明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
説明多めですので、ご注意を。
明治三十四年。新涼の頃。
秋の気配が色濃くなり始めた夜の裏山に、異形の断末魔が響き渡った。
「ギぎャァあ!!」
呪霊の体が黒い塵となって崩れ落ちていく。
私はそれを見送りながら、実証実験の手応えを感じていた。
「ふぅ……(分身を本体と変わらないレベルで動かすのも慣れてきたな)」
実戦を始めてから約三年。
頻繁ではないが、私はこうして屋敷の裏山へと足を運んでいた。
杉と檜が混交する急斜面。昼間でも陽光が遮られ、夜ともなれば墨を流したような闇を見せる。人の気配の絶えたこの場所は、しかし別の種類の気配には満ちているのを、
事前の予想通り、この辺りは呪霊には事欠かず、実戦経験を積むにはうってつけの狩り場となっていた。
あれから、私は確かめたかった術式の実験に専念出来ていた。まぁ、昼は令嬢教育、夜は呪術鍛錬と、私の睡眠時間は削られているのは問題だが。おかげで少しでも暇があれば寝られるようになってしまった。
どのように屋敷を抜け出しているのかについてだが、それには三つほどの工程を経ている。
まず始めに、千代に用意してもらった材料をもとに分身を作り出す。材料としたのは、園芸用の土だ。それを水と混ぜ合わせ泥にして分身を作った。
材料は基本、呪力を帯びていない無機物ならばなんでもいいのだが、物によって作成にかかる時間が変わる。泥が最も早く、次点で土や材木などの自然物。最後に
そして、作った分身を屋敷の外へ逃がす。屋敷の警備が薄くなる時間帯を千代に探ってもらい、その隙を狙って脱出させた。分身ならば、もし見つかってもすぐに泥に戻してしまえる。
最後に、実験のために分身を増やす必要があるのだが、術式を行使できるのは天与呪縛の影響で本体のみとなっている。そうなると、分身ではなく本体を外に出したい。
故に、考えていた理論を試した。それが、「分身と本体の位置を入れ替える」というものである。これは元々、縛りに対する解決策として考えていたものだ。
分身と本体は、呪術的には同一人物だ。つまり、それぞれの位置を入れ替えることが可能だ。
これは原作に登場した
いや、実際如何なのかはわからないが、私はそう考え、その考えから本体と分身を入れ替える方法を考案した。
これを拡張術式『
実際にその理論は機能し、本体と分身の位置を入れ替えることができた。あとはそこらにある土に水をまいて呪力を混ぜ込めば、分身は作り放題というわけだ。いやまぁ、作成数に限度があるわけだが。
千代には本体での戦闘は控えるよう釘を刺されている。
そのため、基本的には分身のみ──つまり術式なしの徒手空拳で呪霊を祓っているのだが、今日は少し趣向を変えた実験を行っていた。
「く、クくくクく、ケケけッ」
思考に耽っていると、不気味な異音が鼓膜を震わせた。掠れた声が重なって聞こえるそれは、ゴキッ……ゴキッ、という音を響かせながらこちらに向かってきていることが分かった。
(……またか。本当に呪霊が多いな)
これが通常の出現頻度とは考えられない。やはり何かしら要因があるのだろう。街外れであるここら一帯は裏山含め屋敷の敷地だ。つまり、原因は屋敷の人間だろう。
(あの父親が原因……?ない話では無いだろうが……考えられるとしたら、呪術に通暁している政敵に呪われているとかか?)
考えられる材料が少なすぎる。そも、呪霊が迫っているこの状況で考えることではない。
私はこれから始まる戦闘に意識を切り替えた。
「……ハッ!!」
「ぎギゅッア!!?」
茂みから飛び出してきた呪霊の、姿を捕捉するや否や下段蹴りをお見舞する。不意打ちを避けられなかった呪霊は、蹴られた衝撃で吹き飛び、空中で一回転して地面に激突する。
円錐状の体に、蜘蛛のような長い三本足。目はなく、縦に裂けた口から粘つく涎を垂らしている異形。
足を器用に動かして立ち上がった呪霊は、歯をガチガチと打ち付けながらこちらに猛進してきた。
「きギぎきキキギッ!!!」
「耳障りだな。せめて私の役に立ってくれ」
懐から取り出したのは、三本の白い「杭」。否、それは「骨」であった。それを投げつけ、呪霊の進行方向にある地面に突き刺す。
────その頃、屋敷の私室。
行灯の灯りだけが揺れる静かな一室で、座禅を組む本体たる私は、静かに印を結んだ。外では風が鳴っている。しかし、私の意識の大半は裏山の分身の内にあった。
右手、人差指を大地へ向ける──降魔印。
左手、人差指と親指で輪を作る──摂取不捨印。
「"
そのまま呪詞を唱え始める。
呪霊が所定の範囲から出ないように、戦闘中の分身には足止めを命じた。これで私の体ができる範囲において、分身はほぼ自動に迎撃する。
様子を見るために自身の目を閉じ、分身の視覚に意識を集中させる。
「ギ、ギギッ!?」
分身は命令に対して、呪霊の足を集中して打撃を加えることで動けなくしているようだ。
本体では即座に印を切り替える。
左手の人差し指を立て、それを右手の拳で包み込む──智拳印。
体内の全呪力を、分身を介して白い杭へと送るイメージ。
「──"
「ギッ!!ぎキィぃあ、ア……ッ!!」
唱え終わると同時、地面に突き立てた三本の杭が共鳴した。仄かに暗く発光する三角錐の結界が、三本の杭を基点に展開される。
閉じ込められた呪霊が悲鳴をあげた。
その体から、先程までの俊敏さが失われていく。まるで錆びついた機械のように動きが鈍り、表皮からは白い煙が上がり始めた。
ボロボロと崩れ落ちる肉体。それはあたかも、強力な胃酸に消化されているかのようだった。
「……ふむ。実験とはいえ、要素を盛りすぎて出力が分散してしまったか。想定では一瞬で溶解するはずなんだが」
私は溜息交じりに、分身を使って呪霊を物理的に粉砕した。想定通りではなかったものの、結界術の成功に内心歓喜していた。
今回の実験は、三つの仮説を複合したものだ。
一つ目は、「白い杭」。
これは拡張術式『
二つ目は、この『外陣結界』そのものだ。
まず前提として、私は天与呪縛により分身に対し「肉体の延長」のような認識を持っている。これは自身を材料として作った「分骨」の杭にも適用される。
つまり、この杭で囲った結界内部を「自分の体内」と定義できるわけだ。
これにより、自身の生得領域を具現化する『領域展開』の劣化版──疑似的な体内領域を作り出した。
結界内部には「消化」や「免疫」の概念を付与し、外部には「皮膚」のような防御特性を持たせる。これらの概念は呪力によって再現され、今回、呪霊を蝕んだのはこの「消化」プロセスによるものだ。
そして三つ目は、天与呪縛で強化された「結界術」と「封印術」の併用だ。
結界術は前述の「外陣結界」のことで、封印術は呪霊の動きが鈍化した効果となる。だが、やはり欲張りすぎて出力が落ちてしまったらしい。
呪詞、掌印、そして細々とした縛り。これらを駆使してもこの程度か。いや、独学でここまでやれたのだから十分だろう。これらが完成すれば、切り札になり得る。
術式を自覚してから思っていたことだが、私の術式には戦闘において「決定力」に欠けている。術式それ自体には攻撃性はなく、やれる事として最初に思いつくのは囲んで叩く、数の暴力ぐらいだ。
その点、天与呪縛によって生得術式以外の呪術が強化されていたのは幸運だったと言えるだろう。これで、工夫次第だが後天的に「切り札」を得ることができるのだ。
「……今日はこのぐらいにしておくか」
最後に良いデータが取れた。
私は検証に使った分骨の杭を回収しようとしたが、そこにあったのは真っ黒に炭化した残骸だけだった。負荷に耐えきれず崩壊したらしい。
「…………はぁ。毎回作っていては呪力が勿体無いぞ。……いや、むしろ使い捨ての縛りをつけて事前に数を用意するほうがいいか?」
残念だという気持ちが湧いたが、すぐに改善へと意識を切り替える。「分骨」は一部分のみを作り出す仕様上、呪力消費が分身一体作り出すのに比べてかなり軽い。この術式において、もっとも呪力を消費するのは分身を作成する際だ。
分身の維持に関しては消費が極小過ぎて問題にならない。つまり、この術式は基本的に「事前に作っておく」ことが有効な運用方法……と言いたいところなのだが。
作り出した分身は本体同様、生命活動を食事や睡眠によって維持しなければならないため、呪力さえ供給していれば維持できるというものではない。難しいところだ。
(……考えを巡らせるのは帰ったあとにするか)
分身を屋敷へと向かわせる。最低でも一体は、次回の「躊躇位」の基点として再利用するため戻しておく必要があるのだ。私室に忍び込ませ、術式を解除して泥に戻して隠している。
◆ ◆ ◆
「……うん?」
裏山での実験から一夜明けた、昼下がり。
窓の外では、色づきかけた欅の葉が風に揺れていた。秋の日差しは柔らかく、しかし室内に差し込む光の角度はすでに低く、夕暮れを急かすように傾いている。
私は教育係から出された難解な問題集を早々に片付け、次の授業までの休憩時間を過ごしていた。
千代に入れてもらった珈琲を片手に、なんとなく窓の外を眺めていると、砂利道を噛む車輪の音と、重厚な蹄の音が静寂を破った。
ヒヒィン、と高く鳴く馬の声。
屋敷の正門に滑り込んできたのは、漆塗りの豪奢な二頭立ての馬車だ。
側面には飾代家の家紋が金で箔押しされており、手入れの行き届いた黒馬が二頭、荒い鼻息を吐いている。
御者台から飛び降りた御者が恭しく扉を開くと、中から一人の男性が降り立った。
着物の上にインバネスコートを羽織り、足元は革靴。懐からはゼンマイ仕掛けの懐中時計を取り出し、神経質そうに時間を確認している。
白髪混じりの髪を後ろに撫で付けた
「千代。父上様のお帰りだ。となると君には仕事があるんじゃないか?」
当主の帰宅だ。使用人が出迎えないのはこの上なく失礼にあたる。滅多に帰らない家長であればなおさらだ。
「旦那様が!?ご帰宅されるなんて連絡なかったのに……」
千代が顔を青ざめさせる。
当主の帰宅となれば、使用人同士で事前に連絡が来ているはずだ。それが千代にだけ伝わっていない。
女中頭か、あるいは古株の使用人か。
没落士族の娘である千代に恥をかかせ、叱責されるように仕向けたのだろう。
「いつもの嫌がらせだろう。根回しご苦労なことだ。今ならまだ間に合うだろうから、急いで行ってきな」
「はい。失礼いたします、お嬢様」
千代は手早く身支度を整えると、慌ただしく部屋を飛び出していった。
昨夜は運がいいなどと考えていたが、訂正しよう。面倒事の予感だ。
「さて、私は時間まで仮眠でも取るかな」
父が来たところで、私に直接関わることはないだろう。
幸い、向こうはこちらに教育以外で干渉しないし、こちらも求められた教養には十分応えている。
それなりの優秀さを見せつければ、出し惜しみされて早々の婚約は防げるかもしれない。そんな薄い期待を持って、出される課題は全て完璧にこなしてきた。
とはいえ、前世の知識があるとしても、かなりハードな日々であることに変わりはない。
和歌、書道、茶道、華道、裁縫、琴。これら伝統的な稽古事に加え、文明開化の波に乗る父の方針で、ピアノやヴァイオリン、さらには英語や仏語の習得まで求められているのだ。
今のところ全て吸収しているが、それが逆にハードルを上げている気もする。
(やれること全てやっていたら、際限なく求められるようになるのではないか? これ以上、したくもない婚約のために時間を取られて、呪術の鍛錬をおろそかにするのは避けたいところだな)
私は冷めかけた珈琲を飲み干し、憂鬱な溜息をついた。
父の帰宅が、私の平穏な二重生活に波紋を呼ばなければいいのだが。
次回投稿は4月22日予定です。よろしくお願いします。
残りは蛇足です。
この三年で夜永が開発した技術は二つ。『分身の自動行動』と『外陣結界』です。
分身の自動行動は外陣結界より早期に開発されました。
外陣結界は夜永がなんとか決め手となる切り札を作ろうと苦心した結果の代物です。
結界術については、集めた呪術関連の書籍から穴だらけの基礎を学んで、術式の性質を応用。天与呪縛で得た素養をフル活用して四年でなんとか構築した努力の結晶ですね。
簡易領域とは違い、結界として弱い外殻を持つので領域対策に使うと簡単に壊されます。どちらかというと「帳」に近いですね。帳内を己の呪力で満たして、仮想の体内空間として呪力操作で体内機能の代わりをさせる。まぁ、あくまで近いだけです。独自の結界術として成り立ってるので。
因みに、術者たる夜永自身も結界内にいればダメージを受けます。また、他の術師でも"自身の肉体を素材"とした基点となる杭などの道具を作れれば、外陣結界は使えます。難易度は呪詞と掌印などでかなり抑えられてるので、帳ができる程度の術師なら容易に習得できます。ただし、自身から切り離した部分を肉体の延長であると解釈できればですが。
これらに加え拡張術式『躊躇位』『分骨』を編み出しています。呪術の才能に