海蛇   作:ムンムン

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 時は、1990年代初頭。ソマリア内戦を皮切りに、台頭した問題の一つにソマリア沖の海賊というものがあった。

 大きな影響の理由としては、ソマリアという国の位置にある。

 アフリカの東側にあり、欧州と東洋を繋ぐスエズ運河に通じる紅海の出入り口であるアデン湾に接続し、更にアラビア海やインド洋に面した国土を有している点だ。

 ソマリアの海賊たちは、世界の海運事情へと大きな脅威を齎した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星明りが疎らな夜だった。

 インド洋沖にて佇むのは、一隻の貨物船。

 錨を下ろして大海に佇むその姿は、宛ら鋼鉄の巨人のようだ。

 

 船の持ち主は、フロイド・ヘクマティアル。海運の巨人と称される大商人であり、HCLIという多国籍企業を経営する経営者でもある。

 

 そんな貨物船に、静かに近づく一隻の手漕ぎボートがあった。

 レーダーの照射範囲の外から近付き、更に木造船。レーダーに対する備えをしつつ、見通しの効かない夜という時間と月明かりの無い時分を狙った襲撃。

 

「よしっ、行け!」

 

 ボートに乗っていた男の一人に突き飛ばされるようにして、一人の少年が海へと落ちていく。

 小さな水しぶきが上がり、小さな頭が暗い水面より顔を出す。

 褐色の肌に、癖の強い黒い髪をした少年は静かに海を掻き進んでいくと船の側面へと接近。

 船の外板というものは、ツルリとした印象を受ける。

 しかし、その実細かな傷であったり、潮風に因る小さな錆であったりといった損傷とも呼べない様な部分があるというもの。

 貨物船の側面に近づいた少年は、徐にその外板へと海水を滴らせながら手を伸ばした。

 

 生まれついての孤児であった少年は、物心つく頃には路地で物乞いをするそんな生活を強いられていた。

 そんな環境の中で、彼が生きて来れたのはその異常性に因る所が大きい。

 

 彼は、力が強かった。とりわけ、指の力が。

 具体例を挙げるならば、僅かな凹みや錆といった取っ掛かりともいえない箇所があれば壁面を宛ら蜘蛛のように容易く這い上がる事が出来た。

 オマケに、体力も優れ齢5つにして空き巣のような行為にも手を染めていた。

 

 転機は、先の泥棒稼業。

 入り込んだ先で捕まり、命を助ける代わりにこうして海賊稼業に参加させられていた。

 

 まるでロッククライミング。壁として見るならば反りのある船の外板を、音も無く登攀して船の甲板の縁へと手を掛けた。

 懸垂の要領でひょっこりと顔を覗かせて周囲を確認。人影がない事を確認して、手すりを乗り越えて船へと降り立つ。

 装備は、ナイフと拳銃。

 チャンバーをチェックし、水気を落としてナイフは腰の後ろ。

 拳銃の安全装置を外して少年は静かに夜闇のなかで貨物船を進み始めた。

 目指すのは、制御室。そこに籠城してしまえば、後は外から本隊が乗り込んでくる手筈だ。

 

 だが、

 

「こんばんは、坊や」

「ッ!?」

 

 影から声を掛けられて、少年の肩が跳ねる。

 反射的に大きく跳び下がり、右手に拳銃左手に抜刀したナイフを逆手持ちした格好で声の主と相対した。

 

 声の主は、女だった。黒髪に、垂れ目がちの瞳。口にはにやけた様な不敵な笑みが浮かべられている。

 少年は、咄嗟に女装備を確認していた。

 黒い半袖のシャツに灰色のパンツのみ。拳銃か、ナイフ程度ならば装備しているかもしれないが今は完全な素手だ。

 少年を見やり、女は笑む。

 

「ふふふ……何か入り込んだと思ったけど、可愛い襲撃者ね」

「…………」

「少し遊んであげる。おいで」

 

 その言葉が合図だった。

 少年が選んだのは、()()

 明日を想う事も出来ない様な世界を生きてきた彼にとって、身体能力以上に頼ってきたのが生来持ち合わせていた勘である。

 目の前の女を視認した瞬間、少年が抱いたのは肉食動物に食われる草食動物の心地。

 サイレンサーなど付いていないために一発の発砲が夜闇を切り裂く咆哮になりかねないが、彼は躊躇いなく銃口を向けて引き金を引いた。

 二度の火薬がはぜる音と共に吐き出される鉛弾。同時にバックステップを刻んで少年はその場からの離脱を狙う。

 だが、

 

「良い動きね。訓練してる訳じゃなさそうだけど、反応も良いし」

「ッ……!」

 

 避けられた。より正確には、銃口から狙いを逆算されて引き金を引く前から動き始めていた女には弾丸が当たっていなかった。

 そのまま瞬く間に距離を詰められる。

 反射的に少年は左手のナイフを振るっていた。

 僅かな星明りに煌く刃。咄嗟の動きであっても、刃物というのは容易く人の肌を切り裂くもの。その危険性は語る必要も無い。

 

 もっとも、それは相手もナイフの達人ではない場合の話なのだが。

 

「へぇ?坊や、随分と指の力が強いね。それに合わせてか、身体能力も高め、と」

 

 振るわれたナイフは、しかしその威力を発揮する事無く前腕を握られた事で止められそのまま流れる様に少年の体は引き倒される。

 拳銃は手放され、ナイフも叩き墜とされた。

 拍手でも貰えそうな鮮やかな手並みだ。同時に、少年は己が失敗した事を理解する。

 冷たい鉄の甲板に頬を付け乍ら、大人しく彼は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真夜中の襲撃と報復。

 星明りを押しのけて煌々と赤く輝く海面には、爆沈したボロ船の残骸が浮かんでいる。

 海賊に対する対応は、苛烈であらねばならない。それが、HCLIの社訓の一つでもあった。

 余分な慈悲は、相手を増長させるだけ。一文にもならないのならば、撃滅してしまう方が周囲への牽制にも繋がるのだから。

 燃える海面を眺め、煙草を咥えた男は眉をひそめた。

 

「海賊被害も随分と広がってるな。紅海からアデン湾までじゃなかったのか?」

「ちょっと遅い情報ね。今はアラビア海にまで広がってたはずよ。この子の所属していた海賊はそこからさらに広げた範囲を活動してたみたいね」

「……なあ、チェキータよ。その坊主はどうするんだ?」

 

 半ばまで燃えた煙草を指に挟んで支援を吐き出し、レーム・ブリックはそう問うた。

 チェキータと呼ばれた黒髪の女は、常のニンマリとした笑みをそのままに自身の前に置いた少年の頭の上に己の顎を置く。

 

「んっふふ、どうしようかしらねぇ」

「…………」

「そんなに睨まないでよ。この子、可愛いし強くなると思うのよねぇ」

「はぁーーー……」

 

 少年の頬を揉みながら笑うチェキータに対して、レームは深い溜息を紫煙と一緒に吐き出した。

 彼も、そしてチェキータもプロだ。相手が女子供、老人や身障者であったとしてもソレが命令ならば躊躇なく引き金を引き、ナイフを振り抜く。

 しかし、だからといって好き好んで殺生をしたい訳でもない。

 

「…………ボスへの提言は、お前からやれよ」

「あら、社長も一緒に行きましょう?」

「勘弁してくれ」

「――――私に用事か?」

 

 響く、第三者の声。

 その場の空気が一度下がる。

 二人が振り返れば、そこに居るのは一人の白人の男だった。

 病的なまでに白い肌に、色素の感じられない白い髪。しかしその一方で、その青い瞳は何処までも強い意志と無機質な機械のような相反するモノを感じさせる。

 背丈もそれ程ではないが、人間としての異常さがまるで形を成した独特な空気を纏っていた。

 

「ふむ……」

 

 チェキータが振り返った事で、つられる様に男へと振り返る事になった少年は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。

 人間を見る目ではなかったからだ。あまりにも、無機質。

 青い瞳がジッと少年を見つめ続け、不意にズレるとレームへと向けられた。

 

「使えるようにしておけ。アレらの私兵にはちょうど良いだろう」

「あー……訓練はこっちで付けても?」

「好きにしろ。この船が目的地に着くまでが期限だ」

「了解」

 

 レームが頷くのを確認し、白人の男フロイド・ヘクマティアルは踵を返した。

 その背が完全に船内へと消えた事を確認し、レームは吸殻を海へと捨てて新しい一本を取り出し火をつける。

 

「……ふぅーーーー……死ぬかと思った。まさか、ボスが気に入るとはな」

「そうね……とりあえず、鍛えてあげないとそれも無くなるかもしれないわね」

「近接戦はお前でいいだろ。坊主、銃は使えるか?」

「……ん」

「良し。コレから、この船が港に着くまでに俺とチェキータの二人で鍛えてやる。死ぬ気で物にしろ、生き延びたいなら」

 

 言って、レームの手がぼんやりとした少年の頭を撫でた。

 大きな手だ。すっぽりと、少年の小さな頭が包まれてしまう程には。

 

 これが、始まり。世界を股にかける武器商人とそんな武器商人の私兵となった元海賊のお話である。

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