機動戦士ガンダム ジオンの残響 ―シャアもミネバもいない火星で、亡霊たちは「ザク」の皮を被った怪物を造り上げた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
熱い。
だが、それは大気圏突入の摩擦熱ではない。
ボッシュ大尉という巨大な亡霊を振り払い、自分自身の足で未来を勝ち取ろうとする、僕の魂が燃焼する熱だ。
宇宙世紀0122年。
月面の砂を巻き上げ、赤い光を放つRFゲルググが僕の前に立ちはだかる。
シャルル・ロウチェスター。
第二次オールズモビル戦役を率いるその男は、傷ついた僕の1号機を、騎士の礼節をもって見据えていた。
「……アンナフェル、聞こえるか」
僕は、コックピットの隅で小さくなっている彼女に声をかけた。
1号機のバイオコンピュータは、ボッシュの遺した殺意のデータを完全にパージし、今は清廉な光をコンソールに宿している。
「ベルフ……。無理しないで。もう、十分だよ」
「いや、終わらせなきゃいけないんだ。この機体に刻まれた憎しみの連鎖を」
僕は1号機のハードポイントを確認する。
アンナフェルがかつて丹念に調整してくれたミッションパックの接続部。その一つ一つに、彼女の指先の温もりが宿っている気がした。
最新鋭の小型機ゆえの繊細なフレーム。そこに、彼女の家事能力に似た、丁寧な整備の跡が息づいている。
「シャルル・ロウチェスター! 僕は、あなたの騎士道を否定はしない! でも、過去の亡霊に殉じる道は、僕たちが生きる未来には必要ないんだ!」
「フ。若き英雄よ。ならば、その意志の重さ、ジオンの騎士にぶつけてみせよ!」
深紅のRFゲルググが加速する。
外見こそ1年戦争の旧型機を模しているが、その内側はアナハイムの技術が詰め込まれた「偽りの安らぎ」だ。
だが、シャルルの操縦は本物だった。
回避不能な角度から放たれたビーム・ナギナタが、1号機のシールドを溶かす。
「……くっ!」
衝撃がコックピットを襲う。
至近距離で重なる二人の体温。アンナフェルの柔らかな肌が、振動とともに僕に押し付けられる。
その肉体の重みが、僕をこの現実へ、この戦場へと繋ぎ止める錨になる。
「ベルフ! 右! 敵の推進剤が、一瞬だけ途切れるわ!」
アンナフェルが叫ぶ。
オペレーターとしての、そして僕の幼馴染としての、執念の指摘。
バイオコンピュータが導き出す算用数字よりも、その言葉の方が僕には信頼できた。
「そこだっ!」
僕は1号機のヴェスバーを最大出力で解放した。
ガンダムF90。
サナリィが心血を注いだ小型化MSの機能美が、月面の闇を貫く白光となって結実する。
シャルルのRFゲルググが、その圧倒的な光に呑み込まれた。
装甲が剥がれ、醜い接ぎ木のような最新フレームが露出する。
「偽物の過去」が剥がれ落ち、そこには敗北を悟った一人の老兵がいた。
「見事だ、ベルフ・スクレット。貴様のような若者がいる限り……ジオンの魂は、あるいは……」
爆炎。
シャルルの機体が、月面の塵へと還っていく。
騎士の意地と、英雄の覚悟。
その衝突の果てに、1号機のバイオコンピュータは静かに胎動を止めた。
だが、爆炎の向こう側。
ミノフスキー粒子の濃霧を透かして、1号機のセンサーが捉えたのは、絶句するような光景だった。
月平線の影から、音もなく現れた数機のMS。
それはデナン・ゾンの試験制作機。そしてその中央で、一際異彩を放つ指揮官機ベルガ・ダラス。
そのコックピットの中で、鉄仮面を被った男……カロッゾ・ロナが、冷徹な視線で僕たちを見下ろしていた。
そして彼の隣、月面を滑る影の中に、妖艶な微笑を浮かべたシドニー・アンバーの姿。
「……素晴らしいデータですわ、カロッゾ様。ボッシュも、そしてこの若き英雄も、すべては我がコスモ・バビロニアの礎」
彼らにとって、この戦役は単なる「データの苗床」に過ぎなかったのだ。
ボッシュの絶望も、シャルルの騎士道も、そして僕とアンナフェルの希望ですら、彼らは自らの野望を研ぎ澄ますための砥石として利用した。
「ベルフ……あれ、何……?」
アンナフェルが怯えたように僕の腕を掴む。
彼女の震えが伝わってくる。
僕たちの戦いは終わった。しかし、それはより巨大な、血も涙もない「貴族主義」という名の嵐が吹き荒れる前の一時の静寂に過ぎなかった。
宇宙世紀0122年。
1号機のバイオコンピュータが最後に吐き出した算用数字の羅列。
それは、来るべき0123年、フロンティアIVに響き渡るバグの羽音と、白いF91の産声を、既に予見していた。
「……終わったんだね、ベルフ」
アンナフェルが、僕の肩に顔を寄せて呟いた。
煤けたコックピットの中で、彼女の瞳に映る月面の地球は、今までで一番美しく輝いて見えた。
けれど、その青い星に、鉄仮面の男とマイッツァー・ロナの手が伸びようとしていることを、今の僕たちはまだ知らない。