明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
拡張術式『分骨』
肉体の一部のみを作り出す拡張術式。腕だけを作ればひとりでに動く片腕に、眼球を作り出せば視覚情報を得ることができる。夜永はこれを、骨を主とした武具の作成に多用している。
生成時に込めた呪力分だけ存在が維持され、複雑な機能がある程呪力消費が激しい。呪力を供給し続けることで形を保てる。
千代が部屋を出て行ってから、数刻。
私は読みかけの洋書を閉じ、窓の外に広がる薄暗い空を見上げ一息ついていた時だ。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「夜永様。旦那様がお呼びです」
扉の向こうから聞こえたのは、千代ではなく、古株の執事の声だった。
予想外の呼び出しだ。
しかし、固まることなく私は鏡の前で身なりを整える。着物に乱れはないか。表情に隙はないか。
「……はい。ただいま」
私は静かに答え、部屋を出た。
◆ ◆ ◆
案内された執事の背中を追い、長い廊下を歩く。
私の住まう部屋は、広大な屋敷の北西の隅、かつては物置か使用人の休憩室として使われていた小部屋だ。
この屋敷は、元々あった古い武家屋敷を祖父が買い取り、そこに無遠慮な改築を重ねたものらしい。
古き和の骨組みに、新しい洋の肉付けを施した、歪な和洋折衷。
私のいる「旧い」区画から、父の書斎がある本邸の中心部へ向かうにつれ、屋敷の景色は一変する。
古びた板張りは、足音が吸い込まれるような厚手の絨毯へ。
薄暗いランプの灯りは、直視できぬほど眩い
壁には舶来の絵画が飾られ、花瓶には季節外れの花が生けられている。
その全てが、飾代家の繁栄と、父の溢れんばかりの財力を誇示していた。
すれ違う使用人たちが、私を見て一瞬動きを止め、すぐに壁際へと退いて頭を下げる。
その目は、敬意ではなく「畏れ」と「困惑」を含んでいた。煌びやかな本邸に紛れ込んだ、場違いな異物を見る目。
だが、あからさまな侮蔑の言葉を投げる者はいない。父の規律が隅々まで行き届いている証拠だ。この家の使用人は、当主の不利益になるような無駄口を叩かないよう徹底的に躾けられている。
「旦那様。夜永様をお連れしました」
重厚な黒檀の扉の前で、執事が声をかける。
中から、短く重い声が響いた。
「入れ」
執事が扉を開け、私を促す。
私は一礼し、その“聖域”へと足を踏み入れた。
瞬間、肌にまとわりつくような濃密な空気。
鼻をついたのは、高級な葉巻の甘い香りと、それにかき消されぬほど強く焚かれた線香の匂いだった。
書斎は広かった。
壁一面の本棚には、和漢洋の書物がぎっしりと並び、部屋の隅には値もつけられぬような古美術品が鎮座している。
だが、私の目はそれらよりも、部屋の随所に施された「違和感」に吸い寄せられた。
天井の四隅に貼られた護符。
壺の陰に隠された、注連縄のような結界具。
机の上に置かれた文鎮は、密教法具の
そして、物によってはしっかりと呪力を感じるものもある。
(……噂通り、あるいはそれ以上か)
父は呪いを恐れている。
だが、そうと悟られないように、かなり注意を払っているようだ。それらが、あくまで部屋の景観を損ねないよう、計算された配置で「配備」されている。
金と権力で、見えざる脅威をも退けようとする傲慢さと用心深さ。
それが、この部屋の主の在り方を示していた。
部屋の中央。
巨大な執務机の向こうに、その男……
────飾代
父、飾代玄蔵。
ほぼ一代で飾代の名を財閥にまで押し上げた傑物であり、帝都の経済界でその名を知らぬ者はいない。
噂に聞く彼は、並外れた商才と、目的のためなら清濁併せ呑む度量、そして競合他社を容赦なく叩き潰す狡猾さを併せ持つという。
私が最後に彼を見たのは何年も前。令嬢教育の開始を告げられた時だけだ。その時の記憶もおぼろげだが、背筋が凍るような威圧感だけは肌が覚えている。
「…………」
父は書類から目を離さなかった。
万年筆が紙の上を走る、カリカリという硬質な音だけが沈黙を埋める。
私は机の前に進み出ると、姿勢を正して直立した。
声をかけることは許されない。視線を合わせることも、動くことも。
これは「待て」の躾だ。あるいは、私の忍耐と従順さを測る最初の試験。
一分。三分。五分。
永遠にも感じる時間が過ぎ、父がおもむろに万年筆をペン立てに刺した。
椅子の背もたれに深く体を預け、葉巻の煙をゆっくりと吐き出す。
紫煙の向こうから、射抜くような黄土色の瞳が私を捉えた。
「……七年程経ったか」
三年ぶりの再会。その第一声に、情動は皆無だった。
まるで、庭木の成長具合を確認するかのような、あるいは投資した株の変動を眺めるような、徹頭徹尾、冷徹な響き。
「教育係からの報告には目を通している。学問、語学、芸術、礼法。いずれも年齢にそぐわぬ水準で習得しているとな」
「はい。飾代家の名に恥じぬよう、日々精進しております」
私が平伏して答えると、父は短く鼻を鳴らした。
「恥、か。……皮肉なものだ。路傍の泥から拾い上げた貴様が、今や本家のどの子供よりも『飾代』の役に立ちそうだとは」
その言葉に、私は内心で舌を巻く。
この男は、私を娘だとは微塵も思っていない。だが同時に、私の能力を正当に評価しているようだ。
正妻との間にいる異母兄姉たちのことは噂で耳にした。放蕩三昧の長男、病弱な次男、癇癪持ちの長女。父にとって彼らは、可愛い我が子であると同時に、飾代の未来を託せぬ「不良債権」なのだろう。
対して私は、感情を挟む価値もないが、利用価値のある「優良資産」。
「勘違いするなよ、夜永。貴様が優秀なのは、私が金をかけ、最高の教育環境を与え、徹底的に磨き上げたからだ」
「……承知しております。この身にある教養、着るもの、住まう場所。全ては父上様の慈悲と投資によるものです」
「そうだ。貴様は私の『作品』だ」
父が立ち上がり、窓際へと歩く。
窓の外には、広大な庭園と、その奥にひっそりと佇む「離れ」が見えた。
今は使われていない、閉ざされた建物。
かつて母が住まわされ、そして死んだ場所。
「近々、夜会がある。軍の高官や、海外の貿易商も招く予定だ。……そこで貴様をお披露目する」
「お披露目、ですか」
「ああ。まだ七歳とはいえ、その容姿と才気は目を引く。早いうちに唾をつけておきたいと考える好事家もいるだろう。……貴様には、私のビジネスを円滑にするための潤滑油になってもらう」
父の言葉に、私は静かに頷くしかなかった。
見世物として、あるいは接待の道具として。あわよくば、有力者の子息との婚約を取り付けるための手駒。
この男の頭の中にあるのは「損益分岐点」と「利益率」だけだ。
「……畏まりました。父上様のご意向のままに」
「良い返事だ。……賢い子供は嫌いではない。無駄な手間がかからん」
父は私に背を向けたまま、窓の外の「離れ」を見下ろしている。
その背中から、ふと、鋭い殺気にも似た圧力が放たれた。
「だが、賢すぎる道具は、時に持ち主の手を噛むことがある」
「…………」
「あの女もそうだった。……夜永、貴様のその目。その色は、あの女によく似ている」
父が振り返る。
黄土色の瞳が、私の奥底を見透かすように細められた。
「私の前で、あまり目立つ動きをするなよ。……その目を見ていると、忌まわしい記憶が呼び起こされる」
それは恐怖の告白ではない。
「怪しい動きを見せれば、即座に処分する」という、明確な警告だった。
(……母のことか)
亡き母は、旧家の令嬢だったと聞く。男尊女卑の激しい生家で虐げられ、全ての鬱憤の掃き溜めにされた末、この飾代家に捨てられるように流れ着いた。
だが、意志の強い女性だったらしく、反抗心はついぞ失われなかったという。
父は若い頃、そんな彼女を力で支配しようと、凌辱の限りを尽くした。結果、私が生まれ、母は死んだ。
おそらく、母の生家は呪術に関わる家系だったのだろう。父は本能的な嗅覚で、私の内にも流れるその不気味な血を感じ取っているのかもしれない。
だからこそ、手元に置きながらも、決して心は許さず、厳重な監視下に置く。
(流石に呪術の鍛錬についてはバレてないだろうが……)
私は戦慄と同時に、奇妙な納得感を覚えていた。
この男は、ある意味化け物と呼べる。呪霊とは違う、人間としての怪物。欲の化身。
だが、交渉の余地はある。
利益さえ示せば、この男は悪魔とでも手を組むだろう。
「肝に銘じます。……では、失礼いたします」
私は深く一礼し、踵を返した。
重厚な扉が閉まるその瞬間まで、父の視線が背中に突き刺さっていたのを感じた。
廊下に出ると、張り詰めていた糸が緩み、冷や汗が背中を伝うのが分かった。
(……合理的で非合理的な男だ)
商品。潤滑油。私が使えるからいまだに手元に置き、母の血を引くから嫌悪する。
結構なことだ。まぁ、このまま飾代の道具として生きるつもりなど毛頭ないがな。
廊下を歩いていると、千代が立っていることに気がついた。どうやら私の事を聞きつけて待ってくれていたようだ。
「夜永お嬢様。お疲れ様でございました」
「あぁ、千代。全く、こんな幼子を虐めて何が楽しいのやら。」
「…………どのような、内容の呼び出しだったのですか?」
「私のお披露目をすると言っていたよ。あとは、少し釘を刺されたかな。「調子に乗るなよ」ってな感じでね」
「それは……もしや呪術のことが……っ」
「いや、明確に分かっている訳じゃなさそうだ。ただ漠然と、何かしていると気取られているようだけれどね」
「……くれぐれもお気をつけ下さい」
「あぁ。……分かっているよ」
本編無関係のおまけ裏話
飾代玄蔵は、明治の実業家『岩崎弥太郎』をほんの少しだけ参考にしています。玄蔵が、彼の父親の代で生まれていれば、もっと力のある財閥として確固たる地位を得ていたでしょう。