機動戦士ガンダム:クォンタム・レゾナンス ―虚空の再演者― 作:F.M
大気圏。
それは宇宙世紀において、最も美しく、そして最も残酷な結界だ。
ホワイトベースの外壁が、圧縮された大気の摩擦熱で赤く輝き始める。船体は激しく振動し、骨組みが軋む悲鳴がコックピットにまで伝わってくる。
「各機、突入限界高度まであと二分! これ以上の戦闘は不可能だ、帰還しろ!」
ブライトの焦燥に満ちた声が響く。だが、モニターに映る赤い影――シャア・アズナブルのザクは、まるで死神のように、燃え盛る大気の渦の中でなおも加速を続けていた。
「大気圏突入の最中に仕掛けてくるなんて……シャア、正気か!?」
アムロのガンダムが、耐熱フィルムを展開しようとするホワイトベースを庇うように位置づく。
「いや、アムロ。奴の狙いはホワイトベースじゃない。……俺だ」
俺はガンキャノンのコンソールを叩き、機体各所の姿勢制御バーニアを微調整する。
シャアの殺意は、明確に俺に向かっていた。サイド7で見せた俺の「技術」と「共鳴」が、赤い彗星という天才のプライドに火をつけてしまったのだ。
「カイト・シノザキ! 貴公のようなイレギュラーが、私の計画を、そしてこの宇宙の『流れ』を乱すことは許されん!」
通信機越しに伝わるシャアの圧力。それはニュータイプとしてのプレッシャーというより、一人の武人としての意地に近いものだった。
シャアのザクが、燃え上がる摩擦熱を背負いながら、120mmマシンガンを斉射する。
通常のパイロットなら、突入の衝撃と振動で照準などままならないはずだ。だが、俺はスーパーパイロットとしての技量を全開にする。
(大気の密度、風速、熱による空気の屈折率……すべてを補正値(オフセット)に叩き込む!)
俺はガンキャノンのマニュアル操作を「極小モード」に切り替えた。
弾丸が迫る。俺はそれを、機体をわずかに捻るだけで回避した。右肩の240mmキャノンが放つ排気熱を計算し、その反動を姿勢制御に転用する。
――超絶技:断熱圧縮機動(サーマル・ピボット)。
燃え盛る大気という「流体」を味方につけ、俺はガンキャノンをシャアのザクの懐へと滑り込ませた。
「当たれッ!」
ビーム・ライフルを放つ。だが、シャアはそれを紙一重でかわし、逆にヒート・ホークを振り下ろす。
火花が散る。ガンキャノンの左肩の装甲が削り取られた。
「……やるな。だが、貴公の機体には耐熱フィールドがない。ここで時間を食えば、貴公は燃え尽きるぞ!」
「それはお前も同じだ、シャア!」
その時、俺のニュータイプとしての感覚が、別の「叫び」を捉えた。
シャアに付き従っていた一機のザク――パイロットはクラウン。
彼はシャアを援護しようと、無理な機動で俺たちに近づきすぎていた。
「クラウン、下がるんだ! 貴機の高度では大気圏を突破できん!」
シャアの警告が響く。だが、遅かった。
クラウンのザクの脚部が、赤熱した大気に捕らえられ、バラバラに分解し始める。
「助けてください、シャア少佐ぁぁッ!!」
絶叫。
俺の脳裏に、アニメの光景が重なる。本来ならここで、シャアは「私にできることはない」と彼を見捨てるはずだ。
(……救えるか? いや、救わなきゃならない! 俺がスーパーパイロットなら……!)
俺はシャアへの攻撃を止め、落下するザクへと機体を向けた。
「カイト、何を!? もう高度が限界だ!」
アムロの声が聞こえる。
だが、俺は止まらない。ガンキャノンの脚部スラスターを逆噴射し、燃えるザクに急接近する。
俺は計算した。ガンキャノンの装甲は厚い。ザクを抱え込み、ホワイトベースの陰、熱の届かない「死角」へ滑り込ませる角度。コンマ一秒の狂いも許されない弾道計算。
「掴め! 手を伸ばせ、クラウン!」
俺は叫び、ガンキャノンの腕を伸ばした。
指先が触れ合う。
しかし、その瞬間、ザクの動力パイプが過熱により爆発した。
「あ……」
俺のニュータイプとしての共鳴が、彼の絶望をダイレクトに受信した。
熱い。痛い。苦しい。死にたくない。
彼の「生への執着」が、泥のような重さで俺の精神に流れ込んでくる。
ドォォォォォン!!
爆発の衝撃で、俺の指はザクの腕を弾いてしまった。
燃え盛る火球となって、クラウンのザクは重力の底へと消えていく。
救えなかった。
自分の技量があれば、未来を知っていれば、何でもできると思い上がっていた自分への、残酷な回答。
「……カイト……」
通信機から、シャアの沈痛な、だがどこか冷徹な声が届いた。
「貴公の優しさが、彼に無駄な希望を与え、苦しみを長引かせたな。……これが戦場だ」
シャアのザクは、コムサイへと帰還していった。
俺は、熱で歪み始めた視界の中で、ただ自分の震える手を見つめていた。
さっきまで、そこには確かに一人の人間の温もりがあった。それが、俺の判断の甘さ、あるいは技術の限界によって、永遠に失われたのだ。
ホワイトベースが、大気圏を突破し、北米大陸の荒野へと滑り込む。
青い空。白い雲。
しかし、俺の目には、その全てが血の臭いに汚染されているように感じられた。
(ハッピーエンドにするって……決めたのに)
俺はコックピットの中で、初めて嗚咽を漏らした。
誰かを救うということは、その数倍の死を背負うことかもしれない。
ニュータイプとして他者の心を感じる能力が、今はただ、罪悪感を増幅させる刃となっていた。
「カイト……大丈夫か? 降りてこられるかい?」
ハッチを開けたアムロが、心配そうに俺を覗き込む。
俺は涙を拭い、顔を上げた。
「……ああ。行こう、アムロ。俺たちは、まだ生きている」
俺の心の中に、黒い「澱」が生まれた。
それは、歴史を書き換えようとする傲慢さへの罰か、それとも。
だが、この悔しさが、俺をさらなる高みへと押し上げる糧になることを、この時の俺はまだ知らなかった。
北米の大地。そこで俺を待っていたのは、ガルマ・ザビという新たな悲劇の種、そして、あの「レオンハルト」との、真の意味での邂逅だった。
【第5章 完/第6章へ続く】
コメント評価お待ちしております(*^^*)