サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
シシーは夢を見ていた。
人間の住む世界ではなく、かつて、自分が人ならざるモノが住む世界で生活していた頃の夢。
それは、まだ幼い時のものだ。人間でいうと、小学校低学年くらい。当時、シシーは学校に通っていた。
その学校は、淫魔だけではなく、妖魔や悪魔、果てや人間の魔術士などの他種族が共に通う、ナショナリズム的な側面が強い学校であった。
多種族が入り混じる学校生活において、種族間トラブルは、息をするくらい至極当然の出来事だ。相性の悪い種族などは、区分措置などの考慮はあるものの、むろん、限度があった。
時折、他種族同士の暴行、あるいは殺し合いに発展する場合もあった。
とはいえ、その中でも、淫魔種に対する扱いは悪いものではなかった。なにせ、絶世の美貌を誇る種族である。しかも、天性の色情狂でもあった。種族は違えど、サキュバス、インキュバス共に、大勢の者が自然と虜になっていた。
それは同性愛者だろうと見境がなく、まさに入れ食い状態である。
幼いとはいえ、性を謳歌するシシー。何人もの生徒と性交を行い、瑞々しい精を吸い続けた。
シシーにとって、学校は楽園だった。
ただし、唯一、例外として自身に惹かれない種族がいた。それは、同種族であるインキュバス種である。
当たり前といえば当たり前だ。淫魔は他者の精を吸う存在。淫魔同士惹かれ合うことは、根源的な部分であり得ないことだ。
特に、自身の性質と正反対のインキュバス――同性が性愛対象であるゲイのインキュバス――に対しては、互いに水と油のごとく、一切合切、魅惑されることはなかった。
ゆえに、と言っていいだろう。ある意味、ゲイのインキュバスは、魅了を武器にするサキュバスにとって(互いに)天敵とも言える存在なのだ。
今はもう名前も忘れたが、一人のインキュバスがいた。そいつはゲイで、手当たり次第に男を漁ってる人物だった。美貌も芸術品のように美しく、淫魔の中でも群を抜いていた。
シシーはそいつが気に食わなかった。シシー自体、サキュバスの中でも上位クラスの容姿を誇っており、他の淫魔より多く生徒を『食べる』ことができていた。
しかし、そいつのせいでシシーの『取り分』が減る実情があったのだ。女のシシーよりもゲイのインキュバスにほだされ、シシーの元から離れていく男も少なくなかった。
シシーはいつしか、そのインキュバスに恨みを抱くようになっていた。
とはいっても、美貌や魅力では到底勝ち目はなく、相手のほうが魔力が多いため、戦闘でも敗北は濃厚だった。もしもこれが他種族ならば、相性などで覆せる部分があるかもしれないが、同種族の淫魔同士の問題だ。魔力や淫魔としての資質の差が、そのまま雌雄を決する根幹となる。ゆえに、どのような方法を用いようと、シシーにとって、そのインキュバスを越えることは到底不可能といえた。
着実に積もっていく憎悪と恨み。やがて、それらは汚濁として入り混じり、黒い渦となってシシーの胸の内を満たした。
シシーは不倶戴天の敵に対し、一計を案じることにした。元より、到底勝ち目のない相手である。取れる手段は限られる。むしろほとんどないだろう。しかし、それでもシシーは模索した。そこには、サキュバスとしてのプライドがあったのかもしれない。
やがて浮かび上がる名案。当時、そのインキュバスには、特に入れあげている相手がいた。人間で、今は詳しくは覚えていないが、魔術士だが妖術士の男子生徒だった。
シシーからしてみれば、その男子生徒のどこが魅力的か理解できなかった。容貌は地味で、身長も特に高いわけではない。性格も暗かった。サキュバスのみならず、大抵の種族の女からも惚れられることはない弱い男だろう。
しかし、不思議なことに、その男子生徒はゲイのインキュバスからは、すこぶる人気だった。シシーが把握しているだけでも、学園内にいるゲイのインキュバスの大半が、彼に惹かれた末、告白しているようだ。
特に妙な点が、その男子生徒はゲイではないことだ。
おそらく、彼は異性愛者だっただろう。しかし、それを一番魅力的なインキュバスが、相手にされないにも関わらず、アタックを続けているというおかしな構図が生まれていた。
シシーはそこをアキレス腱と見做し、目を付けた。
シシーは行動に移す。その男子生徒がゲイだろうが、異性愛者だろうが、男なら自身のサキュバスとしての魅了が通じると予測して。
実際、シシーの姦計は功を奏した。男子生徒は手篭めされた。
――かと思われた。
しかし――。
シシーははっと目を開けた。コンクリートに似た無機質な天井が、視界一面に広がっている。
『虚構空間』。
自身が作り出した空間に、現在自分がいることをシシーは思い出した。と同時に、その空間がハッキングされ、管理下から離れてしまったことも動画のコマ送りのように思い出す。
シシーは体を動かそうとした。途端、電撃のような激痛が腹を中心に、全身へと広がった。
おそらく、リコから強烈なボディブローを食らったようだ。そして、相当離れたところまで吹き飛んだらしい。
「シシー!」
清春が駆け寄ってくる。どうやら気絶したのはほとんど一瞬で、攻撃を受けてからさほど時間は経過していないようだ。
「大丈夫か?」
清春が、凛々しい顔を不安そうに歪め、のぞき込んでくる。
清春に心配をかけさせてはいけない。
シシーは無理に笑顔を作り、体を起こした。腹部が裂けそうな痛みが走るが、何とか我慢する。どうやら致命傷までは至っていないらしい。
「おい……」
清春は心配そうに声をかけてくる。シシーはにこやかに笑みを浮かべた。
「大丈夫。なんともないわ」
シシーは視線を前方に向けた。リコのそばに、祐真が立っている。祐真は完全に我に返っており、緊張した面持でこちらを見つめていた。
サキュバスの魅了を自力で解除した『あり得ない』彼は、無事、インキュバスの元に戻ったようだ。
それはつまり、もう召喚主を人質に取る作戦が使えないことを意味していた。すなわち、掛け値なしに、こちらの敗北が確定してしまうのだ。
シシーは唇を噛んだ。この空間はハッキングされ、解除できない。脱出は容易ではないだろう。もうこちらは蹂躙される未来しかなかった。
その時、リコが祐真を残し、こちらへと向かって歩き出した。余裕綽々の面構え。すでに勝ちを確信していることが透けて見えた。
リコはある程度近づくと、口を開く。
「この部屋に入る前から、君の行動はあらかた予想がついた。祐真に魅了をかけることも。だから、予め、祐真の唇にプロテクトを仕込んでたんだけど、まさか手の甲にキスするとはね」
背後で置き去りにされている祐真が、自身の唇に手を触れた姿が見えた。多分、ここに入る前に、リコから唇に触られたかどうかしたのだろう。その時、魔術をかけられたのだ。こちらが察知できないくらいの、微細な力で。
もしも、ダイレクトに祐真の唇をシシーが奪っていたら、その時点で勝負はついていたのだ。おそらく、その魔術はカウンターの性質を持っていたはずだから。
キスは防ぎつつ、こちらを仕留める算段だったのだろう。しかも、全く悟られないよう完璧に隠蔽して。
リコは言葉を続ける。
「別にプロテクトを見破っていたわけではないんだろ? どうして唇を狙わなかったんだい?」
シシーは視線をリコに戻し、顎を引いて怯む。寒いところにいる時のように、歯が鳴った。
理由は祐真が好みではないからだが、今それを言っても無駄だ。下手をすると、こいつの機嫌を損ねる可能性すらある。このインキュバスは、恋愛の好みも、シシーの価値観とは大きく離れているのだから。
脳裏に、かつての記憶――先ほどみていた夢――の映像が、動画の早送りで流れる。
光が明滅した。はっとする。この二人はあの時のゲイのインキュバスと、男子生徒の……。
シシーは口を開いた。
「私、前に多種族が入り混じる大きな学校に通ってたことがあって……」
思わず、言わないではいられなかった。
「その学校に、ある男子生徒がいたわ。その男子生徒に惚れているゲイのインキュバスもいて……」
突如、語り始めたシシーに対し、清春が訝しげな顔をみせる。
「シシー、何言ってんだ?」
困惑しているようだ。当然だろう。今はそれどころではないからだ。生き死にの瀬戸際である。
しかし、それでもなお、シシーの語りは止まらなかった。
「その男子生徒はゲイではなかったわ。一方、惚れているインキュバスは、淫魔の中でも群を抜いて美しく、能力もずば抜けていた」
偽物の空間内に、自身の声が響く。歌姫のような美声、と前に清春に褒められたことがあるが、今や恐怖と緊張で枯れかけていた。
今、聴客は気絶しているユーリーをのぞき、三人。リコと祐真も、何事かと黙って聞いていた。
「私はそのインキュバスが気に食わなかった。だから自らのサキュバスとしての能力を使って、男子生徒を篭絡しようとした。けれど……」
そう。問題はそれからなのだ。目論見通り、彼を手中に収めたあと――。
「あの時、私の策は上手くいったわ。でもその男子生徒は……」
「それまでだ。シシー」
リコが、シシーの話を制止した。切りつけるような口調に、シシーはとっさに口をつぐむ。
「少しお喋りが過ぎたね。お転婆なサキュバスさん」
リコは警告を発する。有無を言わせない圧力があった。シシーはそれ以上言葉を発せられず、無言になる。
リコは、一歩、こちらに近づいた。
「君の過去の話はさておき、一ついいかい?」
さらにリコは一歩近づく。シシーの胸の内に、湧き水のごとく恐怖が生まれた。
シシーの胸の内を察しているのか、はたまた頓着すらしていないのか、リコは平然としたまま、言葉を発する。
「サキュバスが出てくる展開は意外だったけど、別に誰かから指示を受けたわけではないんだろ?」
リコの質問の意味がわからなかった。私がこの世界に顕在化したのは、清春が召喚したためだ。それは、この男も知っているはず。
シシーは理解できないまでも、曖昧に頷いて返す。
リコは満足そうに笑みを浮かべた。
「よかったよ。じゃあ遠慮なく事を進められるね」
リコは人差し指を立てたあと、言葉を続ける。
それは、身の毛もよだつような、ぞっとする冷たさが込められているものだった。
「君が祐真の唇を狙わなかった理由はわからないけど、キスしたのは許せない。例え、手の甲だとしてもね。僕だって祐真にキスしたことないんだから」
リコは心底、悔しそうな表情を浮かべた。背後にいる祐真も、複雑な顔付きになっている。リコの誘惑に日々、苦労している様が見て取れた。とはいえ、そもそも、召喚した淫魔からの誘惑を拒否すること事態、有りないのだが。
シシーが無言のままでいると、リコは手を銃の形に形作り、こちらに向けながら言った。
「だから、これから君たちに『おしおき』をするね。この空間は僕の物になったし、祐真をこれ以上、危険な目にあわせたくないから」
シシーは唾を飲み込んだ。まずい。リコは本気でこちらを殺す気だ。ぜめて清春の安全だけは確保しなきゃ。でも、どうやって……。
すると、シシーの前に、清春が立ち塞がった。リコが向けている指先と視線を、遮断するかのように。
「さっきからオメー、偉そうな口きいてんな。調子に乗ってんじゃねーぞ」
清春は激昂していた。背中だけでも、怒りに打ち震えている様子が伝わってくる。まるで虎だ。やっぱり、清春はものすごくカッコいい。これがまさに私の召喚主。
清春は懐からある物を取り出した。伸縮式のナイフだ。清春は、ボタンを押して刃を伸ばす。
今、清春が手にしているナイフは、清春自前のものだ。ゆえに、虚構空間の影響を受けない。
しかし、リコに通じるとは到底思えなかった。こいつは化け物だ。現代の重火器も意に介さないだろう。
けれども……。
シシーは足を踏み出し、清春の隣に並んだ。それから、両手に魔力を集中させる。
「シシー、お前……」
清春が驚いた顔をした。
「清春。死ぬ時は一緒だからね」
両手の魔力は、すでに燃え盛る炎のように漲っていた。隣に清春がいることと、覚悟をしたことで、一瞬、勝てそうな気さえしてくる。
「俺は死ぬ気はないからな」
清春は自信満面に豪語した。彼ははじめから、勝つ気でいたようだ。強力なインキュバスを前に。
清春はそういう男だ。私を召喚したのだから、当然だろう。
シシーは静かに息を吐いた。リコに視線を戻す。
リコは冷たい笑みを形作った。