とある勇者の最後の旅路   作:あさか000

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第16話 旅の終わり

#24 ライフコッド

 

 レックは、闇の中にいた。

 いつから自分は、ここに居るのだろうか。

 それはもう、自分自身にだってわからない。

 

 あるいは、この闇こそが本来、自分の在るべき場所だったのかもしれない。

 自分は誰かの夢想によって闇から生まれ、誰かの夢現(ゆめうつつ)を彷徨った末に、還るべき場所へ還ってきただけの『まぼろし』なのだ。

 

 闇に生まれし者は、闇に還るのが道理。

 かつて誰かが、そんなことを言っていた気がする。

 

「…………」

 

 足元に広がる奈落を、レックはじっと見つめる。

 

 いったい、どれほどの時をこうして過ごしてきたのだろう。

 永劫のようであるし、ほんの一瞬であったようにも感じる。

 

 まるで――泡沫(うたかた)

 

 自分は(あわ)のように生まれ、(あわ)のように消えてゆくべき存在だったのだ。

 ならば、いまここに在るのはむしろ、当然なことなのではないだろうか。

 

『そんなことないさ……』

「……?」

 

 心の中で、優しい誰かがそう言う。

 その声に導かれるように、レックは顔を上げた。

 

 見上げた先に広がっていたのは、夜空に咲く大輪の花火。

 弾むような太鼓の響きが耳を打ち、美しい笛の調べが鼓膜を震わせる。

 あちこちに焚かれた松明が赤々と燃え、その淡い光がレックの頬を照らしていた。

 村人たちの楽しげなざわめきが、そこかしこから聞こえてくる。

 

 ――祭りだ。

 

 そうだ。

 今日は、精霊の祭りの日だったのだ。

 

「おんや レック。

 もどってきただか?

 ふもとの町の バザーは さぞかし にぎやかだったろうな。

 うらやましいだよ」

 

 自分は村長の言いつけで、ふもとの町へ精霊のかんむりを買いに行って――。

 

「ふむ。レックか。

 わしに かわって 無事に つとめを はたしたようじゃな。

 じゃが 思ったより もどりが おそかったのう。

 おおかた どこかで 道草でも くっていたんじゃろう。

 若い者は これだから いかん!」

 

 そして今、こうして無事にライフコッドへ帰ってきたのだ。

 

「今年の村まつりは ターニアちゃんが 神のつかいを やるんだろ?

 楽しみにしてるって 伝えておいてくれよ。

 ア・二・キ!」

 

 だって。

 今年の祭りは、妹――ターニアにとって晴れの舞台。

 祭りの主役というべき、神の使いを務めるのだ。

 兄として、精一杯力になってやりたかった。

 

 だから自分は、精霊のかんむりを――。

 

「ようレック!

 遠くまで 行ってくれて 大変だったな。

 準備の手伝いは いいから 家で すこし 休んだほうがいいぞ」

 

 ――家?

 

 そうだ。

 早く家に帰られなければ。

 

 ふもとの町へ使いへ行っただけのはずなのに。

 長い時間――本当に、途方もなく長い時間をかけてしまった。

 ようやく帰ってきたのだと、早くターニアへ伝えなければいけない。

 

 ライフコッドの崖際に建つ、見慣れた我が家。

 それが自分たち――兄妹(きょうだい)の家だ。

 

 レックはそっと、その扉を押し開く。

 

「あら おにいちゃん。

 帰っていたのね」

 

 そして、ターニアはそこにいた。

 確かにそこにいて、いつもの笑顔で迎えてくれたのだ。

 

「村長さんの いいつけ おつかれさま。

 思ったより 時間がかかっていたから ちょっとだけ 心配したんだよ!」

「…………」

 

 レックはその場に膝をつく。

 もう、足に力が入らなかった。

 

 だって、自分はずっと、この時を待っていた。

 ずっと、ずっと、長い刻。

 悠久の果てで、この瞬間を待ち焦がれていたのだ。

 

 うなだれるレックを前に、ターニアもまた膝をついた。

 そして、手を伸ばしてレックの頬に触れると、そのまま胸へ抱き寄せて、伝える。

 

「私も 待っていたよ… おにいちゃん」

 

 


 

 

#25 謎の洞くつ――瞑想の間

 

 

「そう……あの人は、待っていた」

 

 漆黒の影を、その胸に抱きしめたまま。

 タバサはゆっくりと唇を開く。

 

「あなたのことを……あの人は、ずっと待っていた

 曖昧(あいまい)微睡(まどろ)みの中で、いつまでも……あなたの帰る日を待ちわびていた。

 あの山村の清らかな風の中で。

 「あなたはここに帰っていいんだよ」と、そう伝えるために……」

 

 言葉は途切れることなく、タバサの口から紡がれていく。

 その言霊(ことだま)がどこから湧いてくるものなのか、それは彼女自身にだってわからない。

 それでも、胸の奥に宿った想いは、溢れ出して止まらなかった。

 

「だって、あなたは約束した。

 おぼろげな夢現(ゆめうつつ)の中で、あなたたちは……たしかに約束を交わしていた」

 

 タバサはそっと、やわらかな微笑みを浮かべる。

 それはかつて、誰かが浮かべていたのと同じ、見る者の心をほどいていくような、優しい笑みだった。

 

「きっと また 会えるよね って……」

 

 タバサは静かに手を離し、その額に自らの額をこつりと重ねる。

 そして――約束の言葉を告げた。

 

「おかえりなさい……おにいちゃん」

 

 きっとそれは、悠久の刻の彼方で。

 どこかの誰かが、どうしても『おにいちゃん』へ伝えたかった言葉なのだろう。

 

 ➡「はい」

 

 その返事を最後に、影の輪郭が淡い光が包み込まれていく。

 狂執に囚われ、冒涜の進化を重ね。

 自らの業にその身を灼かれ続けながら、彼が最後まで求めてやまなかった渇望は――。

 

 たったそれだけの、短い言葉だったのだ。

 

 淡い光はやがて温かな風となって、タバサの手の平から夢のように過ぎ去っていく。

 再び視線を向けたとき、影はもう、幻のように跡形もなく消えていた。

 

 まるで――夢の旅人。

 

 だけどタバサは、いつまでも彼のことを忘れないだろう。

 幻の勇者の軌跡を、ずっと心に想うだろう。

 

 ――太古の約束は果たされた。

 とある勇者の最後の旅路は、こうして終わりを迎えたのだ。

 

 


 

 

「…………」

「僕には、ちょっと何が何だかわからないんだけど……」

 

 膝をついたまま茫然と佇むタバサへ、レックスはまるで白昼夢でも見たかのように問いかける。

 

「あの影は、なんだったの?

 そもそも、あの怪物の正体は?」

「……わからない」

 

 首を振るタバサへ、レックスは戸惑った顔で問いを重ねる。

 

「わからないって……。

 じゃあ、タバサはなんで……?」

「私にだって、何もわからないけれど……」

 

 タバサは静かにうなずき、兄のほうへ振り返った。

 

「でも……あの人はきっと、帰りたかった場所へ還ることができたんだと思う。

 会いたかった人に、きっともう一度会えたんだって……そう思う……」

 

 そう微笑むタバサの胸には、不思議な安堵が広がっていた。

 何が起きたのかなんて、自分でもわからない。

 それでも彼女はたしかに、ほっとした安らぎに満たされていたのだ。

 

「よかった……」

「タバサ?」

「本当に……よかったよぉ……」

 

 その瞳から、涙がとめどなくこぼれ落ちていく。

 エルヘブンの大巫女――マーサ譲りの霊的な感応力が、あの影を待ちわびていた誰かの心と、深く響き合っているのかもしれない。

 

 それを持たないレックスには、タバサがいま感じている感傷も、憐憫も、そして安堵も。

 そのどれひとつだって、わからない。

 

 だから彼は、兄として。

 自分がしてやれることだけを、妹へすることにした。

 

「よかったね」

「……うん」

「偉いぞ、タバサ」

「うん」

 

 レックスがそっとタバサの身体を抱きしめる。

 いまではすっかり身長差のついてしまった兄の胸に顔を埋めながら、タバサは思う。

 

 この『お兄ちゃん』がたしかにここにいて。

 いつも自分の隣にいてくれて、よかった。

 本当に、よかったと――。

 

 タバサはただ、そう想うのだった。

 

 


 

 

#26 謎の洞くつ――瞑想の間

 

 

「ベホマ」

 

 レックスの治癒呪文(ベホマ)が、タバサの傷をたちどころに癒していく。

 あれから少し経って、荷物の中からエルフの飲み薬を取り出した二人は、ようやく一息つけるだけの余裕を取り戻していた。

 

 洞窟の岩壁に背を預け、タバサは大きく息を吐く。

 最大火力のイオナズンや、禁呪ドラゴラムの使用。

 たとえ呪文で傷が癒やされても、心身の疲労まですぐに消えてくれるわけではない。 

 洞窟を出る前に、タバサとレックスは束の間の休息を取っていた。

 

「熱っ、熱っ!

 ちぇっ、この溶岩。

 トラマナ越しでも熱いなぁ!」

 

 そんな中でも、レックスは洞窟のあちこちを忙しなく調べ回っていた。

 自分よりよほど疲れているはずなのに、あの無尽蔵の体力はどこから湧いてくるのだろう。

 タバサは呆れた面持ちで、そんな兄の背中を眺める。

 

「だめだ!

 あまり貴重な道具は見つからなかったよ!

 あれだけの強敵だったのに、戦利品はこれだけだ」

「まさか、宝物を探していたの?」

「宝物漁りは、グランバニア王家の(さが)だからね。

 何かすごい道具を落とすんじゃないかって期待していたんだけど……これしか見つからなかった」

「呆れた……」

 

 脳天気な兄へ、タバサはこれ見よがしに肩を竦めてみせる。

 だがレックスは意に介した様子もなく、その『戦利品』を両手で掲げると、そのまますっぽりとタバサの頭へかぶせてみせた。

 

「わぷっ……」

「うん。

 でも思ったとおり、タバサによく似合ってる。

 それ、あげるね!」

「なにこれ……?」

 

 いきなり頭になにかをかぶせられ、タバサは怪訝にそれを外して手元へ寄せる。

 それは、ひとつの(かんむり)だった。

 

 もっとも、冠といっても豪奢な宝冠ではないし、強い魔力を宿しているようにも見えない。 

 古びていて、素朴で、それでいて丁寧に作られた。

 どこか懐かしさを感じさせる、愛らしい冠だった。

 

 ――精霊のかんむり。

 

 謎の怪物、エスタークが遺したものは。

 そんな(かんむり)だけであったのだ。

 

「…………」

 

 タバサは、それをそっと抱きしめる。

 そうやって冠に触れているだけで、自分の奥にいる誰かと、心を通わせられるような気がしたのだ。

 

 そんな妹を見つめながら、レックスはふと、何気ない調子で口を開く。

 

「……魔王(ミルドラース)を倒してから、僕はずっと思っていたことがあるんだ」

「え……?」

 

 タバサは視線を上げ、レックスと目を合わせる。

 まっすぐにタバサを見つめ返すその瞳には、真摯な光を宿っていた。

 

「僕は世界を救うため、天空の勇者として生まれてきた。

 それが僕の生まれてきた理由であり、神様から授けられた使命なんだって、そう思っていた」

「……うん」

「でもさ、だったら少し不思議じゃない?

 魔王を倒すだけなら、勇者ひとり生まれてくればよかったんだ。

 それなのに、なんで僕らは双子として生を受けたのかな?」

「それは……」

 

 その問いかけは、タバサは思わず口ごもってしまう。

 

 レックスは、世界に祝福されし天空の勇者。

 対して、自分は天空の武具を身につけることも出来ず、魔法の才こそあれ、兄のように武の才能に恵まれたわけでもない。

 幼い頃、レックスを羨んだことだって一度や二度ではなかった。

 

 そんな彼女の気持ちを察してか、レックスもこれまで、自分たちが双子で生まれた意味について、深く触れてくることはなかったのだ。

 

「それは私が……お兄ちゃんのオマケで生まれてきただけだから……」

「そんなわけないだろ」

 

 思わず俯いてしまったタバサへ、レックスは当たり前のように言葉を返す。

 

「きっと僕らは……あの怪物の夢を終わらせるため。

 そのために、ふたりで生まれてきたんだよ。

 遠い昔の誰かの想いが、僕らを双子として、この世界に送り出したんだ」

「…………」

 

 エスタークの身体を覆っていた、禁忌の異形。

 その心を縛り付けていた、狂執の渇望。

 

 レックスだけでも、タバサだけでも、それを祓い清めることはできなかった。

 

 母譲りの気丈と、グランバニア王家の誇りを継いだレックス。

 父譲りの情愛と、エルヘブンの霊験(れいげん)を受け継いだタバサ。

 

 二人が揃わなければ、レックの(まぼろし)が叶えられることは、決してなかったのだ。

 

『すべての厄災を祓った者には、世界の摂理さえ逸脱し、あらゆる奇跡が叶えられると伝わっている。

 貴様が狂執する『まぼろし』でさえ、その奇跡は(ことわり)を越え、現実のものとするだろう』

 

 かつて錬金術師のミルドは、そう語っていた。

 二人の誕生もあるいは、レックが成し遂げた壮挙が巡りに巡ってたぐり寄せた、因果の結実であったのかもしれない。

 

「だから……僕は、タバサが居てくれて良かったって思う。

 本当に、そう思うんだ」

「……うん。

 私も……そう思う」

 

 レックスはタバサの手から精霊のかんむりを受け取ると、もう一度そっと妹の頭に載せた。

 今度はタバサも、それを素直に受け入れる。

 

「……似合う?」

「うん、ピッタリだ!」

 

 冠を戴いて微笑む妹の姿に、レックスは満足げに頷く。

 そして、少し遠い眼差しで、影の消えていった方へ眼を向けた。

 

「これで僕も……ようやく、旅を終えられる気がするよ……」

「もういいの?」

「うん。

 なんだか、ずっと背負っていたものを、やっと下ろせた気分なんだ」

 

 ミルドラースを倒してなお、レックスの心には奇妙な焦燥が渦巻いていた。

 自分にはまだ使命がある。

 果たすべき責務が残されている。

 そんな思いに、絶えず急き立てられている気がしたのだ。

 

 その衝動が、彼に安住を許さなかった。

 心の奥で鳴りやまぬ逼迫(ひっぱく)こそが、彼を流浪の旅へ向かわせていたのである。

 

 だけど、あの影が光に還っていくのを見届けたとき。

 レックスは、自分がその(くびき)から解き放たれていくのを感じていた。

 

 きっと自分は、かつて誰かと交わした大切な誓約を、果たすことが出来たのだろう。

 なにひとつわからなくても、彼の胸はそんな実感で満たされていた。

 

「帰ろうか……グランバニアへ。

 僕らの家へ……」

「うん……」

 

 差し出されたレックスの手を、タバサは慈しむようにそっと握り返す。

 そしてふたりは、転移呪文(リレミト)の淡い光に包まれていった。

 

 転移によって『瞑想の間』の光景が散り散りに融けていくのを(まぶた)におさめながら。

 タバサは最後に、兄へ小さく囁く。

 

「おかえりなさい……お兄ちゃん」

「……ただいま」

 

 こうして、レックスの最後の旅路もまた、終わりを迎えた。

 平和な世界を彷徨い続けた勇者の旅は、ここに確かな終着を得ることが叶ったのである。

 

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