よく見る夢は二つだ。
一つは、私が屍の上で眠っている夢。
この夢を見た時、夢の中の私は決まって布団を深く被り、屍のうわごとを必死で遮る。
そしてもう一つは、私が誰かの膝に頭を乗せて眠っている夢。
この夢は好きだ。憧れの人の匂いがするから。
だが起きた時、私は決まって涙を流している。
ドン!と、防衛室長執務室のドアをミヤコが蹴破る。
大窓があるものの、曇っているからか光は差し込んでおらず部屋は暗い。
そしてその部屋の中心に、コーヒーカップを片手に持ち、窓の外を見つめている少女がいた。
「……ああ、来たのですね。先生」
少女は一切焦る様子も無く、私の方へと振り返る。
彼女の名を、不知火カヤと言う。
実際ほとんど話したこともない、クーデターを起こした悪人。
"……少し、話をしない?"
「いいのですか?私の事を拘束しなくても」
無言で頷く。
カヤの事を見つめながら、その意思を伝えた。
「……そうですか。なら、その意思を尊重しましょう。丁度私も、貴方と話したい事がありましたからね」
カヤが机に置いたコーヒーカップが、こつりと心地の良い音を響かせる。
"なんでこんな事をしたの?"
「うーん、どう答えればいいのでしょうかね……」
手を後ろで組みながら、再び窓の外を見つめるカヤ。
「……この街には多くの人々が住んでいます。獣人、機械人、そして学園の生徒……私の仕事は、彼ら彼女らが安全に生活できる様手助けするものでした」
"なのに、どうして爆破計画なんて……"
「目の前に天秤がありました。片方には少なくとも尊い純粋な市民の犠牲、そしてもう片方には……より多くの市民達の不幸。リーダーとは、多数を救う為に少数を切り捨てられる人間でなければならない」
組まれていた手に力がこもっていくのが遠目でも分かる。
「……私は悩みました。このまま何もしなければ、私は何の責任も負う必要が無い。せいぜいクロノスの野次馬達の前で頭を下げるだけでいい。ただ知らぬ間に市民が不幸になるだけ、ただそれだけの少し変わってしまったキヴォトスの日常」
"でも君は……その道を選ばなかったんだよね"
「ええ。私は自ら、少数を切り捨てる道を選びました。何度も考えましたよ、『このまま逃げ出して仕舞えば』と。ですがもう、戻れない場所まで来てしまいましたね」
"……私は"
"生徒である君達に、そんなにも重い責任を負ってほしく無い"
その言葉を聞いて、カヤの肩が一瞬だけぴくりと跳ねる。
だが私は、そのまま自分の思いを"生徒"に伝える。
"それは私達、大人が負うべき責任だよ。どれだけ立場が凄くても君達はまだ子供だから……私は君達に、普通の青春を送ってほしい"
"だから、今回の事を悪いと思っているなら、迷惑をかけてしまった友達に、一緒に謝りに行こう?"
カヤは窓の外を眺めるのをやめ、振り返って椅子に座る。
机の上で手を組み、細い目で私の方を見つめながら。
「…………先生。私は彼女、連邦生徒会長と、『責任を負う者』について、話した事がありました」
連邦生徒会長。その名前に反応し、脳裏に光景が浮かんだ。
断片的な記憶、記憶なのかも分からない朧げな光景。
『私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況』
確かあの日は、今日とは真反対の晴々とした空で。
『ですから……大事なのは経験では無く、選択』
電車の中、向かいには、血を流したボロボロの、それなのに麗しい少女が座っていた。
『責任を負うものについて、話した事がありましたね』
「彼女曰く、責任とは言葉では無く、行動なのだと。そうして初めて『責任を取った』と言えるのだと」
聞いた事がある様な無い様な言葉。
ただその時、私はその言葉を否定した気がする。
責任は罪では無いのだと、肩の荷を下ろす様な楽しい事であるべきだと言い返した。
「……あの時の私には分かりませんでしたが、今なら理解できます。大人になって漸く分かる、責任と義務。それが意味する心延も」
「ですからこれが……私なりの『行動』、責任の取り方です」
その一節を語ったカヤから、何か異様なものを感じた。
諦念、覚悟、相反する複数が合わさった様な異物感。
突然、部屋中に耳をつんざく様なアラート音が鳴った。
先ほどまで抱いていた異物感など消し飛ばす様な衝撃、それが私の身を包む。
「防衛室に備え付けられた自爆装置、それを今発動しました。5分が経てば最後、部屋内のあらゆる書類を焼き払います」
カヤはまるで状況を理解していないかの様な淡々とした口調で、ひたすらと状況を告げ続ける。
"……カヤは、どうするの?"
「私はここに残ります。そもそもこの装置は私がこの部屋ににいなければ中断されてしまいますから」
そうだ、彼女は『自爆装置』と言っていた。
その言葉が意味する対象はこの部屋では無く、カヤ自身……
「先生!早くここを離れましょう!」
ミヤコが叫ぶ。
だが私に、その声はほとんど聞こえていなかった。
"だめだ、そんな事は絶対に…!"
「ですが先生、貴方が同じ立場なら、同じ選択をするでしょう」
そんなカヤの言葉を聞いた時、本当に一瞬だけ『確かに』と思ってしまった。
しかし彼女は大人では無いのだ。責任を負うべき人間では無いのだ。
だから認めるわけにはいかない、彼女の論に共感することだけはできなかった。
「もし……少数の市民の代わりに、自分1人の犠牲を乗せるだけで天秤が平行になるのなら。貴方は喜んで自らを犠牲にするはずです」
「先生ッ!!時間が無い、早く!!」
サキに身体を掴まれ、出入り口へと無理矢理連れて行かれる。
私は必死に抵抗した。目の前の救える生徒を救おうと、全身を前に持っていこうと力を込めてもがいた。
「……先生」
掠れた視界に映ったカヤの表情は、とても穏やかだった。
まるで、既に死を受け入れている様な。
「私の親友の事、宜しくお願いします」
***
ドアを閉め、鍵を掛ける。
これで先生は巻き添えを喰らう事はないだろう、きっと大丈夫だ。
「……ふぅ」
椅子に座り体の力を抜いた。
まだやる事がある、全ての書類を焼くわけには行かない。
SRT復活の為の提案書類、防衛施設建設についての設計図。
「……あ」
書類の束に挟まった、一枚の手紙。
……連邦生徒会長からの。
何度も読み返した、もういない彼女からの一通。
これは残したくなかった。他の人に見てほしくないから。
(……最期に、もう一回読もうかな)
ゆっくりと、傷つけない様に封を開ける。
数分後にはどうせ焼け落ちる手紙だと言うのに。
『カヤちゃんへ。
おふざけはあんまり好きじゃないだろうし、真面目に書くことにするね。私さ、カヤちゃんに文句を言いたいの。だってカヤちゃんは、私の事を一度も名前で呼んでくれなかったよね。連邦生徒会長、って。何度名前を教えても、『役職で十分でしょう』とか言って、結局最期まで、名前を呼んでくれる事はなかった。
でも今思えば、カヤちゃんは恥ずかしかったのかなーって思うの。答え合わせはまたいつか、だけどね。カヤちゃんってば恥ずかしがってウツツちゃんにも塩対応だし、この前撫でられてた時も物凄く嫌がってたよね。
だからカヤちゃん。この手紙を見つけて読んだ後は、ほんの少しで良いから本心で接してあげて。カヤちゃんには今まで色んなわがままを聞いてもらったけど、これが私からの、最期のわがまま。
はい!お説教終わり!しんみりしてお別れは嫌だからね!
じゃあカヤちゃん、またね。次会う時までには、私に勝てるくらいチェス強くなっててね!
より。』
ねえウツツ、貴方に連邦生徒会長代行と呼ばれた時、胸がズキって痛くなったんですよ。
彼女の言っていたのはこう言う事だったんだって、申し訳なくなってしまったんです。
それなのに、こんなにも重い頭を下げる相手はもう居ない。
……先生、私が謝るべき相手はもうここに居ないのに、どうやって謝れば良かったんですか?
そんな気持ちは心のうちにしまっておこう。
手紙を机の上に置き、最期の仕事を始める。
遺すべき書類を秘密金庫の中にしまい、厳重に鍵を掛けた。
そしてPCを開き、その中の大切なフォルダをクラウドに保存する。
これでやるべき事は終わりだ。
後何分だろうか。
いや、もう何分も無いか。
せっかくだ、コーヒーを一杯飲もう。
ドリッパーにカップをセットし、厳選した豆から抽出したお気に入りのコーヒーを淹れた。
少し口に含む。
舌の上でブレンドされた苦味と深みが踊る。
思えばこれが唯一の楽しみだった。
仕事に忙殺されていた日常の中で、疲れを吹き飛ばしてくれる一杯。
(……これで飲み納めですか)
そう考えると悲しくなる。
だがそれ以上に肩が軽い。
やるべき事を全て終えた、至高の一杯。
そうだ、今まで仕事をしすぎたんだ。
この手の震えも、冷や汗も、ただの過労だ。
……少し休もう。
「…………疲れた」
***
走って、走って、倒れそうになりながらも走り続け、ようやく連邦生徒会に辿り着く。
先生たちの方が早く着いたか、それとも私たちの方が早いかはギャンブルだ。
今出来ることは、ウツツが足止めしてくれている事を信じる事だけ。
正面玄関を蹴破り、薄暗い廊下をひたすらに駆ける。
カヤ、私がお前にどれだけ感謝しているか。
あのままならSRTをは確実に廃校だった。
だがお前は何度もSRTの為に奔走し、足掻き、ただの兵士である私達に頭まで下げた。
お前は私達に任務をくれた、居場所をくれた、意味をくれた。
それがどれだけ嬉しい事なのか、お前には分からないだろう。
道具にとって、使われると言う事がどれほど嬉しい事なのか、埃を被る事がどれほど虚しい事なのか。
分からなくても良い。
だがせめて一度くらいは、お前の為に何かしてやりたいんだ。
仲間達を守れなかった、後輩達の居場所も守れなかった、ウツツの事すら守らなかった私に出来る事がどれだけあるのか分からないが。
それでも私は……お前の事だけは……!
「もう手遅れです!早く逃げますよ先生!」
"……ダメだ……まだ、まだカヤが……"
「いいから早く!!」
廊下の向こうから聞き覚えのある声がいくつか聞こえた。
私達はその声の正体をすぐに知る事となる。
「……月雪小隊長!」
先生は何故か、RABBIT小隊の面々に殆ど拘束の様な状態で連れられていた。
いやそれよりもだ。ここに先生とRABBIT小隊が居るという事は……
そうか、失敗か。
……だがせめてカイザー関連の書類だけは燃やし尽くす。
彼女がこれ以上汚名を着せられない様に。
「ダメです先輩!この先に行ってはいけません!」
「今更私が、その程度の静止で止まると思うのか!無理矢理にでもそこをどかして……!」
「そうじゃ無いんだ先輩!不知火カヤは、執務室を自分ごと爆破しようとしている!近づいたら先輩達まで巻き込まれるぞ!」
「……は?何を言って……」
カヤが自爆?そんなわけがないだろう。
そうだ、これは嘘だ。あり得るわけがない。
だってそんな現実を受け入れてしまったら……
……では何故先生はRABBIT小隊に抵抗している?
何か、戻らなければいけない理由があるのか?
もしカヤが自爆を計画し、それを先生の前で告白したのであれば……お人好しの先生は、カヤを助けようとするのでは無いか。
この推測に、現実性がどんどんと増してくる。
いや、だが、もしそうだとしても、今ならまだカヤは……
「……どけ、月雪小隊長」
「……嫌です。先輩達まで死なせたくありません」
「そうか……FOX4!」
月雪小隊長の額に、大口径の弾が激突する。
続けてFOX3が前線へ、FOX2がその裏から銃撃。
「行って、ユキノちゃん」
私は再び駆けていた。
執務室に、カヤのいる場所に。
何度も歩いた道だ、忘れるわけがない。
辿り着く!何が何でも彼女を助ける!
そうだ、廊下の突き当たりを左に曲がり、階段を登る。
そうして正面の通路を進み続ければ……いつもの、私達の居場所に……!
目が、耳が、じんじんと痛い。
それだけではない。足腰もだ。
額を切ったか?血が流れている。
それと……熱い。
ひりひりと焼ける様な感覚、とにかく肌が熱い。
数瞬後、ようやく状況を理解した。
私は間に合わなかったのだろう。
爆弾は目の前で起爆し、私諸共全てを吹き飛ばした。
そして私は、床に寝転がっている。
惨めに、瓦礫と共に寝転がっている。
必死に身体を起こした。
焼けた肌を地面に擦り付けながら立ち上がり、ふらふらと身体を揺らしながら、取り憑かれた様に炎に包まれた執務室の中に向かう。
さながら火に向かう虫の様に。
唯一の違いと言えば、誰かの為に焼かれるのだ。
自分の為じゃない。大切な相棒を焼かない為に焼かれるのだ。
次回、エピローグです。