サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました   作:佐久間 譲司

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第七十三章 奇妙な謎

 準一級の魔具である『鶴首の鎌』を振りながら、影山沙希は強い違和感を覚えていた。

 

 今のところ、リコと呼ばれたこの淫魔との戦いは有利に進んでいる。充分な手応えがあった。むしろ、ほぼ一方的と言っても過言ではない。

 

 しかし、妙だった。この程度の淫魔に花蓮が遅れを取るとは思えなかった。彼女も一線級の退魔士なのだ。もしかすると、相手は何かしら汚い手を使ったのかもしれない、と邪推さえしてしまう。

 

 そう思う反面、この淫魔との戦闘に対し、沙希はどこか空虚な感覚を覚えていた。幻影と戦っているような、薄っぺらさ。虚偽の強さ。

 

 リコと対峙した際、確かに強い魔力と戦闘能力を感じ取った。戦いになったら、苦戦は必至だろうと。先ほどのボディブローも効いていた。勝負服がなかったら危なかっただろう。

 

 だが、その強さがあるにもかかわらず、実戦での実力に差異があるのだ。

 

 沙希は、リコへ攻撃を仕掛けながら、もう一つ、疑問を抱いていた。

 

 この神社に着いた時、抱き付いた祐真から『肌』を通して得た情報。

 

 召喚主の祐真は、淫魔から一切、精を吸われていないのだ。

 

 喜屋高校に潜入した当初、召喚主の存在はすぐに突き止められると考えていた。通常、召喚主は淫魔に精を吸われる。退魔士である自分なら、その痕跡から対象を見極めることは充分可能であった。

 

 しかし、楽観視から一転、困難を極めてしまう。なぜなら、精を吸われた痕跡がある者が、一人も発見できなかったためだ。

 

 かといって、美帆の情報により、喜屋高校に、召喚主がいることは疑いようがない事実だ。彼女の情報は正確無比。魔術師の特殊捜査部門よりも上を行くのだから。

 

 それにより、淫魔探索が後手後手に回ることになった。

 

 もしも、祐真が淫魔と召喚主との本来の関係どおり、精を吸われていたら、すぐにでも淫魔討伐への道を歩み始めていたことだろうが……。

 

 結局、策を弄してようやく羽月祐真が召喚主と突き止めたものの、遅れを取ったせいで、罠にはめられる結果となってしまった。

 

 しかし、ここまではいい。標的の淫魔と対峙する結末は変わらないからだ。

 

 大きな疑問がある。羽月祐真の特異性――。

 

 淫魔から精を吸われていない召喚主。通常の、召喚主と淫魔の関係において、そんな事実があり得るのだろうか。

 

 淫魔は性欲にまみれた汚らわしい存在だ。召喚主との性交は、当然のごとく行われる。なのに、性交をしない召喚主と淫魔が存在するなど、前代未聞である。

 

 それに、羽月祐真がインキュバスを召喚している点も妙だった。性的対象が同性の場合、同じく同性の淫魔が召喚されることは知っている。

 

 だが、教室で共に過ごし、また先ほどの接触により、得た情報から羽月祐真が同性愛者でないことは否定できた。

 

 それなのに、なぜインキュバスが召喚されてしまっているのだろう。

 

 沙希は混乱を極めた。理解が及ばない事象とは、このことかと思う。

 

 色々な物を鍋にぶち込み、煮えたぎらせたような、混沌とした状況。何が何やら、わけがわからない。私は一体、何と戦っているのか。

 

 ならば、私ができることは一つだ。この眼前の薄汚い存在を駆除すること。その一点のみ。そうすれば、色々と面倒な事象など無視できる。

 

 淫魔の排除こそが、我々の本願なのだから。

 

 沙希は、大鎌を振り上げた。

 

 

 二人の戦いの行く末を見守っていた祐真は、その時、あっと声を出しそうになった。

 

 ひたすら一方的にリコを攻撃し、周囲を血の海にしていた沙希。その沙希が、渾身の一撃とばかりに大鎌を振りかぶった時である。

 

 防戦一方だったリコは、はじめて大きな動きをみせた。

 

 リコは腕を振るったのだ。その直後、巻き起こる突風。鎌を振り上げていた沙希は、木の葉のように吹き飛ばされた。それから後方にあった大木に、背中から衝突する。

 

 沙希は鎌を持ったまま、その場にゆっくりと崩れ落ちた。

 

 これにて沙希は昏倒。一件落着――とは当然ならず、沙希はジャブを食らった程度のボクサーのごとく、悠然と立ち上がった。

 

 それを見ていたリコは、指揮者のように指を振る。リコの周囲に人の背丈ほどもある巨大な剣が出現した。どこかで見覚えがあると思ったら、シシーが作り出した『虚構武器』に酷似していた。

 

 おそらく魔力で作り上げた武器なのだろう。大剣は、意思を持ったように、沙希へと襲い掛かった。シシーとの戦いでみせた時のように、勇猛に相手へ損傷を与えると思われた。

 

 しかし、沙希を切り裂く寸前だった大検は、沙希の厳然にて、彼女が振った鎌によって、あっさりと消し飛んだ。

 

 同時に、突風のようなものが生じ、リコの右腕を切り飛ばした。おもちゃのように、血飛沫と共に宙を舞う腕。

 

 「リコ!」

 

 祐真は愕然とする。なんてことだ。リコが殺されてしまう

 沙希がこれほど強いとは思わなかった。信じられない。リコは、これまでずっと敵を余裕で倒してきたじゃないか。

 

 祐真は、胸が張り裂けそうな思いにとらわれていた。

 

 

 右腕を切り飛ばされ、方膝を突いているインキュバスを見下ろしながら、沙希は一つの確信を得ていた。

 

 インキュバスの攻撃をいくつか食らってわかった事実。『肌』が察知した情報。自分だからこそ把握できたインキュバスと奇妙な少年の背景。

 

 間違いなかった。このインキュバスは『絶食』状態なのだ。

 

 召喚主である祐真に、吸精された痕跡がないことに疑問を覚えていたが、そのものズバリ、単純に『食べていない』状態なのである。召喚主以外の人間の精を吸うこともなく、ただただ無補給なだけ。

 

 理由はわからない。だが、精を得ていないということは、人間で言うと全く食料を摂取していないも同然の状態である。

 

 本来ならとうに死んでいるはずだが、魔力をエネルギーに変換することで、生き永らえているのだ。その消費量は加速度的に増えていると思われた。

 

 不可思議だが、それが結論となる。つまり、弱体化し続けている状態であり、このインキュバスは、以前はもっと膨大な魔力を保持していたことになる。花蓮と戦った時は、今よりも遥かに強かったに違いない。

 

 精を吸われた痕跡のない召喚主。膨大な魔力を誇っていたインキュバス。減り続ける魔力。違和感の正体が判明された。底にあったカラクリが、溶けた氷壁のように露出された瞬間である。

 

 沙希はインキュバスを見下ろしたまま、ほくそ笑む。

 

 カラクリを知った今、もはやこいつを殺すことは容易ではないか。いわば、このインキュバスは飢え死に寸前の遭難者。すでに戦う前から瀕死なのだ。

 

 沙希は、インキュバスの元まで近づくと『鶴首の鎌』を振り上げた。腕の傷も痛むだろう。ここで止めを刺してやる。

 

 沙希は鎌を振り下ろした。狙いは首。一撃で跳ね飛ばしてやる。花蓮の仇と、『推進派』への手土産として、スイカのようにして持ち帰るのだ。

 

 触れれば対象を確実に両断する『鶴首の鎌』が、インキュバスの首を捉えたかに思えた。

 

 その時である。背中に強い衝撃が走った。『勝負服』を着ているにもかかわらず、背骨に硬い物体が食い込む感覚が沙希を襲った。

 

 沙希は思わずうめき声を上げた。痛い。とてつもない激痛だ。

 

 沙希はとっさに背後に向けて鎌を振り、前方に転がるようにして距離を取った。

 

 それまで自身がいた場所を確認する。そこにあったのは、自身がたった今、切り落としたばかりのインキュバスの『右腕』だった。

 

 沙希は悟った。インキュバスの『右腕』が、まるで意思を持った生き物のように動き、こちらの背中に襲い掛かったのだ。正拳突きをするように、固く拳を握り締めて。

 

 どうやら、最後の悪あがきとして、己の右腕を操作してカウンターを狙ったらしい。

 

 沙希は自分の体の具合を確かめた。ダメージはあるが、致命傷ではない。立てるし、動ける。まだ充分戦える状態だ。つまり、インキュバスのカウンターは失敗したのだ。

 

 そして、相手は――。

 

 沙希ははっとする。先ほどまで、肩膝を突き、止めを刺される寸前だったインキュバスが立ち上がっていた。表情は余裕そのもの。片腕が失われているにもかかわらず、瀕死のはずのインキュバスは、平然としていたのだ。

 

 「な……」

 

 それから起こる、驚愕の事実。インキュバスは目の前に落ちている自分の腕を拾い上げると、先が消失している右肩に押し当てたのだ。

 

 プラモデルのように、ぴたりとくっ付く右腕。

 

 何事もなかったかのように、インキュバスは右腕を動かした。沙希は唖然としたまま、インキュバスの行動を眺めていた。

 

 インキュバスは口を開く。

 

 「君の出方をうかがっていたけど、なるほど。強いね。後手に回ると厄介だから、もう決着着けようか。他の『推進派』のメンバーもいるだろうし」

 

 傷だらけのインキュバスは、意味深なことを呟く。沙希は眉根を寄せた。

 

 何を言っているのだろう。ただの妄言か。しかし、いずれにしろ、不可解だ。

 

 瀕死だったはずの敵が、切断された腕をくっ付け、平然と立っている。この事実に沙希は疑問を覚えていた。

 

 眼前のインキュバスは、弱っているのは確かだ。性を吸えていない以上、起死回生は有り得ないはず。なのに、どうして立ち上がることができる?

 

 沙希は離れた所で、茫然と立ち尽くしている祐真に目を移した。彼は心底不安を感じているらしく、動揺を示すオーラを放っていることが『肌』を通して感じられた。そんな有様なので、祐真が何かをしたとは思えないが……。

 

 沙希は『鶴首の鎌』を構え、振り下ろす。斬撃が生じ、インキュバスに襲い掛かる。今の状態なら、あいつは斬撃に対処できないか、せいぜい、小動物のように死に物狂いで避けるのが関の山だろう。

 

 沙希は自信を持って、そう予想する。すでにこちらの勝ちは揺るぎない。確信があった。 

 

 しかし、次の瞬間、沙希は目を大きく見開いた。

 

 襲い掛かった斬撃は、インキュバスの体に当たるなり、まるで塵のように霧散した。体には傷一つついていない。

 

 怪訝に思った沙希は、幾度も鎌を振り下ろし、斬撃を発生させる。全てがインキュバスに襲い掛かる。

 

 だが、それらもあっけなくインキュバスの体に弾かれた。強力なはずの『鶴首の鎌』の斬撃は、どういうわけかインキュバスの体に届くことはなかったのだ。

 

 沙希は訝しむ。

 

 何が起きている? 幻覚でも見せられているのか?

 

 催眠をかけられた記憶はない。だが、目の目で起きている事実は、にわかに信じ難がった。

 

 沙希は『鶴首の鎌』を構え、一気にインキュバスに肉薄した。背後に回り込み、『鶴首の鎌』でインキュバスの胴体を狙う。

 

 何者であろうと胴体と体を分離してしまえば、生きていられる生物など存在しない。もう充分だ。さっさとインキュバスを殺して家に帰ろう。

 

 『鶴首の鎌』の歪曲した刃は、確実にインキュバスの胴体に食い込んだ。インキュバスは動かない。もうそれだけの気力がないのか。

 

 『鶴首の鎌』がインキュバスの胴体を両断すると思った次の瞬間、驚愕するべきことが起こった。

 

 硬質な音を立てて『鶴首の鎌』の刃が、真っ二つに割れたのだ。割れた先端部分が、雑木林の間から差し込む木漏れ日を反射しながら飛んでいく様が、スローモーションのようにして目に映る。

 

 やがて境内の石畳に、固い音を響かせて転がった。

 

 信じられなかった。何もかもを両断する『鶴首の鎌』が割れるとは。こいつは一体……。

 

 インキュバスはこちらに腕を伸ばした。沙希はかっと目を見開く。インキュバスの腕には強力な魔力が込められていることがわかった。

 

 この汚らわしい淫魔め。

 

 沙希は刃が半分になっている『鶴首の鎌』を再度振り、インキュバスの腕を切り落とそうとした。

 

 しかし、遅かった。刃がインキュバスの腕に届くよりも前に、沙希の体中の感覚が消え失せた。

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