それからも、ターニアの様子は相変わらずだった。
起きている時の彼女は、明るく朗らかで、これまでと何も変わらない。
だけど、夜になって眠りにつけば、やはりすすり泣きながら涙をこぼしているようだ。
ただ、ひとつだけ変化があった。
なんでも、夢の中でも結婚したというのだ。
「私、夢の中でもあなたと結婚したみたい」
「そりゃよかった!
夢の世界のオレが報われたようで、オレも嬉しいよ!」
「まあ現実みたいに、手放しで幸ってわけではないんだけどね……」
その言葉どおり、ターニアに目立った変化があったわけではなかった。
夜ごと泣きはらすのは相変わらず。
どこか暗い影を帯びているのもそのままだ。
以前、ふと漏らした言葉によれば、夢の中のターニアは結婚した後でも、例の『あの人』を待ち続け。
崖際のあの家に留まって、夢の世界のランドと二人で暮らしているらしい。
だが、それでもランドは彼女の夢が気がかりだった。
そんな夢を見てしまうのは、現実のターニアの中に何か満たされない憂いがあるからではないだろうか。
それが晴れれば、帰ってこない誰かを待ち続けるなんて悲しい夢、見なくて済むようになるのではないか。
(子どもでも授かれば、ちょっとは変わるかもしれないけどなぁ……)
ランドとターニアが結婚して、もうしばらく経つ。
だが、二人はまだ子宝に恵まれていなかった。
ランドとしては、別にそれでも構わなかった。
自分の子どもが欲しくないと言えば嘘になるが、彼にとって何より大切なのはターニアのそばにいることだ。
その願いが叶っている限り、特に不満はなかった。
けれど、ターニアはそうではないのかもしれない。
子に恵まれないという憂いが形を変えて、あの悲しい夢となって現れているのかもしれない――ランドはそんなふうに思いはじめていた。
とはいえ、子は天からの授かりもの。
こればかりは、ランドにどうこうできるものでもない。
そんなもやもやを抱えていた、ある日のこと。
朝、目を覚ましたターニアが、寝起きから興奮した様子で話しかけてきた。
「私……子どもができたみたい……!」
「えぇ? お、おん? どういういことだ!?」
「あ……ごめん。
この私じゃなくて、夢の中の私なんだけどね……」
ターニアは、どこかはにかんだ顔で話しはじめる。
夢の世界でもランドと結ばれた彼女は、彼との間に子どもを身籠ったらしい。
夢の中のランドはそれに感激して、すっかりむせび泣いていたのだという。
それを聞いて、ランドは少しだけ不安になってしまう。
ターニアはそんな夢をみるほど、子どもに恵まれないことを気にしていたのだろうか。
だが、夢の中での懐妊を語るターニアは、なんだか嬉しそうだった。
少なくとも、それは彼女にとって悪い夢ではなかったらしい。
ひとまず安堵の息をついて、ランドは呆れたようにぼやく。
「それにしても……夢の中のオレ。
なんかうだつのあがらない奴だと思ってたけど、案外うまいことやってるんだな」
「夢の中のランドは現実のあなたより、もう少し優しいかも……。
私のこと、いつまでも『ターニアちゃん』って呼んでくれるし……」
「え!? 勘弁してくれよターニア――いや、ターニアちゃん!
なんだか夢の中のオレに浮気されている気分だ!」
「冗談よ、冗談。
現実のあなたも、私は大好きよ」
それからまた、しばらく経ったある日の早朝。
眠っていたランドの肩を、ターニアが勢いよく揺さぶってきた。
「んあ……どうした?」
「生まれた! 生まれたの!
かわいい女の子よ!」
「お、おん?」
寝ぼけまなこを擦りながら話を聞くと――。
夢の世界でお腹の子は順調に育ち、昨夜――すなわち、今日見た夢の中で無事に生まれたのだという。
生まれたのは玉のように愛らしい女の子で、目元がどことなくランドに似ているらしい。
夢の中のランドは感激のあまり打ち震え、生まれたばかりのその子にすっかり付きっきりになっているのだそうだ。
「それでね!
その子なんだけど、少しだけ不思議なの!
まだ産毛みたいなものなんだけど……髪の毛が緑色なんだよ!」
「緑色……?」
訝しげな顔のランドにターニアはふふんと鼻を鳴らし、得意げに持論を語りはじめた。
ランドの金色の髪。
そして、ターニアの蒼色の髪。
ふたりの髪色が混ざり合ったことで、子どもは緑色の髪を受け継いだのではないか――と言うのである。
どう? と言わんばかりに胸を張ってみせるターニアへ、ランドはなんとも疑わし気な視線を向けていた。
「絵の具じゃあるまいし……そんなことあるか?
ターニアお前まさか……夢の中と言え、オレ以外の男と……!?」
「なによそれ!
夢の中のランドはそんなこと言わず大喜びで、
『間違いなくそれだ! ターニアちゃんは天才だな!』って褒めてくれたのに!
そういうところが、あなたとは違うのよねぇ!」
「わかった! わかった!
悪かったって!
だから、いちいち夢の中のオレを引き合いに出すのはやめてくれ!」
夢の子どものことで夫婦喧嘩など、さすがに目も当てられない。
早々に降参しながらも、ランドはどこか、ほっとしたように息をついていたのだった。
その頃から、ターニアの『夜泣き』は次第に影を潜めていった。
それどころか、目を覚ますたび、夢の世界の子どものことを嬉しそうに語るようになっていったのだ。
「今日はね、あの子が初めて立ったの。
ランドったらすっかり浮かれちゃって、ライフコッドじゅうで大騒ぎしていたわ」
「あの子が『パパ』って言ったのよ!
ランドったらもう、あの子を抱きしめて。
『誰の嫁にもやらん!』って騒いでいたの」
「あの子、ちょっとおませさんでねぇ……。
最近、仲の良い男の子がいるみたいなの。
ランドにバレたら大変だから、私にだけ紹介してくれたのよ。
だから女同士の秘密なんだけど……現実のランドにだけは教えてあげるね」
二人の間には相変わらず子がなかったが、夢の世界の子どもは、ランドたちが年を重ねるのと歩調を合わせるように少しずつ成長しているらしかった。
最初は半信半疑で聞いていたランドも、その頃にはまるで我が子の成長記録を聞いているような気持ちで耳を傾けるようになっていた。
妙な話ではあるが……その夢の世界の我が子が、ランドにとっても、もはや他人には思えなくなっていたのだ。
「あの子、すっかり風邪をこじらせてしまったな。
早くよくなるといいんだが……」
「……え?」
ランドの言葉に、ターニアがきょとんと目を見開く。
「……なんでランドが、そのことを知っているの?
今日、私が話そうと思っていたのに……」
「え? ターニアがオレに話さなかったか?」
「言ってないわよ?」
夢の子どもが成長するにつれて、二人のあいだでは、そんなやり取りが増えていった。
不思議なことに、ターニアがまだ話していない『あの子』のことをランドが知っている――そんなことが、ときおり起こるようになっていたのだ。
「どういうことだ?」
「どういうことなのかしら……?」
疑問に思わなくは無かったが、ランドはそれについて深く考える必要はないように感じていた。
もう、ターニアが夢の中で悲しい思いをすることはほとんどなくなっていたし、枕を涙で濡らすことも無くなった。
ならば、それでいいのではないかと思ったのである。
それに、ターニアの語る『夢の子ども』の話は、ランドの心を強く惹きつけた。
彼女の話を聞いていると、本当に自分の子どもがどこか別の世界で生きているような……そんな不思議な充足感が、胸の内を静かに満たしてくれるのだ。
それからまた、幾年もの歳月が流れていった。
「ランド、知ってる?
あの子、とうとうお付き合いするようになったのよ。
ほら、ジュディさんのところの息子さんと」
「あの悪ガキとか!?
そんなの許さないぞ!」
「とうとう、結婚しちゃったわね……。
ライフコッドに住んではいるけど……やっぱり、ちょっと寂しいわね」
「なあ、ターニア……。
酒、飲んでいいか?」
「駄目よ、こんな朝から……って言いたいところだけど。
今日は特別だもんね。
私も少し、飲んでいい?」
「あの子はおしとやかだったのに……孫はずいぶん腕白だな。
まったく、ひとりで洞くつに入ったりするもんだから、ヒヤヒヤしちまったよ」
「ふふふ……。
子どもの頃のランドにそっくりだねって、ジュディさんも笑っていたわ」
「なんだよそれ……。
オレは子どもの頃から真面目な優等生だったっての!」
「なにを言っているのやら……」
そんな会話を重ねながら、ランドとターニアもまた、少しずつ年を重ねていく。
結局、ふたりの間に子どもができることはなかった。
けれど、それでもふたりは幸せだった。
やがて、ランドが先にぽっくりと亡くなり。
それから少しして、ターニアも後を追うように息を引き取っていった。
ふたりの最期は、どちらも穏やかなものであったという。
そして、その頃になってもなお――。
あのレック王子は、行方知れずのままであるらしかった。