アビドス高等学校の生徒会室に、電子機器の接続されるカチリという乾いた音が響いた。
ホシノは古びたブラウン管テレビの裏側に回り込み、埃を払いながら慎重にゲーム機の端子を差し込んでいく。
「ねぇ、ホシノちゃん! 私にも何か手伝えることはないかな?」
横で見守っていたユメが、我慢しきれないといった様子でコントローラーを握りしめ、身を乗り出す。
「……先輩。余計に時間がかかるので、大人しく座っていてください。壊されたら目も当てられませんから」
「ひぃん! そんなことしないよぉ……! でも分かった、私は応援に徹するね! がんばれー、ホシノちゃん!」
応援という名のアドバイス(という名の邪魔)を一蹴されたユメは、指示通りソファーに座り直し、期待に胸を膨らませてホシノの手元を凝視している。
ホシノは手際よくセッティングを終えると、コントローラーを片手に持ち、最後にもう1度ケーブルの緩みがないかを確認した。
深呼吸を1つして、彼女はゲーム機の電源ボタンを押し込む。
「(さあ、ゴミ捨て場の遺物が動くかどうか……。変な煙でも吹かなきゃいいけど)」
鈍い駆動音と共に画面が明滅し、次の瞬間、テレビには予想外の光景が広がった。
広大な、あまりにも広大な大地が超高画質なグラフィックで映し出され、爽快感溢れるオーケストラ調のBGMが鳴り響く。
画面中央には、黄金に輝くフォントで『メトロポリス・ユートピア』というタイトルロゴが堂々と表示された。
「おぉーっ! すごいよ、ホシノちゃん! 本物みたいに綺麗だね!」
「……チッ、見た目だけは立派ですね。海外の開発会社というだけあって、無駄にリソースは割いているようです」
ユメがワクワクした表情で歓声を上げる一方で、ホシノは警戒を解かずに画面を睨みつける。
プレイヤー選択画面では、ユメが「アーサー市長」、ホシノが「エレーナ秘書」を操作するように設定を済ませ、二人はスタートボタンを押した。
画面がフェードアウトし、再び映し出されたのは、地平線の彼方まで続く何もない荒野だった。
そこにポツンと、パッケージに描かれていた眼鏡のアーサー市長と、眼鏡のエレーナ秘書が立っている。
しかし、何分待ってもチュートリアルはおろか、次に何をすべきかのガイドすら表示されない。
「……えっと。ホシノちゃん、ここからどうすればいいのかな?」
「分かりませんね。まずはメニュー画面でも開いて……。ダメだ、ボタンを片っ端から押しても何も反応しない」
ホシノは不審に思い、足元に置いてあったゲームパッケージを手に取って中を確認した。
だが、そこにあるべき説明書の冊子は、誰かに抜き取られたかのように跡形もなかった。
「(クソ……。説明書すら入っていないとは。だからゴミ捨て場にあったのか?)」
仕方なくホシノは片手でスマートフォンを取り出し、開発会社名やタイトルで公式サイトを検索し始める。
しかし、出てくるのは全て英語で埋め尽くされた、隙間一つない不気味なレイアウトのサイトばかりだった。
「英語、英語、英語……。翻訳機能を使えば読めなくはないですが、こんな専門用語だらけの長文を読んでいたら朝になりますよ」
「ええっ!? そんなぁ…ホシノちゃん、どうしよう……」
息抜きのために始めたはずのゲームで、なぜこれほどの労働を強いられなければならないのか。
その皮肉な状況に、ホシノは激しい眩暈を覚え、頭を押さえた。
「……とにかく、手探りで探索するしかありません。幸い、キャラクターを動かすことだけはできるようですから」
「う、うん……。やってみるよ。えいっ、えいっ」
2人はアナログスティックを倒し、どこまでも続く単調なテクスチャの荒野を歩き始めた。
画面を横切るのは時折舞い上がる砂埃だけで、建物どころか草一本生えていない。
次第にユメの口数は少なくなっていき、ホシノのコントローラーを握る指先にはイライラとした力が込もる。
「(街づくりどころか、これではただの『徒歩シミュレーター』じゃないか…。制作スタッフは脳みそまで砂に埋まっているのか?)」
数十分ほど、ただ岩山が連なるだけの虚無の空間を歩き続けていた、その時だった。
唐突に、画面上のエレーナ秘書の頭上に『!』のアイコンがポップアップした。
「……ボタン表示? 押してみますよ」
画面には、簡素なテキストで『この地点には貴重な鉱石が埋まっています。掘りますか?』と表示されている。
街づくりゲームというジャンルを完全に無視した原始的な要求に、本来なら呆れるところだった。
だが、極限の退屈に晒されていたホシノにとって、それは砂漠で見つけたオアシスのようだった。
「ようやく、操作らしい操作ができますね。行きますよ、先輩」
ホシノが決定ボタンを押すと、画面内のエレーナ秘書が突如として地べたに這いつくばり、素手で地面を掻き出し始めた。
「あ、私もやるね! 掘れ掘れー!」
ユメも続いてボタンを押し、アーサー市長までもがスーツを土まみれにしながら、狂ったように土を掘り進める。
だが、このゲームの「リアル志向」は、最悪の形で牙を剥いた。
どれだけボタンを押してもゲージはミリ単位でしか進まず、しかも連打を止めると即座に掘削も中断される仕様だった。
「はぁ……はぁ……。なんです、この苦行は……。指が、千切れる……!」
「……ホシノちゃん。私も……もう限界かも……」
生徒会室には、ガチャガチャガチャガチャという、狂気じみた連打音だけが響き渡る。
2人は完全に無言になり、焦点の合わない目で画面を見つめながら、ひたすらプラスチックの塊を叩き続けた。
10分間の死闘の末、ようやく画面中央に小さな鉱石のグラフィックが表示された。
『素材:粗悪な鉄鉱石を入手しました。これは建物の基礎を作るために必要な素材です』というテキストが流れる。
「……や、やりましたね、先輩。これでやっと街が……」
言いかけたホシノの言葉を、テレビから響く不快な高音が遮った。
ファンファンファンファン――!!
遠くから、聞き慣れた、しかしこの荒野には不釣り合いなパトカーのサイレンが鳴り響く。
「……えっ? なんだ?」
ホシノが視点を旋回させると、地平線の向こうから猛スピードで複数のパトカーが砂煙を上げて迫ってきた。
パトカーはアーサー市長とエレーナ秘書の目の前で急停車し、中からアメリカの映画に出てくるような恰幅の良い警察官たちが、銃を構えて飛び出してくる。
『フリーズ! 動くな、クソッタレのコソ泥どもが! 手を頭の後ろに回せ!』
画面内の警察官が、耳を疑うような罵詈雑言をテキストと合成音声で吐き出し始めた。
『このドブネズミ共が! ここは政府公認の私有地だ! 所有者の許可なく地表を0.1インチでも傷つけるのは重罪なんだよ!』
『おい、見ろよ。このマヌケ面を! スーツを着て地面を這いずり回るのがそんなに好きか? 刑務所の床掃除なら一生させてやるぜ!』
『貴様らを資源窃盗及び不法侵入の現行犯で逮捕する! 地獄に落ちる前に独房の味を教えてやるから安心しろ!』
アーサー市長とエレーナ秘書は抵抗する間もなく、暴力的なモーションで組み伏せられ、パトカーへ無理やり押し込められた。
走り去るパトカーの後ろ姿と共に、画面には血のような赤文字で一言、こう表示された。
『GAME OVER』
「…………は?」
ホシノは開いた口が塞がらなかった。
数十分歩き続け、指を酷使して連打し、ようやく手に入れた石ころ1つで逮捕。
このゲームには、慈悲も論理も存在しない。
「ふざけんな……。ふざけるなよ! どこの馬鹿がこんな、あぁもう、ブチ壊して……!!」
ホシノがコントローラーを床に叩きつけようと、激昂した瞬間だった。
「ぁぁぁあああああああああああああ!!!!! ふざけるなああああああああ!!!!! この、ゴミ! ドブカス!! 産業廃棄物!!! 開発者の脳みそは砂漠の砂か!? 死ね! 死に腐れ!! 未来永劫、この世から消え失せろおおおおおおおお!!!!!!」
鼓膜を突き破らんばかりの怒声が、生徒会室を震撼させた。
ホシノが驚愕して隣を見ると、そこには見たこともない形相で叫び、宙を睨むユメの姿があった。
「#%&$@×÷>=%¥〒\*!!!!!!!!」
ドォォォォォォォン!!!!
ユメが言葉にならない咆哮と共に、その拳を生徒会室の丈夫な床に叩きつける。
凄まじい衝撃音が響き、コンクリートの床がまるで飴細工のように容易く陥没し、大きなクレーターを作った。
「……ッ!?」
その異様な迫力と暴力的なエネルギーに、ホシノの怒りは一瞬で霧散し、全身が総毛立った。
普段の穏やかで頼りない「ユメ先輩」の面影は、そこには微塵もなかった。
「……ゆ、ユメ……先輩……?」
ホシノが震える声で呼びかけるが、ユメは無反応だった。
彼女は陥没した床から拳を抜くと、一度もホシノの方を向くことなく、ただ淡々と、機械的な動作でコンティニューボタンを押した。
5秒ほどの静寂が、死よりも重く室内に満ちる。
ユメは視線すら向けないまま、氷のように冷徹な、しかし有無を言わせぬ響きを帯びた声で言った。
「……早くして、ホシノちゃん。次、行くよ」
「……は、はい。すみません……」
生まれて初めて「恐怖」という感情で上書きされたホシノは、逆らうという選択肢を完全に奪われ、震える手でコントローラーを持ち直した。
しかし『メトロポリス・ユートピア』という魔窟は、そんな2人を嬉々として更なる地獄へと招き入れるのであった。