サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました 作:佐久間 譲司
あの時リコに触れられた肩を撫でながら、祐真は通学路を歩いていく。
リコは沙希の証言こそが嘘だと断言したが、実際のところはわからない。だが、もしも沙希の言い分が事実だとしたら、リコが祐真につく嘘とは何だろうと思う。
リコは常に祐真の味方だった。彩香も言っていたように、リコにとって、祐真は大切な存在なのだろう。これまでも、命がけで守ってくれていた。
そんな彼が、祐真に嘘をつくとは信じがたかった。リコが否定したように、沙希の陽動である可能性が高いと思っていいだろう。
祐真は巡らせていた思考を停止させ、周囲を見回した。
柔らかい朝日が降り注ぎ、住宅街を穏やかな雰囲気に色付けしている。祐真の他にも、登校中の生徒たちがいるが、皆静かに通学路を歩いていた。
平和な日常がそこにあった。昨日のような、常人を越えた力を持つ者同士の殺し合いや、超常現象の類の存在がまるで夢のように感じられた。
やがて瑠央は、落ち着いた景色の中、喜屋高校へと到着する。
高校の敷地内に入り、まず最初に理解したのは、昨日までとは打って変わって、異常な現象が起きていないことだ。
昨日までは、影山沙希の謀略により、学校中にカップルが溢れるというピンク一色の事態に陥っていたが、今は何の変哲もない朝の登校風景が広がっていた。
実はこれについて、祐真は事前にリコから説明を受けていた。影山沙希を撃退した結果、喜屋高校の生徒たちにかかっている魔術が解除されるのだと。
そして、おまけに魔術にかけられていた生徒たちの記憶から、今回の現象に対する内容も綺麗さっぱり消去されるらしい。魔術や退魔士の存在が発覚しないための措置であり、いくら敵でも、影山沙希のような退魔士は必ず施しているシステムだというのだ。
術は主に女性生徒に対して施されていたが、男子生徒たちも影響を受けており、その余波を受けて記憶が消失するらしい。
つまり、今日の朝から、喜屋高校には何事もなかったように、平穏な日常が戻ってくるということである。
玄関を通り、自分の教室に入ると、そのことが如実に表れていた。昨日は合コン会場のように、成立したカップルの生徒ばかりがいたが、今はそれぞれが、朝の時間を思い思いに過ぎしている景色があるのみだった。
祐真にアプローチし、別の男になびいていった川崎江実も、仲良しの女子生徒と楽しそうに会話をしていた。
祐真が席に着き、通学鞄をフックに掛けた時、綾部星斗が話しかけてくる。
「おはよう祐真。昨日の新キャラ発表観た?」
星斗は普段と変わらない口調で言う。内容はおそらく、共通してやっているソーシャルゲームについてだろう。ゲーム会社の公式動画で新キャラクターの発表があったのだ。
ちなみに祐真は観ていない。
「いや、昨日時間がなくて……」
答えながら、星斗の隣を見る。そこには誰もいなかった。昨日まで付き合っていたはずの女子生徒は、もう星斗のことなど忘れてしまったらしい。
「なんだよ。観てねーのか。だったら教えてやるよ」
隣の席に星斗は座り、昨日の夜にあったゲームの新キャラクター発表の話を始めた。星斗のほうも自分に彼女ができたことなどすでに忘却の彼方のようだ。少しだけ、可哀想に思える。
しばらく、星斗の話に付き合っていると、橋口直也も登校してくる。直也にも彼女ができていたはずだが、完全に記憶から抹消されているらしく、沙希が転校してくる前の調子のまま、会話に加わってきた。
しばらく三人で話をしているうちに、教師が教室に入ってきて、授業がSHRが始まった。
自分の席に戻っていく二人を見送りつつ、教室内を確認した。ほとんどのクラスメイトが揃う中、影山沙希の姿だけは見えなかった。
「影山さんの仕業だった?」
昼休み、祐真は彩香を屋上に呼び出し、今回の騒動の顛末を話した。
彩香は相次ぐカップル成立の事態を危惧し、昨日まで休学していたが、昨夜簡単な説明をして、復学を促したのだ。学校は安全だと教え、詳細は明日説明すると伝えて、今こうして会っている。
「うん。何でも『擬似淫魔術』とも言うべき魔術が使われていたんだって」
「擬似……? なにそれ?」
聞きなれない単語に、彩香は首を傾げる。艶やかなショートカットが、日の光を反射していた。
現在、屋上には祐真と彩香だけしかおらず、二人は、出入り口近くのフェンスのそばで話をしていた。フェンス越しに校舎が見え、一年生の教室が確認できる。
祐真たちよりもやや幼げな生徒たちが、青春を噛み締めるように、昼休みを満喫している様子が垣間見えた。
祐真は下級生たちを見下ろしながら、口を開く。
「『擬似淫魔術』。淫魔術に似た性質らしい」
祐真はリコから聞いた『擬似淫魔術』の概要を彩香に説明する。祐真自身も完全に理解したわけではないため、受け売りで話す。
一通り説明が終わったところで、彩香は納得したようにしみじみと呟く。
「なるほどねー。転校生の影山さんが退魔士だったとは。でも、その影山さんはどうしたの? 教室にいなかったけど」
今朝、沙希の姿が見えなかった点について、彩香は言及した。当たり前だが、殺し合いをした相手がいる教室に、のうのうと登校してくる人物は存在しないだろう。
しかも、沙希が欠席している事実をクラスメイトは誰一人、触れていなかった。担任教師ですら、出席確認の際、沙希への言及を失していたのだ。
つまるところ、沙希がこの学校に在籍ないしは、転校してきた事実や記録の一切が消されてしまったということである。
沙希の仕業か、別の退魔士の仕業らしい。正体を隠匿するために工作が図られたのだ。驚くべきことに、一夜にして影山沙希は喜屋高校の生徒ではなくなったのである。
あまりにも自然だったので、当初から沙希の転校が夢か幻だったのではと錯覚するほどだ。
そして肝心の、沙希の行方についてである。神社でリコから重傷を負わされたあと、沙希は隙を突いて逃げ出した。それ以降、彼女の消息は判明していない。
リコ曰く、沙希の仲間が助けたか、どこかに潜伏している可能性が高いとのこと。
「大丈夫なの? また命を狙われない?」
彩香は不安げに眉根を歪ませる、また高校で騒動が起きることを危惧しているようだ。
「リコは、大丈夫、だと言っているけど……。退魔士なんかいつでも追い返せるみたいだ」
「ふーん。さすがリコさん」
彩香は感心したように言う。
リコが弱体化している件については、まだ彩香に話すつもりはなかった。リコはいくらでも対処できると言っているし、祐真としても、完全に状況を理解できているわけではないためだ。
彩香は、フェンスにそっと指を触れ、金網をなぞりながら言葉を続けた。
「やっぱり祐真君には、リコさんが必要だよ」
「またそれか」
祐真はうんざりする。
「だってそうでしょ? 今回も助けてもらってたし……。だから、そろそろリコさんとエッチしてあげなきゃ」
唐突に発せられた下ネタに、祐真は面食らう。
腐女子である彩香は、目を爛々と輝かせていた。BL的展開を心待ちにしているのだろう。彩香にとっては、格好の『ネタ』だからだ。
祐真は、大きくため息をつく。同時に、リコの言葉が脳裏に蘇った。
リコはあの時、祐真の精を吸うつもりはないと言っていた。祐真が望まない限り、一切手は出さないと。そして、いずれ必ず、祐真はリコを受け入れる時がくると預言者のように断言していた。
本当だろうかと疑問を持つ。男を――ましてや人ならざる存在を――受け入れることが自分の身に起こり得るのか。
何はともあれ、喜屋高校の騒動は一段落した。これで安穏無事の日々が訪れるはずだ。普通の男子高校生のあるべき生活に戻れるということである。
祐真は、空を見上げた。雲一つない真っ青の空間が広がっていた。明るい太陽光が目に差し込み、祐真は何度か瞬きを行う。
一陣の風が肌を撫でる。心地よく、気分が良くなった。順風満帆の船出の時のように、勇気が溢れてくる。
何だか、このまま平和な日常が訪れそうな気がした。