水と花の都アモーラ市、そこは一年中花の香りが絶えず、中央噴水広場より流れる川には綺麗な水でしか生息できない魚たちが優雅に泳ぐ街。
そんな身も心も清まるこの街で、川の底に溜まった泥水をすすり花の蜜を栄養素に生きてるようなやつがいる。
「すっかり更けちまったな」
黒髪黒目、魔力を全く持たない、通称”無魔”と揶揄される人間の特徴を持つ、目つきの悪い20歳頃の男性、名をクロードという。
クロードは今日も日雇いのバイトをクビになり、わずかながら貰った小銭をポケットの中で遊びながら、今宵の飢えをどう凌ごうか考え帰路を歩く。
アモーラ市は暗闇での犯罪に備え街灯がいたるところにあるため、月のない夜でもさほど歩くのには苦労しないのがありがたい。
ぽつぽつと歩いてると、遠くでかすかに声が聞こえてきた。よく遠くを覗くと、街灯に照らされた一人の人影(背丈からして少年だろうか)が手を前に突き出し、繰り返し同じ言葉を発していた。これは、詠唱だろうか。
「光よ、我が手に宿れ!……光よ、我が手に宿れ!……光よ――」
近づくにつれ、魔力が無く魔術の行使のできない魔術師ではないクロードの目に、魔術師ならば誰でも見える魔術発動のための術式”魔術式”と呼ばれるものが、少年の周りに展開されているのを視認した。
(ほう。光明魔術か。随分と素直に編むものだな)
少年が詠唱を唱えるたびに、魔術式に魔力を込めた時に漏れる魔力の残滓、いわゆる魔力光があたりに飛び散る。飛散量から見て魔力量は充分だと確認できる。発動は容易かろう。ただ――。
(ありゃ魔力を込めすぎだ。それに肝心の式が少しだけ違うな。魔力を込めすぎな自分用に弄ったのだろうが、これじゃ発動しない)
魔術の威力は魔力を込める量と魔術式によって決まる。恐らく一般的な魔術式では威力が強く明るすぎたのだろう。故の弱化。弱めるにあたり参考にしたのは、授業でまず習う【下位火球魔術】【下位水球魔術】それらを魔力が少ない術士向けに下位足らしめんとする弱化式。だがこれは攻性寄りの魔術に適した式で、光明魔術のような汎用魔術を弱めるに適さない。
(……仕方ない。チャンスをものにしろよ? 少年)
クロードは少年とすれ違う瞬間に、少年の魔術式を改竄する。光明魔術に沿った弱化の術式を見て分かるように、ゆっくりとはっきりと混ぜていく。
「光よ、我が手にやど……れ?」
魔術式が組み変わっていくことに気づき戸惑いを見せた少年だが、恐れる前に魔術式を霧散させず詠唱しきる。すると少年の手のひらから先に、実体も熱もないだが周りを確かに強く照らす光の球が姿を現し佇んだ。
唖然と光球を見つめる少年を後目に、クロードは少年への興味など等に失せ、この金で固いパンだけでなくスープを付けられる手ごろな店はあったかと思考の海に心を投じながらその場を去った。
+++++
「なぁ、マスター。人はパンのみでは生きていけない。もしパンしか与えられずに飢えて死んだ躯が宿の前にあったら、待ちゆく人々はどう思う?」
時は明けて朝。
泊まっている宿の食堂で、朝食限定でサービスに出されている固いライ麦のパン一切れ。それをさらに手で千切り、これまた無料でなんとおかわり自由の井戸から朝一で汲んだフレッシュな水にそれを浸し、ひたひたに水分を湛えたその一切れをやっと口に含み口内の上あご部分と舌で押しつぶす。ライ麦の味を含んだ水分が口の中で広がったのを確認し液体のみを嚥下すると、口内に残したパンをまた出して水に浸す。
そんな清々しい朝の日課を今日も欠かさずにこなす男がいた。クロードだ。
「朝っぱらからうちの食事処でそんな汚ぇことするんじゃねぇよ」
「そうだよな? 皆、こう思うはずだ『ここの家主は血も涙もない非道な守銭奴なんだわ! ここで泊まったらケツの毛すらむしり取られてしまうわ! 泊まるのやめましょやめましょ!』ってな」
「誰かさん達の何年分かの家賃滞納してるのを黙って見過ごしてやってる家主に向かって血も涙もないはひどいな」
「そう! 世間とは冷たくひどい生き物なのさ!! だからと言って、大衆すべてを味方にしようとは流石に俺も言わない。けどね? 手近にいる人から救いの手を差し伸べていけば、きっと世間の目も温かく、優しいものに変わると思うんだよ」
コップを磨き終わったマスターは、皿を磨きに入る。
「そうだな。それは強く実感してる。となりの奥さんが俺に対して『優しさと甘さは違うんだよ? 時には冷酷になるのも、社会人であるあの子たちのためなのよ?』と小一時間諭されたときは不覚にも涙しちまったね」
「確かに! 時には我が子を谷底に突き落とす行為も必要だろう! だが、そこには深い愛情と揺るがぬ絆を培った確かな親子関係があるに違いない! 親子関係を培う中核を担うものは何か! 俺はな、それを暖かな食卓に見出した。温かく、優しい食事。そう、例えば今キッチンの奥に置かれている鍋に残った温かなシチューなんか、まさにそれだろう!! 例えばそのシチューを、我が子同然の子らに、与えてみなさいよ恵んでやってみなさいよ! そしたらもう、強い繋がりを胸に子供たちはどんなに冷酷で残酷な社会の荒波に揉まれようとも、挫けず強く強く生きていけるはずだ!」
「お前さんの言いたいことはよくわかった」
「わかってくれたか!」
皿を食器棚に片付け終わったマスターはシチュー鍋を鍋掴みで持ち上げるとクロードへ向き直る。
「この余ったシチューは息子と一緒に食って、暖かで確かな親子関係とやらを育んでくる」
「そうじゃないいいぃいいいいぃ待ってえええええぇええぇ!!」
シチュー鍋を自室に運ぼうとするマスターの腰にしがみつくクロード。
「えぇい! 離せ! お前そう言って何度タダ飯食わせてやったと思ってやがる!!」
「今回で最後だからあああああああぁぁぁぁ」
カウンター席の日常をのんびりテーブル席で鑑賞しつつ、最後のシチューの一滴をスプーンで掬いきった女性は一言。
「今日もごちそうさまでした」
そう言い、朝食食べ終わるのが遅かった客のノルマとして自身の食器を洗い出すのだった。
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時刻は昼前。
朝食を満足に食べている者でも小腹がすく頃。つまりはシチューにありつけなかったクロードは飢餓寸前のような錯覚を起こし自室のベッドで横たわっていた。
「腹、減ったなぁ……」
グーグーと腹は鳴り続け、ガヤガヤとした表通りの喧騒が聞こえ、ミンミンと虫の交尾アピール音が五月蠅く、コンコンと自室の扉をノックする音が聞こえる。
「腹、減ったなぁ……!」
時間はいたずらに消費しても金は増えない。働こうにも、クロードのように資格も魔力もない人間は中々いい仕事にはありつけないのが世の常。どんな仕事でもいいと思って数々の仕事を受けてきたが、いずれも長続きしなかった。今ノックしてるであろうポンコツ女探偵の手伝いなんかは結構長続きしてるが、ほぼ毎回ボランティアで終わっている。
(あれ? じゃあなんで毎回付き合ってやってるんだ? 俺)
働かねば金が手に入らないのは事実。
だが無給で働きたいわけではない。
楽して稼ぎたい。
コンコンと自室の扉をノックする音が聞こえる。
「腹、減ったなぁ!!」
扉の向こう側にいるであろう無給でいつも働かせる無能女探偵の腹立つ微笑み顔を思い出しつつ、ほぼ怒声に近い音量で誰のせいで空腹かを扉の向こう側へとアピールする。あなたのせいで私は空腹で死にそうなんですよ? わかってます? のサイン。
――コンコンと自室の扉をノックする音が聞こえる。
「てめぇのせいで腹減ってイラついてるって暗に伝えてんだよッ!察しろこのポンコツ探偵!!」
我慢の限界が来たクロードはイラだちも隠さず扉の前までズカズカ歩くと強引にそれを開ける。
しかしそこには思い描いていた顔だけはいい女探偵はおらず。見慣れない憎たらしいほどまばゆい金髪に碧眼を湛えた少年が大声に竦んでいただけだった。
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とりあえず自室の中へと招き入れる。入れて気づいたが、扉の前で竦んでいたのは昨晩、光明魔術を練習していたこの街では珍しい金髪碧眼の少年だった。だがクロードはあえて素知らぬ顔をする。
「初めまして、か? 俺の名前はクロードだ。で、何か用か? 俺を訪ねる人なんてポンコツ探偵と迷惑助手くらいしか覚えがねぇからつい、いつもの調子で語気を荒げちまった。すまねぇな」
「あ、はい。はじめまして? です。あの、僕ノエル・リッチって言います。あの! クロードさんですよね!? 昨晩僕が魔術の練習をしてた時に魔術式を添削してくれたのって」
「ん? いや、なんの事だ? 魔術の練習をしてたってことは君は魔術学院の学生さんとかなのか? いやぁ、俺はこの髪色と目の色から分かる通り魔力が無くてな。すまんが誰かと勘違いしてるんじゃないのか?」
黒髪黒目。それは人が魔力を持つのが当たり前の世界で魔力を一切持たない証。それはこの世界の常識であるし、事実クロードに魔術を行使する魔力は存在しない。
「え? でも」
「でももなにもないさ。俺は魔力も無ければ学も資格もろくにない。日雇いでなんとか生計を立ててるただの金欠平民だよ」
昨日は特別に弄ったが、魔術師同士の間では人の魔術式を弄るのは本来ご法度とされている。魔術式の失敗は発動しないだけならまだしも辺りを焦土と化す危険性をも孕んでいるためだ。
(ま、俺はもう魔術師じゃないから別にいいと思ったんだがね)
マナー違反だと怒りに来たのだろうか。まぁそしたらすっとぼけていつも通り無魔であることを盾にすればいい。この街では見かけない髪色と目だから、クロード自身の二つ名を理解していないだろう。そう思った。
するとノエルと名乗った少年は、少し考えるそぶりをした後。
「――うぅん。聞いてた通りだなぁ。本当はやりたくなかったんですけど、失礼しますね」
すると少年は突然魔術式を展開する。それは光明魔術で苦戦するような一介の魔術師見習いが知るはずもない、この宿が倒壊するには十二分すぎるほどの威力を備えた爆砕魔術の魔術式だった。
「ッ!!」
クロードは間に合わないかもしれないと、それでも瞬時に腰につけているサバイバルナイフを抜き出し、魔術式を弄り無効化しようとし、その魔術式がすぐさま霧散されていくのを見て取った。
ほっとするのもつかの間。
「ほら、やっぱり。見えてるんですよね?」
ノエルはニコリと笑い、クロードは渇いた笑いをこぼすのだった。