはりサキュバスは危険だね。僕の祐真がたぶらかされる前に早めに
「なんで俺が、お前のモノみたいになってんだよ」
祐真は、お笑い芸人のように突っ込む。お陰で、若干、心に落ち着きが戻ってきた。リコもわざと祐真のために軽口を叩いた雰囲気があった。
その直後だ。心が平静になったせいか、とある疑問が頭に湧き起こった。
祐真は質問する。
「そう言えば、淫魔が死んだ場合、ペナルティってどうなるんだ? 淫魔の正体がばれても、相手が召喚主ならペナルティの心配はないだろ。けれど、もしもそのあと、召喚した淫魔が死んで、契約解除された場合、そのペナルティは有効になるのか?」
リコは小さく首を振る。
「いや、そうはならないよ。契約解除されたとは言え、『元』召喚主なんだ。ペナルティの対象にはならない。むしろ、淫魔の情報を少しでも漏らそうなら、即座に捕縛対象になったはず。その辺りは通常の召喚主よりも厳しくなっていた気がする」
「じゃあ仮にシシーが死んでも、古里からこちらの情報が漏れる心配はないんだな」
「うんそうだね。懸念する必要はないと思うよ」
祐真は、一安心する。大きな問題点であるペナルティに関しては、古里との戦いおいて足枷にはならなそうだった。
心に世湯ができた祐真は、話を戻した。
「それで、リコ。シシーを殺すみたいな発言をしてるけど、具体的にどうするんだ?」
「そうだね。いくつか方法はあるけど」
リコは、再びコンロの火を点ける。ビーフシチューが煮沸し始めた。
「やっぱり僕が直接出向いて、実力で排除する」
リコは物騒なことを口走りながら、ビーフシチューをかき混ぜた。香ばしい匂いが部屋中に広がり、祐真のお腹が鳴る。話に夢中で意識していなかったが、すでに夕食の時刻に差し掛かっていた。
「直接? 大丈夫なのか?」
「ああ。僕の強さを忘れたのかい?」
忘れたわけではない。こいつは『最強』と自称するだけあって、強さは折り紙つきだ。それはユーリーの件や、花蓮の件で証明済みである。
しかし、どこか漠然とした不安を祐真は覚えていた。
「忘れてはいないけど……。どうやってシシーの居場所を突き止めるんだ?」
「今回は全世界BL化計画の時と違って、相手の正体はすでに判明している。いくらでも探る方法はあるさ。古里を尾行するとかね」
リコはおたまでビーフシチューを掬い、皿に盛りつけ始めた。
「そう……。ならいいけど」
祐真はなおもリコがシシーの元へ殴り込むことに、乗り気ではなかった。理由はわからないが、嫌な予感がするのだ。
祐真はユーリーのことに言及する。
「ユーリーはどうして、連絡付かないのかな?」
「さあね。何かあったかもしれないし、偶然このタイミングで急用ができていなくなったのかもしれない。よくわからないな」
リコはビーフシチューを注ぎ終わった。そろそろ食事の時間だ。
リコは祐真と正面から向き合う。真面目な顔付きだった。
「とにかくシシーについては早急に手を打とう。明日さっそく動くよ」
リコはそう言った。