あんかーぽいんと 作:(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
微睡んでいた意識が耳障りな鐘の音で浮上させられた。
かわいげのない鐘の音は今日の工程が全て終了したことの合図だ。
いつの間に寝ていたのだろう。そんなふうに不思議になりながらぐ、っと背伸びをする。
ふぅ、と無意識に溜まっていた息を吐き出してから席を立ってにわかに騒がしくなり始めた教室を出る。
気の早い生徒がクラウチングスタートを決めるように廊下を走っていく。
曇天なのに元気なものだ、と同い年に対する感想ではないことをボヤいた。
女性比率の高い弊学、羽丘学園では見慣れた光景だ。あのバイタリティはどこから出てくるのか関心するのと同時に、真似出来るとは思えない。
まだ3月なのにあちこちで開け広げられた窓からは穏やかな風が吹き込んでも、窓から見えるのは都会らしい同じ建造物が並んでいるだけのなんら面白みのない灰染めの景色。
階段を登り切って、進入禁止と書かれた扉を開け、そのまま屋上の端のほうに歩いていく。横から吹き付ける風が先ほどよりも強くなった気がしても、気にしない。
そうして屋上の柵に手をかけて──反対側にある音楽室に目を向ける。
何の変哲もない窓際にピアノが置いてある音楽室には曇天の隙間から僅かな日が放射状に差し込んでいる。
なんだったか忘れたけど、その光景がとても神秘的なものに思えた。
しばらくすると、扉から一人の少女が入ってきた。空のような淡い青の髪に宝石のような黄金色の瞳が印象的な普通の女の子。彼女はこちらに一瞥くれることもなく、ピアノに歩み寄って準備を始める。
長年連れ添った友人を愛でるように優しい手つきで鍵盤に手を添えてから、不思議そうにあたりを見回したあとこちらを見て手を振ってくれる。顔は……笑ってるから迷惑には思われてないらしい。
「……バレてたか」
気恥ずかしくて苦笑する。きみはそうやっておれを見つけてくれるんだな。
彼女が鍵盤に向き直るのに合わせて瞳を閉じて演奏を聴いてみても、それがどんな名前の曲か分からない。
でも、きみが優しい心と優しい手つきで鍵盤に触れていることは分かるんだ。
耳を澄まして触れようとして、ため息が漏れ出れる。
たとえ認識出来ていなくとも、美しいことは分かるから。
こつん、こつんと横から近付いてくる足音に嫌な顔をする。立ち入り禁止になっている屋上にわざわざ来るのは余程の物好きで、そんなやつをおれは一人だけ知っている。
そいつは派手な音を立てて屋上の扉を開き、軽い足音とは裏腹に少ない歩数でこちらに近付いてくる。
「なーんだここに居たんだ」
「帰れお前何しにきた」
「ひっどーい! なにその言い方!」
「落ち着ける時間を邪魔されたら誰だってこういう反応になる」
千早愛音。いつも絡んでくるお調子者で、いわゆる黙っていれば美人。桃色のロングヘアとよく回る口が特徴的な人間。
転校生で席が隣だからとよく絡まれるが、その情熱を前の席に居る同じバンドのやつに向ければいいのに、と思いはしても言わない。こういう人間に何を言っても無駄なんだ。はぁ、とため息が出そうになる。
「また祥子ちゃん見てるの?」
「好きなものはいくら見たって飽きない」
「へー、なんか……へー」
「なんだよ」
「カッコつけて認めないタイプだと思ってたから?」
否定は出来ないか、と肩を竦めて肯定すると、千早がニヤリと笑う。
「本人に直接言いにいけばいいじゃん。見ててもいいかって」
「人の気持ちも分からんコミュ強女め……」
素直に面と向かって言えるなら苦労はない。
「でもそーじゃん。面と向かって、素直な気持ち喋る以外に思い通りになる可能性なんてないよ?」
「言いたいことは分かるよ」
別に思い通りにならなくてもいい。賢しいことを言う忌々しい女だ、と睨めつけそうになるのを抑える。これではただの八つ当たりだ。
「……邪魔したら、悪い」
「気付かれてる時点でその心配はないと思うけどなー」
おれもそう思う。ただ、心のどこかで心配なんだ。こうやって温かな視線をくれるのは俺を許容しているからではなく、ギャラリーとして遠巻きに見ているからで、触れようとした瞬間に袖を振ろうとするんじゃないか、って。
「あれ、そろそろ終わるのかな?」
「……そうか」
「あれ、興味ないカンジ?」
「あまり聴けなかったな、という気持ちはあるよ」
祥子がこちらに向かってちょいちょい、と手招きをする。下に来い、ということらしい。
「いってきていいよ?」
「なにか用事あったんじゃないのか?」
「んー、お尻蹴ってあげたほうがいいかな、と思って」
「なんだそりゃ。……お言葉に甘えて行ってくる」
「いってらっしゃ〜い」
必要な時に物分りがいいのは千早の美徳だろう。だからこいつのことを嫌いになれない。
その物分かりの良さで絡むのをやめてくれたらもっと好きになれそうだ。
浮き足立つ気持ちを抑えながら、けれど少しだけ足早に校門に急ぐ。下駄箱で靴を履かなければいけないことを面倒に思いながら、かかとを踏みながらなんとか履き終えて正門に辿り着くと彼女が居た。
「ごきげんよう」
「おかげで機嫌はいいよ」
「……もう。ただの挨拶ですわ」
千早と話していた時と比べて自分の口が軽くなっていることは自覚してる。むしろ、意図して口を軽くしている。重くすれば本音がこぼれるから。
「それで、なんの用?」
「知らずに来たのですか?」
「手招き一つで意図は読めないかな……」
おれと彼女はただ付き合いが長いだけの他人だ。だから、彼女のことは少しだけ分かっても全部は分からない。
「あなたは……まっすぐですわね」
「まぁまぁねじ曲がってると思うけど……?」
「自覚がないことこそ、まっすぐな証ですわ」
そういうものだろうか。
「さ、行きましょう」
「合意取れたみたいな空気やめて???」
おれはまだなにも聞いてないんだけどね?
「それで来るのが商店街……?」
「ええ、買い物に付き合ってほしくて」
「……う────ん」
もうちょっと色気あるのを期待してたんだけどな。
「どうしたんですの?」
「いや、なんでもないよ」
色気あるデートよりも、日常のなかに入り込むことのほうが難しいのだから、自分はむしろデートよりも深く彼女と繋がって──そこまで考えて、小さくため息を吐く。
なぜこんなことを考えているんだ。
「特売でもあるの?」
「いえ、週末までの食料の買い出しですわ」
「なるほど。一人じゃ持ちきれないもんね」
こうしておれを誘ってくれる程度にパワフルな彼女だが、それは精神的な部分に限った話。肉体的には普通の女の子だ。持ち上げられるのは米二合で限界だし、買い物袋は一つだけ。
だからおれに頼ったのだろう。
「買うものは?」
「にんじんとじゃがいもとたまねぎ、あとはめんつゆです」
「肉じゃが?」
「ええ。あなたが大好きな肉じゃがですわ」
なんだか子供扱いされているような気がする。ここで素直に喜べるほど子供じゃない。
「あら、せっかく一緒に食べようと思ったのに?」
「……好きだよ」
この子には意地を張ったことを見透かされているらしい。意地の悪い笑みを浮かべて覗き込んでくる彼女に、今度こそ降参して素直に認める。
「ふふ、間違っていたらどうしようかと思いましたわ」
嘘つけ、と内心で言い返す。
計算か、天然か。それは分からないが、彼女はこうやってこちらが求めているものが分かっているかのように振る舞うことがある。
彼女はどうしようもないくらい人誑しだ。
「本当に一緒に食べていいの?」
「前言撤回するくらいなら最初から言いませんわ」
ふふ、と微笑む彼女にクラっとくる。
「あなたの顔を見たら今日は肉じゃがを食べたい気分になりましたわ」
「肉じゃがを食べたくなる顔ってなんだ……」
褒められているようには聞こえない。でも、楽しそうに微笑む彼女を見るとそう思われるのも悪くはないと思うから不思議だ。
「それ以外に買いたいものは?」
「いえ、思いつきませんわね。あ、お米を持ってくださいな」
「はいはい」
肩に抱えるとずっしりとした重さがのしかかる。
「……何キロ買ったの」
「10ですわ」
「10!?」
自分は2kgで限界だというのに、この女の子はあろうことかその5倍買ったのだ!
「あなたが居ると思ったら調子に乗ってしまいましたわ」
「…………いいけどさ」
彼女の言い訳を聞いて溜飲を下げることにした。確かに、量を買えるなら買う頻度が少なくなるから合理的だ。別に、頼られたのが嬉しいから許したわけじゃない。
許してとも言わない彼女がなんだかずるいように感じる。
天然でこれなんだもんなぁ。なんだか負けた気がしつつ、彼女と話ながら店を回っていく。夕暮れ時の商店街は賑やかなのに、どこか寂しく感じる。あたりを見回せば、呼び込みをしている威勢のいい店主やギターケースを背負って笑顔を浮かべている少女が見える。
「帰ろうか」
「そうですね……今日買えるものは終わりですものね」
「……一応言っておくけど、もう手に持てないからね?」
残念なことに、おれはそれほど力がない。
もしお姫様抱っこを出来る状況が来ても背中に担ぐのが精々だ。
そんな状況が来たことはないけどさ。
「がんばれ男の子、ですわ」
「煽てるのはやめてほしいよね」
本当にやりかねないんだからさ。