明治強者加茂憲倫   作:カツオのタタキ

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お久しぶりです。
久しぶりに開いたらルビの振り方とかフォントの変え方とか全部忘れました。
前書き、後書きに定期的に挿絵というかキャラクターの絵を貼るつもりです。ai絵なので苦手な方はご注意ください。あとなにか問題があれば消します。

加茂恒一

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藤野静継

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狗巻言緒

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第六話 誘い

 

 

女が寺を訪れてから、数ヶ月の時が経っていた。

 

 当初の騒ぎはすでに収まり、表向きには何事もなかったかのように時間は流れている。山に抱かれた寺は変わらず静かに佇み、朝になれば僧が境内を掃き清め、昼には訪れる者もなく、夜には灯りが最小限に落とされる。その営みは規則正しく、乱れがない。季節は確かに巡っているはずなのに、この場所だけはどこか時間の流れから切り離されているかのようでもあった。

 

 だが、その静けさは自然に積み重なったものではない。

 

 人の出入りは厳しく制限され、寺へと続く山道には見張りが置かれ、外からの視線を遮るように結界が張られている。それは強固な防壁ではない。呪霊を弾くためのものでもない。あくまで“気づかせない”ためのものだった。この場所に何かがあると、外に悟らせないための結界。

 

 さらに、寺の内外には常に加茂家の術師が配置されていた。いずれも固定ではなく日替わりで入れ替えられ、巡回の時間も経路も一定ではない。昼と夜で動きは変えられ、あえて規則を崩すことで外から観測した際に一定の法則が見出せぬようにしている。同じ顔を長く置けば動きは読まれる。巡回の癖もまた、やがては“穴”になる。ゆえに変える。変え続ける。その運用そのものが防御であった。

 

 だが、それでも完全ではない。

 

 境内の奥、人払いされた一室。柔らかな光の中で三人の男が向かい合っていた。

 

 加茂憲倫。

 加茂恒一。

 藤代静継。

 

 机上には女を診察した医師による記録が並べられている。

 

 憲倫はそれらを手に取り、静かに目を走らせた。紙をめくる音だけが室内に響く。やがて読み終えると、重ねて机に置く。

 

「……異常は見られぬ、か」

 

 静継が頷く。

 

「はい。脈拍、呼吸、体温、いずれも平常。血の巡りにも滞りはなく、内臓にも損傷は見られぬとのことです」

 

 恒一が続ける。

 

「医師の見立てでも、特に問題はないと。経過も順調との報告でした」

 

「そうか」

 

 憲倫は短く応じる。

 

 紙に書かれた内容に不審はない。回復も自然であり、異常と呼ぶべき点は見当たらない。術式の影響も検出されていない。少なくとも“人としての身体”という観点では、何一つ問題は存在しなかった。

 

「……ならば良い」

 

 それだけ言って紙から手を離す。

 

 室内に静かな間が落ちた。

 

 静継が口を開く。

 

「当面はこのまま寺で静養させるのがよろしいかと。外へ出す理由もございません」

 

 憲倫はわずかに首を振る。

 

「静養、というより――隠す、だな」

 

 二人の視線が上がる。

 

「外へ出せば目を引く。呪霊だけではない。呪詛師の類にもな」

 

 淡々とした声だった。

 

「今はまだ何も起きておらぬ。だが“何も起きていない状態”こそが最も価値のある時でもある」

 

 恒一が頷く。

 

「……存在を知られぬことが、最も安全ということですか」

 

「うむ」

 

「目をつけられた時点で事は動く。動いた後では遅い」

 

 静継が言う。

 

「ゆえに人の出入りを制限し、術師を日替わりで配置しているわけですな」

 

「そういうことだ」

 

 憲倫は奥へ視線を向ける。

 

「同じ顔を置けば読まれる。巡回の癖もな。ゆえに変える」

 

 恒一が補足する。

 

「巡回経路も固定しておりません。時間も一定ではありません。外から見て規則が掴めぬようにしております」

 

「それでも――」

 

 憲倫が静かに言う。

 

「一度抜かれている」

 

 空気がわずかに張り詰める。

 

 恒一が口を開く。

 

「……門番の件、ですか」

 

「うむ」

 

 憲倫は頷く。

 

「外周を任せていた術師が一人、消えた」

 

 静継が低く言う。

 

「痕跡は、一切残っておりませぬ」

 

「争った形跡もない。結界の乱れもない。気配も途切れている」

 

 恒一の声がわずかに硬くなる。

 

「……内部の者ではないとすれば」

 

「分からぬ」

 

 憲倫は遮る。

 

「だが確かなのは、“何者かがこの場に干渉した”という事実だ」

 

 短い沈黙。

 

「ゆえに警備を強化した」

 

 それで十分だった。

 

 その時、廊下を進む足音がした。

 

「当主殿、総監部より急ぎの報せにございます」

 

「入れ」

 

 書状が差し出される。憲倫はそれを受け取り、目を通す。

 

「……ほう」

 

 恒一が問う。

 

「何がありましたか」

 

「陸奥国、白河以北の山中にて“帳”が確認された。洞窟一帯を覆う規模だ」

 

 静継が言う。

 

「帳、ですか」

 

「内部にはすでに式神が送り込まれている」

 

「内部は」

 

「生得領域が広がっていたそうだ」

 

 沈黙。

 

「……呪霊の」

 

「可能性は高い」

 

 憲倫は続ける。

 

「外側の帳と内側の生得領域。二重構造だ。領域を扱う呪霊である可能性があるな」

 

 静継が言う。

 

「特級、ですな」

 

「そう見るのが妥当だ」

 

 空気が重くなる。

 

 恒一が言う。

 

「当主殿、お一人で向かわれるおつもりですか」

 

「無論だ」

 

「しかし――」

 

「分かっておる」

 

 憲倫は遮る。

 

「だからこそ、お前たちは残る。この寺と、あの女を守れ。それだけを考えろ」

 

 静継が深く頭を下げる。

 

「命に変えても、この場所は守り抜きます」

 

 その言葉は重かった。

 

 憲倫はそれを聞き、わずかに息を吐く。

 

「……大仰だな」

 

 一拍。

 

「死ぬ必要はない」

 

 静継が顔を上げる。

 

「しかし――」

 

「守るというのは、生きて為すものだ」

 

 静かに言い切る。

 

「命を捨てて成したものは、後に何も残らぬ」

 

 静継の目が揺れる。

 

「守れ。ただし、生きて守れ」

 

 静継は深く頭を下げる。

 

「……承知いたしました」

 

 恒一も続く。

 

「必ず守ります」

 

 憲倫は頷く。

 

「それでよい」

 

 踵を返す。

 

「準備を整える。半刻もせず発つ」

 

 襖へ向かう。

 

 そして――

 

 足が止まる。

 

 手をかける直前。

 

 ほんのわずかな間。

 

 思考が奥へ向く。

 

 女のいる場所。

 

 守りは万全。

 

 だが、一度抜かれている。

 

 その事実が、僅かに残る。

 

 ほんの一瞬。

 

 だが確かに、その間は存在した。

 

 やがて憲倫は静かに息を吐く。

 

 迷いを断つように、襖を開ける。

 

 光が差し込み、その背を照らす。

 

 振り返ることはない。

 

 そのまま、歩み去る。

 

 後には、何も残さぬように。

 

 

 

 

 

 寺を発ってから、半日が過ぎていた。山を越え、谷を抜け、人の営みの痕跡すら完全に途切れた先――陸奥国、白河以北。その奥深くに、加茂憲倫は辿り着いていた。道と呼べるものはとうに消え、踏み分けられた形跡すら残らない。風は通っているはずなのに葉擦れの音は弱く、鳥の気配も薄い。自然にあるはずの揺らぎが、どこか削ぎ落とされている。

 

 視線の先、山肌に裂け目のように口を開けた洞窟。その手前で憲倫は足を止める。見えない境界がそこにある。踏み出さずとも分かる。外界と内側を分ける“層”が、空気の質そのものを変えている。帳。しかも短時間の遮断ではない。長期維持を前提に組まれた結界でありながら、綻びが見当たらない。呪力の流れは均一で、歪みも偏りもない。時間をかけて調整され、その状態を保ち続けている構造だ。

 

 だが、それは外側の話に過ぎない。憲倫の意識はすでに洞窟の奥へと向いている。そこに沈んでいる気配は、帳とはまったく別の性質を持っていた。濃度ではなく、質の違い。空間そのものが異なる理で成立している。領域。それも展開直後の荒さを残したものではなく、すでに安定しきった“完成形”に近い状態。

 

 外で閉じ、内で成立させる。構図だけを把握した時点で、思考は止まる。必要な判断は済んでいる。あとは踏み込むだけでいい。憲倫は一度だけ呼吸を整え、そのまま境界を越えた。

 

 景色が断ち切られる。

 

 洞窟は消えていた。足元に広がるのは、黒く焼けた地面。細かな灰が薄く積もり、踏み込めばわずかに舞い上がるが、風はない。浮いた灰はその場で落ち、空気の流れというものが感じられない。静止しているのではない。動く必要が削ぎ落とされている。

 

 同時に、熱がある。激しく燃え上がるようなものではない。だが皮膚の表面にまとわりつき、じわじわと削るような不快な熱が逃げ場なく続く。距離を取れば和らぐという性質ではない。この場そのものが、そういう状態で固定されている。

 

 空を見上げる。赤黒く濁った空が広がっている。雲とも煙ともつかぬものが層を成し、光はあるのに温度を伴わない。照らしているだけで、何も与えない光。その下で、影が生まれる。だが、その影に意味はない。逃げ場にはならない。

 

 周囲に、人影が点在していた。膝をついたままのもの、崩れかけた姿勢のままのもの、何かに手を伸ばしたまま止まっているもの。どれも“途中”で止まっている。終わっていないのに、先へ進まない。生でも死でもなく、その状態のまま固定されている。

 

 耳に届くのは、遠くで続く崩落音。何かが壊れる音が、規則もなく繰り返される。だが完全には壊れきらない。崩れる直前で留まり、また同じ過程をなぞるような響き。

 

 憲倫は一歩踏み出す。足元の灰が沈む。その瞬間、近くにあった人影の一つがわずかに崩れた。だが崩れきることはない。すぐに元の形へ戻る。同じ姿勢へ、同じ状態へ。変わらない。変えさせない。

 

 ここで、理解が形になる。これは再現ではない。過去を映しているのではない。ある状態をそのまま留め続ける構造。時間が止まっているのではなく、進んでも結果が変わらない。変化そのものを拒絶する性質。それが、この領域の本質。

 

 ――その時、音が混じった。

 

 崩落音とは異なる、軽い、湿った音。

 

 ケヒヒ。

 

 わずかに遅れて、別の位置から。

 

 キヒヒ。

 

 さらにもう一つ。

 

 キキキ。

 

 不規則に重なり、空間に滲む。位置が定まらない。だが確実に、こちらへ向けられている。

 

 憲倫は歩みを止め、視線を前へ向ける。気配が変わる。均一に満ちていたものが、一点へと寄っていく。圧ではない。収束。中心が定まる。

 

 灰の向こう、熱に歪んだ視界の中に、影が浮かび上がる。最初は周囲の人影と変わらないように見える。だが違う。ゆっくりと、確実に動いている。

 

 ケヒヒ。

 

 音が一つにまとまる。

 

 影が近づくにつれ、輪郭が明確になる。人型。だが均一ではない。関節の位置がわずかにずれ、腕の長さが揃っていない。背筋は伸びているが、その姿勢自体が“固定された形”のように見える。

 

 距離が詰まる。

 

 次の瞬間、動きが変わる。緩慢さが消え、滑るように距離を詰める。

 

 キヒヒヒヒ、と連続した奇声が漏れる。

 

 飢え。

 

 それだけで足りる。

 

 理性ではない。意思でもない。目の前の“動くもの”へ向かう衝動だけが剥き出しになっている。この場に閉じ込められていた時間が、そのまま積み重なっている。外へ出ることもできず、触れるものもなく、ただ固定された空間の中で存在し続けた結果としての飢え。

 

 呪霊は一歩踏み出す。その動きに合わせて、周囲の影が一斉に揺れる。空間が応じる。この存在を中心に、領域が成立していることがはっきりと分かる。

 

 あと一歩で届く距離。

 

 呪霊が止まる。

 

 キヒ、と短く音を漏らす。

 

 その瞬間、空気が変わる。圧ではない。逃げ場を削るような拘束。変化を許さない力が、わずかに強まる。

 

 憲倫は動かない。視線も逸らさない。ただ立つ。

 

 そして、口を開く。

 

「外の細工は見事だな」

 

 淡々とした声。

 

「――だが、中身は単純だ」

 

 キキキ、と歪んだ音が返る。言葉にはならない。だが反応としては十分だった。

 

「終わらせぬ、か」

 

 その一言に、空間がわずかに収縮する。明確な応答。言葉ではなく、構造の変化として現れる意思。

 

 均衡はすでに限界まで張り詰めている。だが、まだ崩れてはいない。ほんのわずかな間、互いに動かず、間合いだけが保たれる。空気が重く沈み、熱がじりじりと皮膚を削る。その中で、呪霊の足がわずかに動いた。

 

 それだけで十分だった。

 

 空間が応じる。固定されていたはずの領域が、わずかに軋む。

 

 次の瞬間、均衡が崩れる。

 

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