セミナーの部室は、もはや戦場と化していた。
散乱した書類、斜めに傾いた備品の椅子、そして過負荷によって奇妙な焦げ臭さを放ち始めたゲームコンソール。
その中心で、早瀬ユウカは幽鬼のような形相でモニターを凝視していた。
ツーサイドアップの髪は完全に解け、瞳の奥に宿る赤い光は、もはや理性ではなく、開発者への純粋な殺意によって燃え盛っている。
画面には、ドットの潰れた殿様のグラフィックが表示されていた。
【第六章:殿の御心】
【問:殿の現在の『気分』を、算盤の珠で数値化して答えよ。なお、殿は先ほど秋刀魚の塩焼きを食べたものとする】
【制限時間:0.001秒】
「………………」
ユウカの指が、ピクリとも動かない。
いや、動かしたところで無駄なのだ。0.001秒という時間は、人間どころかキヴォトス人の神経伝達速度でさえも遥かに超えている。
光速に近い演算能力を要求しておきながら、問題文は「秋刀魚を食べた気分を数値化しろ」という、数学に対する冒涜以外の何物でもない主観的難問。
「…………殺す」
ポツリと、冷たい言葉が唇から漏れた。
それは叫びですらなかった。ただ、深淵から這い上がってきた呪いそのものだった。
「殺す。殺してやるわ、阿修羅・轟……。お前の存在そのものを、この世界の定義域から消去してやる……。秋刀魚…? 気分…? そんな変数で定義できないゴミを問題にするなんて、数学への、論理への宣戦布告と受け取っていいのね?」
彼女はコントローラーを握り直す。もはや怒りの段階は過ぎ、彼女は「バグとの対話」という狂気の領域に足を踏み入れていた。
「0.001秒なら、入力信号をハードウェアレベルでオーバーロードさせるまでよ!!」
ユウカは愛用の電卓をコンソールに直接接続し、無理やりマクロを組んで信号を流し込んだ。強引な割り込み処理によって、画面が一瞬フリーズし、無理やり「正解」の判定をもぎ取る。
『判定:大正解(殿は内臓が苦かったそうです)』
「知るかああああああ!!! 内臓の苦さなんて計算できるか、この低脳開発者がぁ!!!」
キレ散らかしながらも、ユウカは進む。もはや目的は「楽しむ」ことではない。
この「悪意の塊」を完膚なきまでに叩き潰し、エンディングという名の終止符を打たせること。
それだけが、彼女を突き動かす唯一の演算式となっていた。
そして。
ついに画面は、異様なノイズと共に、最終章へと突入した。
【最終章:徳川の終焉、演算の終わり】
【問:徳川幕府が未来永劫存続するために必要な『無限の予算』を、一文の狂いもなく入力せよ】
【制限時間:マイナス30秒】
「……は?」
ユウカの瞳が、驚愕で見開かれた。
「マイナス……30秒? 何よそれ、時間が巻き戻ってるっていうの!? 相対性理論でも無視するつもり!?」
画面下のタイマーが、狂ったように「-31」「-32」「-33」と加算されていく。
普通、制限時間はゼロに向かって減っていくものだ。だが、このゲームは違う。時間が「増えて」いく。
それはつまり、解答権が未来へ、永遠に遠ざかっていくことを意味していた。
「(解答権が得られない……? 制限時間がマイナスである限り、入力受付フラグが立たない設計になっているんだわ。これ、正攻法じゃ絶対にクリアできない……。プログラミングの初歩的なミスというより、プレイヤーを永遠にこの画面に縛り付けるための、電子の牢獄じゃない……!!)」
ユウカは震える手で、デスクを叩いた。
「ふざけないで……。ミレニアムの会計を、こんな安っぽい無限ループでハメられると思っているの……!? 阿修羅…! あんたの底の浅さを、今すぐ証明してあげるわ!!」
彼女は立ち上がり、サーバーラックから予備のLANケーブルを引っ張り出すと、コンソールの基板を露出させ、特定のチップを指先で弾いた。
「(演算エラーによるスタックオーバーフローを誘発させて、時間を1周させる…! 符号付き整数の限界値まで、タイマーの数値を無理やり引き上げるのよ!!)」
バチバチと火花が散る。ミレニアムの誇る天才的なハードウェア知識が、クソゲーのバグを「バグ」で制するために振るわれる。
「落ちなさい……落ちろぉぉぉぉ!!!」
画面が激しく点滅し、文字化けした数字が高速で回転し始める。そして、タイマーが最大値を超えた瞬間、内部数値が反転し、強引に「0秒」へと収束した。
その一瞬。
ユウカは算盤の入力キーを、魂を込めて叩いた。
「これで…終わりよぉぉぉぉぉぉ!!!!」
画面が真っ白に染まる。
長い、長い沈黙が訪れた。
ファンが激しく回る音だけが、静かな室内に響いている。
やがて、画面は真っ黒になった。
BGMはない。環境音もない。
ただ、画面の中央に、フォントサイズのバラバラな、頼りない文字が表示された。
おめでとう やったね
君は 真の 算術士だ
「……え?」
ユウカは呆然と画面を見つめた。
「……これだけ? スタッフロールは…? ストーリーの結末は? 算哲はどうなったの? 江戸の世は…救われたの?」
次の瞬間、画面は無情にも、最初のタイトル画面へと戻された。
『江戸算術伝 〜算盤を以て徳川の世を正す〜』
静かに流れる、あの不協和音のメインテーマ。
ユウカは固まった。コントローラーを握ったまま、1分、2分……。時間は無慈悲に過ぎていく。
「……あ、あれ? またバグ? 今、エンディングだったの……? それとも、何かフラグを読み飛ばした? 隠しコマンドが必要だったの……?」
彼女は必死に理由を探した。これがあの地獄のような苦行の「報酬」だなんて、認められるはずがなかった。
何かがあるはずだ。もっと、達成感を得られる何かが。
だが、いくらボタンを押しても、虚しくタイトル画面が繰り返されるだけだった。
ふと、視線を上げると。
窓の外には、ミレニアムの空を白く染める朝日が昇っていた。
「…………あ」
時計の針は、午前8時を指している。
徹夜だった。
たった1円の誤差も許さない完璧な会計、早瀬ユウカが。
1晩の、1秒も無駄にできない貴重な時間を。
この、何の生産性もなく、論理も崩壊し、悪意と無能だけで塗り固められた「ゴミ」に、捧げてしまった。
「あ……、あははは……」
乾いた笑いが、喉の奥からせり上がってきた。
「何してたのかしら、私……。昨日の夜から、ずっと……。こんな、計算する価値もないデータに……。あはは、あはははは……」
膝の力が抜け、ユウカはその場にへなへなと座り込んだ。
完璧なはずの彼女の頬を、一筋の涙が、ツーと伝い落ちる。
それは感動の涙ではない。悔しさの涙ですらない。
自分の人生という「計算式」の中に、決して取り除くことのできない巨大な『無駄』という名のバグが混入してしまったことへの、底知れない絶望だった。
「(……モモイ、あんたは後で絶対に説教よ。……いいえ、セミナーの予算を全部凍結して、1ヶ月間算盤で複利計算をさせてやるわ……)」
しかし、そんな思考すらも、今は虚無感にかき消されていく。
ユウカは涙を拭おうともせず、朝日を反射する冷たい画面を見つめながら、最期に、消え入るような声でこう呟いた。
「……殺すぞ。……阿修羅・轟……」
その言葉と共に、ミレニアムの平和な朝を告げるチャイムが、皮肉にも軽やかに鳴り響いた。
次はイオリ編です。
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