機動戦士ガンダム ジオンの残響 ―シャアもミネバもいない火星で、亡霊たちは「ザク」の皮を被った怪物を造り上げた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
熱い。
だが、それは大気圏突入の摩擦熱ではない。
月面のクレーターから立ち昇る、電子の亡霊が発する冷徹な殺意の熱だ。
宇宙世紀0122年。
トキオとレイラの加勢により、アンナフェルを救出する絶好の機会が訪れたはずだった。
しかし、シャルル・ロウチェスターが最後に切り札として戦場に解き放ったものは、人の形をした怪物ではなく、人の思考を喰らい尽くした機械の悪魔だった。
「……何だ、あの機体は。F90……2号機……?」
僕の1号機のメインモニターに映し出されたのは、火星で失われたはずの漆黒のガンダムだった。
だが、その動きはあまりに異様だった。
スラスターの噴射タイミング、回避の軌道、そしてビーム・ライフルの精密な狙撃。
それは人間がGに耐えながら行う操作の域を遥かに超え、まるで機体そのものが自らの意思で「殺し」を楽しんでいるかのような、完成された暴力の体現だった。
『……ベルフ……逃げて……。あれは、人じゃない……』
救出に向かったレイラのシルエットガンダム改から、震えるような警告が届く。
強化人間である彼女の鋭敏な感応波が、あの黒い機体から放たれる「空虚な執念」に怯えていた。
「シャルル! これは君の言う騎士道なのか! 死者の思考をコピーした無人機で戦うことが!」
僕は1号機のスラスターを吹かし、144枚のブレードフィンを震わせてヴェスバーを展開した。
対峙する無人F90 2号機。
そのコクピットには誰もいない。
だが、1号機のバイオコンピュータは、かつてない激しさで算用数字を乱舞させ、僕の脳内に直接「声」を送り込んできた。
『……ガンダムは、我々だけで十分だ……』
ボッシュ大尉。
14話からずっと僕の機体に残り続け、時に啓示を、時に殺意を囁いてきた亡霊の正体が、今、目の前の敵機と完全に同調していた。
シャルルが持ち出した最終兵器。
それは、ボッシュの戦闘思考を完全にデータ化し、リミッターを解除したMSに搭載した、最悪の遺産だった。
「ベルフ! ぼーっとしないで! あれ、来るわよ!」
損傷したジェガンのコックピットから、アンナフェルが必死に叫ぶ。
その声で、僕は我に返った。
無人2号機が、月面の重力を嘲笑うような鋭角的な機動で肉薄してくる。
ビーム・サーベルが1号機のシールドを掠め、火花が月面の真空を彩る。
速い。
そして、重い。
データ化されたボッシュの執念は、迷いというノイズを一切排除し、最短距離で僕の命を刈り取りに来ていた。
「トキオさん! レイラ! アンナフェルを連れて離脱してくれ! こいつは僕が……僕が食い止める!」
「バカ言え! そんな化け物に一人で勝てるわけねえだろ!」
トキオのシルエットガンダムがヴェスバーを斉射するが、無人2号機はそれを紙一重で回避し、逆にトキオの機体の肩を正確に撃ち抜いた。
アナハイムの最新鋭機ですら、亡霊の執念の前では止まって見える。
「……違うんだ、トキオさん。こいつは、僕のガンダムの中にいる『過去』なんだ。僕が断ち切らなきゃ、未来へは進めないんだ!」
僕は1号機のコントロールをマニュアルへ切り替え、バイオコンピュータの演算を「拒絶」に全振りした。
ボッシュ大尉。
あなたが絶望した連邦も、あなたが愛したジオンの幻影も、僕たちの世代には関係ない。
アンナフェルが洗濯してくれた清潔なシャツの匂いや、不器用な手作り弁当の味。
そんな当たり前の「温もり」を壊そうとする亡霊を、僕は決して許さない。
「消えろ、亡霊! あなたの戦いは、もう終わっているんだ!」
僕は1号機のヴェスバーを最大出力で解放した。
宇宙世紀0122年。
月面の静寂の中で、受け継がれた1号機の光と、呪われた2号機の闇が、正面から衝突する。
亡霊の執念が、再びベルフを、そして新たな時代を飲み込もうと牙を剥いていた。