基本毎日更新したいけど、書くのが間に合わなくなってきた
憲倫が山を下りる頃には、夜はすでに深く沈んでいた。
風は冷たく、乾いている。
木々の合間を抜けるそれは、つい先刻までの激闘など知らぬ顔で、ただ一定の調子で吹き続けていた。枝が触れ合う音すら控えめで、この山そのものが何事もなかったかのように振る舞っている。
だが、地は違う。
足元の土は、ところどころ黒く変色している。
踏み締めるたびに、わずかに湿り気を帯びた感触が返る。血ではない。だが血と同じように“何か”を吸った土の重さだ。
呪力が染みついた痕跡——飢えの名残。
加茂憲倫は、その上をゆるやかな足取りで進んでいた。
「……静かであるな」
ぽつりと呟く。
戦いの余韻は、まだ確かに残っている。
肌の奥に残る鈍い熱。指先に残るわずかな違和感。血を操った後特有の、微細な疲労。
だがそれらは、彼にとって“消耗”と呼ぶにはあまりに軽い。
「もう少し騒がしくともよかったのだが」
軽く肩をすくめる。
その背には、小さな体があった。
細い腕が、ぎこちなくも確かに憲倫の肩に回されている。
指先は着物の生地を掴み、まるでそこだけが命綱であるかのように離さない。
憲倫は帯のあたりで軽く支え、重心を安定させていた。
山道は険しい。石は滑り、土は不安定で、少しでも踏み外せば体勢を崩す。
だが彼の歩みには一切の揺らぎがない。
足を置く位置、体重の乗せ方、次の一歩の選択——すべてが自然に、そして正確に積み重ねられている。
子どもは眠っていた。
だが、完全に力を抜いているわけではない。
背中越しに伝わる筋肉の微細な緊張。指先のこわばり。
それは眠りながらも警戒を解いていない証だった。
「夢の中ぐらい気を抜け」
小さく言う。
その声音には、わずかな苦笑が混じる。
「まぁ、あよい。好きにせよ」
歩みを止めることなく続ける。
段差に差し掛かると、ほんのわずかに歩幅を狭める。
傾斜がきつくなると、体を少し前へ倒し、背中の重みが滑らぬよう調整する。
すべてが無意識の動きだった。
「よくもまあ、この中で生きておったものだ」
背に感じる体温は弱い。
軽い。あまりにも軽い。
骨の位置が分かるほどの細さ。
食事をまともに取れていないのは明らかだった。
「帰ったらたらふく食わせてやろう」
ぽつりと呟く。
返事はない。
だが、それでよかった。
むしろ、この静けさが今は都合がよい。
やがて、山道が緩やかになり、視界が開ける。
遠くに灯が見えた。
加茂家本邸。
普段より灯が多い。
門の前にも人影がいくつも見える。
待っているのだ。
憲倫はそれを一瞥し、わずかに目を細めた。
「……律儀であるな」
感心とも呆れともつかぬ声音で言う。
門をくぐる。
すぐに声が上がる。
「当主殿!」
「ご無事で——」
張り詰めた声。
だがその中には、安堵が混じっていた。
「うむ」
憲倫は軽く手を上げる。
「戻った」
それだけで十分だった。
空気がほどける。
だが同時に、抑えきれぬ問いが次々に飛ぶ。
「お怪我は!」
「相手は特級と——」
「禪院との任務、いかがでしたか!」
憲倫はそれらを受け流すように、わずかに肩をすくめる。
「騒がしいな」
「心配しておるのです」
古参の術師が低く言う。
その視線が、憲倫の袖へと落ちる。
乾いた血。
黒く変色し、布に染み込んでいる。
「……その血は」
憲倫は一度だけそれを見下ろし、軽く息を吐いた。
「大半は禪院の血だ」
一拍。
空気が止まる。
「……は?」
若手のひとりが思わず声を漏らす。
「事実である」
憲倫はあっさりと言い切った。
「斬り合いになれば、あの男は無駄に前へ出るゆえな」
軽く肩をすくめる。
「結果として、よく流す」
まるでどうでもいい話のような口調だった。
「もっとも」
わずかに目を細める。
「本人はそれを“誇り”か何かと勘違いしておる節があるが」
小さく鼻で笑う。
軽い皮肉。
だがどこか愉快そうでもある。
場の空気は、反応に困って固まっていた。
憲倫は気にした様子もなく続ける。
「安心せよ」
「死ぬような傷ではない、たぶんな」
さらりと言う。
「少なくとも、あの程度でくたばる男ではあるまい」
わずかに口元を歪める。
「そうでなければ、こちらが困る」
その言葉に、ようやく空気がわずかに動く。
理解したのだ。
それは冗談ではない。
前提だ。
腐っても御三家の当主を背負う男は、その程度では死なない。
それが当然であるという認識。
そこでようやく、視線が背中へと向く。
「……その子は」
側近が静かに問う。
憲倫はわずかに首を傾ける。
「落ちていたので拾った」
「当主殿」
即座に咎めが入る。
「では保護してきた、としよう」
言い直す。
「山中で見つけた。命はあったゆえ、連れてきた」
それでようやく、場の空気が落ち着く。
「客間は整っております」
「結構」
憲倫は頷き、そのまま屋敷へと入る。
客間にて着き、背中からそっと子どもを下ろす。
布団へ横たえようとしたその瞬間——
指に力が入る。
離れまいとするように。
「……」
憲倫は一瞬だけそれを見る。
静かに言う。
「もう心配入らぬ」
その声は低く、落ち着いていた。
それを伝わったのか、指の力がわずかに緩む。
布団に横たえる。
体はやはり軽い。
掛け布団を整え、肩までかける。
顔を少しだけ確認する。
呼吸は安定している。
「少しは休め」
それだけ言って、静かに部屋を出た。
翌朝。
柔らかな光が差し込む。
子どもはゆっくりと目を覚ました。
まぶたが開く。
光に慣れるまで、しばらく動かない。
知らぬ天井。
知らぬ匂い。
だが——痛みはない。
体を起こす。
その動きを、部屋の端から見ていた男がいた。
「起きたか」
声に、びくりと肩が跳ねる。
「……だれ」
「昨日、山から連れてきた者である」
「ここは加茂家である」
少しの沈黙。
やがて、子どもは小さく頷いた。
「名を聞いておらぬな」
言葉が止まる。
だが逃げない。
「……
そう名乗る。
憲倫の目がわずかに細まる。
「……狗巻、とな」
「はい」
「ほう」
口元がわずかに緩む。
「それはまた、興味深いモノを拾ったものだ」
言緒は小さく首を傾げる。
「狗巻家といえば、呪言で知られる家であるな」
その言葉に、目がわずかに揺れる。
「やはり、であるか」
「口元の気配で分かる」
それ以上は踏み込まない。
「家族はおるか」
沈黙、その後。
「いない、ずっと一人」
「そうか」
それだけ。
だが言緒は続ける。
「……帰る場所も」
短い言葉。
それで十分だった。
「であれば」
憲倫はあっさりと言う。
「ここにおればよい」
「……いいの」
「悪い理由があるかね」
答えはない。
だが、肩の力がわずかに抜けた。
ほんのわずかに。
確かに。
その変化を、憲倫は見逃さなかった。
だが、何も言わない。
ただ——
「さて」
軽く手を叩く。
「さっそくだが一仕事である」
いつもの調子で言った。
広間にて。
言緒は、加茂家の者たちの前に立っていた。
畳は磨き上げられ、柱は寸分の狂いもなく立ち並ぶ。障子越しに差し込む朝の光は柔らかいが、その場にいる者たちの気配はそれとは対照的に張り詰めていた。
視線が集まる。
正面から。横から。値踏みするようなものもあれば、単純な好奇心のものもある。だがいずれにせよ、逃げ場はない。
言緒は小さく肩を強張らせていた。
足元に意識が落ちる。
呼吸が浅くなる。
その様子を、憲倫は横目で見ていた。
「そう固くなるでない」
穏やかな声。
だが、その一言だけで場の空気がわずかに緩む。
「ただの木偶の坊達だ」
さらりと言う。
一瞬の間。
「当主殿」
即座に側近から肘打ちが入る。
間髪入れぬ反応に、場の数名がわずかに肩を揺らした。
憲倫はくつりと笑う。
「冗談である」
そう言いながら、ほんのわずかに言緒へ視線を向ける。
怖がらせぬよう、だが緩ませすぎぬよう。
絶妙な距離感。
そして続ける。
「この者は言緒。どうやら狗巻の血筋のものだ。しばらく預かる」
場が、わずかにざわついた。
声に出す者はいない。
だが空気が揺れる。
狗巻の姓を理解している者ほど、反応は鈍くなる。
憲倫はその中で、ひとりに視線を向けた。
「恒一」
「はっ」
呼ばれた青年が反射的に前へ出る。
加茂
背筋は真っ直ぐに伸びている。
視線も逸らさない。
だが、ほんのわずかに肩に力が入っているのが分かる。
緊張を隠し切ることはできない。
「世話を任せる」
あまりにも自然に言われる。
「……私が、ですか」
ほんの一瞬だけ、言葉が遅れた。
それは反抗ではない。
理解が追いつくまでの僅かな間。
「不満かね」
静かな声音。
圧はない。だが逃げ場もない。
「いえ!」
即答。
反射に近い。
だがその後、ほんのわずかに眉が寄る。
責任の重さを理解した顔だ。
子どもの世話だけではない。
“当主が連れてきた存在”の管理。
それが意味するところを、恒一は理解していた。
憲倫はそれを見て、わずかに笑う。
「よい。そう気を張るな」
軽い口調。
だがその軽さが逆に重い。
「当主殿が張らなすぎるのです」
恒一がぽつりと返す。
その声には遠慮がある。だが完全には引いていない。
それが、この男の立ち位置だった。
「心外であるな」
憲倫は肩をすくめる。
ほんの僅かに、場に笑いが漏れる。
緊張が一段、解ける。
言緒はそのやり取りを、じっと見ていた。
理解は追いつかない。
だが、怖くはない。
それだけは分かる。
「では、出るぞ」
唐突に、憲倫が言う。
「え、今からですか」
恒一が素直に驚く。
思考より先に声が出た、そんな調子だった。
「よいから来い」
あっさりと言う。
言緒の方を見る。
「歩けるかね」
小さく頷く。
だが足取りはまだ不安定だ。
「無理をするな」
そう言って、自然な動きで言緒を軽く抱え上げる。
「……え」
言緒が驚く。
「軽い」
それだけ言って、歩き出す。
「当主殿、それは……」
「何だ」
「いえ、何でもありません」
恒一は諦めたように息を吐いた。
結局、三人で屋敷を出ることになる。
⸻
寺にて。
朝の空気は冷たいが、どこか澄んでいる。
木々の間を抜ける光が、境内に柔らかな影を落としていた。
石畳は掃き清められ、苔の色も整っている。
決して大きな寺ではないが、手入れは行き届いていた。
その静けさの中に、ひとりの男が立っていた。
「おや、憲倫様」
柔らかな笑みを浮かべる。
その目は穏やかで、相手を値踏みする色が一切ない。
「朝早くに、どうされましたか」
「顔を見に来ただけである」
憲倫は軽く言う。
「それでも嬉しいものです」
静継は深く頭を下げる。
その所作には無駄がない。
だが、どこか人の良さが滲む。
視線が言緒へ向く。
「その子は」
「拾い物である」
「当主殿」
恒一が即座に突っ込む。
静継はくすりと笑った。
「この子は狗巻言緒だ。よろしく頼む」
「相変わらず楽しいお方ですね」
優しく言う。
「言緒くん、ですね」
言緒は一瞬迷い、そして小さく頷いた。
「ここは安心していい場所ですよ」
静かな声。
だがその言葉には、不思議な温かさがあった。
押し付けない。
ただそこにあるだけの優しさ。
言緒の肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
縁側にて。
木の床は朝の冷気を含んでいるが、日差しがそれをゆっくりと和らげていく。
庭は簡素だが整っている。
砂利、低木、そして小さな水鉢。
静継がゆっくりと語り始める。
「この寺は、元は私一人で守っておりました」
穏やかな声音。
無理に感情を乗せることはない。
「ですが、時代の流れもあり……」
少しだけ目を伏せる。
言葉を選ぶように、間を置く。
「檀家も減り、維持も難しくなり」
「土地ごと手放すしかないかと考えていたところに——」
顔を上げる。
「憲倫殿が救いの手を差し伸べてくださったのです」
「大げさである」
憲倫が言う。
「資金も人員も余っておっただけだ」
「それでも」
静継は静かに頭を下げる。
「返しても返しきれぬ恩がございます」
その言葉に嘘はない。
飾りもない。
ただ、まっすぐだった。
「この者は元1級術師でな」
憲倫が言う。
「術師を辞め、寺を継いだ」
「ええ」
静継は頷く。
「ですが最近は、皆様のおかげで負担も減りまして」
柔らかく笑う。
「近いうちに、術師としても復帰しようかと」
その声には、静かな決意があった。
無理に力を込めたものではない。
だが、確かに前を向いている。
「ほう」
憲倫が言う。
「それは楽しみであるな」
「まだ未熟ですが」
「そんなことは無い」
軽く返す。
⸻
静かな時間が流れる。
言緒は庭を見ている。
砂利の白さ。
木の影の揺れ。
水面の静けさ。
戦いの記憶とはあまりにも違う光景。
恒一はその隣で、どこかぎこちなく立っている。
声をかけるべきか、距離を保つべきか。
判断がつかない。
それでも視線だけは外さない。
それが彼なりの“役目”だった。
憲倫はその二人を眺める。
そして、ふっと笑った。
「……よい」
小さく呟く。
「少しは骨休めになるであろう」
その声音は、珍しく柔らかかった。
だが。
その目の奥には、まだ消えぬものが残っている。
戦いの残滓ではない。
もっと別の——
何かを考えるような、静かな光。
憲倫
冗談を言うと加茂家の面々にたまに咎めらてすまーん!!ってなる。
なお何回か冗談が過ぎてガチオコされた経験あり。その時は普通に落ち込んだ。寝たら忘れる。 恒一と言緒の呪術師としての才能を見抜いている。
静継とはよくお酒を飲みに行く仲。酔い潰されないように実は全力で血液中のアルコール濃度を術式でコントロールしている。
加茂恒一
加茂家の優秀な若手。術式持ち。いつも憲倫にからかわれたり振り回されたりしてる苦労人。期待されていることを本人は知らない。
狗巻言緒
狗巻家の血筋で呪言持ち。ただ棘くんみたいに語彙を縛らなくても呪言を制御できる。モジュロの宇佐美さんが呪言持ちなのに普通に喋ってたのでこの設定。憲倫に期待されていることを本人は知らない。
この子を主人公とした作品が作者の中にあったが没になったためここで消化している。
藤代静継
代々受け継がれた寺を継いだがその時期にちょうど両親が亡くなったため、ろくな引き継ぎもできず一人でなんとか切り盛りしていたがそれにも限界がきて土地ごと手放すしかないと絶望していたところ憲倫が呪術師の拠点にすることを条件に資金援助をしてくれた。
現役で呪術師をしていた時に憲倫と任務が同じになりそこが初対面。
任務後の飲みの席で仲良くなってすごく気にいられたから資金援助してくれたことを気づいてない。
めちゃくちゃ性格がいいが酒が強すぎるという欠点?がある。