機動戦士ガンダム ジオンの残響 ―シャアもミネバもいない火星で、亡霊たちは「ザク」の皮を被った怪物を造り上げた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
熱い。
サイド4の空隙を抜ける太陽光が、アドミラル・ティアンムの展望デッキを容赦なく照らし出している。
だが、その熱さえも、俺の胸中に渦巻く冷徹な愉悦を溶かすことはできない。
宇宙世紀0120年。10月。
俺は地球連邦軍第13独立部隊のベテランパイロットとして、次期主力MS、F90のテスト運用に従事している。
周囲の士官たちは、俺を「アムロ・レイと共に戦った生ける伝説」として、敬意と羨望の眼差しで迎える。
「ボッシュ大尉、2号機のスラスターレスポンス、昨日より3パーセント向上しています。サナリィの技術陣が徹夜で調整した甲斐がありましたね」
デフ・スタリオンが、屈託のない笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
20代。
F90 1号機の専属パイロット。
正義と連邦の未来を微塵も疑わない、眩しすぎる若さだ。
「……ああ。第2次調整後の旋回性能は、カタログスペック通りの3.2Gをマークした。ジェガンでは到達不可能な領域だ」
俺は手にした電子タブレットに、淡々と算用数字を打ち込む。
1号機と2号機。
双子のガンダムは、見かけこそ同じだが、その内包する「意味」は、今この瞬間から決定的に乖離し始めていた。
デフが去った後、俺は1号機のハンガーへ視線を向けた。
ミッションパック「A」タイプを装着し、長距離侵攻仕様となったその姿は、連邦が望む「平和の守護者」そのものだ。
だが、この「平和」がどれほど欺瞞に満ちたものか、この若者は知らない。
俺は、15年前に起きた「マフティー動乱」の光景を思い出していた。
宇宙世紀0105年。
ハサウェイ・ノア……マフティー・ナビーユ・エリンが、腐敗した連邦政府の要人を粛正しようとしたあの動乱。
理想を掲げた若者が、連邦という巨大な壁に挑み、最後はゴミのように処理された。それどころか、連邦はあろうことか、彼の父であるブライアン・ノア(※原文ママ、ブライト・ノアの意)の手で処刑されたという偽りの情報を流し、その尊厳すらも泥で塗り潰した。
「マフティーの時もそうだった。連邦は都合の悪い真実を算用数字と情報工作で消し去り、また同じような腐敗を繰り返す。……デフ、あんたが守ろうとしている組織は、英雄を使い潰し、その死体の上に安楽な椅子を置く連中の集まりなんだぞ」
俺の独白は、声にはならない。
ハサウェイが死に、アデレードの会議が強行されたあの日から、俺の中で連邦への忠誠は完全に死に絶えた。
対して、俺が駆る2号機。
そのコクピットの奥深く、火星へ至るための「毒」は、すでに100パーセントの充填を終えている。
俺は懐から、旧式の通信機を取り出した。
連邦のミノフスキー粒子散乱下でも機能する、ブッホ・コンツェルンが提供した特殊な暗号通信機だ。
「……こちらボッシュ。アドミラル・ティアンムは現在、月軌道上を時速28,000キロメートルで移動中。予定通り、火星降下作戦のシミュレーションを開始する」
通信の向こう側から、シドニー・アンバーの艶やかな声が、極めて微弱な信号となって鼓膜を揺さぶる。
『ご苦労様、ボッシュ大佐。サナリィの連中、あなたの完璧な演技に酔いしれているわよ。あのアナハイムでさえ、あなたのデータが火星に流れているとは夢にも思っていない』
「演技ではないさ。俺は俺の仕事を完遂する。連邦の飼い犬として、最高のデータを残してやる」
『ふふ、嗜虐的な楽しみ方ね。でも、火星のあの子……シャルロットが、あなたの到着を指折り数えて待っているわ。彼女、あなたのことを「ジオンの再臨を告げる騎士」だと信じ込んでいるのよ?』
シドニーの言葉が、俺の心の澱をかき回す。
シャルロット・オーランド。
18歳。
一度も地球の重力を知らない、ジオン二世の少女。
彼女との通信は、俺にとって唯一の「休息」であり、同時に最も苛烈な「罰」でもあった。
「……騎士、か。亡霊の間違いだろう」
俺は通信を切り、再び1号機を見つめた。
デフは、俺を父のように慕っている。
彼にF90の機動性を教え、ハードポイントの固定ボルト1本の緩みに至るまで徹底的に叩き込んだのは、この俺だ。
もし、俺がこのまま「連邦の英雄」として死ぬことができれば、どれほど楽だったろうか。
だが、0093年。
あの虹色の光が俺の網膜を焼き、魂を置き去りにしたあの日から、俺は「楽」になる権利を失ったのだ。
連邦の官僚が、アムロの戦った記録をデータとして切り売りし、新型機のOSにType-A.Rとして閉じ込める。
その無機質な合理性に、俺のオールドタイプとしての矜持が激しく拒絶反応を起こしていた。
「大尉、そろそろ第3次テストの時間です! 2号機、ミッションパック『D』タイプへの換装、完了しました!」
階下の整備デッキから、デフの声が響く。
俺は1杯の不味いコーヒーを飲み干し、整備されたばかりの2号機へと向かった。
ハッチを開け、コクピットに滑り込む。
14.8メートルの狭い空間。
そこは、俺にとっての棺桶であり、神殿でもあった。
コンソールを叩き、核融合炉を起動させる。
出力3,160キロワット。
推力74,760キログラム。
算用数字の羅列が、俺の神経とリンクしていく。
「F90 2号機、ボッシュ・ウェラー、出る」
カタパルトから射出される瞬間、脳を揺さぶる加速G。
俺は、この感覚だけを信じている。
二重スパイとしての揺らぎなど、スロットルを開ければ消えてなくなる。
俺が、この愛憎入り混じった「ガンダム」という神話を、火星の地獄へ連れて行く。
そのためのカウントダウンは、すでに最終フェーズに入っていた。
宇宙の静寂の中で、俺は狂おしいほどの執念を込めて、操縦桿を握り締めた。
熱い。
今度こそ、本当の、内側から組織を腐らせていく悦楽の熱が、僕の神経を焼き焦がしていた。