「……ギガ……っ!」
先に動いたのは、エスタークだった。
怪物は両腕を交差させると、手首を捻り、握りしめた双剣の切っ先を地へ向ける。
二振りの刃は、その不気味な赤銅の肌と対極をなす、眩い白光を帯びていった。
エスタークはその刃を振り上げるようにして、空へ大きく十字の軌跡を描き出す。
「ギガスラッシュ……!」
交差した二閃の聖なる斬撃が、一直線にレックスへと襲いかかる。
レックスはそれを受け止めようと、『パパスのつるぎ』を中段に構え、防御の姿勢をとった。
「ぐっ……!?」
だがその閃撃は、とても人の身で受けきれるような代物ではない。
凄まじい衝撃の奔流に、レックスは剣を構えたまま弾き飛ばされ、そのまま洞窟の奥壁へ激しく叩きつけられる。
「しゃくねつ……ッ!」
だがエスタークは、息つく暇さえ与えない。
腰を落として低く構えると、体内の熱を
放たれた赤光は超高温の灼熱となって、周囲の空気ごと空間を真っ赤に焼き払っていった。
『しゃくねつほのお』――かつて大地を焼き払った、厄災の劫火である。
「フバーハ!!」
レックスは必死に防護の光を展開し、その灼熱を辛うじて耐え凌ぐ。
ドラゴンの火炎息吹さえ完全に防ぎきる、鉄壁の
だが、エスタークの劫火の前では、そのフバーハさえ薄氷の
防戦に回れば、このまま終わる。
この怪物の猛攻は、自分が塵と化すその瞬間まで、絶え間なく続くだろう。
そう悟ったレックスは、玉砕すら覚悟して、打って出る決意を固めていた。
「ギガデイン!!」
裁きの雷――ギガデイン。
純白の光をまとった
だが、エスタークが返したのは、その白き
「ジゴス……パーク……!」
地獄の雷鳴――ジゴスパーク。
白と黒、二つの雷撃が大気を震わせる轟音とともに激突し、瞑想の間を烈しく照らし出す。
せめぎ合った二閃は、やがて
「ゴ……っ」
眩しい閃光に視界を灼かれ、エスタークの猛攻がほんの刹那だけ停止する。
その一瞬を、レックスは見逃さなかった。
起死回生をかけ、猛然と前へ突貫したのである。
「おりゃあぁぁっっ!!」
レックス一気にエスタークの懐まで踏み込むと、そのまま全身を捻り、横薙ぎの一閃を放つ。
狙いはただひとつ。
怪物の右足首――アキレス腱だ。
踏み潰されれば即死――そんな決死圏へ自ら飛び込む、捨て身の一撃。
だが、レックスに迷いはなかった。
この怪物と渡り合うなら、刹那のためらいすら命取りになる。
一瞬たりとも、迷うことなど許されない。
レックスの覚悟を乗せた刃が、鋼のような皮膚を
積年の宿業に鍛えられ、長き戦いの中で研ぎ澄まされてきた『パパスのつるぎ』。
流浪の王を支えた名剣は、いまや禁忌の肉体さえも断ち切る宝剣へと変じていた。
「……!」
足首を断たたれたエスタークが、ガクリとその場に膝をつく。
「やった……!」
勝機が見える。
垣間見えた活路に、レックスが思わず歓喜を漏らしたその瞬間。
その眼前では、おぞましい光景が広がっていた。
断たれた腱の奥から、無数の細い触手がうじゃうじゃと這い出し、切断された両端から互いを探り合うように伸びていく。
触手の群れは、手を取り合うように絡み合い、裂け目を繋いでいった。
裂かれた肉もまた同じように蠢き、皮膚もそれに従って塞がっていく。
まるで肉体そのものに意思が宿っているかのように、傷がみるみると接合していったのだ。
進化の秘法による、再生の
かつて、マスタードラゴンですら七日七晩を
それはもはや、生物の
レックスの目には、エスタークの身体がひとつの肉体というより、無数の邪悪な生物が寄り集まって蠢く、人型の肉塊のように映っていた。
「なっ……?」
総毛立つような光景を前に、レックスは
そしてエスタークは、その隙を見逃すような怪物ではなかった。
渇望と狂執に胸を灼かれながら、その身に刻み込まれた歴戦の経験は、なお冷静に戦況を見極めていたのだ。
この青年は、身体こそ矮小なれど、優れた俊敏性を備えている。
ならば、剣による破壊は過剰。
優先すべきは、
そう判断したエスタークは、即座に右腕の大剣を投げ捨て、素手でレックスを捕らえようと手を伸ばす。
ほんの寸時といえ思考を断たれていたレックスに、それを躱す術はなかった。
「がはっ……!」
エスタークに胴を鷲づかみにされ、レックスの胸を凄まじい激痛が貫いていく。
掴まれた衝撃だけで、肋骨を何本か砕かれてしまったらしい。
このまま力を込められれば、全身を握りつぶされてしまうことは必至。
文字通り、絶体絶命の危機だ。
ベホマ、スクルト、ライデイン。
レックスの脳裏に、この窮地を脱するための選択肢が次々と浮かんでくる。
だが、そんな連想が生じた時点でもう遅いのだ。
この怪物を相手にして、逡巡は終わりを意味する。
「――っ?」
そのとき、レックスの頬を風のようなものがかすめていった。
こんな洞窟の奥底で、風など吹くはずがない。
それは風ではなく、空間が圧縮されたことによる粒子の奔流――。
そしてレックスは、この感触をよく知っていた。
「イオナズン!!」
エネルギーの圧縮と膨張が生み出す、
双子の妹、タバサが得意とする
背中で炸裂した衝撃波の爆発に、さしものエスタークも姿勢を崩し、その動きを止めていた。
「お兄ちゃんを……離して!!」
その背後には、赤紫のマントをはためかせ、悲愴な表情でエスタークを見据えるタバサの姿があった。
その胸の奥では、変わらずこの『
それでも、タバサにとって一番大切なのは、レックス――『お兄ちゃん』なのだ。
兄を守るためなら、彼女はどんなことだってする覚悟があった。
「ドラゴラム……!!」
その決意に証明するように、タバサは全身を
自らの身体を竜へと作り替える、恐るべき禁忌の呪文――ドラゴラム。
術者は理性を失い、敵を殺すか、自らが意識を失うまで、ただ破壊の限りを尽くし続ける。
それはまさに、不退転の覚悟を形にする呪文であった。
「ガアアァァ!!!」
竜と化したタバサはエスタークの右腕へ喰らいつくと、その強靱な牙で一息に喰い千切る。
噛み切られ、宙を舞ったその右腕は、レックスを掴んだまま地に落ちて、彼を不可避の死から解き放っていった。
それを尻目に、タバサは全身全霊の力でエスタークへ体当たりを叩き込む。
背中の損壊と右腕の欠損、その再生に意識を割かれていたエスタークはそれをまともに受け、洞窟の岸壁に叩きつけられる。
タバサはそのまま、腰を落とした怪物へ燃え盛る火炎の息吹を浴びせていていった。
「ゴゴッ……!」
激しい炎を食い止めようと エスタークは彼女に向かって腕を伸ばす。
猛火の渦はその腕さえも呑み込み、指先から炭化させ、灰へと変えていく。
エスタークの両腕は肘の先から真っ黒に焦げ落ち、反撃の機会を与えられない。
だが、進化の秘法は竜の赫炎すらも凌駕する。
彼は両腕を深く締め、自らの血液を絞り出すように噴出させると、焦熱へ抗うように進化を加速させていた。
血が蒸発し気化する中で、新たに耐火性を得た怪腕が、ついにタバサの首元まで届く。
エスタークは指先に力を込めて、喉奥の気管を抉るように鷲掴みにした。
「――――っ!!」
力づくで息吹を封じられ、タバサは天を仰いで苦悶を漏らす。
エスタークはその首を掴んだまま、滑るように体勢を入れ替え上を取ると、異形の
「ウウ……ッ!」
凄まじい激突に、タバサの全身がびくりと硬直する。
それでもエスタークは止まらない。
その頭を足蹴にすると、とどめを刺そうとするように、そのまま容赦なく踏み砕いていった。
エスタークが足を振り落とすたびに衝撃が洞窟を震わせ、岩盤に太い亀裂が奔っていく。
延々と暴虐に晒されたタバサは、もはや反撃どころか身じろぎすることもできず、やがて全身からぐったりと力を失っていった。
その身から力が抜け落ちるのと同時、竜の体表を覆うように紫の霧が漂い始める。
解呪の霧。
それは、術者の意識がついに途絶えたことを意味していた。
「――――」
ドラゴラムの解呪とともに、竜の輪郭がタバサの姿へと戻っていく。
だが、エスタークは振り上げた足を止めようとはしなかった。
一時は動揺を覚えた相手であっても、ひとたび敵意を向けられれば、エスタークの本能はそれを滅すべきものと認識する。
そして彼の怪物性は、標的の生存を決して許さない。
「や、やめろぉ!!」
その凶行を目の当たりにし、レックスは必死に二人のもとへ駆けていた。
『パパスのつるぎ』は掴まれた際に取り落として丸腰。
砕かれた肋骨がいよいよ耐えがたい痛みを訴えている。
だが、レックスはそんなことに
いまにもその命を奪われようとしているタバサの前に、完全に
「う……うわああぁぁ!!」
「――っ!」
狂騒に突き動かされるまま、レックスはギガデインを連続で放ち続ける。
魔力の消耗を
裁きの閃光が次々とエスタークに降り注ぎ、その巨躯を灼き尽くしていく。
怒涛のような雷々に、怪物の肉体は半壊し、もうもうと白煙を吹き上げながら、ゆっくりと崩れ落ちていった。
だが、それも時間稼ぎにしかならないだろう。
レックスの全魔力を振り絞ったギガデインの連射でさえ、エスタークはたちまち再生させてしまうのだ。
レックスはタバサの元へ駆け寄ると、その様子を確かめる。
ドラゴラムの解けたタバサは、元の姿のまま仰向けに倒れ、意識を失っているようだった。
その顔は赤く染まり、鼻や耳孔からはおびただしい血が溢れている。
「待ってて!
いま助けるから!!」
レックスはタバサを抱きかかえ、なんとか安全な場所へ運ぼうとする。
だが、その動きは不意に止まってしまった。
身体にまるで力が入らないのだ。
全身の疲労。
肋骨の骨折。
そして、全魔力の消耗。
あらゆる力を使い果たした彼は、もはや立ち上がる気力さえ残っていなかったのである。
「……っ!」
「ゴゴゴゴ……」
その背後では再生を終えた怪物が、更なる殺意をその胸に。
再び立ち上がろうとしていたのだった。