サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
影山沙希は、林の中を息を荒げながら這いずっていた。
インキュバスの隙を突き、何とか逃げおおせたものの、立ち上がることすら不可能な状態だ。せいぜい、芋虫のように這い回るのがやっとである。
ちくしょう。あの淫魔め。必ず殺してやる。
沙希は、地面を這いながら、心の中で誓う。あの薄汚い淫魔を、自身を追い詰めた召喚主を、地獄に叩き落してやると。
汚物よりも劣る淫魔を前に、痛手を負わされた挙句、無様に逃げ出す事態など本来あってはならないのだ。
淫魔に負けたという事実が、沙希に身を悶えさせるような屈辱と、羞恥を与えていた。この感情は、淫魔を殺すまで続くだろう。
あいつは弱体化しつつある。万全に状態を整えれば、今度こそ刺せるはずだ。
沙希は、自分が淫魔の首を刎ねている光景を想像し、ほくそ笑んだ。さぞかし爽快だろう。下劣な悪魔を駆除する瞬間を迎えるのは。
沙希が跳ねた淫魔の首に、唾を吐いた夢想をした時だった。目の前に影が差した。
ふと顔を上げると、眼前に人が立っていた。知っている顔だ。
「美帆ちゃん」
眼前の人物は、沙希と志を同じとする『推進派』メンバーの一人である磯部美帆だった。沙希同様、退魔士でもある。
「情けない姿ね。影山沙希」
美帆はせせら笑う。生意気そうな切れ長の目が、沙希を見下ろしていた。
「……美帆ちゃん、次は一緒に淫魔を倒しましょう」
二人がかりならば、今度こそ確実にあの淫魔を仕留めることができるだろう。首を刎ね、顔にクソを塗りつけてやる。屈辱を晴らすのだ。
沙希は続けた。自分が戦闘で得た情報を、美帆に伝えようとする。
「あの淫魔はね、美帆ちゃん――」
「知っているわ。離れた場所から『聞いていた』から」
美帆はさらりと答えた。なぜか、美帆から氷のような冷たい感覚が伝わってくる。沙希の『肌』が、不穏な気配を察知していた。
「美帆ちゃん、どうしたの?」
なぜ美帆は、これほどまで冷淡なのか。何か目論見でも……。
「ねえ、沙希」
美帆の質問を無視し、美帆は語りかける。仲間なのに、他人へ話すような無機質な響きがあった。
沙希は言葉を続ける。
「前からあなたには心底うんざりしていたわ。おどおどしている性格や、そのくせ派手な体型が気に食わなかったのよ」
美帆は、まるで親に不満をぶつける反抗期の娘のごとく、沙希へ非難を行った。
「ど、どうしたの? 美帆ちゃん」
沙希が困惑していると、美帆は核心へ触れた。
「だからね、沙希。私はあなたを殺すことに決めたわ」
「え……?」
沙希は耳を疑う。美帆は本気で言っているのだろうか。
「美帆ちゃん、どうして?」
沙希が訊いた時だった。美帆は背後から何かを取り出した。背中に背負っていたらしい。
それは槍だった。先端の刃が結晶のように半透明になった細めの素槍。
沙希には、見覚えがあった。その槍は、美帆の魔具だ。『鶴首の鎌』と同水準の、準一級の強力な武器。
美帆は槍の穂先を、こちらに突き付けた。沙希は美帆を見上げたまま、唖然とする。全身に鳥肌が立った。
まさか、本当に……。
沙希は逃げようとするが、全身を苛む負傷のせいで、満足に動けなかった。ここまで這ってくるので精一杯だったのだ。
「美帆ちゃん、待っ……」
そこまで言った時だった。沙希の意識は、ぷっつりと途切れた。
事切れた仲間の死体を見下ろしながら、磯部美帆はにんまりと笑った。
脳内では、インキュバスとの戦闘中、自身の耳で『聞いた』沙希の言葉が駆け巡っていた。
標的であるインキュバスは、弱体化しつつある――。今では、万全状態と比べて、相当弱っているらしい。
戦闘では、強引に命を消費することで、力を増幅し、沙希を倒したが、それすらも限度があるとのこと。つまり、あいつはもう奥の手も切り札も使えない状態なのだ。
強大な力を持つインキュバスらしいが、今では充分、人間の退魔士でも仕留めることが可能な相手である。
しかし、それでも慎重を期すべきだろう。方法は単純だ。さらに弱らせていけばいい。弱ってさらに弱って、虫けらのように脆弱になったところで、踏み潰せば万事解決だ。
私にはそれが可能とさせる『能力』がある。お膳立ても容易だろう。
インキュバスを討伐した暁には、報酬は丸々こちらのものだ。その上、あれほどの淫魔を殺したのであれば、名も上がるだろう。さらに私は上流の人間になる。私の人生に相応しい、庶民とは段違いの、高貴な立場に。
美帆は、沙希の死体を前に、魔具を持ったまま、大きく手を広げ、深呼吸を行った。
確実に達成させてみせる。いや、しなければならない。私は絶対に――絶対に、成功するべき人間なのだから。