明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
明治三十一年。立春の頃。
暦の上では春とはいえ、帝都には未だ厳しい寒気が居座っていた。
夜永は四歳となった。
術式の自覚から約三年。意気込んだは良いものの、幼児の身体でできることなど限られており、私は己の内側に意識を向けることに大半の時間を費やした。ただひたすらに呪力操作の質を高め、術式の理解に努めたのだ。
おかげで呪力操作はかなりの上達を感じている。術式に関しても、その詳細について理解し、一年前ほどからは運用法の立案や解釈の拡大へと思考が移っていた。
術式は『
呪力を帯びていない無機物に対して、自身の呪力を混ぜこむように馴染ませることで形状を変化させ、己と全く同一の分身を作成、操作する術式だ。
向き合うことで分かったことであるが、私には生まれながらに『縛り』があることが分かった。いわゆる、天与呪縛というやつだ。
私の天与呪縛は二つ。
一つ目は、氏名を偽れない縛り。
自身の意思で偽名が使えないという縛りである。これに関してはそこまで不便に感じていない。今後名前を知られることで不利になる術式と対峙するなら別だが、隠すこと自体は禁じられていないため、すぐに問題となるものではないだろう。
なんでこんなものがあるのか、縛りを受ける本人もほとほと疑問である。
二つ目は、本体制限の縛り。
問題はこっちだ。これは、この術式の仕様を変える縛りである。これに関しては、私の術式をさらに詳しく説明しなければならないだろう。
私の術式『泥梨ノ園』は本来、本体含め上限五体の分身を作り出す術式。そして、これらの分身はどの体も本体として活動できる。つまり、「もしやられても他の体がまだある」という運用が可能というわけだ。
しかし、この縛りによって「五体全てが本体」から「本体と分身四体」と言うものになっている。
これによって生まれる問題は、本体がやられれば分身が残っていても無駄という点だ。まぁ、これに関しては早々に解決案を考えた。まだ、実践したわけではないので実証実験が必要ではあるが、理論としては完成している。
しかし、これには本来あった"体を変えることで損傷をなかったことにする"という反転術式いらずの効果を補えたわけではない。これについても考えていかなければならないだろう。
加えて、分身は術式を発動できない。分身を作れるのは本体のみということだ。
そして、これら二つの縛りによって得たものも当然あった。
氏名を偽れない縛りに対しては、呪力操作能力の微増だと思われる。こっちはもはやどうでもいいな。
本体制限の縛りに対しては、生得術式以外の汎用呪術(結界術や式神術など)の能力向上だった。
また、これはおそらく副次効果なのだろうが、分身を本体とできない代わりに、分身の脳を「外部演算機」として使用できることが判明した。
ゆくゆくは、本体の脳への負担を分散させ、結界の維持や複雑な術式演算を分身に肩代わりさせる「並列思考」が可能になるわけだ。
今の私にはまだ難しいが、訓練次第で結界と複雑な術式の同時使用なども夢ではない。
これは余談なのだが、これらの天与呪縛は私が『転生者』であることが大きな要因だと予測している。
私が私だと思うのは、いま存在している「私」であり、それ以外に私と同一の存在がいたとしてもよく似た他人として認識するだろう。この「確立した自己」によって、このような縛りが生まれたのだと考えている。
まぁ、私の術式についてはこんな感じだ。まだまだ色々考えていることはあるが、実践しないことには始まらない。
このときの私はとかく、実践できる場を探していた。
「お嬢様。お嬢様は覚えが早くいらっしゃいますので礼儀作法の基礎はもう十分ですね。次の授業では社交
そんな私は現在、令嬢としての教育を受けている。
妾の子である私だが、父はどうやら本家の子として教育し、ゆくゆくは政略結婚の駒としてどこかの名家に嫁がせようと考えているらしい。
私の生まれた「
祖父以前の代で下地を作り、父の代でようやく表舞台に立てたらしく、父は更に盛り上げようと奔走している。
何でも、近々戦争の気配がするとか…………あぁ。
おそらくこの情勢に合わせて更に成り上がる気なのだろう。野心の逞しいことだ。軍需産業への参入か、あるいは有力者との縁組みか。そのための駒が私というわけだ。
そんな訳で、父と顔を合わせるのは生まれてから一度しか記憶にない。因みにその一度とは、飾代家として令嬢教育を命じられたときだけだ。
「はい。次回もよろしくお願いいたします。先生」
私は淑やかに頭を下げ、教室代わりの部屋から退出した。廊下を渡り、自室となる隅の部屋に戻ると、専属の女中である
「夜永お嬢様。お帰りなさいませ」
黒髪は三つ編みを品良くまとめたマガレイトに結い上げられている。紺地にベージュの縦縞が走る着物を身にまとい、腰には胸当てのない真っ白な前掛けをきりりと締めていた。背中で交差させた緋色の
こちらに向けられた鳶色の瞳が、優しげに細められた。
「あぁ、千代。午後は読書の時間にするから、昼食を頼むよ」
「お嬢様?その言葉遣いでは駄目だと何度も申し上げているでしょう」
「この場には千代と私しかいないのだからいいだろう?必要な場面では
「もう。日頃からの積み重ねが重要ですのに」
「私は貯金型なんだよ。事前に貯めに貯めておいて、必要なときに使うんだ」
「何わけのわからないことを、礼儀作法はそういうものではないのですよ!」
軽口を交わしながら、千代は昼食の準備のために台所へと向かう。
彼女は、この冷たい屋敷の中で唯一、私を「妾の子」としてではなく、一人の人間として扱ってくれる存在だ。生まれたときから世話をしてくれている彼女は、私にとって母代わりとも言えるのだが、付き合い方は姉妹のそれに近いと感じている。
彼女には呪術の話はしてある。
何者も信用できないこの狭い世界で、唯一手放しで信じられる存在が欲しかった私は、彼女にだけ秘密を明かしたのだ。
勿論、かなり慎重に事を運んだが、結果として私はこの敵しかいない家で、唯一の味方を手に入れた。
……あぁ、彼女に指摘された私の口調についてだが、おそらく前世が男であったことが起因している。いや、性格や情報の偏り(主に娯楽方面)からそう予想しているが、実際どうなのだろう?まぁ、そこらの記憶がないことで、今の
「……お待たせいたしました。軽食で済ませたいと思いましたので、
彼女の持つ盆の上には、耳を切り落とした純白のパンにハムなどを挟んだサンドウィッチが、花柄の磁器に品よく盛られている。
湯気を立てる珈琲の香ばしい香りが、インクとカビの匂いが漂う部屋の空気をふわりと塗り替えた。
「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
机を指差しながら、私は背伸びをして、本棚から苦労して集めた数少ない呪術の関連資料と、覚書をまとめた紙束を引っ張りだす。
「また呪術の研究ですか?少しはお休みになられてもいいのでは?せめて、昼食ぐらいは……」
「これは私の趣味みたいなものだよ。唯一の楽しみなんだから許してくれ」
「はぁ。……私がお嬢様ぐらいの頃は、もう少し可愛らしいことしてましたよ」
「それについては環境の差というものだよ?文句は父上様にでも言ってくれ」
私の言葉に、千代は少し悲しげな表情を見せる。私は基本的に部屋から出ることを許されておらず、食事も私室で摂るように命じられている。
どうやら父はあまり私の存在が露呈することを阻止したいようだ。まぁ、妾の子というのを隠したいのなら、まず何も知られないことが一番だと考えているのだろう。
そんな私に対して、千代は慮る感情を抱いているようだ。……だが千代も、なかなか波乱万丈な人生を送っているが。
元々士族の令嬢となるはずだった彼女だが、明治維新後の混乱で家は徐々に没落。彼女の父親の代には、もはや立て直し不可能なレベルになっていたという。
そんな家計と家格を支えるため、彼女は十歳でこの飾代家に奉公に出された。
士族としての意地によって礼儀作法と教養を持たされていた彼女は、使用人として優秀だったが、それが仇となった。優秀な新参者というのは、場合によっては元々いた者たちから妬まれ、疎まれるものだ。例によって千代も「没落士族」と嘲笑され、他の使用人たちから冷遇されていた。
私の側仕えになったのも、誰もやりたがらない「汚れ仕事」を押し付けられた結果だ。
だが、それが巡り巡って、私たちは互いに唯一無二の家族を得ることとなった訳だがな。
「ま、気にするな。そんなことより、そろそろ実戦を試みたいのだが……どうだ?」
「はぁ……研究は構いませんけど、それ以上は呪術が露呈すると思われますよ。第一、危険なことはさせたくないのですが」
「ふむぅ……。私の術式なら誤魔化しが効くと思うのだが」
危険性についても、私の理論が正しければ安全性がある程度確保できると思うのだが。
まぁ、言いたいのはそういう事ではないのだろう。彼女の言葉の裏にあるのは、私への純粋な心配だ。さすがの私も、心配からくる言葉には強く返せないな。
「…………仕方ありませんねぇ。まあ確かに、お嬢様なら安全を確保して経験を積めるでしょう。ですが、十分慎重に」
「おぉ!勿論気をつけるとも。では材料の準備を頼むよ。泥が最適なのだが……まぁ粘土や、なんなら自然物ならなんでもいい」
「畏まりました。今夜から始めますか?」
「そうだな。場所は裏山でいいだろう。何故かこの屋敷の周りは呪霊が多いからな。こないだなんて屋敷の中にも現れていたぞ。人に害が及ぶほどの存在ではなかったが」
「まぁ……!どうしてなのでしょう?」
「十中八九、父上様のおかげだろう。勢い良く成り上がっていく成金にいい感情を抱くものは少ない。逆は多いだろうがな」
千代が表情を曇らせる。
急激な成長を遂げる飾代財閥。その光が強ければ強いほど、落ちる影もまた濃くなる。
「……旦那様は最近、呪いに対してかなり恐れているらしいですよ。表には出しませんが、高価な魔除けの道具や、怪しげな御札を書斎に置いているそうです」
「明確に呪術の存在を知っている訳じゃないだろうが……警戒したほうが良さそうだな。どこからバレるともわからん」
「これは噂ですが、上流階級の人間が不審死や謎の失踪を遂げる事件が間々あるらしいです。やはり彼らの一部は、呪術について知っているのではないでしょうか?」
「あぁ。恨みを買うことが多い連中は、それ相応の裏の知識を持っているだろうな。
珈琲を飲み干し、私は窓の外に広がる冬の空を見上げた。
どんよりとした鉛色の雲。その向こうで、何かが動き出そうとしている気配がした。
その後、千代は他の仕事の手伝いに向かい、私は来るべき夜の実戦に向けて、再び思考の海へと潜っていった。
◆ ◆ ◆
私──
まだ赤子のお嬢様を任せられ、共に屋敷の隅へ追いやられたあの日。
まぁ、元々「没落士族の娘」として使用人部屋の隅に追いやられていた私にとって、場所が変わるだけの話だったが。
むしろ、お嬢様の専属となり、静かな一人部屋を与えられたのは幸運だったと思っている。
夜永お嬢様は、幼い頃から全く手のかからない子だった。
夜泣きもせず、ただ静かに何かを見つめるような瞳。子育ての経験などない私でも育てられたのは、その不思議な落ち着きのおかげだろう。
「千代。今まで黙っていたのだが……私には特殊な力があるんだ」
唐突に打ち明けられたのは、お嬢様がまだ三つの頃だ。最初は「あぁ、お嬢様もそんな冗談を言うようになったのだな」と微笑ましく思っていた。
だが、実際にその力を見せられたあとには、そんな考えは冬の木枯らしと共に吹き飛んでいた。
泥から生まれ出る、お嬢様と瓜二つの分身。
目に見えぬ力──呪力。
術式という異能。
その頃は驚きが勝っていたため深く考えなかったが、今にして思えば、お嬢様はなぜそんなことを知っているのだろう?
いや、幼い頃から難しい本をよく読むお方だった。そこから知識を蓄えて、己の力を当て嵌めたのかもしれない。
……あるいは、もっと別の何かがあるのかもしれない。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
秘密を共有したあの日から、私とお嬢様の距離は、主従を超えた何かに変わった。
お嬢様の家族関係は、「無」と言っていいほど冷え切っている。周りの同僚たちからバレない程度に行われる、陰湿な嫌がらせ。
食事にわざと冷めたものを出されたり、洗濯物を汚されたり。
そんな悪意を、私と共に黙って受け流していたお嬢様には、味方が私しかいなかったのだ。
そして、私にも、お嬢様しかいなかった。
没落し、家族を失い、誇りを踏みにじられたこの屋敷で、私を必要としてくれた唯一の光。
(守らなければ)
廊下を歩きながら、私は襷を締め直した。
お嬢様は強い力を持っている。けれど、その背中はまだ小さく、危うい。
あの方が道を踏み外さぬよう、そして誰にもその光を奪われぬよう。
私の命に代えても、お支えしようと心に誓った。
夜永の前世についてですが、人格と記憶の摩耗を理由にTSではないとしています。性転換タグはまた別件ですよ。それはまた別の機会に。
次話は9月20日を予定しております。
4月20日
予定日程を誤っておりました。失礼いたしました。