サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました   作:佐久間 譲司

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第五十七章 敵の狙い

 祐真は、目を見開く。その人物はユーリーだった。色白の銀髪の少年。インキュバスらしく、人の理を越える美貌の持ち主だ。

 

 しかし、いまやその容貌は無残にも崩れていた。

 

 ユーリは天井から吊り下げられている鎖に、両手を上げた状態で縛られ、捕虜のように拘束されていた。

 

 上半身は裸で、ここから見てもひどく痛めつけられていることがわかる。特に顔が無残で、試合後のボクサーのように膨れ上がっていた。

 

 まさに拷問の風景だ。

 

 「ユーリー!」

 

 祐真は思わず叫んでいた。目の前にいたリコが、横目でチラリとこちらをうかがう様子が確認できた。

 

 ユーリーは祐真の声に反応しなかった。意識がないのか、頭をうな垂れ、電池の切れた人形のように微動だにしない。

 

 まさか、死んでいるのか。祐真は唇を噛み締める。なぜユーリーがここにいるのかわからないが、とんでもない出来事に巻き込まれたのはわかった。

 

 「リコ!」

 

 祐真は、リコへユーリーの安否を尋ねる。かつて敵対していたとはいえ、協力した仲だ。死ぬ姿は見たくない。

 

 「生きてるよ」

 

 リコが、祐真の心情を読んで答える。

 

 祐真がほっとすると同時に、ユーリーのそばにいた人物が、ゆっくりと振り返った。すでに誰なのかは後姿でわかっていた。

 

 古里だ。部屋着なのか、色褪せたジャージを着ている。肝心のシシーは姿が見えなかった。

 

 「よお。ようやくきたか」

 

 古里はチンパンジーのように歯をむき出しにして笑う。驚いた様子が全くなく、すでに二人がここに侵入してくることを予期していたような風情だ。

 

 古里は、言葉を続けた。

 

 「今、パチンコで負けた鬱憤をこいつで晴らしてたんだ」

 

 古里は、鎖で拘束されているユーリーを顎でしゃくった。そして、いつの間にか手にしていた木刀を振りかぶり、ユーリーの胴体を叩く。

 

 麻袋を殴ったような音と共に、ユーリが大きく揺れた。鎖が擦れる硬質な金属音が部屋中に響く。

 

 祐真は目を逸らした。人が無残にも暴力を振るわれる光景には、やはり強い抵抗がある。同時に、ちらりと、古里はどこから木刀を取り出したのだろうと疑問が浮かんだ。

 

 「どうだ? 楽しそうだろ。お前らもやるか?」

 

 古里は木刀をこちらへ差し出し、愉快に訊いてくる。

 

 祐真たちは無言で返した。古里は再びユーリーを殴ろうと、木刀を振りかぶる。

 

 「やめろ!」

 

 祐真は思わず叫んだ。古里はピタリと動きを止め、挑発が成功した時のように、痛快そうに顔を歪めた。

 

 祐真は質問する。

 

 「なぜユーリーにそんな真似を?」

 

 「こいつには、屈辱を味わわされた恨みがあるからな。全世界BL化計画とやらの首謀者なんだろ?」

 

 どうやら古里は、自身の復讐のためにユーリーをボコボコにしているらしい。

 

 「どうやってユーリーを捕まえたんだ?」

 

 祐真が訊くと、古里は手に持った木刀を軽く振り、ユーリーへ先端を突き示した。

 

 「そこはあれよ。俺のシシーがやってくれた。シシーはこいつを簡単に捕まえてきやがんの」

 

 やはり、シシーの手が及んでいるらしい。古里の説明どおりならば、少なくともシシーの実力は、ユーリーを上回るとみて間違いないだろう。

 

 しかし、肝心のシシーの姿が見えないのは不気味である。それに、この空間は……。

 

 「この場所はなんなんだ?」

 

 祐真の声が、地下駐車場のような無機質な空間に響く。古里はにやけたまま、答えなかった。

 

 くそ。重要なことはだんまりか。

 

 祐真は、再度問い詰めるかどうか逡巡する。そこで、別の声が聞こえた。

 

 「虚像空間、だろ?」

 

 無言だったリコが口を開いた。また聞き慣れない単語。どうやらリコは、この空間への知識があるようだ。

 

 「へえさすがインキュバス様。ちゃんとお見通しだな」

 

 古里がおちょくるように口笛を吹いた。

 

 「きょ……? なにそれ」

 

 祐真は、目の前にいるリコの背中に向かって尋ねる。リコは横目でこちらを見た。

 

 「虚像空間。つまるところ、ここは仮想現実世界みたいなものさ。シシーが魔術で作り出したんだろうね」

 

 「この空間が幻?」

 

 「正確には実数空間として、顕在化しているから存在はしているよ」

 

 理解不能の説明に、祐真は首を捻る。頭が追いつかない。しかし、この部屋が魔術で作り出された空間で、なおかつ実在していることはわかった。

 

 「危険じゃないの?」

 

 リコは古里のほうへ顔を戻した。

 

 「危険だよ」

 

 古里が、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってきていた。背後のユーリーは放置したままだ。

 

 古里は肩を揺らしながら、顎を突き出すような格好で言う。

 

 「そこのガキが淫魔を召喚していたことは知っていたけど、まさかインキュバスとはな。つまりホモだったわけか」

 

 召喚のシステムをシシーから聞いているのなら、当然の解釈だろう。男なのにインキュバスが召喚されたのならば。

 

 今のタイミングでわざわざ否定する必要はないが、誤解されたままなのは癪だった。

 

 「違う」

 

 祐真は首を振る。

 

 「俺は同性愛者じゃない」

 

 古里は眉根を寄せた。

 

 「はあ? ホモじゃないのに、インキュバスが召喚されるわけねーだろうが」

 

 古里はリコの目の前までやってくる。

 

 「まあ、お前がホモかどうかなんてどうでもいいわ」

 

 古里は肩をすくめる。

 

 「お前と、この淫魔を殺すことに違いはねーからな。散々煮え湯を飲まされた礼だ」

 

 口は笑っているものの、目は本気だった。古里は殺しにかかるつもりのようだ。

 

 祐真は古里の手元を見て、はっとする。先ほど手に持っていたはずの木刀が消えており、かわりに鉄パイプのような金属の棒を持っていた。

 

 瞬時に持ち替えた、というわけではなさそうだ。木刀は床のどこにも落ちていない。そもそも、はじめからおかしかった。本来手にしていなかったはずの木刀を、いつの間にか携えていたのだから。

 

 つまり、この空間の特性は……。

 

 こちらの思考を読んだように、リコが説明を行う。

 

 「その通りだよ祐真。この空間は行使者や行使者が許可した人物が、好きに物体を作り出せる空間だ。もちろん、限度はあるけどね。高等魔術の部類に入る魔術だよ。シシーはかなり優秀なサキュバスだね」

 

 リコは感心したように言う。

 

 なんという便利空間。同時に脅威は極め付きということか。

 

 古里は、鉄パイプを振り上げた。それから振り下ろそうとする。

 

 リコは、人差し指を軽く振った。すると、鉄パイプは、銃弾にでも当たったかのように、古里の手元から弾け飛んだ。

 

 古里は手を押さえながら目を丸くするが、すぐにニヤけた顔になると、再び手を振り上げた。

 

 祐真は目にする。素手のはずの古里の手に、中空から掻き出すようにして、手斧が現れるのを。

 

 物体を好きに作り出せるこの異空間の脅威を、垣間見た気がした。どの程度まで再現できるか不明だが、相当厄介そうだ。

 

 古里は出現させた手斧を、リコに対し、一切加減することなく、勢いよく振り下ろした。

 

 リコは微動だにしない。

 

 しかし、手斧はリコに当たる寸前、ブロック菓子のように砕け散る。

 

 同時にリコは指を鳴らした。古里は、透明人間にでもタックルされたかのように、背後へと勢いよく押し出された。

 

 古里は、間を取るようにそのまま後ろにステップバックする。

 

 「へえ、インキュバス様もなかなかやるもんだな」

 

 古里は、自身の体を払いながら、感心した声を上げた。

 

 祐真は二人のやり取りを見て、やきもきしていた。突如開始されたバトルもさることながら、リコが手加減していることを察知していたからだ。

 

 リコはとても強いインキュバスである。古里など、軽く一蹴できるはずだ。なんなら、殺すことも容易い。

 

 それなのに、どうしてすぐにでも打ち倒さないのだろう。相手がただの人間だから? そうだとしても、殺さず無力化くらいはできそうである。

 

 祐真の不安をよそに、二人は依然、対峙したままだ。リコはあくまで無表情だが、古里は泰然自若の構えだ。

 

 古里は手を前に突き出した。手元へ新たに現れたのは、黒光りする握り拳サイズの物体。最初はテレビのリモコンかと思った。

 

 だが、すぐに違うと気づく。古里が持っていたのは、銃だった。回転式ではなく、アメリカの警察官が持っているようなオートマチックの拳銃である。

 

 祐真は驚愕する。魔術や淫魔などの尋常ならざる存在を日々目にしているものの、本物の銃を見るのは初めてだ。

 

 そんなものまで作り出せるのか。だが……。

 

 古里は手に持った銃をリコへ向けて発砲した。爆竹を鳴らしたような炸裂音が、虚像空間内に響き渡る。一発ではなく、三発ほどだ。手馴れた様子から、今まで何度か撃った経験があることが見て取れた。

 

 耳をつんざく発砲音に、祐真は身をすくめる。一方、銃弾を受けたはずのリコは身じろぎ一つしない。古里を正面に見据えたままだ。

 

 そこで、祐真は目撃する。リコの眼前に、パチンコ玉のような物体が浮いているのを。そしてそれらは、電池が切れたように地面へと落下し、硬質な音を立てて転がった。

 

 古里はその様子を見て、再び発砲する。だが、同じように弾丸は空中で停止した。見えない壁に阻まれるかのごとく。

 

 祐真は納得する。当然だろう。容易く人を即死させる魔術すらリコには通じないのだ。ましてや彼は人知を超える存在。対人用の銃火器など、猛獣にエアーガンで立ち向かうようなものだろう。

 

 元より、この結果は、火を見るより明らかだ。

 

 古里は銃弾が効かないことを悟ると、手に持った銃を捨てた。そして、降参と言わんばかりに、厳しい顔を歪め、両手を上げる。ホールドアップだ。

 

 祐真は怪訝に思う。度を越えるほどのプライドの塊であるヤンキーが、こうも簡単に降参するとは。

 

 祐真たちは、古里にとって不倶戴天の敵である。彼が吐露していたとおり、何としても殺したい相手のはずだ。

 

 それとも何かあるのだろうか。例えば、油断させてから襲いかかるだとか。

 

 そうだとしても、そんな子供だまし、リコに通じるとは到底思えないが……。

 

 ふと古里はこちらへ目を向けた。彼と目が合う。

 

 少しの間だけ二人は見つめ合った。祐真は目を逸らせないでいた。

 

 ……あるいは、リコではなく、俺を攻撃するつもりなのかもしれない。祐真はぼんやりとそう思った。しかし、こちらにはリコがかけてくれた魔術がある。その目論見は無駄に終わるだろう。

 

 祐真は古里と視線を交わしたまま、ふとある違和感を覚えた。

 

 古里の瞳には、黒い炎が宿っていた。ヘドロのような薄汚い闇。獲物を狙う野生の獣を思わせた。

 

 そこで祐真はぞくりと背筋を震わせる。古里の狙いに気づいたのだ。

 

 「リコ……」

 

 祐真はリコの名を呼んだ。しかし、遅かった。

 

 誰かの手が、こちらの右腕を取った。祐真は反射的に振り返った。

 

 そこにシシーがいた。アイドルのような整った目がキラキラと輝いていた。

 

 とても可愛らしく、いじらしい。祐真が息を飲んでいると、シシーは身を乗り出した。

 

 シシーは、ゆっくりとこちらの右腕を持ち上げると、手の甲へ口づけを行った。

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