サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
ぼんやりとした意識が覚醒し、次第に明瞭となっていく。体は麻痺したように鈍く、思ったように動かせない。しかし、そのことから沙希は自身が気絶していたのだと気がついた。
地面の冷たい感触が伝わってくる。どうやら倒れ込んでいるようだ。おそらく野外の土の上。
頭が霞がかっているせいで、どうして自分が気絶しているのかも、地面に倒れているのかも思い出せなかった。
聴覚も回復しつつあるようだ。かすかに、何かが聞こえた。人の声のようだ。
「……まさか演技だったなんて」
「心配かけたね……もう大丈夫……」
男二人の話し声。聞き覚えがあった。同時に、なぜか嫌悪感が湧いてくる。こいつらは『敵』だ。その上、一方は必ず排除しなければならない害獣。
意識が一気に覚醒し、全身の感覚が戻ってくる。『肌』も復活し、周囲の状況が瞬時に理解できた。
自分が神社内の地面の上に倒れていることや、離れた位置に刃が割れた『鶴首の鎌』が落ちていることを確認する。
沙希ははっと顔を上げた。二人の男がこちらを見下ろしている。羽月祐真と彼に召喚された淫魔。
「おはよう。沙希さん」
淫魔が爽やかな笑みを浮かべて、挨拶をする。まるで寝坊した友達にでも接するような風情だ。
インキュバスの腕は完全に再生しており、全身にできていた傷も、完全に消失していた。
全てを悟った沙希は、愕然とする。私は負けたんだ。おそらく、『鶴首の鎌』で切りつけようとした瞬間、重い一撃を受けたのだ。魔力を込めた腕によって。
着用している勝負服のお陰で、一命は取り留めたようだが、今の状態では、這い回るのがやっとだ。戦闘は継続不可能だろう。
しかし、なぜ淫魔はそれほどの力を出せたのか。瀕死であったはずだし、弱体化しているのも事実であったはずだ。
「どうして……」
沙希がインキュバスの顔を見上げながら、疑問をぶつけた。お前は、一体なんなんだ。
インキュバスは答える。
「君が気絶している間に祐真にも説明したけど、君の出方をうかがっていたんだよ。つまり、本気じゃなかったのさ。退魔士の連中は何をしてくるかわからないからね」
インキュバスは飄々と答えるが、沙希は信じなかった。
嘘だ、と沙希は思う。『肌』が真実を捉えていた。このインキュバスは嘘をついていると。
精を吸えていない以上、弱体化しているのは間違いない。それに戦闘中に感じた『違和感』。
つまり、この淫魔は……。
「びっくりしたよ。リコが負けていたからさ。演技だと知って安心したよ」
羽月祐真が、ほっとした顔で呟く。祐真はインキュバスの主張を鵜呑みにしているようだ。何も知らない、能天気な召喚主。淫魔を召喚しておきながら、精を吸われていない奇想天外な存在。
沙希は地面に倒れたまま、ふっと笑みを浮かべた。もうすでに決着は着いている。こちらの負けは確かだろう。まだ『切り札』はあるとはいえ、このままでは終われない。
この汚らわしい連中に、少しでも痛手を負わせたかった。
沙希は口を開く。
「ねえ、祐真君。良いこと教えてあげる」
「良いこと?」
祐真は怪訝な表情をみせた。
「ええ。あなたの淫魔について」
沙希がそこまで発した時、祐真の隣にいたインキュバスが、声を上げた。
「影山沙希。そこまでだよ。発言は認めない」
インキュバスは、威圧するように、魔力を全身に漲らせた。
刺すようなオーラに、沙希は心底震え上がるが、構うことはない。殺されようとも、薄汚い淫魔に一矢報いてやる。
沙希はインキュバスを無視し、続けた。
「祐真君、あなた召喚した自分の淫魔に、精を与えていないでしょ? セックスはおろか、キスもしていないはず」
沙希の指摘に、祐真は困惑した顔になる。反応から、事実であることを告白したも同然であった。
「淫魔はね、人間の精を吸わないと生きていけないの。あなたの淫魔は誰からも精を吸っていない。だから、弱っていく一方なの。今では万全状態と比較して、瀕死も同然」
「それ以上の発言は許さないよ」
インキュバスが、鋭く言い、こちらに手を伸ばしてくる。おそらく黙らせるために、再度意識を失わせる一撃をを与えようという魂胆なのだろう。
沙希はこの隙を逃さなかった。最後の切り札。
沙希はインキュバスの攻撃を受ける前に、倒れた状態で手を掲げた。目指す先は石畳に落ちている『鶴首の鎌』。
『鶴首の鎌』は、まるで意思を持ったように独りでに浮かび上がった。それから、こちらに向かって勢いよく飛んでくる。
すなわち、インキュバスに向かって――。
飛来物の接近に気がついたインキュバスだったが、すでに遅かった。振り返ると同時に、『鶴首の鎌』はインキュバスに直撃する。衝撃により、土埃がひどく舞い上がった。
周囲が土埃により、覆い隠される。双方、姿が見えなくなった。
沙希は祐真がいた方向に対し、声をかける。
「そのインキュバスはあなたに嘘をついている。そのインキュバスは決して、手加減をしていたわけじゃない。逆転できたのは、命を削って、魔力に変換しただけ。つまり、死にかけなのに変わりはないわ」
そう。最後に遅れを取ったが、何のことはない。飄々としているが、このインキュバスは力を振り絞り、『奥の手』を使ったに過ぎないのだ。死に体そのもの。
インキュバスにとっては幸いにも、功を奏し、沙希を昏倒たらしめたが、充分勝てる存在なのだ。万全の『退魔士』さえいれば。
他の『推進派』のメンバーが加われば、あとは労せずに仕留めることが可能だろう。
「祐真君。最後に教えてあげる。あなたが召喚した淫魔は、他にもあなたに色々と隠し事をしているわ。充分、気をつけてね」
沙希は明るくそう言い、足を動かした。
影山沙希の言葉を聞き、祐真は唖然としていた。
彼女が言っていたことは事実なのだろうか。リコが死にかけ? 負けていたのは出方をうかがう演技ではなく、本当に弱っていたから?
しかも、リコは俺に色々と隠していることがあるとも言っていた。敵の言い分を鵜呑みにするのは間違っているが、それでも嘘や陽動などの意図があるようには感じられなかった。
一度は惚れた相手だ。彼女は事実を語っているように見えた。
土埃が晴れ、視界が元に戻る。先ほどまで目の前に倒れていた沙希の姿は、綺麗に消え失せていた。沙希も重傷を負っていたはずだが、最後の力を出し尽し、何と逃げたのだろう。
リコの姿を確認する。リコは、沙希が戦闘で使っていた黒い鎌を手で掴んでいた。飛来した際、胴体に突き刺さる寸前で受け止めたのだろう。手から血が滴り落ちている。
「リコ、大丈夫?」
祐真は心配になって声をかける。リコがひどく苦しそうに見えたからだ。
リコは、明るく笑顔を浮かべ、掴んでいた鎌を地面へ捨てた。
「大丈夫さ。言っただろ? このくらい屁でもないって」
祐真は、リコの様子をうかがう。普段通り、飄々としている。弱っているようには見えない。
だが、リコの直近の行動を考えると、沙希の言葉も信憑性を帯びる気がした。
リコは、シシーなどの強敵と戦ったあと、疲弊した様子をみせていたのだ。体調が悪そうな時もあった。完全無欠のはずのインキュバスにとって、それらは有り得ない現象だったが、沙希が示したように『弱体化』しつつあるのならば、当然の成り行きと言えた。
祐真は、単刀直入に訊く。
「リコ。影山さんが言っていたこと、本当なの? 正直に答えて」
祐真は、真剣な眼差しをリコに向けた。嘘や誤魔化しが行われないよう、言葉に力を込めた。リコなら、ちゃんと受け取ってくれるはず。
リコは、一瞬だけ、俯いたが、やがて口を開いた。