サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
影山沙希との戦闘に勝利した翌日の朝。祐真は、普段と同じように登校を行った。
だが、心の中はさざ波立っている。まるで嵐の前の夜の海のように。
通学路を歩きながら、祐真は、昨日のリコとのやり取りのシーンを頭の中で反芻していた。
沙希から聞いた証言。それについて、祐真はリコに質問をぶつけたのだ。その際、彼は一瞬、俯いたのちに、こう答えた。
「彼女の言ったことは事実」であると。
「一体、何が起こっているの?」
さらに疑問を重ねる祐真に、リコは説明を始めた。
赤い夕日が木々の間から差し込む神社の境内で、祐真とリコは並んで立っていた。周囲は、爆撃でも起こったように、血と荒れた地面が広がっている。土煙の乾いた匂いが、鼻をついた。
そのような奇妙な空間で、さらに奇妙な二人組みは、神妙な雰囲気の元、向かい合った。
「一体、何が起こっているの?」
祐真は、リコに尋ねる。疑問に思っていた。とても強いはずのインキュバスが、時折、弱ったような様子を見せる点について。
沙希の証言が事実であるならば、リコはとんでもない状態に陥っていることになる。
「影山沙希が言ってただろ? 『精が吸えていない』って。あれは本当だよ。僕はこの世界に召喚されて以降、一度も精を吸っていないんだ」
「……」
その点は、祐真自身もある程度察知していたが……。
以前にも、横井彩香&ユーリーペアとの戦いの際、そんな話になったことがある。その時リコは言っていた。「これまで誰の精も吸っておらず、祐真以外の人間から精を吸うつもりはない」と。
そのお陰で、ユーリーたちの目を欺くことができたが、背後では深刻な事態に見舞われていたのだ。
「リコが弱っているって、本当?」
精を吸っていないことは事実として、その影響が問題だった。祐真はリコの強大な力を目の当たりにしているため、リコならば自力で解決しているのだろうと曖昧に解釈していたが、実際はどうなのか。
「ああ。本当だよ。僕は弱っている。しかも相当なレベルでね」
リコはあっさりと認めた。祐真は愕然とする。目の前の飄々としていた最強の力を持つインキュバスは、実のところ、風化して崩れ落ちる岩石のように脆弱化していたたということなのか。
これまで祐真にはっきりと気づかれなかったのは、心配かけまいとする演技を行っていたためだろう。そう思うと、いくつも心当たりが生まれる。
「……どうすれば解決できるの?」
祐真は尋ねる。しかし、頭の中ではすでに理解していた。単純な話だ。もう答えは出ているのだから。
「僕の力が元に戻るには、もちろん、男の精が必要だよ。だけど、以前言ったように、僕は祐真、君以外の精を吸うつもりはない」
やはりと思う。祐真は身構えた。リコはこちらの精を狙っているのだ。警戒心が膨れ上がる。
しかし同時に、リコのために協力したいという感情も芽生えていた。
祐真は唾を飲み込み、口を開く。
「……このままだとリコは死ぬんだよね? だったら、少しくらいは――」
そこまで言った時だった。リコは優しげに微笑むと、幼い子供を諭すように、祐真の頭をそっと撫でる。
「これも言ったよね? 君が心から僕に抱かれることを望まない限り、僕は君の精を吸うつもりはないって」
祐真は意外に思う。ここぞとばかりに祐真の精を求めてくると予想していたが、どうも違うらしい。リコは本当に、こちらの貞操を慮っているようだ。
とはいえ、それでは何も解決しないのではないか。
「でも……」
祐真が不安に思って、食い下がる。リコは胸を張る動作をした。
「大丈夫。弱っているとはいえ、まだ僕は持つよ。それに、僕の限界が訪れるよりも前に、君は僕を受け入れるようになる。それまで辛抱するさ」
以前、どこかで聞いたような言葉だが、リコは自信満々に断言した。
どうしてそこまで確信を持っているのかは謎なものの、リコの言葉を鵜呑みにするなら、今すぐ命がどうこうというわけでもなさそうだ。少しは安心していいかもしれない。
祐真は安堵から、大げさにため息をついた。
「人がせっかく心配したのに……。まあいいや。リコがそう言うなら、信じるよ」
祐真が納得した様子を見せると、リコは満足気に首肯した。木漏れ日を受けて、リコの白い肌が絹のようにきらめく。
だがしかし、まだ終わりではない。もう一つ、質問があった。気になっていたこと。
祐真は訊く。
「リコ。まだあるんだ。影山さんが言ってた『リコがいくつか嘘をついている』って話。あれも本当なの?」
祐真の質問を聞いたリコは、少しだけ悲しそうな顔をみせた――ように祐真には見えた。
どうしたのかと思って、改めて確認しようとしたが、すでにリコは呆れたように口をへの字に曲げていた。
「それこそ相手の嘘さ。かく乱させるための罠だよ」
「でも……」
「僕が君に嘘をつくわけがないだろ? 祐真が疑心暗鬼になれば相手の思う壺だ」
リコは真剣な面持ちで嗜めてくる。嘘を言っているようには見えないが……。
とはいえ、リコの意見はもっともだと思った。沙希は敵なのだ。いくら花蓮と同様、情報を得る固有能力があっても、鵜呑みにするのは危険だろう。
それに、今はそれどころではない。色々と面倒事が山積しているのだ。気にかけるべき問題点ではないだろう。
「そうだね。リコを信じるよ」
祐真は頷いた。
日も落ちかけ、薄暗くなった木々の間を、風が冷たく流れてくる。空は雲一つないので、明日は快晴だろう。
「ありがとう」
リコはそう言うと、再び祐真の肩を撫でた。リコの手からは、温もりが感じられた。