小鳥遊ホシノ(過去)with梔子ユメ VS『メトロポリス・ユートピア』前編
砂塵が舞い、沈みゆく夕日がアビドス高等学校の校舎を長く、不吉な影で引きずっていた。
かつての繁栄の面影はなく、ひび割れたコンクリートの隙間から砂が入り込む廊下を、1年生の小鳥遊ホシノは重い足取りで歩いていた。
彼女の肩には、今の彼女の象徴とも言えるタクティカルベストの重みが食い込んでいる。
今日の借金返済に関わる「仕事」も、決して楽なものではなかった。
「(どいつもこいつも、へらへら笑いながら無理難題を押し付けやがって。あの脂ぎったツラの大人ども……いつか全員、砂の中に沈めてやる)」
相手は言葉の通じない機械か、あるいはそれ以上に無機質な悪意を持った大人たちだ。
鋭い目つきのまま、ホシノは生徒会室の古びた扉を蹴るようにして開けた。
「ただいま戻りました。……はぁ、今日も砂まみれだ」
室内には、外の過酷さを忘れさせるような、どこか間の抜けた、それでいて温かい空気が漂っていた。
「あ! ホシノちゃん、おかえりなさーい!」
部屋の主である生徒会長、梔子ユメが、椅子から飛び上がるようにして駆け寄ってきた。
膝まで届く薄い水色の長い髪を揺らし、その豊満な胸を強調するような独特の着こなし。
彼女の笑顔は、この滅びゆく学び舎にはあまりにも不釣り合いで、そして眩しかった。
「……先輩、近いです。暑苦しいですよ」
「えへへ、ごめんね。でも、ホシノちゃんが元気そうで良かった! 今日も一日、大変だったでしょ?」
「当然でしょう。誰かさんがお人好しすぎて、余計な仕事まで増やしてくれるせいで、こっちは休みなしですよ。少しは会長としての自覚を持ってください」
ホシノの冷たい言葉が飛ぶ。
「ひぃん……! ご、ごめんねぇ……。私、また何かやっちゃったかな?」
ユメは大きな体を縮こまらせ、涙目でホシノの顔色を窺う。
その情けない姿に、ホシノはさらに深く、深い溜息をついた。
「(全く、この人は……。私がいないと1日も持たないくせに、どうしてそんなに能天気でいられるんだか……)」
苛立ちを隠すようにホシノは椅子に深く腰掛け、机の上に並べられた雑多な書類の山を睨みつける。
すると、ユメが何やら後ろ手に隠していたものを、おずおずと差し出してきた。
「ね、ねぇ、ホシノちゃん。毎日借金のことばかりで、息が詰まっちゃうと思うんだ。だからたまには、2人で息抜きしようと思って……じゃじゃーん!」
ユメが差し出したのは、1本のゲームパッケージだった。
表面には、真面目そうな眼鏡をかけた市長風の男性と、その傍らに控える有能そうな秘書風の女性。
そして背景には、これでもかとばかりに近代的な高層ビルや公共施設が乱立する、輝かしい都市の姿が描かれている。
ホシノは眉間に皺を寄せ、その「異物」を凝視した。
「……なんですか、これ。どこで手に入れたんですか、こんなもの」
「えへへ、実はね、さっきゴミ捨て場を通った時に見つけたんだよ! 拾っちゃった♪」
「ゴミ捨て場……。先輩、衛生観念はどうなってるんですか。捨てられているものには、捨てられるだけの理由があるんですよ」
「でも見て! すごく綺麗だったし、何よりこのパッケージを見てたら、なんだか面白そうだなぁって思っちゃって! 捨てるのは勿体ないよぉ」
ユメは無邪気に笑いながら、ホシノの手に無理やりパッケージを押し付けた。
ホシノは嫌そうに顔を顰めながらも、パッケージの裏面に書かれた文字に目を走らせる。
そこには、聞いたこともない海外の開発会社のロゴが刻まれていた。
「『フリーダム・フロンティア・スタジオ(Freedom Frontier Studio)』……? 聞いたこともない名前ですね。怪しすぎます」
「フリーダムなんて、自由な感じで素敵じゃない! きっと夢がいっぱい詰まったゲームだよ!」
「はぁ…どうだか……」
ホシノは呆れながらも、パッケージに記されたゲーム紹介を読み進めた。
■ゲーム紹介:メトロポリス・ユートピア(Metropolis Utopia)
【概要】
究極の都市開発シミュレーターが登場! あなたは新任の市長として、何もない荒野に理想の国家を築き上げます。経済、福祉、インフラ、そして住民の幸福度。
あらゆる要素をコントロールし、歴史に名を残す偉大な都市を作り上げましょう。リアルなグラフィックと、驚異のAIが織りなす究極のリアリティがここに!
【システム】
• 自由自在な都市計画:道路1本の配置から、税率の0.01%単位の調整まで、全てが市長の思いのまま。
• 住民との対話:一人一人の住民に感情パラメータを搭載。彼らの要望に応えるか、無視するかはあなた次第です。
• ダイナミック・ディザスター:火災、地震、隕石、さらには謎の怪獣襲来まで。予期せぬ災害から街を守り抜きましょう。
【登場人物紹介】
・アーサー市長:プレイヤーの分身。常に冷静沈着な判断を求められる。
・エレーナ秘書:市長をサポートする完璧な秘書。時に厳しく、時に優しくアドバイスをくれる。
「街づくり……ゲーム?先輩、どうしてまたこんなものを」
ホシノが呟くと、ユメは少し照れたように人差し指同士をツンツンと合わせた。
「あのね、今はボロボロになっちゃったこのアビドスが、もし豊かな街になったらどんな風になるのかなぁって思って。このゲームなら、私たちの理想の街が見られるかなって」
ユメの瞳には、希望の光が宿っていた。
砂に埋もれ、借金に追われ、日々を生き抜くことさえ困難なこの現実の中で。
彼女はまだ、失われた「未来」を夢見ているのだ。
ホシノはじっと、パッケージの中の輝かしい摩天楼を見つめた。
目の前の現実とは真逆の、嘘くさいほどに明るい世界。
喉の奥まで出かかった「そんな奇跡は起きない」という言葉を、ホシノは無理やり飲み込んだ。
「……まったく。バカなことを言わないでください」
「あ、あはは……。ごめんね、私バカだから。ホシノちゃんにこんなの付き合わせて……」
ユメが寂しげに笑い、手を引っ込めようとする。
しかし、ホシノはその前に食い気味に言葉を繋いだ。
「これ、ゲーム機がないと遊べないでしょう? どうするつもりなんですか」
「えっ……?」
「このゲーム、パッケージを見る限り2人プレイにも対応しているようです。……ちょうど、私の家に古いゲーム機とコントローラーがあります。使えるかどうかは分かりませんが、持ってくるので待っていてください」
ユメの顔が、パッと明るくなった。
「えっ! それじゃあ、ホシノちゃんと一緒に遊べるの!?」
「言っておきますが、少しだけですよ。明日も早いんですから」
「うん! うん! ホシノちゃん大好き! ありがとう、ホシノちゃん!」
喜びを爆発させたユメが、ホシノの小柄な体に抱きついた。
「ちょっ……!? 離してください、先輩!暑いって言ってるでしょう!」
「えへへー、離さないよぉー!」
ホシノは顔を真っ赤にしながら抵抗するが、ユメの力は意外と強く、なかなか離してもらえない。
結局、ホシノは折れる形で、一度私物を取りに帰るために校舎を後にした。
それから1時間後。
古びたゲーム機を抱えたホシノが、暗くなった砂漠の夜を越えて生徒会室に戻ってきた。
その時、彼女はまだ知る由もなかった。
その手に抱えた箱が、これまでのどんな過酷な「仕事」よりも残酷で、理不尽な絶望を運んでくることを。
砂漠の夜よりも深く、暗く、冷酷なる魔界の門が今…静かに開かれようとしていた。