明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか?   作:須川ユイ

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第十二話︰無縁は違なるや

 

「ッ……時間切れか」

 

 寂れた小屋の隅。

 九京綴は、ジクジクと痛む腹を抑えながら、手の中で先程まで白磁の盃であった泥を見つめていた。

 

 声を夜永へと届けていたそれは、掌から零れ落ちる泥となり、何処か寒気を起こさせる代物に成り下がっているように感じた。

 

(さて、どう切り抜くつもりかな)

 

 夜永の持つ硬貨によって、その周辺の状況は知覚できている九京だが、こちらからは打つ手はない。

 

「と言っても、やるとしたら……」

 

 一点突破。この状況ではそれしかないだろう。彼女の術式ならば、分身によって隙を作れる。復活のからくりがあの穴の中にあるのならば、双方の目的は明らか。

 

 防衛と、攻略。

 

 あの呪霊は穴の近くに近寄れないらしいが、それがどう作用するかは分かっていない。

 

「っ……!」

 

 彼女も同じ思考だったようで、一か八かの突貫に出た。

 

(かなりの呪力出力!)

 

 攻撃を糸を縫うように避け、容易く穴へと近づく。その姿は、九京を驚愕させると共に、命を賭けた行動などと考えていたことは杞憂だったと、気を抜けさせる。

 

 その次の一手を見るまでは。

 

(ッ!まだ手を増やせたのか!?)

 

 突如として増えた敵の手によって、猛攻が夜永に迫る。

 

 到底、防ぎきれる手数ではない。

 

 

 

 だが、九京は絶望しなかった。否、絶望する暇など与えられなかった。

 彼は血塗れの指先を震わせながら、残された全呪力と己の血液を代償に、最後の印を結ぶ。

 

「凶籤宣狐……ッ!」

 

 夜永には、穴の中を調査するためと言って余分に硬貨を渡してある。穴に投げ入れなかったそれによって夜永の状況を探知していたわけだが、この硬貨には他にも使い道がある。

 

 一つ、硬貨を打ち込んだ相手に、弱点となる核を出現させる。

 二つ、それを中心とした周辺半径十一間(約20m)の物理的な環境を感知する拡張術式『逆鋏(さかばさみ)』。

 

 そして、三つ。硬貨同士を引き寄せる拡張術式『穴一(うろうち)』。九京の放つ変則的な軌道を描く硬貨投擲は、これによるものだ。

 

 ビリリッ!バツッ!

 

 分身の持っていた硬貨に引き寄せられ、夜永の懐から衣服を突き破って硬貨が放たれる。

 飛び出した硬貨は、迫りくる攻撃を弾いて粉々に砕け散る。

 

「全く……世話の焼ける相棒…だよ……」

 

 呪力も底をつき、なんとか保っていた意識も限界に達した。九京が最後に見たのは、穴に消えていく夜永の姿だった。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 異様な空間で、夜永は頭を抱えていた。その表情は苦痛をありありと示していた。

 周りの風景は、異質の一言だった。空……いや、“地底”か、赤茶けた弁柄(べんがら)色に包まれている。

 

 そして雲のように見えるまだら模様は、おそらく“人間”だ。取り込まれた人柱が、空に落ちている。

 

 空間が上下逆転し、周りには地上と変わらない村の様相を見せていた。唯一地上と変わらないそれが、余計に不気味に感じさせた。

 

 脳の奥がズキズキと痛む。これは、周囲の環境だけが原因ではないだろう。

 

『…………ぃて……だ……どって……』

 

 知らない風景。

 知らない人々。

 

 脳裏を泳ぐ、走馬灯であろうかとも感じられる記憶。

 

 それでも夜永は頭痛を無視しながら、この空間で最も呪力の濃いそれに向かって、歩き始めた。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 晴れた朝だった。

 

「おかあ、薪拾い行ってくる!」

 

 母の返事も待たずに浅次郎は土間を飛び出すと、冷たい空気が頬を刺した。

 

 霜で白くなった地面が、踏み出すたびにザクザクと音を立てる。それが好きだった。朝にしか出せない、あの音が。

 

 背負い籠を引っ掴んで、裏山への細道を駆け上がる。

 山の中はまだ薄暗く、梢の向こうにだけ白い光が覗いていた。枯れ葉を踏む音、どこかで鳥が鳴く声、沢の水がぶつかり合う音。それだけが世界にあった。

 

 薪を拾いながら、浅次郎は独りごちた。

 

「今日は勘太たちと川で遊ぶんだっ」

 

 誰に言うでもなく、ただそう思うと、自然と口から出た。

 折れた枝を踏みしめ、苔むした岩に手をついて、籠に薪を積み上げていく。手が冷たくなるのも構わず、もくもくと拾い続けた。

 

 帰り道、重くなった籠を背負い直しながら、土手の斜面を滑り降りる。足が泥に取られてよろけたが、そのまま土の上にどっかりと座り込んだ。

 冷たい。でも、嫌ではない。

 土の匂いがした。湿った、草の根の匂い。

 

 

 昼前には勘太と、それから三つ年上の良助も加わって、川沿いで鬼ごっこをした。

 川は浅く、石が多く、走るには向かない場所だったが、だからこそ面白かった。

 

「浅次郎、遅い遅い!」

 

「うるさい、転んだだけだ!」

 

 笑い声が山に響いた。

 転んで泥だらけになっても、川の水で手を冷やしながらも、誰も帰ろうとしなかった。

 腹が減るまで、足が疲れるまで。

 

 日が傾きかけた頃、母の呼ぶ声が遠くから届いた。

 

「浅次郎ーっ! 戻っておいでー!」

 

「えーっ!もうー!?」

 

 そう言い返したけれど、腹の虫には敵わず、足はもう家の方を向いていた。

 

 

 囲炉裏の前で、三人で夕餉を食べた。

 そばがきに、漬物。それだけだったが、温かかった。

 父は今日も山へ仕事に出ていたのか、少し遅れて帰ってきた。土と汗の匂いがする大きな手で、浅次郎の頭をくしゃりと撫でた。

 

「薪、ちゃんと拾えたか」

 

「うん。いっぱい」

 

「そうか」

 

 それだけだった。でも、それだけで十分だった。

 

 囲炉裏の火が爆ぜる音がする。煙が天井の黒い梁に滲んでいく。

 母が鼻歌を歌いながら、鍋をかき回している。

 

 浅次郎は、目が重くなるのを感じながら、父の膝に寄りかかった。

 

 明日も、きっと同じ朝が来る。

 

 そんなあたりまえのことを考えながら、眠った。

 

 

 

 

 翌朝も、霜が降りていた。

 

 浅次郎が目を覚ましたのは、鶏の声がしたからだ。まだ暗い。でも、体は動きたがっていた。

 

 布団を抜け出し、土間に下りる。

 昨日の薪が、竈の隣に積んであった。

 

「浅次郎、どこ行くの」

 

 母の声がした。まだ眠そうな声だ。

 

「勘太んとこ」

 

「ご飯は?」

 

「帰ってから食べる」

 

 返事を待たずに、また飛び出した。昨日と同じように。

 

 

 勘太の家に寄ると、良助も来ていた。

 三人で川の方へ走りながら、今日は何をして遊ぶかで言い合いになった。

 

「石投げしようぜ」

 

「それより鬼ごっこだ。昨日の続き」

 

「浅次郎が負けたままじゃねえか」

 

「負けてない!転んだだけだって言っただろ!」

 

 笑いながら走った。

 息が白くなる。地面がまだ固い。

 冬が近かった。でも、今日はまだ走れた。

 

 

 鬼ごっこが始まって、浅次郎が鬼になった。

 

 勘太を追いかけた。勘太は足が速い。川沿いの石を器用に飛び越えながら、こちらを振り返って笑う。

 

「遅い遅いっ!」

 

「待てよっ!」

 

 石を踏み外した。

 一瞬、体が宙に浮いた気がして、次の瞬間には地面に膝と手をついていた。

 

 痛い。

 

 でも、それより変だった。

 

 手のひらの奥から、何かが溶け出すような感じがした。

 熱くも冷たくもない。ただ、何かが。

 

 地面が、動いた。

 

「……え」

 

 ぐぼ、と。

 浅次郎の手の先、地面が盛り上がり、勘太の足首を、呑み込んだ。

 

「っ、わあっ!!」

 

 勘太の悲鳴が上がった。

 足が地面に沈んでいく。膝まで。

 

「勘太っ!?」

 

 浅次郎は咄嗟に手を離した。

 地面は、元に戻った。

 

 勘太がへたり込む。足は戻っていた。傷はない。

 でも、その顔が白かった。

 

「……な、なんだ、今」

 

 浅次郎には分からなかった。

 自分の手を見た。泥がついているだけだ。

 

 良助が、少し離れた場所から、こちらを見ていた。何も言わなかった。でも、その目が、全部を見ていた。

 

「……帰る」

 

 勘太は、浅次郎の方を見ないまま、立ち上がって走り去った。

 良助も、続いた。

 

 浅次郎は一人、川沿いに残された。

 沢の音だけが、変わらずにあった。

 

 手のひらを、もう一度見た。

 何も、なかった。

 

 ただの手だった。

 

 

 

 家に帰ると、母が竈で火をおこしていた。

 いつもと同じ背中だった。

 

「おかえり。早かったね」

 

「……うん」

 

「どうしたの、泥だらけじゃない」

 

「転んだ」

 

 母は笑って、手ぬぐいを投げてよこした。

 

 浅次郎はそれを受け取ったまま、しばらく立っていた。

 

 言うべきか、言わないべきか。

 何が起きたのか、自分でもよく分からなかった。

 

 何も言えず、いつの間にか夜になっていた。父が山から帰ってきて、三人で囲炉裏を囲んだとき、浅次郎は口を開いた。

 

「……今日、変なことがあった」

 

 父が、こちらを向いた。

 

「変なこと?」

 

「手が、地面に、吸い込まれるみたいな。それで勘太の足が、土に入って」

 

 うまく言えなかった。自分でも信じられないから。

 

 父と母が、目を合わせた。

 その一瞬が、少しだけ長かった。

 

「……見せてくれるか」

 

 父の声は、いつもと同じだった。

 だから浅次郎は、庭の土に手をついた。

 

 また、あの感じがした。

 父の足元の地面が、静かに、沈んだ。

 

 誰も、何も言わなかった。

 

 しばらくして、父が言った。

 

「分かった。外ではやるな。いいな?」

 

「……うん」

 

 母が、浅次郎の頭に手を置いた。

 何も言わなかった。ただ、そっと。

 

 囲炉裏の火が、また爆ぜた。

 

 その夜は、いつもより少し遅くまで、三人でそこにいた。

 

 

 翌日、勘太は来なかった。

 

 翌々日も、来なかった。

 

 浅次郎は一人で薪を拾いに行き、一人で帰った。

 川沿いは誰もいなかった。石の多い浅瀬だけが、変わらずにあった。

 

 気にしないようにした。

 父に言われた通り、手は土につけないようにした。

 それだけのことだ、と思った。

 

 

 五日ほど経った頃、良助が声をかけてきた。

 

「浅次郎」

 

 道端で呼び止められた。良助の顔は、いつもと少し違った。

 

「……あの日のこと、おれ、誰にも言ってないから」

 

「……そうか」

 

「ただ、なんか、村の人たちが」

 

 良助は言いかけて、やめた。

 

「なんでもない。じゃあな」

 

 それだけ言って、行ってしまった。

 

 浅次郎は、その背中をしばらく見ていた。

 

 

 村の人たちが、何かを話しているのは分かった。

 道で会っても、すぐに視線が逸れる。

 話し声が、近づくと止む。

 

 でも、名前は出なかった。

 だから、関係ないと思おうとした。

 

 

 異変が起きたのは、それから十日ほど後のことだった。

 

 朝、どこかの家で声が上がった。

 父が山から帰ってきた時、その顔が曇っていた。

 

「おとう、どうしたの」

 

「……何でもない」

 

 いつもはそれで終わる。でも、その夜、浅次郎が眠った後、壁越しに両親の声がした。

 

 何を言っているか、聞き取れなかった。

 ただ、母の声が、低かった。

 

 

 次の日、また誰かが死んだと聞いた。

 原因が分からない死だと、村の大人たちが言っていた。

 

 浅次郎は、それを聞いた時、何故か、自分の手を見た。

 

 違う、と思った。

 おれじゃない、と思った。

 

 でも、その思いは誰にも言えなかった。

 

 

 勘太が、石を投げてきたのはその頃だった。

 

 たまたま勘太の家の近くを通ったとき、外に出ていた勘太に会ってしまった。

 一つだけだった。当たりはしなかった。すぐに勘太は家に戻ってしまった。

 

 でも、勘太の顔が、怖かった。

 

 浅次郎には、良助の時のように近づいてくる者もいなかった。

 ただ遠くから、見られた。

 

 名前は、まだ出なかった。

 でも、視線には名前があった。

 

 

 

 ある晩、父が帰ってくるのがいつもより遅かった。

 

 母は何も言わず、ただ囲炉裏の火をかき回していた。

 浅次郎は、何となく眠れなくて、起きていた。

 

 父が戻ってきた時、その顔を見た。

 疲れた顔だった。でも、疲れだけじゃなかった。

 

「おとう」

 

「……起きてたのか」

 

「うん」

 

 父はしばらく黙って、囲炉裏の前に座った。

 

「浅次郎」

 

「うん」

 

「しばらく、外に出るな」

 

 浅次郎は、何も聞かなかった。

 聞いたら、何かが変わってしまう気がした。

 

「……うん」

 

 父の手が、また頭を撫でた。

 でも、今日は少し、力が入っていた。

 

 

 それからは、家の中にいた。

 窓から外を見ると、村の人たちが集まって話しているのが見えることがあった。

 誰かが、こちらを指差した。

 

 浅次郎は、窓から離れた。

 

 

 

 夜中に、声がした。

 

 大きな声だった。

 怒鳴るような、叫ぶような。

 

 母が、浅次郎の布団のそばに来た。

 

「起きてた?」

 

「……うん」

 

「ちょっとだけ、ここにいなさい」

 

 母の声は、静かだった。

 でも、その手が震えていた。

 

 浅次郎は、母の袖を掴んだ。

 母は、それを振りほどかなかった。

 

 外の声は、だんだん近くなった。

 父が、表の方へ出て行く気配がした。

 

「おとう」

 

「黙ってなさい」

 

 母が言った。

 今まで聞いたことのない声だった。

 

 浅次郎は、黙った。

 

 

 そのうち、母が浅次郎の手を引いた。

 

 板の間の隅。

 大きな箪笥の裏。

 そこに、床板が外れる場所があった。

 

「入って」

 

「……おかあ?」

 

「いいから、入って。声を出しちゃいけないよ」

 

 狭かった。暗かった。土の匂いがした。

 

 母が、板を戻した。

 

 外が、見えなくなった。

 

 

 

 しばらく、何も分からなかった。

 

 音だけが届いた。

 足音。声。何かが倒れる音。

 

 父の声がした気がした。

 母の声がした気がした。

 

 浅次郎は、膝を抱えて、じっとしていた。

 

 やがて、静かになった。

 

 静かになっても、浅次郎は動かなかった。

 母が、また板を開けてくれると思っていた。

 

 でも、来なかった。

 

 しばらく待った。

 まだ、来なかった。

 

「……おかあ」

 

 小さく呼んだ。

 誰も、答えなかった。

 

 

 それが、最後だった。

 

 

 

 

 

 

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