部屋の明かりはとうに消え、テレビ画面から放たれる毒々しい青白い光だけが、イオリの横顔を幽霊のように照らし出していた。
数時間前までの激しい怒号は、もうどこにもない。イオリの瞳からはハイライトが完全に消失し、まるで底なしの沼を覗き込むような、暗く淀んだ虚無が宿っていた。
「…………」
彼女は無言でコントローラーを動かしていた。操作性はもはや「劣悪」という言葉では生ぬるい。
キャラクターは1歩動くごとに演算ミスで壁にめり込み、階段を一段登れば描画の隙間から暗黒の裏世界へと転落する。
しかし、イオリは動じなかった。落下してゲームオーバーになり、またタイトル画面であのおっさんの気の抜けた鼻歌を聞かされても、その指先は精密機械のように冷徹に、リスタートを繰り返し選択し続けた。
もはやこれは娯楽ではない。修行ですらない。これは、己の純粋な期待と尊厳を完膚なきまでに蹂躙した「絶対的な邪悪」を、その最後の一滴が枯れ果てるまで見届けるための、執念の儀式だった。
そして道中のイベントは、彼女の精神をヤスリで削るように磨耗させていった。
【イベント1:呪われた村の救済】
物語の中盤、イオリが辿り着いたのは、魔物の呪いによって全員が石に変えられたという悲劇の村だった。
パッケージ裏の紹介では「涙なしには語れない救済の物語」とされていたが、画面上に並んでいるのは、テクスチャすら貼られていないグレーの円柱の群れだった。
『ああ、ゆうしゃよ。わたしたちは、いしだ。たすけてくれ。すごく、こまっているんだ』
例の、やる気のないおっさんの声が、円柱(村人)から流れる。マイクとの距離が近いのか、時折「プツッ」というノイズが混じり、背後では誰かが鼻をすする音まで聞こえてくる。
イオリは無表情のまま、村の井戸へと向かった。そこにある「ただの青い四角形(聖水)」を汲んで円柱に振りかけると、円柱は一瞬でショッキングピンク色に変色した。
どうやらこれが「呪いが解けた」という表現らしい。
『わーい。もとどおりだ。お礼に、この「ひのきのぼう」をあげよう。いいだろ、これ』
画面に表示された「ひのきのぼう」は、ただの茶色い1本の線だった。イオリは何も言わず、その線を装備した。
【イベント2:伝説の聖剣、継承】
物語の佳境、選ばれし者しか抜くことができないという伝説の聖剣の儀式が発生した。
聖域の中心に鎮座していたのは、地面に深く突き刺さった「巨大な銀色のフォーク」のようなポリゴンの塊だった。
『ぬぬぬ。ぬけない。すごく、かたいぞ。……あ、ぬけた』
おっさんの気の抜けた声と共に、フォークがキャラクターの手元へ不自然なワープを遂げる。
台本を読み間違えたのか、失敗と成功のセリフが同時に重なって再生されていた。
イオリの頬が、ピクリと引き攣った。握りしめたコントローラーから「ギチギチ」と不穏な音が漏れる。
だが、彼女は沈黙を守った。ただ、虚無の瞳で決定ボタンを連打し、ストーリーを無理やり進めていく。
【イベント3:聖女との別れ】
共に旅をした唯一の仲間である聖女が、主人公を庇って命を落とす、物語最大の感動シーン。
画面上の聖女(ピンク色の長方形)が、何の予兆もなく横に90度パタンと倒れた。
『ああ……。わたしは……しぬ。……あ、おなかすいたな。やべ、マイクきれてなかった。えーと、さようなら、ゆうしゃさま』
おっさんの素の呟きが混入した、ゲーム史上最悪の遺言。感動させる気など微塵もない、不誠実の極み。
イオリは震える手で、溢れそうになる何かを堪えた。それは悲しみでもなければ、慈悲でもない。
作り手のあまりの傲慢さと無能さに対する、純粋な殺意に近い激情だった。
そして、物語はついに最終決戦へと至る。
魔王の城。最上階。
そこに待っていたのは、ラスボスとしての威厳など塵ほども存在しない、筋骨隆々(という設定の、デコボコな灰色の肉の塊)の不細工なポリゴン人間だった。
『よくきたな。われが、まおうだ。……えーと、ここ、かっこいいかんじで。せかいを、わがものにするぞ』
例によって戦闘BGMはない。
静まり返った部屋の中で、冷房の音だけが虚しく響く。イオリは迷うことなくコマンドを選択した。
「たたかう」
【 9999 】
画面中央に、デカデカと表示された白抜きの数字。
ゲームバランスという概念を、開発の段階でドブに捨てたのであろう。聖剣(フォーク)の一撃で、魔王のHPは一瞬でゼロになった。
『ぐえー。やられたー。……よし、これでいいかな』
おっさんの気の抜けた声と共に、魔王のポリゴンが画面外へとスーッとスライドして消えていく。
実戦時間、わずか3秒。
キヴォトス全土を揺るがすようなカタルシスも、達成感も、そこには一欠片も存在しなかった。
そして流れるようにエンディングが始まった。
背景には、最初に見かけた「真っ黄色な立方体」が再び映し出されている。使い回しの王城だ。
画面の下を、字幕がゆっくりと流れていく。
「こうして、せかいに、へいわが、もどりました。めでたし、めでたし」
スピーカーからは、もはや隠そうともしないおっさんの鼻歌が、フフフーン、とズレたメロディを奏でている。
『……あー、おわったおわった。これでお金もらえるんだよね? 焼き肉食べにいこう』
案の定、音声の切り忘れである。最後の最後まで、おっさんの私欲に満ちた私語が収録されていた。
やがて、黒い画面に白い文字でスタッフロールが流れ始める。
そこには、戦慄すべき事実が記されていた。
監督:田中 権造
脚本:田中 権造
プログラム:田中 権造
グラフィック:田中 権造
パッケージイラスト:田中祥子
音響:田中 権造
ボイス:田中 権造(株式会社 スカイ・ディベロップ・インターナショナル 代表取締役社長)
「…………」
あの不快極まりないおっさんの声の主は、開発会社の社長その人だった。
自分の肥大化した自己愛のままに、自分の声を吹き込み、自分が描いたゴミのようなポリゴンを「美麗」と偽って世に放った、諸悪の根源。
この世の理不尽を煮詰めたような男。
画面がタイトルに戻る。
再び流れる、不協和音の電子音。
イオリは、ゆっくりとコントローラーを置いた。
「……田中……権造……」
ポツリと、その名前を呟く。
イオリは立ち上がると、テレビの電源ボタンを押し込んだ。ブツン、という音と共に、部屋は完全な暗闇に沈んだ。
静まり返った闇の中。
イオリは吸い寄せられるように、愛銃「クラックショット」のケースへと手を伸ばした。
カチャリ、という冷たい金属音が響く。
彼女は暗闇の中で、慣れ親しんだ銃の感触を確かめるように、メンテナンスを開始した。
ボルトを引き、薬室を確認し、丁寧に布で機関部を磨き上げる。
だが、その手元からは、普段の彼女からは想像もつかないような禍々しい殺気が漏れ出していた。
「田中権造……」
布を動かす速度が、わずかに上がる。
「田中権造」
銃身を磨く手に、力がこもり始める。
「田中権造!」
彼女の呼吸が荒くなり、銀色のツインテールが闇の中で激しく揺れた。
「田中……! 権造っ!!」
その叫びと共に、手に持っていたメンテナンス用のクリーニングロッドを、彼女は力任せに握り潰した。
――バキッ!!
硬質な樹脂が折れる鋭い音が、密閉された部屋に木霊した。
折れた器具を床に投げ捨てることもせず、イオリはゆっくりと顔を上げた。
カーテンの隙間から差し込む、微かな月光。
そこに照らし出された彼女の顔は、どろどろに濁りきった瞳を持つ復讐鬼そのものだった。
かつての凛々しい風紀委員の面影はどこにもない。
「名前……覚えたからな………」
地を這うような低い声が、暗闇の中に染み込んでいく。
イオリの手元で、磨き上げられたクラックショットの銃口が、獲物の喉首を狙うかのように冷たく光った。
そして翌日、ゲヘナの風紀委員会には、「個人的な捜査」のために長期休暇を届け出る1人の少女の姿が目撃されたとかされてないとか。
次はシロコ編です。
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