VRロボゲの元絶対女王を隣の席の俺が幸せにするまで 作:Amisuru
日本から四季という概念が失われて久しい。
いや、確かに季節の上での春夏秋冬は存在する。実際、我が高校の校門前では4月らしく満開のソメイヨシノが咲き誇っているし、何処ぞの似非クール系女子が言うように花粉症も現在進行形で流行っている。秋になれば紅葉の木が街並みを彩り、やがて葉が落ちボランティアのおっちゃんおばちゃん達の手を煩わせることだろう。
だがそれはそれとして、気温の上では最早日本には夏と冬しか存在しないというのが現代人の統一見解なのではないでしょうか。
「……さっむ……」
寒い。完全に冬だろこれ。だって普通に息白いんだぞ。流石に昼になればもう少し暖かくなるだろうけど。誰だよ一時限目に体育組んだの。
我が高校の体育は3クラス合同で行われる。4月ということで今日の内容は体力測定、男子は1500m、女子は1000mの持久走だ。今はA組の男子が走っていて、次にA組女子、B男B女C男C女と交互に走っていく。ウチのクラスはB組なので、10分くらいは雑談に興じる時間がある。
という訳で、学友どもの群れから離れて木陰にぽつんと腰掛けている、黒髪ロングの女を捕まえるくらいは余裕だったりする。
「……なんでこの寒い中、日陰に陣取ってんだ」
「うるさいわね。こういうところの方が落ち着くのよ」
「自分で言ってて悲しくならないか?」
「お互い様でしょう。確かに続きは着替えてからと言ったけれど、あなた他に絡むお友達とかいたりしないの?」
「残念ながら、ここにはな。だけど、歳の離れた遊び相手なら二人ほどいる」
「何処にいるのよ、そんな相手」
「Wastelandの中」
「…………」
そこで無言になられると辛い。俺の持ちデッキは
お前に対してはガンメタの筈だけど。なあ
「……にしても、よく体操着で寒くないな。1月2月にミニスカ履いてる女子見た時も思ったけど、お前らの根性って何処から湧いてきてるんだ?」
「私が一言でも『寒くない』なんて口にしたかしら」
「なんでジャージ着ないの? バカなの?」
「走れば暖かくなると思ったのに……早く順番回ってこないかしら……」
露わになった二の腕を両の手で掻き抱いて、ぶるぶると震えている渡良瀬。見ているこっちが寒くなってくる仕草だった。
……こういう時、彼氏彼女の関係だったら男がジャージ脱いで羽織らせてやったりするのかね。
今の俺と渡良瀬は恋人どころかお友達ですらないので、当然ながらそんなイベントは起こらない。が、いつまでも一方的に見下ろしたままというのもどうかと思ったので、とりあえず隣に腰を下ろす程度は許容してもらう。無論、ある程度の距離は取った上で。
「なあ、渡良瀬」
「何よ。次は寒さで肌が赤くなってるとか言うつもり?」
「なんであの時、泣いたんだ?」
一度ボール球を投げてからの、ど真ん中160km
これが赤嶺陽彩式投球術です。さて、打ち取れるかな。
「……言いたくない」
「……そっか」
目論見は空振りに終わった。いや待て、いつの間にか俺がバッターになっている。例え方を間違えたなこれは。
渡良瀬は俺に自らが『serin』であることを明かした。だからといって、1から10まで何もかもを曝け出すつもりは今のところないらしい。
当然と言えば当然だ。俺達はまだ、互いのことをまるで知らな過ぎる。俺の持っている渡良瀬の情報が『WT元全一のserin』でしかないように、渡良瀬から見た俺は『自分の昔の動画を観ていたWTプレイヤーのクラスメイト』でしかないのだ。
向こうが自分をひた隠しにすると言うなら、こっちの方から情報を開示するしかない。人間関係には歩み寄りの姿勢が大事です。リア友0人からの有用なアドバイス。みんな活用してくれよな。
「さっき俺、歳の離れた遊び相手がいるって言ったよな」
「お友達の数でマウントを取ろうという魂胆なら私は今すぐここを離れるわよ」
「違えよ! ……そいつらと俺、同じチームなんだよ。それで今、リーグ戦を前にメンバーが足りなくて困ってる」
「……チーム? リーグ戦?」
何故そこで怪訝そうな顔をする渡良瀬。
……いや待てよ。まさかとは思うが。
「……もしかして、4年前とか3年前ってチーム戦未実装だったか?」
「2on2ならあったけれど……そう、今はそこまで大人数で戦えるようになったのね。浦島太郎になった気分だわ」
素直に驚いている。なるほど、伊達に4年もアプデ続けてないよなWT。きっと他にも、渡良瀬が知らない新要素やら情報は山ほどあるだろう。ロマーノ兄貴の件然り。
──そういったものを提示し続ければ、渡良瀬は再び、電子の荒野へと舞い戻る気になるだろうか?
「あのな渡良瀬。さっき言ってた新シナリオの話だけど──」
「待って。赤嶺くん」
ぴしゃり、と。
勢いづこうとする俺の気勢を削ぐように、制止が入る。
「あなたが私に求めてること、もう分かってる。──私をあなたのチームに招き入れたいって言うんでしょう?」
「……当たり」
「ごめんなさい」
どうやら渡良瀬は、俺に駆け引きの時間すら与える気はないらしい。お前は物事を焦り過ぎる。
だが当然、俺としてもすんなり引き下がれる筈もない。まあ聞いてくれと、第二ラウンドに持ち込もうとしたところで──
「──
試合終了を告げる鐘が。
唐突に、鳴り響いた。
「……処分、した?」
「そう、捨てたの。持っていないのよ。物理的にログインしようがないのだから、どうしようもないわね。それともあなた、新しいデバイスをプレゼントでもしてくれる? 受け取らないけど」
「……マジかぁー……」
『3ヶ月くらいバイトすればなんとか……』とか、一瞬本気で考えてしまった。正気に戻れ。ガチで渡されても渡良瀬ドン引きだよ、ドン引き。
デバイスがない。ゴーグルもコントローラーも、スーツに至るまで丸ごと一式処分した──そういうことだろう。あわよくばゲーム機本体だけは残っているかもしれないが、それだけあったところでどうしようもない。
渡良瀬にはもう、電子の荒野に帰る手段が、ない。
「……理由、聞いてもいいか?」
「──単に、飽きたのよ。それだけ」
「嘘つけ。未練たらったらの癖に」
「はあ? 何を根拠に──」
「あの時撃墜されて死んだと思われてたロマーノ兄貴な、強化手術を受けてた影響でコクピットから投げ出されても奇跡的に無事で──」
「待って! それ以上言わないで!!」
「ほらみろ」
「あっ……うぅ……」
またやってしまったとばかりに頭を抱えて唸る渡良瀬。なんて嘘を吐くのが下手な奴なんだ……というよりも、WTのこととなると自分に嘘をつけなくなる、と言った方が正しいのかもしれない。
それほどまでに、好きだったのに。
捨ててしまったのだ。こいつは。
「……なあ。やっぱりお前、戻ってこいよ」
自然と、そんな言葉が口を衝いて出ていた。
『本気で嫌がっているなら諦めろ』とユメさんは言っていた。しかし渡良瀬は違う。口では嫌がっていても身体は正直──なんか違うな。俺達タイタン乗り風に言い表すのならば、そう。
こいつの魂はまだ、荒野の中に置き去りになっている。
「チーム戦やシナリオだけじゃないぞ。ミッションも装備もわんさか増えたし、イベントだって定期的にやってる。それに何より、一緒に遊んでて退屈しない奴らがいる。お前の現役時代よりも絶対面白くなってるよ、今のWTは」
「やっ……やめて……これ以上私を誘惑しないで……」
「これが誘惑として機能してる時点でもう手遅れだろ」
「だ、だって……それに私、デバイス……」
「買い直せば?」
「簡単に言わないでよ! 幾らすると思ってるの!?」
すまん。流石に今のはノリで言った。
いやしかし、大分流れが
──などと、楽観的思考に溺れていたせいで。
「……それに、また始めるなんて許す筈ないわ。
渡良瀬の漏らした、その言葉に。
少しだけ、反応が遅れた。
「……お母さん?」
俺の鸚鵡返しに対して、びくりと肩を震わせる渡良瀬。
たかだか二日ぽっちでこいつの失言も随分と見慣れたものだが、今回の反応は今までのそれとは質が違った。ロマーノ兄貴の話に釣られた時の滑稽な沈黙とはまるで異なる、本当に、口にすべきではないことを吐露してしまった者の動揺が顔に浮かんでいた。
一つの可能性に、思い至った。
「まさか──捨てたんじゃなくて、捨て
「ま、待って──赤嶺くん、違う。違うの」
「なんだそれ、冗談じゃない。だって、WTはお前にとって──」
「やめてっ!!」
その絶叫で、我に返った。
そう、絶叫だった。悲鳴と言い換えてもよかった。それほどまでに、喉の奥底から全てを絞り出す、懇願だった。
はっとして、渡良瀬の表情を確かめる。
──泣いていた。
「……お願い……お母さんを、悪く言わないで……」
「────」
「お母さんは何も悪くない……私が、私が全部悪いの……だから……」
「……ごめん」
──やってしまった。
単なる不理解、偏見によるものだと思っていた。たかがゲーム──その程度の浅い認識で、渡良瀬の母親はこいつからWTを奪い去ったのだと。
しかしどうやら、事態は俺が思っているほど単純な話ではないらしい。込み入った事情を窺うことも、今の渡良瀬には望めないだろう。それに、何より──
「悪かった。もう何も聞かない」
女を泣かせて喜ぶような趣味は、持ち合わせていない。
これが潮時だ。精神的にも、物理的にも。
グラウンドへと視線を向ける。走っているのはもう、男子ではなかった。俺の出走時刻が迫っている。生徒の何割かがこちらを眺めているのが判る。さっきの渡良瀬の大声が聞こえたんだろう。こいつといると注目を浴びてばっかりだな。
とりあえず、アレだ。
二日続けて、こいつの涙を見世物にするつもりはない。
「これ被れ、渡良瀬」
「え──わぷっ」
しゃくり上げている渡良瀬の頭に、脱いだ上着をぽんと乗せつける。上手い具合に目元が隠れて、例えが悪いが、送検される時の容疑者みたいな感じになった。
関係性がどうとかはもう、知ったこっちゃない。今はただ、こいつの泣き顔を好奇の視線に晒さないことの方が最優先だ。全然動いてないから匂いとかも付いてないだろ、多分。
「涙が止まったら、あっちの水道で顔洗ってきな。流石にその顔でみんなと一緒に走りたくないだろ」
「あ……赤嶺くん、いいわよ、こんな……それにあなた、寒かったんじゃ──」
「走ればあったまるって言ったのはお前だろ。……それとも、流石にキモいかな。俺のやってること」
「……そんなこと、ない。……優しいのね、赤嶺くん」
「お前、将来DV男とかに引っかからないよう気を付けろよ」
「何よ、それ……」
だってそうだろ。二日続けて自分のこと泣かせた相手に対して抱く感想じゃないぞ、どう考えても。アフターケアの巧みさに騙されるな、渡良瀬凛音。
A組女子の1000m走も、そろそろ終わりが見え始めていた。先頭集団がぽつぽつと走り終えていく一方で、殆ど歩いているのと変わらないようなペースでコースを回る非運動部系女子が結構な割合で残っている。
もう少しだけ、時間が取れそうだった。
「あのさ。WTのことは一旦置いといて、これからも話し相手になってくれよ。お前さえ良ければ」
「……え?」
相槌の拍子に被せた上着がズレて、まだ濡れたままの渡良瀬の瞳が露わになる。
何を言われたのか
「引退してから3年間、完全に無趣味で過ごしてた訳じゃないだろ? その間の話とか、聞かせてくれよ。読んでる本の話とかでもいいぞ、俺も少しなら合わせられる。ここ数年刊行止まってるけど、小佐内ガイ先生の『クロガネの執行者』なんか割とオススメで──」
「お、小佐内先生の本なら私も──じゃなくて! え──なんで、どういうこと……?」
「……お前もしかして、『WTやらなくなった自分にもう用なんかない筈』とか考えてないか?」
「ち──違う、の……?」
なんでこの見た目でこんなに自己評価低いんだ、こいつは。黙ってればただの美人なのに。口開いたら割と残念な奴なのは、こうして話してみてよく理解ったけど。
ただ、知ってるかな渡良瀬。
最近は一周回って、
「そりゃ当然、『serin』としてのお前に聞きたいこと、山ほどあるよ。どうやって中1で全一になるくらい強くなったのかとか、何がきっかけでWT始めたのかとか、WTの何がそこまでお前を惹きつけたのかとか、他にも色々」
「だ、だったら──」
「ただ──そういうのとは関係なしに、今の俺は」
コース上の走者が、最後の一人になった。出番を察したクラスメイトの男子どもが、ぞろぞろとスタートラインに集結していく。
今のところあの中に、俺と気の合いそうな奴はいない。リア充連中の話題にはまるで付いていけないし、俺と同じオタク気質のありそうな奴は、話してみれば案外打ち解けられるのかもしれないが、残念なことに機会が巡ってきていない。
そういう奴らは往々にして、自分の世界に閉じこもっているから。
昨日までの俺や、孤高を気取っていたとある黒髪の女と同じで。
「
「…………!」
「せっかく隣の席なんだしな、仲良くしようぜ。──上着は戻ってきたら返してくれ。それじゃ」
言いたいことだけ言い切って、立ち上がる。
そう、せっかく出来た縁なのだ。これで終わりにするっていうのは勿体無い。ただでさえ席がどうとか関係なく、一年間を同じ教室の中で過ごす間柄な訳だし。
ただ、まあ。
流石に面と向かって言うのは、こっ恥ずかしい台詞ではあったので。
今の渡良瀬がどんな顔をしているのかは確かめないまま、俺は出走地点へと向かっていった。
──きっとあの時、私という存在は一度、死んだのだと思う。
あれからずっと、抜け殻のような毎日を過ごしてきた。普通の女の子らしく生きよう、そう思った時もあった。けれど結局上手くいかずに、かといって空想の世界へと逃げ込むことも許されず、空虚で乾いた日々が続いていた。
私にとっては、現実こそが
「…………」
止まらないものを鎮めるために、無心で冷や水を浴びせ続ける。
それなのに、鎮まらない。
さっきから、ずっと。
顔の火照りが、いつまで経っても、治まってくれない。
「……うわああぁ……」
おかしい。
どうしよう。
私の頭は、ちょっぴり、ヘンになってしまった。
涙なんてとっくに止まっている。今はただ、この熱を冷ますためだけに水を被っている。被っているといえば彼の上着なのだけれど、顔を洗うのに頭に被ったままという訳にもいかなかったので、今は、その──
彼に黙って、着てしまっている。
そのことを意識した途端、また頬が熱くなってくる。
「…………」
もう駄目だ。冷ますのは諦めよう。蛇口を閉めて、全力でぶるぶると首を振った。髪が暴れて痛い。泣きそう。
流石にそれだけで水滴を全て弾き飛ばすのは無理だったので、上着の袖で顔を拭──くのは人としてあり得ない。
きょろきょろと辺りを見回してから、上着の前ジッパーを開く。誰も見ていないことを祈って、体操着を捲り上げて服の裾でわしわしと顔を拭いた。
その瞬間に強い風が吹いて、ものすごくお腹が冷えた。何なのよ、さっきから。もう。
──そう、お腹が冷えたのだから。
ジッパーを閉め直してしまうのも、仕方がないわよね。
グラウンドへと舞い戻り、走っている男の子達へと視線を向ける。
『達』と表しはしたけれど、正確に言えば目当ての相手は一人だけだ。隣の席のクラスメイトで、私が今着ているジャージの持ち主で、私が大好きだった、けれどもう手放してしまった──
──手放さざるを得なかった、電子の荒野を歩む人。
「……いた」
先頭を目指すわけでもなく、だらだらとした群れに加わるわけでもなく。
速くもなく、遅くもなく──嘘。正直に言うとちょっと遅い。時間的にまだ半分くらいしか走っていない筈だけれど、既に顔に疲れが見える。ぜえぜえと息を荒げている。きっと毎日ゲームばかりで、体力作りなんて碌にしてないに違いない。昔の私と同じで。
はっきり言って、まったくもって、格好良くはない。
それなのに──彼の姿から、目が離せない。
「…………」
心臓が、どくんどくんと脈打っている。
本当に、どうしてしまったんだろう。私は。
私が『serin』だから、付き纏われているのだとばかり思っていた。いや、少なくともきっかけ自体はそうだった筈だ。そうでなければ、あの動画を観る前に彼は私に声を掛けていなければおかしい。
けれど彼は、
ひどい。私、ひどすぎる。昨日からずっと、彼に恥ずかしい姿しか見せていない。こんなダメな自分を知られたくなかったから、表向きは凛々しくいようと思って漫画の中のお姉様のような喋り方まで身に付けたのに。
本当に、みっともない。
そんな私と、彼は、友達になりたいのだという。
「…………」
──肩口を抱き締めてしまったのは、おそらくきっと、寒さのせい。
それにかこつけて、彼の上着を掴んでいる訳ではない。決して。
そうして彼は、やっとのことでゴールラインへと辿り着く。
へろへろとコースの内側に流れて、膝に手を付いて荒い息を吐いている。疲労困憊の四文字がしっくりくる有様。多分今なら、誰かがちょっと押しただけでも倒れてしまうだろう。
私の力でも。やる訳ないけれど。
「体力ないのね、赤嶺くん」
「ぜー……はー……ああ……?」
私の声に顔を上げた彼が、ぎょっとしたように目を見開く。
なんとなく、彼の思っていることが判る。『え、何? なんでこいつ俺の上着着てるの? そういう用途で貸した訳じゃなかったんですけど?』とでも言いたげな顔をしている。
ごめんなさいね、赤嶺くん。私、昨日からあなたにはずっと、やられっぱなしだったから。
ちょっとだけ、意地悪したくなっちゃった。
「お前、なんで、それ着て……」
「仕方ないじゃない、寒かったんだもの。──今のあなたは暑そうだから、もう少し預かっていてもいいわよね?」
「いや、預かるも何も……」
「……どうしても返してほしいのなら、力づくで脱がせてみる?」
「ばっ──」
最後の挑発は、流石に私も勇気がいったけれど。
愉快なものが見られたから、やった甲斐はあったなと、思った。
赤嶺くん。あなた、普段は覇気の欠片もない退屈そうな顔をしているけれど。
──照れた時の顔は、意外と可愛らしいのね?
「はい、じゃあB組女子行くぞー。全員集まれー」
「それじゃ」
「それじゃって、おま──おい! 渡良瀬ぇ!!」
それはそれとして、先生の声に応じて早々と彼の前を後にしたのは。
照れ顔になっているのはきっと、私も同じだったから。
「位置について、よーい──」
初めての、感覚だった。
気持ちがとても、ふわふわしている。なんだかとても、わくわくしている。そわそわと落ち着かないような、飛び跳ねて踊り出したいような、ただとにかく、じっとしていられない、そんな感じ。
そんな状態で。
『さあ走れ!』だなんて合図を、出されてしまったら。
「ドン!」
──最初から、
後先なんて、考えられる筈、ないじゃない──!
「ぜーっ……ぜぇーっ……こひゅっ、かひゅっ……う……うぇ……」
一言だけよろしいかしら。
100mまでは先頭だったわ。それだけ。死にそう。
「……渡良瀬……お前……狂ったのか……?」
「……ふっ……ふふふ……うぅ、ぅえ……」
ククク……酷い言われようね。まあ事実だから仕方ないけれど。
私のゴールを皮切りに、C組の男の子達が続々とスタートラインに集まっていく。つまりはそういうこと。皆まで言う必要はないわよね。
電子の荒野では一番でも、現実の荒野ではこんなもの。
そんな私を、あなたはちゃんと、迎えに来てくれた。
上着を返してもらいに来ただけだろってツッコミは無しよ。台無しになるから。
「……目に、焼き付けたかしら……? 赤嶺くん……」
「……何をだ? ツインターボばりの逆噴射のことか?」
「私は……走り出したら、止ま
「……まあ、残り900mでガス欠したのに最後まで走り切った根性は認めてやってもいい」
「
そこだけは、はっきりと言う。
その意味はまだ、理解ってもらえなくていい。
いつか──私の中で笑い話に出来る日が来たら、打ち明けるから。
あなたとなら、そう出来るって、思いたいから。
「……一つだけ、約束出来るかしら。赤嶺くん」
「……渡良瀬?」
「もし私が、これから先──今みたいに走り続けて、止まらなくなりそうになったら」
言いながら、なんだかおかしな気分になりそうだった。
だってそうじゃない? まるっきり、ロボットアニメの台詞よね、こんなの。有名なのでほら、あったでしょう。『止まるんじゃねえぞ……』ってやつ。
私が彼に頼むのは、完全に逆のことだけれど。
「あなたが私を止めて。──どうかしら? 誓える?」
「……なんかのアニメの台詞か?」
「……ふふ」
「え、今の笑い何」
「気にしないでちょうだい。……で、どうなの?」
口元が緩んでしまった私を、どうか許してほしい。
だって、嬉しくなってしまったんだもの。
あなたが私と、同じような気持ちを抱いたことが。
「……お前がお前自身の何を不安に思ってるのかは、よく理解らんが」
そうして、彼は。
たった二日で聞き慣れてしまった、皮肉屋ぶった口ぶりで。
「お前が何か馬鹿やってたら、何やってんだってツッコミ入れりゃ良いんだろ。──そんくらいなら、簡単だ」
私の意味不明な要求を。
何でもないことのように、受け入れてくれた。
そう。
私にはきっと、それだけで良かったのだ。
あの時の私は、一人になってしまったから、間違えた。逸れた道を正してくれる人がいなくなったから、明後日の方向へと走り続けて、その果てに、壊れてしまった。
けれどもう、今は違う。
今の私には、ちょっと口が悪くてやる気もないけれど、ありのままの私を受け入れて、止めてくれる──
本当はとても優しい、クラスメイトの男の子がいる。
「──赤嶺くん。あなたのチームって、何時頃に全員集まるの?」
「……は?」
「何時?」
「いや、ユメさ──メンバーの一人が遅くても8時には入ってくるから、大体そんくらい……休みの日だと朝っぱらから集合してたりするけど」
「そう」
──さてと。
そうと決まれば、今日帰ってから私のやるべきことは。
「それじゃあ、その時間までに送っておいてちょうだい。
「──え」
「『え』じゃないわよ。クラス内LANEから個別で、私にメッセージ送れるでしょう? それともまさか、私のことブロックしてたりする?」
「んな訳ないだろ! ……ていうか、渡良瀬、お前──」
「ああ──そういえばまだ、言ってなかったわね」
ついでに言うなら、これも返し忘れていた。
正直ちょっと、返すのが惜しい。ほんの10分程度しか着ていないけれど、すっかり愛着が湧いてしまった。別に名前が縫ってある訳でもなし、もう私のものでいいんじゃないかしら?
──なんてね。冗談よ、流石に。
ジッパーを開けて、上着を脱ぐ。思ったよりも、てんで寒くない。走り終えてから時間が経っていないからというのもあるだろうけれど、それ以上に。
あなたにこれを渡されてから、ずっと。
私の身体の熱は、治まることを知らないままだから。
「なってあげるわ、赤嶺くん。お望み通り──あなたの
──これから先も、あなたはきっと。
私の胸を熱くしてくれるって、信じてるよ。赤嶺くん。
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