常軌を逸した、長い長い旅路の果て――。
レックの耳元に、どこからともなく、ふしぎな声が聞こえてきた。
『あまたの わざを 身につけし者よ
今こそ なんじを むかえん
封印されし うごめくものたちを
なんじの ちからを もて たちきらん』
それは慈悲深き神の天啓か、それとも奈落へ誘う悪魔の囁きか。
あるいは――孤独と妄執によってすり減った自分の心が、自ら招きよせた幻聴と考えるのが、いちばん
だが、重く閉ざしていた
――『
それは洞窟とも、荘厳な神殿とも、朽ち果てた王宮ともつかない、あまりに
それなのに、その継ぎ接ぎめいた景色は、レックの胸に痛烈な郷愁を呼び起こしてくる。
彼はまるで、自らの記憶の欠片を一つひとつ辿るかのように、淀みない足取りでその深淵へと進んでいった。
ガーディアン、デススタッフ、エビルフランケン、キラーマジンガ。
レックの前に立ちはだかるのは、これまでの旅路ですら遭遇したことのないような、強烈無比の魔物たち。
しかし、そんな魔界の最上位に属する怪物であっても、果てのない流浪の末、人外の領域へと達したレックを止める術はない。
レックが無造作に剣を一閃するたび、魔の残骸が迷宮の冷たい床へと崩れ落ちていく。
並みいる魔物たちを一蹴し、彼はただひたすらに、無機質な歩みを進めていった。
進みに進み、歩き続けたその果てで――。
唐突に、『それ』は現れた。
「おお レック!
待っておったぞ!
精霊のかんむりも 無事に手に入ったようじゃな。
どれ どれ……」
ライフコッドの村長が、あの日と同じ手つきで、レックの手にある『精霊のかんむり』の出来栄えを確かめていく。
それから、少し呆れたような顔を向けて、レックに告げた。
「しかし ずいぶんと おそかったようじゃが なにか あったのかの?」
「…………」
無言で立ち尽くすレックを気に留める様子もなく、村長は取りなすように言葉を続けていった。
「まあいい……。
あんまり おそかったので まつりを 先に はじめてしまったのじゃ。
とにかく いそいで 精霊の儀式の準備じゃ。
おお いそがしい いそがしい」
迷宮の道半ば――。
レックの眼前に広がっていたのは、あの懐かしいライフコッドの夜景であった。
村のあちこちでは松明が赤々と燃え盛り、時折、打ち上げられた花火が夜空を鮮やかに照らしている。
空気の匂いも、人々の喧騒も、何もかもがあの日――精霊の祭りの夜、そのままだ。
これは夢か、幻か。
それともやはり、摩耗しきった脳が生み出した幻覚だろうか?
その真偽など、もはやレックにはどうでもよかった。
とにかく、自分は帰るべき場所へ帰ってきたのだ。
ならば、それでいいではないか。
レックはふらふらと、熱に浮かされたような覚束ない足取りで村の中をさまよい歩く。
目指すのは、あの家。
ターニアが待つ――自分たち兄妹の家だ。
本当に、長い時間を待たせてしまった。
妹へ、ようやく帰ってきたことを伝えなければならない。
ライフコッドの崖際に建つ、見慣れた我が家。
レックはその扉に手を掛けそっと押し開く。
「……。
ここは 遠い遠い 未来か。
それとも はるか むかしの 夢のなか……」
しかし、仄暗い室内で待っていたのは、ターニアでは無かった。
そこに佇んでいたのは、まったく見知らぬ、ひとりの娘。
彼女はどこか妖しく唇を歪めて微笑むと、呆然と立ち尽くすレックへと、静かに問いかける。
「……もう どうなってもいい?」
「ここは デスコッドの村だよ。
見る人によって いろんな村に 見えるらしいんだ」
足元でぷるぷると小刻みに震えながら、どう見てもスライムにしか見えないそれは、そう語っていた。
レックは虚ろに瞳をめぐらし、あらためて村の全景を見渡してみる。
いつの間にか空は白んだ真昼の光に包まれ、赤々と燃えていた松明も、夜空を彩った花火も、ざわめきに満ちていた祭りの喧騒も、跡形もなく掻き消えていた。
いや――最初から、祭りなど開かれていなかったのだろう。
見知った顔の村人たちの姿はとうに消え去り、白日の下に真の姿をさらしたデスコッドの村には、人語を解す異形の魔物や、明らかに正気を欠いた瞳で虚空を見つめる人間たちが、まばらに点在するだけだった。
目の前に広がる光景は、ライフコッドによく似ている。
だがそれも、あのスライムの言葉を信じるならば、レックの望郷がそう見せているだけで、本当は違う形をしているのかもしれない。
デスコッドは、あまりにも
すれ違う住民たちから漏れる言葉はとりとめがなく、前後の脈絡も意味も破綻している。
一見、こちらへ語りかけているように見えても、彼らの濁った視線がレックと交わることは決してない。
ただひたすらに、己の脳裏に渦巻く想いを、やはり脳内にしか存在しない誰かに向けて、延々と語り続けかけているようにしか見えなかった。
あてもなく村をさまよった末に、レックは静かに悟る。
ここはきっと、正気の者が辿りつけるような場所ではないのだろう。
そして、そんな場所へ辿りついてしまった自分は、そろそろ終わりなのかもしれない。
デスコッドに吹きすさぶ乾いた風を全身に浴びながら、レックはそんな事実を、ごく当たり前の結末として受け入れつつあった。
それならそれでいい。
この果てしなき旅路の幕を引く、ちょうどいい機会だ。
この曖昧な意識に沈む村が、自らの終着点だというのなら――それも悪くない。
「ほほう……。
ここまで辿り着いておきながら……その瞳には、まだ幾ばくかの光が残っておるな。
灰に
実に面白き逸材ではないか」
そんな幻想の片隅で。
虚無の底へと沈みかけていたレックの耳を、地の底から這い上がってきたようなしゃがれ声が打った。
「……?」
振り返った先に佇んでいたのは、ひとりの奇妙な老人だった。
爛々と底光りする眼光は、他の住民たちと同じく明らかに正気を欠いていたが、老人は心の中の幻影ではなく、まっすぐにレックの目を見据えている。
「私の名は、ミルド。
錬金術師のミルドだ
とある秘法を研究するため、この村に留まっている」
力なく視線をあげたレックへ、老人――ミルドは
その外見は
身に纏うのは
レックを見据える双眸は、
「妄者だけが導かれしこの場所に、貴様のような者は珍しい。
幻想に心を侵されながら、その強靭な精神ゆえ狂うことも許されず、正気の狂気の狭間を彷徨う
私はずっと、貴様の如き英雄を探し求めておったのだ」
ミルドが語るには、彼は自らの研究を完成させるため、長らくこのデスコッドに滞在しているのだという。
曖昧な意識に満ちるこの場所で、確固たる意志を宿したまま存り続けるミルドは、デスコッドという異常な空間においてさえ、なお異質な存在だった。
「……貴様の目的はなんだ?」
ミルドの問いに、レックは感情の抜け落ちた仕草で、投げやりに首を振ってみせる。
自分に目的なんてものはない。
この胸を焦がす渇望は、決して叶うことない『まぼろし』なのだから。
だが、ミルドはそんなレックの諦観を
「嘘をつくな……。
ただの漂流では、決してここへは辿りつけん。
頬の皮膚を引き
それが彼なりの微笑みらしかった。
「夢の旅人よ……。
『まぼろし』に囚われ、人を超越せし英雄よ。
その力を私に預けよ」
ミルドは枯れ枝のような指先でレックの腕を掴み、狂気的な確信を滲ませて言葉を継ぐ。
「さすれば、貴様の
ミルドの申し出は、実に単純明快なものだった。
「デスコッドからさらに深く潜った、奈落の先。
地の底には、とある石壇が存在している。
それは、あらゆる時代、あらゆる世界、あらゆる宇宙において『厄災』と呼ばれた者たちが降臨すると伝えられし、呪われた魔の祭壇だ」
ミルドのしゃがれた声が、デスコッドの淀んだ空気を微かに震わせる。
彼は邪悪な気配を漂わせながら、
「貴様はそこで、顕現した厄災を
すべての厄災を
貴様が狂執する『まぼろし』でさえ、その奇跡は
そう
そして取り出されたそれは、無数の宝石が意匠として散りばめられた、美しい腕輪だった。
「もっとも厄災もまた摂理から逸脱せし、超常の者ども。
如何に貴様といえ、とても敵うものではあるまい。
そこでだ。
厄災と対峙せし時は、必ずこの『乙女のたましい』を身につけよ」
「…………」
黙り込んだまま、レックは渡された腕輪を手のひらの上でじっと見つめる。
それは呪いこそ宿していないようだったが、装飾の美しさでは到底隠しきれないほど、禍々しい気配を帯びているように感じられた。
「忘れるな。
その『たましい』がある限り、貴様もまた不死身。
この言葉を決して忘れるではないぞ?」
最後にそう告げると、ミルドの輪郭は揺らぎ、陽炎のように音もなく、泡沫の中へ溶け込んでいったのだった。