サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました   作:佐久間 譲司

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第五十八章 奇跡

 シシーは、祐真の手の甲から唇を離した直後、祐真が完全に魅了されたことを確信した。

 

 ユーリーとかいうインキュバスを使った『撒き餌』は功を奏したらしい。無事、羽月祐真はこちらの手に落ちたのだ。苦労して計画を立てた甲斐があった。

 

 シシーはまず、祐真と召喚された淫魔を討伐するために、ユーリーを狙った。横井彩香が召喚した淫魔だ。元々、ターゲットの対象だったし、召喚主がいない今、手薄であった。加えて、利用できると踏んでいた。

 

 無事にユーリーを捕縛できたシシーは、次に清春の部屋に虚構空間を作り上げる。すぐにでも、祐真たちのほうから接近してくると予想していたからだ。

 

 シシーの狙いは的中し、祐真と淫魔は見事、『蜘蛛の巣』にかかった。

 

 この虚構空間は、シシーの手の平の上も同然。無論、淫魔は召喚主に対し、なにかしらの魔術を施しているだろうが、虚構空間は、それすらも解除する仕組みを与えられる。それこそ、予め虚構空間に対し、なんかの対抗措置をしない限り、看過は不可能なのだ。

 

 もちろん、事前にわかるわけがないし、仮にその対抗措置を施せば、こちらにも伝わる。現時点で、その様子はないことから、彼らは完全に罠に掛かったのだ。

 

 もはや、こちらの勝ちはゆるぎない。

 

 シシーは、熱に浮かされたかのように、ぼうっとしている祐真を見て、ほくそ笑んだ。離れた所にいる清春も、勝利を悟ったのか、口角を上げている。

 

 ああ、いとしの清春。あなたのために、二人のインキュバスを敵に回し、その上で、一人の召喚主を手中に収めたのよ。あとでたっぷり『ご褒美』を貰うわね。

 

 元々、この男子生徒はシシーの好みではなかった。パッとしない容貌に、地味な性格。人間の女にも、もてない人種だろう。精も美味しそうではなく、そのため、吸う気もなかった。

 

 しかし、無理してよかった。

 

 とはいえ、色々と不思議な少年である。清春が言及したように、インキョバスを男が召喚したのなら、その男は同性愛者であるはずだ。

 

 いくらゲイだろうと、サキュバスから直接キスされれば、男である以上、魅了にかかる。淫魔とはそういう存在なのだ。異性愛者の男が、インキュバスにキスやレイプをされれば、魅了を受け、ゲイに落ちるのと同様に。

 

 だがしかし、祐真は違っていた。キスしてわかったが、祐真はゲイではないのだ。完全な異性愛者である。

 

 どういうことなのだろうか。なぜ、男の異性愛者なのに、インキュバスが召喚されるのか。

 

 まあいい。不可解であることに変わりはないが、手中に収めたのは確かだ。プラグマティズム的に考えよう。

 

 シシーは、虜になっている祐真から目を逸らすと、残されたインキュバスのほうに目を向けた。『リコ』と呼ばれていた男だ。

 

 しかし、と思う。このインキュバス。まさか、規格外の化け物とは……。

 

 シシーは、驚愕を覚えていた。はじめこのインキュバスを目にした際、あまりの魔力の多さに、呼吸すら忘れていた。

 

 当初、相手がどんなインキュバスだろうと、余裕で勝てる算段だった。自分は淫魔の中では上位に位置するほど強いからだ。

 

 しかし、その自信はこのインキュバスを見て、脆くも崩壊した。

 

 万全を期すため、先に『成敗』したユーリーを餌にし、こちらの存在を誤魔化して罠に嵌めたが、上手くいってよかったと思う。心底、運に恵まれていたのだと確信した。もしも、まともに対峙していたら……。

 

 シシーは、リコの体から放たれる、膨大な魔力の量を再度確認し、足を震えさせた。

 

 戦々恐々、とはこのことか。だが、今は召喚主を人質にできるこちらが有利だ。

 

 シシーはリコへ声をかけた。

 

 「あなた一体、何者?」

 

 シシーの問いかけに、リコは何も答えなかった。チェスターコート姿のまま、こちらに体を向けている。オーバル型のサングラスの奥にある目は、氷のように冷たい。

 

 背筋にシビレのような恐怖が走る。これは本能だ。生物が本来持つ、危険を察知するセンサー。それが大きく刺激されていた。

 

 本来なら、対峙すらしたくない相手だ。しかし、清春のため、必ずこのインキュバスを排除しなければ。

 

 「いい? よく聞きなさい。あなたの召喚主は私の手に落ちたわ」

 

 シシーは、隣で惚けている祐真を顎でしゃくった。

 

 「だから諦めて、投降なさい」

 

 シシーはピシャリとそう言い放つ。召喚主を盾にされれば、相手の要求を飲むしかないのが、我々『召喚された魔の者』の最大の弱点である。それは、いくら強大な力を持つインキュバスであろうとも、同じであるはずだ。

 

 「シシー、めんどくせーから、今すぐそいつ殺しちまおうぜ」

 

 清治が、リコを挟んだ向こう側でそう主張した。

 

 「シシーなら余裕だろ。お前は最高のサキュバスなんだから」

 

 清春はそう言う。子犬のようにやんちゃで可愛らしい彼から褒めれると、嬉しさが腹の底からこみ上げてくるが、同時に、そう問屋が卸さない、というこの国の慣用句を、シシーは思い出していた。

 

 ぜひとも、清春の願いを叶えてやりたい。しかし、上手くいくだろうか。リコの大地を震えさせるほどの魔力を前に、シシーは唾を飲み込む。

 

 すると、今まで無言で二人のやり取りを聞いていたリコが、動き出す。

 

 リコは、肩をすくめ、両手を軽く広げた。それから、体を弛緩させる。力を抜いたのだ。

 

 彼の雰囲気から、完全に戦意が消失しているように見受けられた。

 

 シシーは眉根を寄せる。彼は白旗を揚げた、ということか。つまり、人質作戦が通じたということかもしれないが……。

 

 清春が口笛を吹き、歓声を上げた。

 

 「随分殊勝なインキュバス様じゃねーか。シシー、さっそく殺そうぜ」

 

 清春はナイフを手に出現させ、リコへと向けた。そして、そのまま体ごとぶつかるようにして、ナイフを突き出す。

 

 「待って! 清春!」

 

 シシーが忠告を発した時には、すでに遅かった。

 

 リコへとぶつかった清春は、動きを止めた。見ている限り、確実にリコへナイフは刺さったと思える動作だ。

 

 しかし、刺した当人の清春は、硬直したまま、眉根を寄せていた。そして、ゆっくりと顔を上げ、リコの顔を見る。直後、清春は驚愕に包まれた表情を浮かべた。

 

 リコはこちらへ背を向けているため、彼の表情まではわからない。

 

 シシーは良くないことが起こったと思った。清春の元へが駆け寄ろうと足を踏み出す。

 

 その時、清春が言葉を発した。そこで彼の表情の意味を理解する。

 

 「なんで笑ってんだ。てめえ!」

 

 リコの足元には、血溜まりが出来つつあった。清春のナイフは、きちんとリコの体へ届いていたらしい。

 

 リコ自身が無抵抗を示したとおり、彼は魔術などで一切、防壁などの防御措置を取らなかったようだ。つまり、今現在、リコの体にはナイフの刃が深々と刺さっていることになる。

 

 「早く死ねよ」

 

 清春はナイフを抜くと、再び何度かリコの体を突き刺した。相変わらず、リコは一切、抵抗していなかった。

 

 リコの足元はすでにおびただしい血が広がっている。淫魔といえど、通常なら重傷のはずだ。

 

 大切な者を人質に取られた点と、無抵抗であることから、覚悟を決め、観念しているようにも見える。こちらの勝利だと、そう思えるほどに。

 

 しばらくすると、清春の動きが止まった。肩で息をしていることから、攻撃が充分だと判断したのではなく、疲れて中断したといった様子だった。

 

 清春が荒い息で叫ぶ。

 

 「なんで死なねーんだよ、お前!」

 

 清春は慄いていた。何度も刺しているはずなのに、リコがピンピンしているためだ。

 

 どうやら、このインキュバスには、虚像空間ごときで作ったナイフなどでは、太刀打ちできないらしい。

 

 「清春!」

 

 シシーは心配に駆られ、声をかける。清春はそれをかき消すような勢いで、怒鳴った。

 

 「シシー! お前もやれ!」

 

 清春は援護を要請してくる。清春は元々負けず嫌い。引くつもりはないようだ。

 

 シシーは頷く。清春の願いに対し、拒否は絶対にしたくなかった。

 

 シシーは、右手を掲げ、手の平に魔力を集中させる。

 

 すると、正面の中空に包丁のような物体が現れた。

 

 複数体あり、それぞれ、磁石で引き付けられているかのように、宙に浮かんでいた。

 

 『虚構武器』。この空間の特殊性質と、自身の魔術を利用して作り出された武器だ。元となった物体よりも、殺傷能力は桁外れに高い。

 

 シシーはリコに向かって、手を振る。刃物の群れは、誘導ミサイルのように、リコへと一直線に飛んでいった。

 

 さすがにリコは回避行動を取るだろうと、シシーは予測した。しかし、早くもその予測は外れることになる。

 

 リコは、虚構武器全てを全身へと受けたのだ。回避する素振りなどみせずに。

 

 すでにこの時点で、充分致命傷といえた。勝負有りのはずだが……。

 

 しかし、リコは微笑を浮かべる。体中から生け花のように刃物を生やしているものの、一切、ダメージを負っていないような風情だ。

 

 シシーは再び手を掲げ、新たな虚構武器を作り出す。次は成人男性の背丈ほどもある長大な剣だ。

 

 シシーは軽く指を振った。大剣は意思をもったかのように、リコへと飛んでいく。これで真っ二つにするつもりだった。いくら平然としてようと、両断されれば、絶命するはずだ。相手はゾンビではないのだから。

 

 大剣はリコへと襲い掛かった。リコはやはり動かない。微笑を浮かべたまま、チェスターコートのポケットに手を突っ込んでいる。

 

 大剣はリコに突き刺さった。そのまま一気に切り裂こうと、シシーは遠隔で大検を操作する。

 

 しかし、妙なことが起こった。リコへと突き立っている大剣が、ピクリとも動かないのだ。氷で固められたかのように、一切の操作が効かない。

 

 シシーが眉根を寄せた。その時である。リコはおもむろに指を鳴らした。

 

 驚愕の光景。シシーは目を見開く。リコの体にいくつも刺さっていたはずの虚構武器が、一瞬にして消え去ったのだ。白い粒子を散らしながら、花が枯れるように。

 

 よく見ると、刃物が刺さっていた肉体の傷も塞がっているようだ。地面へと流れ落ちていた大量の血液も、どういうわけか消えている。

 

 「何が起こったんだ?」

 

 清春が怪訝な声を上げる。シシーも当初は目の前で繰り広げられた現象について、理解不能だった。

 

 しかし、ただ単純に頑丈だとか、魔術によって傷が修復されたものではないことは察することができた。魔力が行使された痕跡がないからだ。

 

 シシーは、リコの落ち着き払った姿を見つめた。オーバル型のサングラスのせいで、表情が読みにくい。しかし、淫魔らしく確かな美貌を持っていた。このインキュバスは、容姿も通常の淫魔より、レベルが高いのだ。少しだけ嫉妬してしまう。

 

 そしてシシーははっとする。このインキュバスが仕出かした所業を推察できたのだ。

 

 傷が即座に塞がる現象。消失する武器。出血さえも消え去った。しかし、その際、魔術の使用は認められていない。

 

 導かれる答えは、一つだ。

 

 「あなたこの空間をハッキングしていたのね」

 

 シシーは唇を噛んだ。それしか考えられない。おそらく、この空間に入るなり、リコは即座にハッキングを行ったのだろう。創造主ですら気づかないほどのスピードと精密さで。

 

 ハッキングをしたら、この虚構空間は思いのまま。先ほどの清春とシシーの攻撃は、実はリコが作り出した幻影だったのだ。

 

 作り出したシシーすら騙せるほどの精度。それは、そのまま、この淫魔の実力を示していた。

 

 だが……。

 

 シシーは横目で祐真を見る。祐真は取り憑かれたかのように、こちらに視線を注いでいた。術中にはまったままの様子だ。

 

 ……しかし、この空間をハッキングしておきながら、どうして召喚主をサキュバスに襲われるがままにしたのだろう。いくらでも回避できたはず。

 

 こちらが空間内に潜んでいることを、見抜けなかったのか。

 

 「シシー、ハッキングってなんだ?」

 

 清春が訊いてくる。シシーは簡単に説明を行った。

 

 説明を聞いた清春は、驚愕の表情を浮かべる。

 

 「じゃあ、もう俺らに勝ち目はないってことか?」

 

 シシーは首を振る。

 

 「いいえ。違うわ。こっちには魅了させた召喚主がいる。この子を人質にすれば……」

 

 シシーの答えに、清春の凛々しい顔が弛緩する。ほっとしたようだ。

 

 「だから安心して清春。必ず私たち勝てるわ」

 

 清春ではなく、脅すつもりでリコへと向けて言葉を放つ。リコは冷静な風情のまま、微動だにしない。

 

 わかってる? あなた不利なのよ。

 

 「シシー、こいつ何者だ?」

 

 清春が質問を投げかける。シシーは首を振った。

 

 「わからないわ。こんな奴、知らない」

 

 そう。知らない。知らないはずだが、なぜかどこか見覚えがある気がする。しかし、それはなぜだろう。

 

 どこかで出会った? いや記憶にない。例えば『向こう』の世界でリコとすれ違ったとしても、これほどの魔力を有するのであれば、必ず印象に残っているはずである。

 

 それに、妙な点は記憶だけではない。他にもあった。高校の屋上で、祐真と相対した時にも疑問に思ったことだ。

 

 召喚主である祐真に、精を吸われた痕跡がない。そして、リコを見て、さらに確信する。

 

 『精を吸わない淫魔』。それは霞を食べて生きる人間と同様に、あり得ない存在だ。

 

 一体、何がなにやら、意味不明だ。このインキュバスは一体、何だろう。 

 

 シシーはリコを睨みつけた。

 

 「……とにかく、リコ。祐真を殺されたくなければ、観念してやられなさい」

 

 とはいえ、いくらこのインキュバスが強くとも、完全に無抵抗になれば、さすがに殺せるはずだ。

 

 その時、リコが何事か呟いた。

 

 「そろそろかな」

 

 シシーは怪訝な面持ちになる。何を言っているのか。ともかく、こいつをさっさと処理しなければ。

 

 シシーが攻撃を加えようと手を動かした瞬間だった。驚愕の現象が起きる。

 

 「あれ? リコ?」

 

 隣にいる魅了を受けているはずの祐真が、我に返った声を発した。

 

 シシーは目を見開く。信じられなかった。祐真を染め上げていたはずの『魅了』の効果が、完全に消滅しているのだ。いわば今は『素面』の状態である。

 

 夢から覚めたように、ぼんやりと右往左往している祐真を横目に、シシーはショックで、動くことが出来ずにいた。

 

 考えられるのは、インキュバスであるリコの仕業である。しかし、彼が何かアクションを行った形跡はない。そもそも、いくら強いインキュバスだろうと、そう簡単にサキュバスの魅了を退けられるわけがないのだ。

 

 つまり、この男子生徒は、自力でサキュバスの『魅了』から脱したことになる。しかし、それは有り得ない話なのだ。天地がひっくり返るほどの出来事。

 

 相手が男である以上、サキュバスの魅了に染まるのは、ごく自然の成り行きである。飢えた動物に餌を見せると涎を垂らして食い付くのと同様、本能に基づくメカニズムそのものなのだ。

 

 なのに、ましてや思春期の男子が、自力でサキュバスの魅了から脱することは、死者が生き返ることに相当するほど、不可思議な現象である。

 

 唯一の例外は、同性愛者のみだが、それはやはり、明確に否定できている。

 

 はじめて祐真と対峙した時の彼のリアクションから鑑みても、自明の事実である。紛れもなく、祐真は異性愛者だ。そもそも、同性愛者ならば、もとより、サキュバスの魅了にほだされる不始末など、当初から起こさないだろう。

 

 一体、なにがどうなっている?

 

 「おい、シシー!」

 

 清春が、離れたところから叫んだ。

 

 シシーは我に返る。いけない。清春に心配をかけている。彼を安心させないと。

 

 けれど、どうやって……。

 

 「俺は一体、何を……」

 

 正気を取り戻した祐真が、困惑した様子で辺りを見回していた。どうやら、術から脱した影響で、一部記憶の混乱が起きているらしい。

 

 ともかく、今一度、この子に術をかけるのだ。強大な淫魔相手に、召喚主を人質に取る戦法以外、手段はない。まともにやれば勝ち目はないのだから。

 

 シシーは、祐真に手を伸ばした。再び、魅了をかけるために。自力で魅了と解いたこの不可思議な男子を、再び手中に収めるために。

 

 突如、風圧が生じた。原因を知る間もなく、シシーの意識は、ブラックアウトした。

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