機動戦士ガンダム ジオンの残響 ―シャアもミネバもいない火星で、亡霊たちは「ザク」の皮を被った怪物を造り上げた―   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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シドニーという蜜

熱い。

 

だが、それは火星の太陽がもたらす熱ではない。

僕の耳元で、甘く、そして氷のように冷たく囁く女の吐息がもたらす、生理的な焦燥感だ。

 

宇宙世紀0121年。

サイド4、フロンティアIVの秘密ドック。連邦の監視の目をかいくぐり、僕をこの暗がりに連れ出したのは、シドニー・アンバー。ブッホ・コンツェルンのエージェントであり、政商の顔を持つ「悪女」だった。

 

「……見てください、ボッシュ大尉。これが、貴方が守ろうとしている連邦が切り捨てた、宇宙の孤児たちの真実です」

 

彼女の指先が、僕のノーマルスーツの襟元をなぞる。

長い黒髪が僕の肩にかかり、タイトなスーツ越しに伝わる彼女の体温が、僕の冷え切った理性をじわじわと侵食していく。

彼女が差し出した秘匿回線のモニターには、目を疑うような光景が映し出されていた。

 

火星の地下都市。

そこは、地球の官僚たちが「平和」と呼ぶ算用数字の外側に存在する、鉄の錆と重油の臭いに満ちた流刑地だった。

 

「……RFシリーズ。リファイン・シリーズです。中身はブッホやサナリィから流出した最新技術、外見は1年戦争の名機。狂っていると思いませんか?」

 

「……なぜ、こんな真似を。効率を求めるなら、最新のシルエットで戦えばいいはずだ」

 

僕の声は、自分でも驚くほど枯れていた。

シドニーは嗜虐的な微笑を浮かべ、僕の耳たぶを甘噛みするように近づけた。

 

「執念ですよ、ボッシュ。彼らにとって、連邦の官僚どもが『過去の遺物』と蔑んだあのシルエットで喉元を食い破ることこそが、唯一の救いなのです」

 

僕はモニターを見つめながら、かつて自分が立ち会った「奇跡」の数々を思い出していた。

0093年、アクシズを押し返した虹色の光。

そしてその3年後、0096年。ラプラスの箱を巡る騒乱の果てに、バナージ・リンクスという少年がサイコフレームの彼方に見せた、全人類との対話の可能性。

 

「……バナージ・リンクス。あの少年が、命を削ってまで繋ごうとした『可能性』はどうなった」

 

僕は自嘲気味に吐き捨てた。

あの時、連邦の官僚たちは、コロニーレーザーの直撃すら防いだあの虹色の光を「なかったこと」にした。サイコフレームを封印し、人々の記憶から可能性を消し去り、また元通りの、腐りきった官僚主義の日常に引き戻したのだ。

 

「奇跡なんてものは、一瞬の麻薬に過ぎない。バナージのような連中がいくら足掻いたところで、世界は1ミリも変わりはしなかった。連邦は腐敗し、火星では子供たちが骨を溶かして死んでいる。……結局、この宇宙を動かすのは、可能性なんていう甘っちょろい言葉じゃない。血の通った怨嗟と、暴力だけだ」

 

シドニーは僕の絶望を肯定するように、深く頷いた。

 

「……ボッシュ大尉。貴方も同じでしょう? アムロ・レイという光に焼かれ、バナージたちの可能性に裏切られた亡霊」

 

シドニーの手が、僕の胸元に忍び込む。

「貴方が2号機と共に火星へ降り立てば、彼らは貴方を伝説の騎士として迎えるわ。……そして、このガンダムが吸い上げたデータこそが、我が主マイッツァー・ロナが掲げる貴族主義の礎となる」

 

「……俺を、売国奴に仕立て上げたいのか」

 

「いいえ。貴方を自由にしたいだけ。……この毒を、飲み干す勇気があるかしら?」

 

彼女の艶やかな唇が、僕の唇に重なりかける。

その瞬間、脳裏を掠めたのは、サナリィのドックで見たF90のハードポイントだった。

あの無機質な、最新鋭の小型化MS。

精密に設計されたプラグ。0.01ミリの誤差も許さないボルトの締め付け。

それらを丁寧に扱うメカニックの少女たちの指先。

その清潔な未来を、火星のドロドロとした過去で汚してやりたいという、倒倒錯した情熱が僕の胃の底からせり上がってくる。

 

「……偽物の安らぎ、か。だが、死者にさえなれない連邦の犬よりは、幾分かマシに見えるな」

 

僕はシドニーの腰を引き寄せ、彼女の冷徹な仮面の裏側に潜む情熱を暴くように、強く抱き寄せた。

彼女は「……ふふ、正解よ」と喉を鳴らして笑った。

 

サナリィの最新技術、ブッホの資金力、そしてオールズモビルの怨嗟。

アムロが見せた光も、バナージが繋いだ可能性も届かなかったこの暗闇で、僕は僕自身のやり方で世界を塗り潰す。

 

熱い。

今度こそ、本当の、破滅の熱が僕を包み込んでいた。

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