機動戦士ガンダム:クォンタム・レゾナンス ―虚空の再演者― 作:F.M
のんびり更新します。
意識が覚醒する瞬間、最初に来たのは視覚ではなかった。嗅覚だ。 焦げたオゾンの臭い。古い機械が発する油の混じった、重苦しくも鋭い金属の匂い。次に聴覚。遠くで響く低い重低音——それは爆鳴というよりも、巨大な鉄の塊が地面を叩きつけているような震動だった。
「……カイト! カイト・シノザキ! おい、しっかりしろ!」 荒っぽく肩を揺さぶられ、俺は強制的に視界を開かされた。 目の前にいたのは、脂汗を浮かべた中年の下士官だった。連邦軍の軍服。胸の階級章。それらは「有栖川海人」という現代日本を生きていた俺の記憶には存在しないはずのものだが、同時に、今の俺の肉体にとっては馴染み深い「日常」として認識されていた。
ここはサイド7。宇宙世紀(ユニバーサル・センチュリー)0079年。 それが、脳内に流れ込んでくる量子化された膨大な記憶――「カイト・シノザキ」という一人の少年兵の人生と、俺が持っていた「ガンダム」という作品の知識が衝突し、融合した瞬間の結論だった。
「……了解です。すいません、一瞬意識が飛びました」 俺は自分の声が、記憶にあるよりずっと幼く、それでいて軍人特有の硬さを持っていることに驚きながら答えた。 「ならいい。ザクだ。ジオンの野郎どもが、この中立のコロニーに仕掛けてきやがった! V作戦の機材を死守するぞ。お前は予備の試作機……ガンキャノン二号機を起動しろ。マニュアルは頭に入っているな?」
「ガンキャノン、二号機……」
俺の記憶が警報を鳴らす。アニメの第一話、サイド7に侵入したジオン軍のザク二機によって、起動前のガンキャノンは壊滅させられたはずだ。だが、目の前の現実は、俺という不純物が混じったことで、微細な因果のズレを生じさせていた。 俺は狭い通路を駆け抜け、ハンガーへと向かった。 重力ブロックの揺れが、三半規管をかき乱す。コロニーの外壁が穿たれ、空気が漏出している証拠だ。
(これは夢じゃない。CGでも映画でもないんだ)
通路の脇で、爆風に煽られた軍人が壁に叩きつけられ、沈黙するのを見た。その瞬間、喉の奥から込み上げてくる吐瀉物を必死に飲み込む。死だ。あそこにあるのは、記号としての「退場」ではなく、肉体が破壊され、人格という情報が宇宙から永遠に失われるという、冷酷な物理現象としての死だった。 ハンガーに辿り着くと、そこには紅蓮の炎の中に立つ、重厚な鋼鉄の巨像があった。 RX-77-2。ガンキャノン。
テレビ画面で見ていたそれよりも、ずっと無骨で、巨大な「兵器」としての圧迫感がある。 俺はタラップを駆け上がり、ハッチへと飛び込んだ。狭いコックピット。全天周囲モニターではない、まだ古臭い計器類が並ぶ空間。だが、そこにあるサイコ・レセプター……本来ならこの時期の機体には搭載されていないはずの、妙な「感覚」の触手が俺の脳に伸びてくるのを感じた。
「……何だ、これ。意識が、吸い出される……?」
手が震える。OSを立ち上げ、核融合炉の臨界を確認する。ミノフスキー粒子散布下、レーダーは既に死んでいる。外部モニターに映し出されたのは、コロニーの美しい擬似的な空を背景に、悠然と歩を進める「ザクII」の影だった。 その時、脳の奥で「閃光」が走った。 キィィィン、という、鼓膜を突き抜けるような高周波。 (来る……右だ!) 考えるより先に、体が動いた。 ガンキャノンの重厚な腕を操作し、右側からの120mmザク・マシンガンの掃射を回避する。土煙が舞い、俺のすぐ後ろにあった資材庫が木っ端微塵に砕け散る。
「ええい、連邦のモビルスーツが動いているだと!?」
外部スピーカーから漏れたのは、若きジオン兵の声。それは、かつてアニメで聞いた「デニム」や「ジーン」の声とは違っていた。名もなき、だが確実に生きている人間の叫びだ。
「当てる……当てなきゃ、こっちが死ぬ」
俺は二十四〇ミリ低反動キャノン砲のトリガーを握った。 現代人としての倫理観が、悲鳴を上げる。相手は人間だ。だが、この宇宙世紀において、その躊躇はそのまま物理的な消失を意味する。 俺のニュータイプとしての感覚が、霧の中の灯火のように、敵機の「位置」を捉えた。熱源でも光学情報でもない、相手の放つ殺意と恐怖の波動。 (そこだ……!) 発射。
凄まじい反動が、シートを通じて全身の骨を震わせる。
放たれた砲弾は、正確にザクの右肩を直撃し、その腕を、動力パイプごと引き千切った。 青白い爆炎が上がり、ザクがのけぞる。 俺はその時、はっきりと感じてしまった。 ザクのコックピットの中で、パイロットが激痛に叫び、そして「なぜ自分はこんなところで死ぬのか」という絶望を抱いて消えていく、魂の断末魔を。
「あああああぁぁぁ!」
俺は叫んだ。それは戦意の咆哮ではない。他者の死が自分の中に「流入」してくる恐怖への抵抗だった。 これが、ニュータイプなのか。 これが、あの少年たちが、アムロ・レイが見ていた世界だというのか。 なんて、地獄だ。 その時、爆煙の向こうから、さらなる「重圧」が迫ってきた。 先ほどの若き兵士たちのものとは比較にならない、巨大な、そしてあまりにも洗練された意志。 鋭利な刃物のような、氷のカリスマ。 モニターの端、コロニーのゲートから侵入してくる「赤い」機影が見えた。
「この感覚……戦場に漂う意識の澱み。誰だ? 私の感覚を逆なでする、この不快な共鳴は」
通信回線に、混じり気のない「声」が響く。 俺の心臓が、早鐘を打つ。 間違いない。赤い彗星、シャア・アズナブル。
だが、今の俺が感じているのは、憧れのキャラクターに対する歓喜ではない。 それは、世界そのものが俺という異物を排除しようとする、「因果律の牙」のように感じられた。 そして、俺の脳裏に、この世界に転生した真の理由を示すような、不可解なデータログが浮かび上がった。
『第12,492回シミュレーション:観測者カイト・シノザキ、介入を開始』 (シミュレーション……? 観測者だと……?)
混乱する俺の意識を置き去りにして、シャアのザクが、紅い閃光となって肉薄する。 俺の指が、マニュアルにない動作で、ガンキャノンの出力を限界まで引き上げた。
ここから、歴史が、俺の知る「物語」から逸脱し始める。 カイト・シノザキとしての、、一回目の死と再生。 宇宙の静寂の中で、俺は初めて、自分の手が赤く染まっていることに気づいた。
【第1章 完/第2章へ続く】
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