機動戦士ガンダム ジオンの残響 ―シャアもミネバもいない火星で、亡霊たちは「ザク」の皮を被った怪物を造り上げた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
熱い。
アドミラル・ティアンムの個人個室。
深夜の静寂を切り裂くように、通信端末から発せられるノイズが俺の脳を焼く。
宇宙世紀0120年。11月。
月軌道上から、ミノフスキー粒子の隙間を縫って届く超長距離通信。
それは、シドニーが用意した秘密の回線を通じた、赤い惑星からの呼び声だった。
「――ボッシュ大佐。聞こえますか?」
ノイズの向こう側から響くのは、鈴の音を転がしたような、あまりにも場にそぐわないほど純粋な少女の声だ。
シャルロット・オーランド。
火星独立ジオン軍、少尉。
彼女は一度も地球の土を踏んだことがない。
重力に縛られた者たちの醜い争いも、アムロ・レイが見せた奇跡の後の「虚無」も知らない。
ただ、親世代から受け継いだ「選ばれた民」という妄信と、歪められたジオンの栄光だけを糧に生きている。
「……聞こえている。順調か、シャルロット」
「はい! ボッシュ大佐の調整データのおかげで、私のゲルググ……RFゲルググのOS書き換えが15パーセント完了しました。出力特性が、以前より8パーセントも向上しています!」
彼女が語る算用数字。
15パーセント。
8パーセント。
それは俺が連邦のサナリィから盗み出し、シドニー経由で火星へ流したF90の機動データの一部だ。
最新鋭のガンダムの魂を、旧世紀の装甲を纏った「亡霊」へ移植する。
その行為が、彼女を死地へ追いやるための準備であることを、彼女はまだ理解していない。
「そうか。無理はするな。機体への負荷が5パーセントを超えたら、ただちに調整を中断しろ」
「大佐……私のことを心配してくださるのですか? 嬉しいです。父が生きていた頃に話してくれた『地球から来る伝説の騎士』。それがあなただったのですね」
俺は言葉を失い、1本の煙草に火をつけた。
紫煙が狭い個室に立ち上る。
彼女が俺に向ける感情は、崇拝に近い。
かつて戦死した俺の娘も、もし生きていれば彼女と同じ18歳になっていたはずだ。
その面影が、通信モニターの向こう側に透けて見える。
俺がやっていることは、救済ではない。
この純粋な少女を、俺の執念と復讐の道具にすることだ。
ガンダムという神話を殺すための、引き金として。
「シャルロット、お前にとって『ジオン』とは何だ」
「……未来、です。火星の冷たい風の中でも、いつか緑の地球を取り戻せると信じさせてくれる、光です」
未来。
光。
30年前、アクシズを押し返した虹色の光も、きっと彼女にとっては同じ種類の「神話」なのだろう。
だが、その光が消えた後に残ったのは、肥大化した連邦の官僚主義と、特権階級の支配する腐った現実だけだった。
「光か……。だが、強すぎる光は目を焼くぞ」
「それでも構いません。ボッシュ大佐、あなたがガンダムF90を持って火星に来てくださるその日を、私はずっと待っています。2機のガンダムが並び立つ姿……それはきっと、新しい時代の夜明けになりますわ」
彼女の夢想は、あまりにも無邪気で、それゆえに鋭利な刃となって俺の心臓を抉る。
F90 1号機はデフ・スタリオンという正義に燃える少年が駆る。
そして、2号機を強奪して火星に降り立つのは、裏切り者の俺だ。
「……ああ。待っていろ。必ず届けてやる」
俺は嘘を吐いた。
自らの罪悪感をオイルの匂いで誤魔化しながら、俺は通信を切った。
個室の壁には、俺が今朝サナリィから受け取ったF90のメンテナンススケジュールが貼られている。
第1次移送、0120年12月。
強奪計画まで、あと30日。
俺は暗い部屋の中で、算用数字の羅列を睨みつけた。
デフ。
シドニー。
シャルロット。
それぞれの思惑が、F90という14.8メートルの鋼鉄の塊を中心に、複雑に絡み合っていく。
俺は2号機のコクピットにある疑似人格コンピュータ「Type-A.R」を思い出した。
アムロ・レイの思考を模したそのシステムは、俺のこの欺瞞をどう判断するだろうか。
「……笑っているんだろうな、アムロ。あんたなら」
俺は煙草を灰皿に押し付けた。
指先に残る微かな震えを隠すように、俺は再び算用数字の海へと潜り込んだ。
宇宙世紀0120年。
火星からの歌声は、老兵の凍てついた心を溶かすことはなかった。
ただ、その熱が、復讐への決意をより硬く、より鋭く焼き固めるだけだった。