サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
午後になっても、気分は晴れなかった。不安が頭の大部分を占めており、授業の内容がまるで入ってこない。まるで脳みそが分離したかのように、意識は浮ついていた。
あのあと、星斗は自身のせいでトラブルに巻き込んでしまったと謝罪してきたが、星斗のせいではないので、責めるような真似はしなかった。そして、二人は気を使ってか、あまり話しかけてこなくなった。
祐真は、溜息をつきながら、ノートに視線を落とす。授業は祐真のことなどつゆ知らず、どんどん進んでいっているが、ノートは白いままだ。このままでは、成績の面でも遅れをとってしまう。
そう思うものの、授業に集中できず、雑念が頭を駆け巡っていた。
チャイムが鳴り、今日最後の授業が終わった。結局、寝ていたのと変わらないほど、勉強ははかどらなかった。
「ねえ、祐真君、今日具合でも悪いの?」
祐真はふと彩香の顔に目を向ける。彩香の色白で清楚な顔が、心配気な表情に包まれていた。
彩香は面倒見の良い面があり、他のクラスメイト曰く、保母さんのような性格だという。祐真自身もそう感じていた。
「いや、なんでもないよ。気にしないでくれ」
祐真は顔を逸らし、窓から外を見る。ここからは運動場が一望できる。今は人影一つなかった。
「でも顔色悪いよ」
黒いショートカットの髪を揺らし、彩香は回り込んで、祐真の顔をのぞき込む。
「本当に大丈夫?」
いくら彩香に心配されようとも、話して解決するものでもない。
「だから大丈夫だって」
そう言ったきり、祐真は彩香を無視した。ちょっとの間、彩香は祐真のそばに佇んでいたが、やがて女子のグループの元へ駆け寄っていく。
そこから微かに、他の女子が彩香に話しかける声が耳に入った。
「あんなオタクグループの人と話さないほうがいいよ」
「どうして? 大丈夫だよ」
「同類だって思われるよ」
「そんなことないよ。気にし過ぎだって」
「彩香ってば、やさしー」
祐真は嫌になり、顔を伏せて目を閉じた。
学校が終わり、自身のアパートへと祐真は到着する。祐真は部活をやっていないので、帰宅時間はいつも早い。
部屋に入るなり、おかしな光景が目に飛び込んできた。
「何やってんの」
「祐真がそろそろ帰ってくるかと思って、待ってたんだ」
リコは、裸で祐真のベッドへ入っていた。涅槃仏のように側臥位のポーズを取り、ベッドの半分を開けている。
「さ、可愛がってあげるよ。入っておいで」
ベッドの開いた部分をポンポンと手で叩き、リコは祐真を誘う。毛布の隙間から、リコのモデルのような肉体が見えた。
いつもなら、ここで強く拒否の言葉を口にし、突っぱねるのだが、今はその余裕さえない。
祐真はリコのアクションに何も反応せず、リコに背を向け、クローゼットの前で着替えを始めた。
「その気になったようだね」
リコの嬉しそうな声が背後から聞こえる。冗談なのか、本気なのかはわからないが、これも答える気にならない。
「……」
リコの視線が背中に突き刺さっているのがわかる。やがて、ベッドからリコが降りてくる音がした。
リコは裸のまま、祐真の脇を通り、部屋とキッチンの境界に立つ。そして、祐真のほうに顔を向けた。
「今日の晩御飯は祐真の好きなから揚げだよ。それとポテトサラダ。丹精込めて作ってあげるね」
リコは楽しそうに言う。祐真はそれに対し、大した反応を示さず、生返事で返した。
部屋着に着替え終った祐真は、畳に座り、テレビ点ける。そして、ぼんやりと視聴を開始した。
リコはそんな祐真の様子を見つめていたものの、やがて服を着て、キッチンへと入っていった。調理を行う音が聞こえてくる。
まるで反抗期が到来した子供のような祐真の行動だが、何も聞いてこなかった以上、どうやらいつものことだとリコは解釈したらしい。祐真はそう思った。
大して観る価値のない夕方のワイドショーを眺めながら、少しも頭に入らないことを自覚する。
例のヤンキーとのやりとりが、頭を占領していた。
まさか、カツアゲを受けるとは思わなかった。生まれて初めてだ。そして、それがこれほどまで精神的に負担になるとは、想像だにしなかった。
警察や教師に相談する気はない。しても解決するだろうか? という疑問があった。ちゃんとあの連中が退学にでもならない限り、いずれは火の粉が再び降りかかる気がする。
だが、無法者の代名詞のような行動を取ってきたであろう連中が、今も野放しになっていることを鑑みると、今回の件だけで退学に追い込まれるとは到底考えられない。
また、教師や警察に相談した場合、確実に両親の元へ連絡がいくはずだ。それはどうしても避けたかった。余計な心配はかけたくない。
かといって、素直に金を払うという選択肢はナンセンスだ。払えない金額ではないが、かつあげもとい、脅迫に対し屈するようでは、これから先、連中に搾取される一方になるだろう。
だが、そう腹を決め、抗おうにも、腕力では到底勝ち目はない。そしてそれを契機に脅迫は、さらにエスカレートしていくだろう。星斗の時のように、教師の目をかいくぐり、証拠が残らない暴力を行使するはずだ。しかも相手は二人。下手をすると、敵が増える可能性だってある。
まさに八方塞りの状態だ。そして、あのアダルトゲームのこともある。あれは必ず取り返したかった。あれは垂涎の品だ。絶対に失うわけにはいかない。
夕食が始まっても、良い解決策が見出せず、箸は進まなかった。ご飯を半分ほど残し、席を立とうとする。
リコが口を開いた。
「祐真、何かあったの? 様子がおかしいよ」
「何もないよ」
「そんなはずはない。帰ってきてから、ずっと変だよ。口数も少ないし」
察していたようだ。だが。
「元々お前とはあまり喋らないだろ」
「ううん。違うね。もっと喋ってた。一言二言は」
「そんなに変わらないじゃねーか。……だから、なんでもないって」
その場を離れようとした祐真に対し、リコは、テーブルの上へ身を乗り出し、心底心配した声で、言葉をぶつける。
「嘘をつかないで。いいから話してみて。僕は祐真の力になりたい」
リコは切れ長の目を、真っ直ぐこちらに向けていた。真剣な眼差し。そこには真摯な気持ちがあった。
祐真は、リコの気迫に押され、もう一度座る。解決の糸口を掴めるとは思えないが、話だけなら問題はないかもしれない。
祐真は、リコに、事のあらましを語ることにした。
祐真の話を聞き終えるな否や、リコは震えんばかりに激怒した。
振り絞るような声で言う。
「許せない。僕の祐真に、そんな仕打ち」
「なんでお前のものなんだよ」
リコは、祐真の突っ込みには答えず、決心した表情をした。
「祐真、僕がそいつらを殺すよ」
突然の物騒な提案に、祐真は面食らう。あんな連中、死んでも構わないが、その場合、色々問題が起きる。そもそも家事しかできないこいつが、どうやってあの二人を殺すというのだろう。包丁でも使うのか。
「どうやるつもりだ? お前がヤンキー二人、殺せるのか? できたとしても、警察に捕まるぞ」
リコは、自信満面になった。
「そこは大丈夫。僕、魔術が使えるから」
「魔術?」
「そう」
リコは首肯した。本気で言っているようだ。
魔術がどんなものかは、何となくはわかっている。ゲームやアニメなどでお馴染みだ。こいつはそれを使えるのか。考えてみれば、不可思議な世界から現れた不可思議な存在だ。そのくらい使えても、おかしくはないかもしれない。
それにアネスの言動を祐真は思い出す。彼は『一時隔離』だとか何とか言っていた。確かに、あの時、夜中にあれほど騒いだにもかかわらず、薄い壁で仕切られているに過ぎない近隣の部屋から、何のアクションもなかったのは不思議だった。
もしかすると、彼も魔術を用い、何かしらの対処をしていたのかもしれない。そして、そうならば、リコも魔術を使えても不自然ではないだろう。
「僕が魔術を使って、完全犯罪でそいつらを殺すよ」
リコは自身の胸を叩いて言った。
「だけど……」
祐真の頭の中に、以前リコが語った『ペナルティ』の文字が渦を巻いていた。
こいつを召喚したことが他者に発覚したら捕縛部隊が押し寄せ『向こうの世界』へ連行される。そして、インキュバスから。陵辱の限りを尽くされる人生を送ることになる――。
それは、ヤンキーに脅迫されたり、警察に捕まるより、恐ろしいことのように思えた。
リコの言う魔術がどれほどの信頼性を持っているのかわからないが、リスクが大きい気がする。そもそもどんな手段を取ろうとも、こいつが出張る以上、発覚の危険は増大するのだ。
祐真はかぶりを振った。
「やっぱ駄目だ。別の方法を考えよう」
祐真の言葉に、リコはしばらく考える仕草をした。
そして言う。
「じゃあ祐真が撃退しちゃいなよ」
「え?」
祐真はリコの顔を見つめる。
リコは、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「いい方法があるよ」