明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
「ふぅ、やっと戻ってこれた。今回の任務は予想より長期化したね」
「あぁ、最後の案件で予想以上に延びてしまった。随分と隠れるのがうまい呪霊だったな」
福島での任務から半年以上が経ち、夏の暑さも薄れてきた頃。飾代夜永は九京と共に遠方任務から帰ってきていた。
「毎度のことだけど、ほんと移動が面倒な任務ばかりで嫌になるよ。まったく」
九京がぼやくとおり、私達に回される任務の殆どが帝都の外である。地方ごとに滞っている呪術の関連が疑われる案件を、まとめて対処し戻ってくるという形の任務。
当然、案件が多ければそれだけ任務は長期化する。福島の案件に曲がりなりにも対処しきったことで、問題対処能力を買われてしまったらしい。認められているのだろうが、なんとも嬉しくない話だ。
「まぁ、まだ正式発足に至っていない羅睺隊を持て余しているのだろう。私たち二人しかいないのだからな」
「先行試験分隊、などと総隊長殿も仰っていたからなぁ。何ができるか、取り敢えず何でもやらされている感じはあるよね」
二人は部屋に荷物を置き、本部の廊下を並んで歩いていた。任務から戻ったばかりで、軍服には旅の埃が残っている。
「……ところで九京。明日は空いているか?」
ふと、何でも無いかのように九京に問いかけると、何やら思い出しているのか遠くの方を見つめながら応える。
「え?まぁ、特には。任務報告書を提出すれば、しばらくは自由のはずだよ」
「そうか。なら、少し付き合ってくれるか? 街に出たいのだが」
九京は歩きながら、眼鏡の位置を直した。その目は少し見開いてこちらを見つめている。
「珍しいね。君から外出の誘いとは」
「買いたいものがあってな。それだけだ」
「ふぅん。ま、構わないよ」
興味なさそうな相槌だったが、断りはしなかった。首肯する九京は多少訝しんでいたようだが、気にしないことにしたようだ。
◆ ◆ ◆
報告書の提出を済ませ、翌日。
二人は私服に着替えて本部を出た。
九月も半ばを過ぎると、帝都の空気は幾分やわらかくなる。行き交う人々の装いも、夏の薄物から秋の一枚羽織へと変わりつつある頃だ。
「いやはや、なんだかんだ君の私服を見るのは初めてだね。胸飾りが上品な君によく似合っているよ」
そう言って、九京の瞳には夜永の装いが映る。
立ち襟の白い
それに対して九京は、濃紺色の外套を肩にかけた書生の様な出で立ちだ。白詰め襟に鼠色の袴と、いつもの銀縁眼鏡をかけている。どこにでも居そうな服装ではあるが、その頭髪と整った顔立ちによって妖艶な雰囲気を纏っている。
「まったく。真っ先に出る言葉がそれとは、本当にお前は口が上手いな?」
「それほどでも」
「皮肉だ、九京。……確か、前の任務でも村娘を口説き落としていたじゃないか」
ふと、少し前の任務での出来事を思い出す。呪霊の関与がほぼ確実だったが、その実態が掴めず足踏みしていたときのことだ。
呪霊捜索をふた手に別れて行っていたが、成果がなく、九京と合流しようと探していたときに、若い娘を口説き落としている九京の姿が目に写った。
仕事中に遊ぶような人物でないことは知っているつもりだったが、買い被りだったかと少し失望したのを覚えている。
「いやいや、情報収集の一環だよ。あの時はその情報で解決できたじゃないか」
「まぁ、そこは感謝している。ぜひ今後もその口八丁で活躍してくれ」
「勿論。それに、君の服装を褒めたのは率直な感想であるとも付け加えさせていただこうかな」
「それはどうも。これでも財閥令嬢なのでね。身なりに気を付けないわけにはいかないんだ」
「それはなんとも。気苦労が多いようで」
「全くだ。今回の買い物も、生家との関係を誇示するために仕送りしろとのことだ」
多忙を極める私の数少ない休日。それを潰す羽目になったのは、任務から帰還して早々、疲労困憊の私に渡された手紙だ。読み終えて即座に塵々にして呪力で焼き消す程度には苛立ったものだ。
「うわぁ……話には聞いていたけど、そこまでするのか。君の家」
九京には、飾代家について軽く話している。本来話すべきではないのだが、私と実家が不仲であることはすでに周知の事実なのだ。そもそも、一応は財閥令嬢である私に呪術師としての才能があったからと言って、軍が無理矢理徴兵などできようもない。家から差し出されたのは一目瞭然なのだ。
まぁ、それだけではここまで赤裸々に話したりしないが、長期任務の合間は移動などで暇な時間も多い。そんな手持ち無沙汰を解消するとともに、他では言えない生家の愚痴を零してもいい相手と言うのは、幾分か気が楽だ。
しかしというか、お蔭でこいつのどうでもいい趣味嗜好まで記憶してしまったが。
「あぁ、苛つく話だが、それならばいっそのこと千代に贈り物でもと思ってな」
軍からの給与には、忙しすぎて手を付けていない。なので金には困っていないわけだが、これは強請られているようで頭にくる。
だが、千代に物を贈れる良い機会であることも事実だ。その事実を差し引けば、多少の溜飲も下がるというものだ。
「確か、君付きの女中さんだったっけ。そんな家にいて大丈夫なのかい?」
「当然、安全対策は行っている。そんなことより、いい店を知らないか?」
「ここらだと、日本橋とかかな。若い女性が好きそうな小間物なんかが見れるはずだよ」
「そうか。家に送るものはそこらで多少豪奢なものでも買い集めて送れば問題ないだろう。
「……あ〜なるほど。買い物の付き添いというより、地図兼荷物持ちにされるわけか、僕は」
「文句があるなら帰ってもらっても構わんよ」
「ないよ。せっかくのお誘いだし、久しぶりに帝都をぶらつくのも悪くない」
九京は肩をすくめ、人の流れに身を任せるように歩き出した。
日本橋の大通りは、いつ来ても人と馬車と怒鳴り声で溢れている。
明治の文明開化が凝縮されたような雑踏。煉瓦造りの洋館の隣に古い商家が並び、舶来品の看板と手書きの暖簾が混在している。
「……相変わらず、呪霊が多い場所だな」
「人が多ければ感情も多い。仕方ないよ」
私は視界の端、薄暗い路地でちらちらと蠢く低級呪霊を無視しながら、目当ての小間物屋へと向かっていた。こんなに多いと、任務で赴く田舎と嫌でも比べてしまうものだ。
そんな現状に九京は特に興味もなさそうに、屋台の饅頭を一つ買って齧りながら後をついてくる。興味がないというより、諦めからくる達観と言ったところか。
「千代さんの好みは分かっているのかい?」
「だいたいは。彼女は派手なものより、使い勝手のいいものを好む」
「実用主義か。君に似ているね」
「どうだろうな。私が似たのかもしれん」
彼女が私に似たのか、私が彼女に似たのか。そんな思考を回しながら小間物屋の暖簾をくぐる。
中には、かんざし、組紐、手ぬぐい、香袋などが整然と並んでいる。女中として働く千代に似合いそうなものを、私は一つ一つ手に取りながら吟味した。
九京は入口近くに立ち、饅頭を食べ終えながら店内を眺めていた。すると、そっと独りごちるようにこちらに問いかけてくる。
「……ねぇ、夜永」
「なんだ」
「千代さんに物を贈るのを考えたのは、“今は”迎えに行けないお詫びのつもりかい?」
……随分と、不躾なことを聞く。私は九京の方を見ずに、手に持っていた組紐の根付けを棚に戻しながら答える。
「何を言っているんだ。さっきも言っただろう。都合が良かっただけだ」
「そうかい。いや、君のことだから、既に迎えに行く計画はあるんだろうなと思ってね。君の話してくれる言葉の節々に、千代さんの姿が見えてくるからさ」
「計画などと、そんなものはない」
そう、実際具体的な計画など策定できてはいない。一案として考えているのは、このまま軍部に確固たる地位を得て、千代を迎えに行くこと。対等では足りない。それでは結局、首輪をつけられたままになってしまう。圧倒的な地位の獲得こそ、迂遠だが確実な方法だ。
あとは、大山閣下の力を借りること。但し、こちらの要求を大山閣下に呑んでもらえるほどの信頼を勝ち取り、自身の価値を示さねばならない。
そこまでやったとしても、何らかの代償は必要となるだろう。
……千代には悪いが、今はまだ行動を起こすべきではない。
「……ま、そういうことにしておくさ」
九京はそれ以上追わなかった。
私は棚の前に戻り、金属製の簪を手に取った。小さな白い花がついている。
素朴なものだ。だが、千代ならば喜ぶだろう。
「これにしよう」
千代への贈り物以外に、いくつか適当な物を選び終えて小間物屋を出ると、すでに昼を過ぎていた。
「せっかくだから何か食べていこうよ。僕は今日あの饅頭一個しか食べていないんだ」
「仕方ないな」
二人は大通りを外れた路地裏の、小さな食事処に入った。牛鍋を一人前ずつ頼み、向かい合って座る。
店内は昼時の喧騒が落ち着き始めた頃で、他に客は数組だけだ。
「君、こういう場所に来るの珍しいね」
「そっちが選んだ店だろう」
「それはそうなんだけどさ。いつも食堂で黙々と食べているじゃないか。任務中は軽食で済ませてしまうしね」
確かに、どちらかというと、食事は片手間に済ませてしまうたちではある。軍属になる前からそうであったし、あの家で家族で集まって食事、なんてありえない話だ。
今思えば人と食卓を囲むなんて、今世で経験してないんじゃないか? もしや、これが初の……。
「……なぜ千代ではなく九京が先になってしまったんだ」
「えっ、なに? 今とても失礼なこと言わなかった?」
「いや、なんでもない。ほら、鍋が煮えたぞ」
夜永はなんとなく損した気持ちを無視しながら、話題をそらした。ぐつぐつと煮える鍋に箸を突きながら、今度は夜永が口を開いた。
「あとは、家に送る品物を買い揃えるのだが……」
「どんなものがお望みだい?」
「ふむ……日持ちする菓子の類がいいな」
あいつに贈り物など心底どうでもいいが、長く使えるもの、例えば、万年筆なんかは絶対却下だ。そも、やつが欲しいのは贈り物を送っているという事実だけで、その中身など興味はないだろう。
もし万年筆を送るとして、使ってくれるなどありえないし、使われるなど悪寒が走る。菓子を送っても手を付けないだろうが、まぁ、使用人に下賜される形ではあるが無駄にはならんだろう。
「菓子か……なら、少し歩くけどいい店があるよ」
「では次はそこへ案内してくれ」
「了解ですよ、お嬢様」
「……九京、そっちは買いたいものとかないのか?」
ただでさえ遠方任務が多く、休日などまともにない羅睺隊。数少ない休みの日を使わせて連れ回していることに、今更ながら若干の罪悪感を覚えて、九京にそう聞いた。
「え? いや……特には思いつかないかな」
少し考える素振りをして、九京はそう応えた。おもむろに視線が窓の外に向く。それに釣られてか、自分も窓の外を覗いていた。
往来を行き交う人々が見える。荷を背負った商人、走る子ども、立ち話をする女将たち。
「……目眩く変わっていくこの街を見るのが、なんとなく好きなんだ。今までもたまにこうやって外を歩いていたんだよ?最近じゃ、長期任務のお陰で戻ると様変わりしていることもある」
「たまに姿が見えなくなっていたのは外をほっつき歩いていたからだったか。……楽しいものか?」
「楽しいよ。面白いと言ったほうが適切かな」
「そういうものか」
九京は鍋をかき混ぜながら、少し間を置いた。眼鏡が曇っていて瞳を覗き込むことが叶わず、その感情が読み取れない。
「……夜永は、この街を見てどう思う?」
「どうとは」
「前と後、どちらが好きかとか。変わっていくことに対して、何か感じることはあるかい?」
私は少し考えてから、箸を置いた。前世の記憶から考えると、この景色はもう見ることのできないはずの景色だ。
戦争に災害に。この街は、いや、この国は災難に満ちている。いずれ焼けてしまうこの街には、思うところがある。
哀愁、のようなものだろうか。
「……変わらないものに、価値を見出すのは、保守が過ぎる考え方だろうか」
「いや、そんなことないさ。変わらないものには変わらない良さが、人々が変えたくないと思える良さがあるのだと思うよ」
先程から少しズレた眼鏡の隙間から、優しげに目を細める九京の瞳が見て取れた。
「お前はどうなんだ。変わるのが面白いと言うが、変化しないものと変化するものどちらが好ましいんだ?」
「僕? 僕は……それでも、変わっていく方が好きだね。止まっているものは、いつか腐ってしまうと感じるんだ」
九京の声に、いつもの軽さがなかった。
私は何も言わなかった。
聞き返せば、煙に巻いて話を変えられるだろう。それならば、今はこの空気を味わっていたい。
しばらく、鍋の音だけが続いた。
昼食を終え、九京の案内で菓子屋へ向かった。
目抜き通りから一本入った路地に、小さな暖簾がかかっている。外観だけでは判断のつかない店構えだが、中から甘い香りが漂ってくる。
「ここだよ。最近できた店なんだけど、評判がいいんだ」
「よく知っているな」
「任務の合間に下調べしておいたんだよ。……意外な趣味だったかい?」
店内は狭かった。だが棚には、金平糖、有平糖、落雁、羊羹といった和菓子が整然と並んでいる。
「父親への仕送りなら、見栄えのする羊羹あたりが無難じゃないかな。日持ちもする」
「そうだな。では、それとあれと……まぁこれも付ければ問題ないだろう」
そう決めてから、私は隣の棚に目を向けた。
小さな包みに入った金平糖が並んでいる。
千代は甘いものが好きだった。
子どもの頃、こっそり台所から持ってきた砂糖菓子を二人で分けて食べた。あれが、あの時味わえる最高の贅沢だった。
「……これも、一つ」
金平糖の包みを手に取り、簪と一緒に包んでもらうことにした。
帰り道は、来た道とは少し違う道を歩いた。
日が傾き始め、通りに長い影が伸びている。買い物袋を提げた九京が、先を歩きながらふと立ち止まった。
「……あそこ」
彼が視線を向けた先に、小さな本屋があった。
間口の狭い、古びた店だ。軒先に積まれた本が、秋風に煽られてパラパラとめくれている。
「少し寄っていいかな」
「構わんよ」
九京は吸い込まれるように店内へ入っていった。
私は外で待つつもりだったが、なんとなく後に続いた。
店内は本の匂いに満ちていた。
背の低い棚に、和書と洋書が混在して積まれている。
九京は棚の前を歩きながら、指先で背表紙をなぞっていく。
私はその横で、棚を眺めた。
特に探すものはない。ただ、九京が本を選ぶ時の顔は、任務中とも軍の中とも少し違う。何かを値踏みするような目ではなく、どこか純朴な、純粋に何かを探している目だ。
(……こういう顔をするのか)
今日は見たことのない表情をよく見る日だな。そう思いながら、私はふと一冊の本を抜いた。
英国の探偵小説だ。最近、帝都でも訳本が出回り始めたと聞いていた。
「九京」
「ん?」
「今日の礼だ」
私はその本を、九京に差し出した。
九京は一瞬、目を丸くした。それからすぐに、いつもの薄い笑みに戻る。
「……珍しいね。君が本を選ぶとは」
「お前の趣味くらいは把握している。任務の合間に散々付き合わされたからな」
「ハハ。それはどうも」
九京は本を受け取り、表紙を確認した。
「いい選択だね。……ありがとう、夜永」
「礼など言わなくていい。荷物持ちへの対価だ」
「そういうことにしておくよ」
九京は本を外套の内側に大事そうにしまった。
私は何も言わず、先に店を出た。
秋の日差しが、帝都の煉瓦を斜めに照らしている。
「さて、帰るか」
「そうだね。……今日は楽しめたよ、夜永」
「そうか」
短く答えながら、私は歩き出した。
後ろから九京の足音が続く。
たまには、こういう日も悪くはない。
そんなことを、思った。