明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか?   作:須川ユイ

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第十三話︰泥中に眠る無縁仏

 

 

 浅次郎の父の名は、惣吉(そうきち)といった。

 

 山仕事で生計を立てる、どこにでもいる男だった。口数が少なく、笑うことも多くはなかったが、息子の頭を撫でる手だけは、いつも柔らかかった。

 

 妻の名はふじといった。

 よく鼻歌を歌いながら食事の準備をする女だった。息子が泥だらけで帰っても、怒らずに手ぬぐいを投げてよこすような人だ。

 

 あの夜の時、彼らは覚悟していた。

 

 村の空気は、もう隠しようがなかった。

 怪死が続き、物の怪の仕業だという声が広まり、その矛先がどこへ向かうかは、考えるまでもなかった。

 

 だから惣吉は床下を作った。隠し場所を、前もって。

 

 ふじは何も聞かなかった。

 ただ、ある夜、惣吉が床板を外しながら言った。

 

「もし何かあったら、ここに浅次郎を入れろ」

 

「……うん」

 

「それだけでいい」

 

 ふじは頷いた。

 それだけだった。

 

 

 声が来たのは、深夜だった。

 

 松明の光が、窓の外に揺れた。

 足音が、複数。

 

 惣吉は立ち上がった。ふじは浅次郎を抱えて、床下に押し込んだ。板を戻した。箪笥を引いた。

 

 扉が、外から叩かれた。

 

「開けろ」

 

 惣吉が、表へ出た。

 

 ふじは、その背中を見た。大きな背中だった。いつもと同じ、土と汗の匂いがする背中だった。

 

 それが、最後だった。

 

 

 ふじが引き据えられたのは、それから少し後のことだ。

 

 居場所を言え、と言われた。

 知らない、と言った。

 

 お前たちは妖術にかけられているのだ、騙されているのだ、そう言われた。

 

 痛みは、途中から感じなくなった。

 

 その代わり、妙なことを考えていた。

 浅次郎が、今日の朝ご飯を食べていないことを思い出した。帰ってから食べる、と言っていた。あの日の朝。あれはいつの話だろう。

 

 居場所を言え、と、また言われた。

 知らない、と言った。

 

 ふじの意識は、その辺りで途切れた。

 

 

 惣吉の方が、少しだけ長かった。

 

 ふじが倒れるのを見た。

 それからは、何も考えなかった。

 ただ、黙っていた。

 

 居場所を言えば終わる、と分かっていた。

 でも、言わなかった。

 

 なぜかと問われれば、答えられなかった。

 ただ、言わなかった。

 

 惣吉の意識が途切れる直前、妙なことを思った。

 

 浅次郎は、土が好きな子だった。

 朝、霜を踏みながら笑っていた。

 泥だらけになっても、嫌な顔ひとつしなかった。

 

 そういう子だった。

 

 それだけを、思った。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 夜永は、その記憶の最後まで、歩き続けていた。

 

 流れ込んでくる情報の量は膨大だった。浅次郎の記憶だけではなく、両親の記憶までもが、土地を通して染み込んでくる。

 それが術式の仕組みだとは、この場に入って初めて分かった。

 

 村民として、人柱として取り込むための工程。

 愛情も、意志も、関係ない。ただ、近くで死んだ者の呪力が、土地に染み付いて、流れ込んでくるだけのことだ。

 しかし、この記憶を見続ければ。見続けなくとも、同情などしてしまえば。呪いに耐性のない非術師は瞬く間に取り込まれる。そういう術式なのだろう。

 

 ただ、それだけのことだった。

 

 夜永は歩きながら、止まりかけた足を動かし続けた。

 

 

 呪霊の本体は、地下空間の中心にいた。

 

 赤茶けた天井の、最も遠い場所。

 そこに、それはいた。

 

 小さかった。

 拳ほどの大きさしかない、丸いものだった。

 形は、人間の胎児に似ていた。膝を抱えて、丸くなっているような。

 

 動かなかった。

 声も出さなかった。

 

 ただ、夜永が近づくと、足元の地面が僅かに波打った。

 

 それが、全てだった。

 地上の式神に戦闘能力の大半を移しているのだろう。それを差し引いても、これは抵抗と呼べるものではなかった。

 

 夜永は足を止めた。

 

 しばらく、その小さな塊を見ていた。

 

「……お前の両親は」

 

 声が出た。

 自分でも、出すつもりはなかった。

 

「死ぬその時まで、いや、死後に至っても、お前を愛していた」

 

 それは事実だった。

 流れ込んできた記憶が、そう言っていた。

 

 ただ、それはお前に伝わることなく、土地に染み付いただけだ。お前が望んだからでも、両親が望んだからでもない。

 ただ、近くで死んだから、流れ込んだだけのことだ。

 

 夜永は、それを言わなかった。

 

「願わくば、お前の父母と共にあることを願っているよ。浅次郎」

 

 刀を抜いた。

 一閃。

 

 音もなかった。

 抵抗もなかった。

 

 黒い粒子が、静かに、散った。

 

 粒子が消えると同時に、地下空間が揺れ始めた。

 領域が、崩れていく。

 

 瞬きの間に、地上に立っていた。

 

 朝日が顔を見せ、光を照り返す雪の白さが、目に痛かった。

 空は、晴れていた。

 

 夜永は立ち止まり、空を見上げた。

 弁柄色の天井は、もうどこにもなかった。

 

 小さく、息を吐いた。

 白い息が、冬の空に溶けていく。

 

 それから、歩き始めた。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 囲炉裏の火が、静かに爆ぜていた。

 

 九京綴が目を覚ましたのは、炭の音がしたからだった。

 体の節々が、悲鳴を上げている。肩。肋骨。腹の奥。ゆっくりと起き上がろうとして、すぐに諦めた。

 

 向かいを見た。

 

 夜永が、眠っていた。

 床に身を預け、囲炉裏の火を向きながら、静かに眠っていた。

 子どもが眠るような、無防備な顔だった。

 

 九京は、それを見て、少しだけ可笑しくなった。

 

 笑うと、肋骨が痛んだ。

 

「……痛い」

 

 その声で、夜永が目を開いた。

 一瞬で覚醒する目だった。

 

「起きましたか」

 

「……君こそ、いつ帰ってきたんだい?」

 

「早朝には。まだ寝ていたほうがよろしいのでは」

 

「いや、もう十分寝た」

 

 九京はそう言いながら、壁に手をついてなんとか姿勢を整えた。全身がきしむ。

 

「君、やはりその口調が素じゃなかったんだね」

 

「……それは、どういう」

 

「戦闘中の独り言で、君の勇ましい話し方を聞いていたよ?良いじゃないか。そっちのほうが似合っているよ」

 

 もはや取り繕う必要がないと感じたのか、多少荒い口調で、夜永は返答した。

 

「……硬貨の探知は、音も拾えるわけか」

 

「いやいや、物理的な動きのみだよ。口の動きから話している内容がわかるけどね」

 

「なるほどな。……他の人間がいるときは、流石に取り繕わせてもらうぞ、“九京”」

 

「ご随意に、“夜永”」

 

 目を細めながら、含み笑いを浮かべる九京の顔に、夜永は多少の苛つきを覚えるが、まぁいいかと無視した。

 

 

 会話が途切れ、火の弾ける音が静かな部屋に響くのを感じる。

 

「祓えたのかい」

 

「……あぁ。本体を切った。領域の消滅も確認したから、もう問題ないだろう」

 

 夜永は呪霊を切ったあと、周囲の状況を確認していた。村中にあった残穢は、領域の消滅と共にその殆どが掻き消えた。地下空間と同じく、地上も一種の領域であったのだろうと予測している。

 

「そうか。……どんな相手だったんだい、中では」

 

 夜永は少し間を置いた。

 

「子どもだよ。親に愛されて育った、ただの子どもだ」

 

 それだけ言って、夜永は目を閉じた。

 

 九京は、それ以上聞かなかった。

 

 

 

 

 昼頃になってから、二人は互いの損耗を確認し合った。

 

 九京は攻撃を受けた肩と、肋骨の二本が骨折。腹の内臓も傷ついており、術式の行使と出血多量が重なって、立ち上がるのがやっとの状態だった。

 

 夜永は肋骨が一本折れており、両腕の骨に細かいひびが入っている。打ち身は数え切れない。

 

「……笑えないね」

 

「生きているだけましだろう」

 

「それはそうだけど」

 

 九京は片手で眼鏡の位置を直した。片腕を上げると、肩に響く。

 

「下山できるのかい、これで」

 

「呪力も多少回復したし、私の術式で応急処置はしておこう。担いでいくのは勘弁だから、あとは自力で頑張ってくれよ」

 

「……ほんとに取り繕わないな。可愛くない部下だよ」

 

「これの方がいいと言ったのはそちらだろうに」

 

 二人は、しばらくそのまま黙っていた。夜永の分骨によって作り出した添え木を、辺りの衣服を切り裂いて包帯代わりに巻きつける。

 

 囲炉裏の火が、また爆ぜた。

 

 

 

「……行くか」

 

「そうだね」

 

 

 雪を踏む音だけが、二人の間を埋めていた。

 

 下山の道は、来た時と同じ道だった。

 でも、昨日とは違って見えた。

 

 しばらく歩いてから、九京が口を開いた。

 

「あの呪霊、話していたね。お父さんが名前をつけてくれたと」

 

「あぁ。術式は七歳頃に発現したらしい」

 

「随分と遅咲きだったんだね。呪霊との関わりもなく、その歳まで生活できていたのか」

 

「人口も少なく、分散している。いても羽虫程度のものだったんだろう。しかし、術式が発現した彼に対して、村人たちは疑惑と恐れを抱かずにはいられなかった。その負の感情が、呪霊を呼び寄せた」

 

「……呪霊被害を、彼の仕業だと誤解したのか」

 

 九京は雪を踏みしめながら、少し考えた。

 

「この時代、帝都から離れれば離れるほど、呪術師は迫害の対象になる。政府が術師を集めようとしているが、手が届く範囲が狭すぎる」

 

「……そうだな」

 

「あの子が生まれたのが帝都だったら、あるいは違ったかもしれない」

 

 夜永は答えなかった。

 

 九京は続けた。

 

「……もっとも、政府が呪術師を囲い込むことが、本当に術師のためになっているかは、別の話だけどね」

 

 夜永は、その言葉に足を止めかけた。

 九京は政府の術師運用に否定的なのか? 確かに政府に見つかれば、軍人としての人生を歩まされるわけではあるが……

 

(……何を隠している)

 

 言葉の端に、それ以外の感情が表れているように聞き取れた。しかし、夜永は酷く疲れていた。今はなにも、考えたくなかった。

 

「それでも、市井で忌み嫌われてのたれ死ぬよりかはマシだろう」

 

「へぇ? 聞いてたんだ」

 

「聞いた?なんの事だ?」

 

 九京は少し戸惑った表情を見せ、笑った。

 

「……いや、なんでもないよ」

 

「……?」

 

 

 ただ、眼鏡の位置を直して、また歩き始めた。

 

 雪を踏む音が、また二人の間に戻ってきた。

 

 

 

 

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