明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
明治三十五年。余寒の残る頃。
年も変わり、春に近づいてきたが、まだ帝都には冷たい空っ風が吹き荒れていた。
この数ヶ月、私は多忙を極めていた。
まず、「促成士官教程」による座学だ。軍人としての規律、戦術論、信号の読み方に至るまで、短期間で頭に叩き込まれる。
「促成」と名のつくとおり内容は最低限のものだが、それでも士官候補生に求められる教養は膨大だ。令嬢教育とは全く異なる論理体系であり、今まで手を貸してくれた前世の知識も、今や遠い記憶の彼方。私は以前より一層勉学に身を投じ、なんとか知識を習得していった。
それと並行して行われる、呪術師としての実戦鍛錬。
基礎的な呪力操作や体術を見直しながら、実際に帝都に出現した低級呪霊の掃討任務に駆り出される。
これらは幸い、分身を用いた戦闘スタイルは既に確立していたため、後れを取ることはなかった。
最も収穫だったのは、独学では限界のあった汎用術──結界術、封印術、式神術や呪具、呪符の構成理論などを体系的に学べたことだ。
総隊長である片桐中佐直々の手解きに加え、天与呪縛による「汎用呪術の向上」も相まって、こちらは乾いた砂が水を吸うように術師としての地盤を固めていった。
そんな順調な日々を送っていた私が片桐中佐に呼び出されたのは、座学を終えて教室を出た直後だった。
「そろそろお前には特殊討伐隊として、集団戦を学んでもらう」
「集団戦……ですか」
「そうだ。お前の術式ならば集団による多対制圧の有用性は理解しているだろう。軍隊の本質は組織力だ。これからは、軍属の術師に求められる連携行動を習得しろ」
私は渡された階級章を手に取る。
金色の線が入ったそれは、下士官の証。
「これからは帝都内の訓練任務ではなく、正式任務に出てもらう。それに伴い、士官候補生のお前には一時的に陸軍軍曹の階級と、呪術師として『準二級』の等級を割り当てられる。俺の所感ではお前は二級に達していると思うが、任務経験の不足などを考慮してこの位置だ」
「了解です」
コンコンッ。
階級章を受け取っていると、不意に背後の扉がノックされた。階級氏名の名乗りを待たず、中佐は短く「入れ」と声をかける。
重厚な扉が開き、一人の少年が姿を現した。
年齢は十七歳前後だろうか。
「
珍しい色素の薄い
華奢な体躯だが、纏っている呪力の質は鋭利な刃物のようだ。
「九京。事前に伝えたとおり、これからは羅睺隊の分隊長として動いてもらう。……こいつがお前の相棒になる、飾代軍曹だ」
特殊討伐隊の術師は、基本的に
彼が、私の
「飾代 夜永軍曹です。術師等級は準二級。……よろしくお願いします、九京准尉殿」
私は敬礼し、形式通りの挨拶を述べる。
九京は丸眼鏡の奥で私を一瞥した後、感情の読めない顔で中佐へと向き直った。
「…………総隊長殿。これは何かの冗談、あるいは試験か何かですか?」
「いいや、大真面目だとも。まあ、疑うのも無理はないがな。この人事の正当性は、こいつと一度でも死線を潜れば理解できるはずだ」
「そうですか……」
九京は小さく溜息をつき、再び私に視線を戻した。感情を感じさせないが、どこか冷ややかな目だ。まぁ、女児と呼べる私のお守りを押し付けられれば誰でもこんな態度になるか。
「飾代軍曹。先程聞いただろうが改めて、私は九京 綴准尉だ。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
「……ちなみに年齢を聞いても?」
「八歳です」
一瞬、レディに年齢を聞くなんて、とでも返そうかと思ったが、流石に冗談が過ぎると引っ込めた。
私のくだらない思考をよそに、九京は片桐に対して胡乱げな目線を向ける。
「……羅睺隊として運用を始めるのは十五歳からの予定だと伺っていたのですが」
「軍曹は大山閣下が抜擢した例外だ。それにお前だってまだ十四だろう?羅睺隊はたしかにその予定で開始する予定だが、お前らはその中でも実用段階にあると判断されて分隊を組ませるんだ。謂わば、大隊の先行試験分隊だな。分かったな?准尉」
「……軍命とあらば」
九京は肩をすくめ、敬礼を返した。
中佐はニヤリと笑い、最後に命令を告げた。
「よし。本日は顔合わせまでだ。後日、分隊として遠方の任務に出てもらう。軍曹にとってはこれが初の正式任務だからな。准尉は留意しておくように。それと、連携強化のため、宿舎は二人一組の相部屋となる。宿舎棟受付で鍵を受け取っておけ。以上だ」
「「……失礼いたします」」
二人揃って敬礼し、部屋を退出する。
廊下に出ると、重苦しい沈黙が落ちた。
共有部屋。
年頃の少年少女を同室にするとは、軍の合理主義も極まれりといったところか。
……いや、もしかしたらそういう"お手つき"を狙っているのか?軍部としては使える術式を持つ術師には子を作って欲しいだろうからな。あわよくば程度だろうが、そういった思惑がありそうだ。
「……まずは、移動する部屋に荷物を移しますか」
「了解しました、准尉殿」
九京が独り言のように呟き、私の返事も待たずに歩き出す。
◆ ◆ ◆
「准尉殿。准尉殿の術師の等級は
荷物を整理する手を止めず、私は背中に話しかけた。
九京准尉は、自分の荷物──使い古された革鞄をベッドに置きながら、振り返ることもなく答える。
「僕は二級だよ」
おや。先程と違い、随分と柔らかい口調だ。
振り返った彼の表情も、先程までの冷徹な鉄仮面が嘘のように、人当たりの良さそうな少年のものに変わっていた。
なんだ、少し薄気味悪いな。
「そうなのですか。……先程までと随分雰囲気が異なりますね?」
「あぁ、あれは軍人として取り繕っているだけだよ。素はこっちさ。君とは長くなりそうだしね。それとも、変えないほうがいいかい?」
彼は丸眼鏡の位置を直しながら、こちらに薄ら笑いを向ける。
「准尉殿の楽な方で構いません」
「そうかい?……君の"それ"は崩さないんだね」
「私の口調は元々こういうものですので」
脳裏に千代の「なら今までの口調はなんだったんですか!」という小言が過ぎり、少し懐かしい気分になる。
私とて、この取り繕った口調と態度は億劫だと感じるが、童女が軍でやっていくにはこちらのほうが何かと都合がいいだろう。
「ちなみにこのあとの予定は?」
九京の問いかけに意識が現実に戻る。
「午後からは訓練任務の予定が入ってます。准尉殿は?」
「そうなのか。こちらは何もないかな。もう士官教程は修了していてね。任務がない時間は自由時間になっているんだ」
「そうなのですか?……軍人となるともう少し厳しいものを想像していました」
「他所はそうなんじゃないかな? ここは"特殊"だからね」
彼は革鞄から数冊の分厚い洋書を取り出し、机の上に積み上げる。
「術式は千差万別だ。自己鍛錬が基本になるし、精神状態が呪力に直結する以上、過度な強制は逆効果になりかねないって考えらしいよ」
なるほど。確かに術式や呪力量などによって鍛錬内容が大きく異なる術師たちをまとめて訓練するのは非効率的。
それぞれが自由に長所を伸ばしてもらう方針なのか
「そうなのですね。……中佐殿が准尉殿を十四歳と仰っていましたが、いつからここで術師を?」
促成士官教程を修了していると言っていたが、それならば最低でも二年前からここで活動していることになるな。
「僕が第二特務課に所属し始めたのは五年前、九歳の頃だよ。入った理由は紆余曲折になるから省くけど、元々は鞘内隊所属の訓練生だったんだ。羅睺隊発足と共に異動になって、促成士官教程に参加。今年卒業したって感じだよ」
『鞘内隊』
特殊討伐隊「鵺」における、補助及び訓練大隊。その実態は、現代で言うところの「窓」や「補助監督」に近い裏方の部隊だ。
帝都の警邏や、呪術関与の疑いがある事件の調査などに従事する。また、場合によっては本隊である抜刀隊の補助を行うこともあり、その内容は多岐にわたる。
「はぁ、抜刀隊配属も間近だったかもしれないのに、急にこっちに引っ張られるなんて嫌になるよ」
九京が大げさに肩をすくめる。
抜刀隊は、鞘内隊から選び抜かれた精鋭によって構成される実働部隊だ。そこに配属されることは、実力の証明であり、軍人としての出世コースでもある。
「今度はこっちの番。君はどうしてここに?年齢については僕も言えたことじゃないけど、それでも随分若いじゃないか」
「そうですね……。私の場合、大山准将閣下に──」
その後、二人は作業を続けながら雑談に興じていた。これは夜永の座学が始まるまで続き、互いに親睦を深めていった。