「くっ……!」
レックスの視界を埋め尽くすのは、幾重にも絡み合い、不規則な軌道を描いて迫る真空の刃。
魔界の猛者――ライオネックが放った
荒れ狂う竜巻を前に、レックスは横へ逃れる選択を即座に切り捨て、あえて暴風渦巻く真正面へと地を蹴った。
バギクロスは、標的を包囲するように旋回しながら収束する性質を持つ。
ゆえに左右への跳躍は悪手。
術者の懐へ一直線に潜り込むことこそ、最善の一手であった。
バギクロスは、レックスの父親が得意としいた呪文でもある。
その背を幾度となく見つめてきた彼は、荒れ狂う魔旋風の狭間に、確かな活路を見出していた。
「たああぁぁ!」
咆哮とともに鋭く踏み込み、振り上げた剣が
放たれた一撃は、ライオネックの上半身をたやすく斜めに断ち切っていた。
悪魔系の上位魔物といえど、極限まで練り上げられた斬撃を受けて、無事ではいられない。
上半身を断たれたライオネックは、断末魔を上げる
剣にこびりついた魔の
「……まあ、こんなところか」
戦いは激しいものであったが、それを『死闘』と呼ぶには程遠い。
それもそのはず。
レックスは、『天空の勇者』なのだ。
宿命の王リュカと、天空の血を引く母とのあいだに生まれた――伝説の勇者。
わずか8歳にしてその血に宿る資質を覚醒し、父と共に辿った過酷な旅の果てで、邪悪なる魔王を打ち倒した――『成し遂げし者』。
そんなレックスも、もう16歳。
肉体はいよいよ盛りを迎え、幼少より積み重ねてきた修羅場の経験は、いやま揺るぎない心技体となってその四肢に宿っている。
今の彼にとっては、魔界屈指の精鋭ライオネックですら、物足りない相手でしかなかった。
「この洞くつなら、もっと強い魔物が出てくると思ったんだけどなぁ……」
入り組んだ『謎の洞くつ』の奥底を見やりながら、レックスは吐息まじりに独り言ちる。
『魔界の王』――ミルドラース。
レックスが天空の勇者として、
ミルドラースの死によって、空を覆っていた暗黒は晴れ渡り。
不穏な陰に怯えていた民衆は救われ、世界は再び安寧を
『天空の伝説』はこうして
だが、レックスの胸には、未だ燃え尽きることのない炎が
――自分には、まだ為すべきことがあるのではないか?
少年勇者の内に眠る渇望は、平和な時代を迎えても鎮まるどころか、肉体の成長と呼応するように膨れ上がる一方であったのだ。
そして青年となったレックスは、胸の内にざわめく焦燥と渇望に急き立てられるように、ミルドラース亡き後の世界を彷徨い続けていたのである。
『冒険癖は、パパス王から続くグランバニア王家の
最初はそう笑って見守っていたグランバニアの臣民たちも、レックスが一向に落ち着く気配を見せないと知るにつれ、次第に表情を曇らせるようになっていった。
彼らは、正統なる国王の不在という
ようやく世界に平穏が訪れたというのに 次代の国王たるレックス王子に万一のことがあったらどうするのかと、気が気でなかったのである。
そんな臣民たちの思いを汲んだのか、ある時、父王リュカはレックスを
『僕も若い頃は世界を旅していた。
その経験は、王となった今でもかけがえのない糧になっていると思う。
だけど、レックス。
冒険を許せるのは17歳までだ。
それ以降は、王子として――いずれグランバニアを背負う者として、自覚を持たなければいけないよ』
その約束の期限が、もう目前まで迫りつつある。
来月には、レックスも17歳の誕生日を迎えるのだ。
だからこれは――最後の旅路。
この冒険を最後に、レックスは冒険者としての日々に幕を下ろさなければならない。
それが父との――そして、グランバニアとの約束だった。
そんな彼が、旅の終着地として選んだのは、かつてミルドラースが巣食っていた『魔界』。
そして、大魔王を討ち倒した後もなお、底知れぬ沈黙を守り続ける『謎の洞窟』だった。
『……この洞くつからは、禍々しい瘴気を感じる。
無理に近づくべきじゃない。
それより、いまはエビルマウンテンを目指そう』
かつて魔王打倒の旅をしていた頃。
ミルドラースとの最終決戦を目前に控えたリュカは、洞窟に漂う異様な気配からそう断じた。
それから父がこの場所について語ることは二度と無く。
ゆえに、この洞窟はいまだ
世界が救われた後もその深淵が解き明かされることはなく、文字通り『謎の洞窟』として暗黒の地に鎮座し続けているのだ。
この未踏を切り開き、隠された謎を解明することこそ、自らの旅路を締めくくる集大成に相応しいのではないか。
そう考えたレックスは、旅の相棒として使い込み、すっかり手に馴染んだ『パパスのつるぎ』を片手に、魔界の更なる深底へと乗り込んでいったのである。
「――って、期待していたんだけど……。
今のところ、普通の洞くつと大差ない気がするなぁ。
ねぇ? タバサ」
そう背後へ言葉を投げかけ、レックスは肩に剣を担ぎながら振り返る。
彼の旅の傍らには、いつだって双子の妹――タバサの姿があった。
それは単なる冒険の相棒というより、何かとマイペースな兄を見張るため、しっかり者のタバサがお目付け役として付き添っている、という方が実状に近い。
生まれ落ちたその瞬間から、ずっと共に在り続けた双子の兄妹は、成長した今も変わらずに一緒だったのである。
「うう……」
しかし、振り返った先のタバサは明らかに様子がおかしかった。
レックスの呼びかけも耳に入っていないように、
「タバサ……?」
「頭が……痛い……」
「だ、大丈夫!?」
ただ事ではない気配にレックスは慌てて片膝を突き、その顔を覗き込む。
タバサはこめかみを押さえたまま、悪寒に襲われているかのように小刻みに肩を震わせていた。
「この洞くつ……奥の方から、ものすごい瘴気を感じるの……。
まるで、誰かが何かを求めて、地の奥底で嘆き叫んでいるみたい……」
「…………」
絞り出すようなその声に、レックスは言葉を失ってしまう。
自分が『天空の勇者』の血を色濃く受け継いだのに対し、タバサは父のリュカ――ひいては祖母マーサへと連なる『エルヘブンの民』としての系譜を、その身に強く宿している。
その清らかな聖性、あるいは霊的な感応力ゆえに、この洞窟に渦巻く瘴気にあてられてしまったのだろうか。
「辛いなら、もう引き返そうか?」
「ううん、大丈夫。
少し休めば、良くなると思うから……」
差し伸べられた兄の手を、タバサは震える指先でそっと押し返す。
そして、血の気を失った薄紫の唇に無理な微笑をのせて、小さく首を振った。
「だって、これはお兄ちゃんの『最後の旅路』だもんね。
こんな所で引き返したりしたら、お兄ちゃん……。
きっと、いつまでも旅から帰ってくれなくなっちゃうと思うから……」