機動戦士ガンダム:クォンタム・レゾナンス ―虚空の再演者― 作:F.M
赤い。
光学モニターが捉えたその機影は、サイド7の人工太陽が放つ光を反射し、血のような不吉な輝きを放っていた。
「速い……!?」
俺の脳が、かつてのアニメの知識を検索する。ザクII、S型。指揮官用カスタム機。通常の三倍の推力。データとしては知っていた。だが、現実のそれは「速度」という概念を超えて、空間を飛び越えてくる「圧」そのものだった。
ガンキャノンの重厚な装甲が、敵の接近に伴うミノフスキー粒子の濃度上昇で軋んでいるように思える。
「当たるか……ッ!」
俺は咄嗟に左のレバーを引き、機体を左後方へスライドさせた。直後、俺がいた空間を、赤いザクが携えたヒート・ホークが断ち切る。凄まじい衝撃波。大気が薄いコロニー内であっても、その一撃が秘めたエネルギーの余波がガンキャノンの装甲を震わせた。
「ほう……今の反応、ただの訓練兵ではあるまいに」
通信回線に割り込んできたのは、冷徹さと優雅さを併せ持つ、あの声だ。シャア・アズナブル。
俺は答えない。いや、答える余裕がない。
全身の毛穴から冷や汗が噴き出す。心臓の鼓動が耳元でうるさいほどに鳴り響いている。
俺の中の「有栖川海人」が叫んでいる。――逃げろ。こいつは化け物だ。物語の主役級以外が関わっていい相手じゃない。
だが、「カイト・シノザキ」としての肉体は、生き残るための最適解を導き出そうと、必死にコンソールを叩いていた。
(落ち着け。相手は格闘戦を挑んできている。ガンキャノンは中距離支援機だ。距離を取れば……!)
俺は右肩のキャノン砲を水平に近い角度まで下げ、零距離射撃の構えをとる。
だが、その瞬間。
脳裏に、ノイズ混じりの「映像」が流れ込んできた。
それは、数秒後の未来。
キャノンを撃つ。回避される。その隙を突かれ、ザクのキックがコクピットを砕く。
(――未来視!? いや、これは量子演算による予測結果か!?)
視界の端に、またあの奇妙なログが点滅した。
『因果律の修正を検知。対象:シャア・アズナブルによる撃破。生存確率:0.002%』
「ふざけるな……っ!」
死ぬのが決められているというのか。この世界の「筋書き」として。
俺はキャノンのトリガーを引く直前で指を止め、逆にスラスターを全開にして地面へダイブした。
ドォォォン!
頭上を赤い影が通過する。予測通り、俺が撃っていれば、その硬直を狙われていた。
「……避けたか。だが、貴公の動きは『怯え』に支配されているな」
シャアの声には、確かな愉悦が混じっていた。彼は俺を「ニュータイプの萌芽」としてではなく、単なる「勘の良い獲物」として弄んでいる。
その時だ。
コロニーの居住区から、避難を急ぐ民間のトラックが視界に入った。
そこには、怯える子供たちと、必死に彼らを誘導する女性の姿がある。
俺の記憶が再び火を噴いた。――フラウ・ボゥ。そして、その家族。
アニメの歴史では、ここでフラウの家族はザクの攻撃、あるいは爆風に巻き込まれて命を落とすはずだ。
(止めなきゃ……。俺がここにいるなら、変えられるはずだ!)
俺はシャアへの恐怖を抑え込み、ガンキャノンを翻した。
「フラウ! 逃げろ! 今すぐそこを離れるんだ!」
外部スピーカーで叫ぶ。
だが、俺のその行動が「ノイズ」となった。
俺が介入したことで、敵のザクの注意が、不自然なほどに避難民の方へ向いたのだ。
シャアではない、もう一機のザク……右腕を損傷させたはずのザクが、執念深く俺を追い、マシンガンを乱射した。
「やめろ……そっちは……!」
俺は身を挺して弾幕の前に出ようとした。
だが、ガンキャノンの重い脚部では間に合わない。
弾丸が、アスファルトを跳ね上げ、避難用トラックの目前まで迫る。
その時、俺の視界が真っ白に染まった。
――キィィィィィィン!
先ほどよりも強烈な、頭蓋を割りそうなほどの共鳴。
空間が歪む感覚。
俺は見た。トラックの周囲の時間が、一瞬だけ「停滞」したのを。
そして、本来なら直撃するはずだったマシンガンの弾丸が、まるで目に見えない壁に弾かれるように、不自然な軌道を描いて逸れていった。
「……何だ?」
シャアの声に驚愕が混じる。
それは俺の力ではない。
もっと根源的で、この世界の主軸となる意志。
爆煙を切り裂いて、白い影が立ち上がった。
RX-78-2。ガンダム。
アムロ・レイが乗り込んだその機体は、本来の歴史よりも早く起動していた。
しかし、その様子がおかしい。
ガンダムのカメラアイは、通常の発光色ではなく、禍々しいほどの「紫」に輝いている。
『警告:イレギュラーな介入により、メイン・プログラム【アムロ・レイ】の覚醒レベルが過剰上昇しています。世界の崩壊を回避するため、因果の再構築を実行します』
脳内のログが残酷な事実を告げる。
俺がフラウの家族を助けようとした代償に、世界は「アムロ・レイ」というシステムを狂わせることでバランスを取ろうとしているのだ。
ガンダムは、立ち上がると同時に、背中のビーム・サーベルを抜いた。
その動きには、少年の戸惑いなど微塵もなかった。
ただ、敵を殲滅するためだけに洗練された、機械的な殺意。
「アムロ……? 違う、あれは……」
俺が戦慄している間にも、ガンダムは地を蹴った。
その速さはシャアのザクすら凌駕している。
一閃。
俺が腕を落としたあのザクが、一瞬で胴体から真っ二つに両断された。
爆発。
しかし、ガンダムはその爆炎を突き抜け、次の標的――シャアへと向かう。
「……バケモノめが!」
シャアが後退する。あの赤い彗星が、明確な「恐怖」を感じているのが、共鳴を通じて伝わってくる。
俺は呆然と立ち尽くしていた。
歴史を変えた? いや、違う。
俺が手を貸したことで、この世界はより過酷な、血塗られた道へと舵を切らされたのではないか。
救ったはずのフラウの家族は、ガンダムが跳ね上げた瓦礫の下敷きになり、トラックは大破していた。
死の臭いは消えない。
むしろ、より濃くなっていく。
俺は、自分が持ち込んだ「知識」という名の毒が、この宇宙を腐らせ始めていることに気づき、震えた。
「……助けてやる。死なせはしない。……たとえ、俺が化け物になっても」
俺は震える手で、再び操縦桿を握り直した。
この歪んだ「再演」を止めるには、俺自身が歴史の歯車を、物理的に叩き壊すしかない。
その時、モニターに映るガンダムが、ゆっくりと首を巡らせた。
紫色のツインアイが、俺のガンキャノンを射抜く。
「カイト……そこに、いるの……?」
通信機から聞こえてきたのは、アムロの声だった。
だが、それは泣きじゃくる子供のものではなく、深淵の底から響くような、無機質な問いかけだった。
引き金。
ガンダムがビーム・ライフルをこちらへ向けた。
俺という「異物」を消去するために。
【第2章 完/第3章へ続く】
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